軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百四話

自分たちが港に到着してしばらくすると、沖合から一隻の小舟がやってきた。

そこには白旗が掲げられていて、この世界でも白旗は降伏を示すのかと驚いた。

小舟に乗る人物は、言葉の届く範囲までくると、バックス商会支配人代理、フロスト・ロラン=バックスと名乗った。

あの船団を担う指揮官であり、コール曰く、バックス家の長男らしい。

小舟を漕ぐのは先ほどやり取りした獣人で、さらにもう二人ほど乗っていたが、こちらは書記官のようだ。

フロストと名乗ったコールの兄は、いかにも貴族に相応しい背の高さと広い肩幅、それに長い髪をしていた。平時ならばいかにも高級貴族に見えたろうが、今はずぶ濡れのよれよれだ。

爆風と荒波のせいで沖合の船団も大混乱だったようで、船から降りると小鹿みたいに足を震わせ、ずっと歯の根があっていなかった。

それでも気丈さを保とうという意地のようなものが見えたので、貴族も大変だなと思った。

「ようこそジレーヌ領へ。私たちは捕虜に寛大よ。……あなたたちと違って」

出迎えたイーリアが、ここぞとばかりに嫌味たっぷりに微笑んでみせる。

まったく、領主にぴったりな女の子だ。

こうして捕虜となったロランの貴顕を、イーリアの屋敷に連れていく途中。

一行から少し離れた場所を歩いていた自分の腰を、背後から何者かが叩く。

振り向くと、ドラステルに扮したクルルだった。

「なんでお前まで濡れ鼠なんだ? びっくりして船から落ちたのか?」

からかうような笑みと、機敏に動く耳と尻尾。大魔法がうまくいって、少し興奮しているらしい。

あの時の恐怖を思い出した自分はちょっと怒りかけたが、クルルの尻尾が外套の下で嬉しそうに揺れているのを見て、それも霧散した。

「クルルさんこそ、その顔はなんです?」

「師匠がな、待ち伏せの時はこうするんだと」

フードの下のクルルの顔は、炭と土で縞模様になっている。

迷彩ということだろうが、あんな超遠距離の狙撃、いや爆撃で、迷彩もくそもないだろうに。

多分緊張するクルルのため、ゲラリオが気を利かせたのだろう。

なにせクルルが手元を間違えたら、自分たちは今頃月面にいるのだから。

「こっちからだとよくわからなかったが、いい脅しになったようだな」

連れていかれるコールの兄たちの憔悴は、はた目にも明らかだ。

ただ、今の自分はどちらかというと、心境的にはあちらの側。

「次はゲラリオさんに任せて、クルルさんも一緒にあれを味わいましょうね」

笑顔を見せて言うと、クルルは目を丸くしてから、首をすくめている。

「そ、そんなにだったか? 十分離れたところに魔法を撃っただろ?」

「この世の終わりだと思いましたよ」

多分、距離が離れているせいで、クルルたちから見ると現実味がなかったのだろう。

青い海に白いキノコが生えた、程度に思っているのかもしれない。

「……師匠が、魔法はでかければでかいほうがいいって言うから……」

いたずらを叱られ、不貞腐れる女の子みたいにクルルが言い訳する。

「次からはクルルさんが諫めてください」

「……」

クルルは不服そうに、肩をすくめていた。

「ただ、しばらくジレーヌは安泰でしょうね」

あの大爆発を見たロランの者たちは、ジレーヌの鉱山からとてつもなく巨大な魔石が発見されたと思ったはず。ロランに反抗するのも、それに見合うだけの魔法を撃てる魔石を手に入れたからだと。

ここを利用して交渉すれば、アンタッチャブルな存在として、ロランからの干渉を避けられるはずだ。

「交渉は、うまくいきそうか?」

やり過ぎを反省しているのか、やや上目遣いに聞いてくる。

その言葉には、哀れな貴族様に向けて顎をしゃくるだけでいい。

「あの様子ですよ。みんなで腹を出して踊れ、といっても受け入れるでしょう」

「んふっ」

クルルは吹き出し、フードの裾を引っ張って顔を隠すと、肩を震わせていた。

妙なところに笑いのツボがあるなと思いながら、ちょっとやり返せたようで嬉しかった。

◇◇◇◆◆◆

コールの兄、バックス商会一族の長兄、フロスト・ロラン=バックス。

ロランの文字は統治権を示し、それを共有する家系があとふたつあるらしいので、ロランはどうやら有力門閥による疑似共和制のようだ。

しかしロランでも最大のバックス商会がやはり権力の中枢にあるようで、フロストにすべての交渉が委ねられているとのこと。

あるいは単に、同じ家系のコールが敵側にいるので、バックス家で責任を取れと、死地に差し出されただけかもしれないが。

いずれにせよ、あの魔法を見せられてなお徹底抗戦を訴えた者は、さすがに傲慢なロランの連中の中にも一人もいなかったらしい。

このフロストは停戦交渉と、あの船団にいる者たちの命乞いを任されているとのことだった。

和平の申し出がフロスト側からなされると、イーリアが答えた。

「こちらの要求は単純よ。うちはあなたたちの領土とか権力みたいなものには興味がないの。望むのはこの領地の平和だけ。だから今までどおり魔石はあなたたちに納品するし、交易もして欲しい。ロランとの間にはなにもなかったみたいに、今までどおり仲良くしたいってこと」

そう言ってから茶目っ気たっぷりに微笑むが、このイーリアが右手をちょっと振れば、再び海に巨大な水柱が上がり、船団は木っ端みじんになる。

それから悠々とロランの沿岸に船を乗りつけて同じことをすれば、あの歴史ある街並みは永遠に地図の上から消え去ってしまう。

そのことをわかっているフロストや、本来ならこの領地に乗り込んで侵略を采配する役目を負っていたはずの書記官二人は、とてもイーリアの軽口に笑える雰囲気ではなかった。

けれど自分の茶目っ気を理解してもらえなかったイーリアは、急に真顔になって言う。

「ご不満が?」

イーリアは良い性格をしている。

捕虜三人がそろって息を飲むが、フロストが指揮官らしく、代表して答えた。

「……ない」

イーリアは満足げに微笑み、事前に用意しておいた和平協定の下書きをテーブルに置く。

フロストがそれに目を向け、軽く文書を確認すると、脇にいる書記官二人にも文面を確認させていた。

イーリアは羽ペンをフロストに差し出し、敗将のフロストはおとなしく受け取る。

書記官二人も、ここで口を挟む度胸はなかったのだろう。

おずおずとフロストに書類を差し戻し、彼が書類にサインをすれば、いったんはロランとの戦いに、終結のめどがつく。

やれやれとほっとした、その直後。

フロストがゆっくり長く息を吸うと、命を懸けるように言ったのだ。

「停戦の条件は、ほ、本当にこれだけなのか?」

フロストの口調は居丈高な貴族のものだが、明らかに腰が引けていた。

イーリア相手にへりくだるのは、高貴な身分として許されないが、船の上で味わった恐怖も隠しきれないといった感じ。

それに同じ部屋にはコールもいるので、余計に複雑な心境なのだろう。

「これだけって?」

この期に及んで交渉しようとは、純粋にすごい度胸だとイーリアは言いたげだ。

けれどその問いを受けたフロストは、交渉しようとかいうのではなく、なにかを恐れているようだった。

「寛大、過ぎる……だろう。どういう、つもりなのだ?」

裏があるのでは、と思ったらしい。

確かにここまでの彼らの行いは、あまりに短絡的で横暴なものだった。

ついこの間までお飾りだったとはいえ、れっきとした領主のイーリアをおびき出し、毒を盛って幽閉した。おまけにその領主を奪還されたからと、意趣返しに攻めにきたら返り討ちにあった挙句、今や指揮官を含む全船団を人質に取られているような状況だ。

ロランにまともな海上兵力が残っているか疑問だし、なによりあの魔法を見せられたら、どんな市壁による防御も無意味だとわかる。

つまりロランの人間たちが今も生きていられるのは、まったくイーリアの温情ひとつという状況だ。

普通ならば、イーリアを捕えようと画策した副支配人のカリーニや、彼に協力した者たち全員の首のみならず、その一族郎党を飼い犬まで処刑して、連座する者たちから根こそぎ財産を奪うくらいが正当な要求だろうと、ゲラリオは言っていた。

フロストのほうも、おそらくは自らの命を差し出すことを覚悟していただろう。

フロストをここに送り出した者たちだって、元々の火種を作ったバックス商会一族の命を差し出すことで、イーリアの怒りを少しでも和らげようと思ったはず。

しかしそのイーリアが提案したのは、すべてなかったことにしようというものだった。

彼らからしたら、寛大すぎて不気味なのだ。

けれども、この提案は、まさにそこが狙いでもあった。

ロランが攻めてくる前に、和睦の内容をどうすべきかと、みんなで話し合ってある。

ゲラリオは戦の常識から、相手が二度とこちらに手を出さないような苛烈なものにすべきと主張したし、健吾も誘拐騒ぎの時に関係した者たちの処刑はともかく、巨額の賠償金を取っておくべきだろうと言った。

クルルは当然ゲラリオの案に賛成し、イーリアは健吾寄りだった。

そして自分はというと、どんなものであれ、懲罰的な条件は出すべきではないと思っていた。

ロランは大きな都市で、属州の州都でもある。ジレーヌ領が属州の片隅にあるのは否定しようのないことで、今後もロランとは嫌でも関わらざるを得ない。

もちろん、この機会にロランを征服し、統治を自分たちの手で行うつもりなら、既存権力は全員粛清するのが理に適っているだろう。

けれど領主イーリア様は、この領地でのんびり昼寝をしたいと仰せなのだ。

ゲラリオも政治などまっぴらごめんという感じだし、唯一向いてそうな健吾でも、一人ではとても大きな街を統治できないだろう。

ならばロランに混沌をもたらすのはよくないし、恨みを買うのもよくない。

それよりも、この機を生かす良い方法があると思った。

前の世界でよく読んでいた、世知辛い世界観の近未来SF漫画に出てきた台詞だ。

――有利な立場の時にこそ、頭を下げる価値がある。

今以上に有利な立場など、まずあり得まい。

「そうね、それなら」

と、イーリアがこちらを見る。

表面上の落ち着き払った様子とは裏腹に、ふわふわの尻尾が緊張しているのがわかる。

ここで例の取引を持ち出せばいいのよね? あってるわよね? という確認だろうが、この場はいわば、ロランの面々に対する領主イーリアのお披露目の場所でもある。

自分はあくまでも助言者としての態度を崩さず、イーリアを領主として盛り立てるために、こう言った。

「イーリア様のご随意に」

精いっぱい慇懃に返事をすると、イーリアはぴんと犬耳を立てていた。

顔よりもよっぽどか感情をよく示すその可愛い犬耳を見た自分は、ちょっと驚いてしまう。

なぜなら、ほどなくにこりと笑ったイーリアの耳の形は、明らかに不機嫌さを示すものだったのだから。

まだなにか無礼だったか? と目をしばたかせる頃には、イーリアはフロストに向き直っていた。

「じゃあ、お願いがあるんだけど」

なにをどう考えても断れるはずのない状況の「お願い」に、フロストたちがごくりと固唾を飲んだのだった。