軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十九話

ノドンと戦う時にも、健吾と一緒に聖典に書かれた小さな魔法陣を写していた。

しかし彼らの前に広げたものは、次元が違う。

祭壇の頭上に掲げられた、神の秩序を体現する巨大魔法陣。

なにかしらの法則があるはずの、世界の秘密を解く鍵だ。

知的挑戦に飢えている彼らなら、これ以上の題材はあるまい。

「魔法陣には隠された法則があるはずなのです。それを皆さんに見つけて――」

自分が挑むようにテーブルに魔法陣を広げた、その直後のことだった。

「まさか!」

真っ先に声を上げたのはファルオーネで、目を見開いて周囲を見回している。

アランはきょとんとしているが、ルアーノもゼゼルも明らかに腰が引けていた。

自分が言葉を続けられなかったのは、彼らの反応が思いのほか激しかったから。

島生まれで、煉瓦職人のアランにはぴんときていなかったようだが、外の世界を知っている三人は違った。

ゲラリオの懸念は、大袈裟なものではなかったのだ。

「……それは、領主としての命令か?」

ルアーノが、どこか諦めたような、沈痛な面持ちで言った。

その横で、ファルオーネは顔を青くして手の指の爪を四本まとめてかじっている。

もっとゲラリオの懸念を真面目にとらえて、下準備をするべきだったか?

そう後悔したものの、賽をすでに振ってしまっている。

突き進むしかなかった。

「き、強制ではありません。ですが……」

自分は深呼吸をして、言い直す。

「ですが、ここジレーヌの命運がかかっています」

四人はもうそれぞれ目配せしていない。

個々人の人生経験から、こちらの言葉の意味を探っている。

沈黙を破ったのは、身を乗り出すようなファルオーネだった。

「ヨリノブ殿! そなたは鉱山帰りで、奇妙な功績によって領主に取り入ったと聞いた。その手腕についてはなにも言うまい。権力者が入れ替わる時、必ずその手の宰相が側にいるものだ。それに魔石工房の話は私も感心した。だが、これは……魔法陣そのものの話は、質が違う」

見た目は吸血鬼かなにかみたいで、胸を逸らして大仰に話すファルオーネだが、島の外ではものすごい苦労をしてきたのかもしれない。

だから知っているのだ。

魔法に関することは、安易に手を出すべきではないと。

「司祭の野郎がここんところずっと賭場に現れないのも、このために、あんたが?」

「え?」

ルアーノの問いがわからず聞き返す。

しばしルアーノの腰が引けた顔と向き合い、ようやくなにが言いたいか気がついた。

「ち、違います! 司祭様は、その……ロランとの戦の原因となった騒動の際にはぐれてしまい、私たちだけ別の船で逃げ帰ってきたのです。ロランでご健在ですよ」

多分だが。

彼もジレーヌ領の関係者に変わりはないが、教会組織が守っているだろう。

だから、決して、大規模魔法陣解析のために邪魔だから、海に捨ててきたわけではない。

アランはともかく、彼らの反応の激しさに、自分ははっきり言うことにした。

「帝国の魔法省も、もちろん教会の正邪省も関係ありません。そもそも私たちは、自分たちの運命を自分たちの手で握るため、立ち上がったのです。以前のイーリアさん……いえ、イーリア様の状況は、皆さんご存じのはずです」

島生まれのアランは特にイーリアに対する人々の態度を知っているのか、気まずそうに視線を逸らす。

「ですが周囲の環境は、私たちが自らの運命を握ることを簡単に許してはくれません。その中で力のよりどころとなるのは、これなのです」

ジレーヌ領のような辺境の土地にあえてくるような者は、皆、なにかしらの理由があってよその土地にいられなくなった者たちだ。

だからロランという強大な勢力との戦を前にしても、彼らがこの場から立ち去ろうとしないのは、立ち去ったところでその先に行く場所がないからにほかならない。

しかも一度逃げ出せば、裏切り者の烙印が押され、そう簡単には戻ってこられなくなる。

この、おままごとのような緩い雰囲気の島は、それほどに貴重な場所なのだ。

その場所を守るため、力を貸して欲しい。

自分が腰の引けた彼らを見回していた、その時のこと。

『ワレは、ひとつ、聞きたい』

口を開いたのは、意外にもゼゼルだった。

『ソレを確かめる方法は、あるのか?』

ゼゼルの太い指が示すのは、こちらの手にある大規模魔法陣の写し。

『ワレも魔石の大きさくらいは知っている。そんな魔法陣を刻める魔石は、伝説にしか存在しないのではないか』

ルアーノもファルオーネもはっとしていたが、アランだけは、手元の見えない煉瓦を動かしているので、魔法陣を描くにはどれくらいの魔石が必要か検討しているのだろう。

「明かすことはできませんが、確認する方法があります」

アラン以外の三人が、はっきりと息を飲む。

普通に考えれば、それはイーリアの支配する鉱山から、途方もなく巨大な魔石が採掘されたことを意味する。さもなくば、魔石にものすごく微細な魔法陣を刻むことのできる、凄腕の職人を見つけたか。

いずれにせよ黙りこくる彼らに対し、自分は言った。

「考えてみてください。皆さんのような身分で、大っぴらに大魔法陣の研究ができるのは、世界広しといえどここだけですよ」

考え方は、イーリアと一緒。

ロランに負ければ後はないし、それはロランを倒した後でもそうだ。

ロランを撃退すれば、ジレーヌ領の名は必ず世に広まることになる。その余波はまた新しい問題を生み出し、自分たちの存在が収まる場所が見つかるまで、戦いは続くはず。

そして釣り合いのポイントを見つけるまでは、なにがなんでも勝ち続けなければならない。

港から出ていくノドンの寂しそうな背中は、あれでも敗将としてはまだましな部類のはずなのだ。

牢に裸でぶち込まれ、領主様は政略結婚の道具として塔に幽閉され、その従者は娼館に売られるようなことが、この世界では標準だと思い知らされた。

自分たちがどこかの勢力に負ければ、そこでゲームオーバーで、おそらく二度と再起はできまい。

ならばそうなる前に、やれることは全部やらなければならない。

「その研究に手を貸して……俺の身の安全は、いや――」

呟くように言ったのはルアーノで、すぐに自分で言葉を打ち消してから、こちらを見た。

「そんな保証をいくら聞いても、意味ねえな。すでに俺は賭場に入って、のこのこ卓についちまったんだ。そこにどんなインチキがあったって、勝負は始まってるんだ」

彼らは頭が回る。

魔法陣を研究した時、身の安全を脅かすのは、なにも帝国の魔法省や教会の正邪省だけではないとわかっている。

自分がルアーノたちの逃亡を心配するように、彼らもまた、秘密を解明した後に口封じで消されるかもしれないことを警戒する理由がある。

この時点でさえ、たとえば研究を強制するつもりはないとこちらがいくら言っても、ルアーノたちからすれば、信用はできないのだ。参加を断って、出口から外に出た途端、口封じのために剣の洗礼が待っているかもしれないのだから。

なによりここは逃げ場のない島で、こちらには魔法使いがいる。

「それにもう、行くところもねえんだ。いいぜ、俺はやる」

ルアーノは言って、こちらに歩み寄る。

そしてこちらの手からひったくるように魔法陣の写しを取ると、顎髭を撫でながらにやにや笑いだしていた。

解くべき謎としてこれ以上のものはない。

そんな顔に頼もしさを感じていたら、袖を引かれた。

「……研究に必要な道具は揃えてもらえるのか?」

ファルオーネだ。

「私は……もう、ずいぶん借金を重ねていてな……」

マークスの話では、怪しげな占いと、まじない紛いの医療行為で糊口をしのいでいるらしい。

豊富な薬草の知識で獣人や貧しい人たちを診療しているゴーゴンは、ファルオーネの名を聞くと迷惑そうな顔をしたという。

「当然です。魔法陣の秘密を解いたら、どれだけ稼げると思うんですか。ここは魔石の産出地ですよ」

ファルオーネは目をぱっと見開き、ローブの裾を手でつまんで持ち上げて、大股にぴょんと飛んでルアーノに飛び掛かる。

「こら、ルアーノ! 私にも見せたまえ! 君は魔法陣の読み方などろくにわからんだろう!」

そしてルアーノと写しの取り合いを始めている。

そんな二人から、残りの二人へと視線を向ける。

アランは目が合うと、きょろきょろした後に照れくさそうに笑ってから、背中を丸めて自分の脇を通り過ぎ、ルアーノたちに混じっている。

残るは、ゼゼルだ。

「……」

ゼゼルが複雑な立場なのはわかる。

魔法陣とは、彼ら獣人にとっての呪いですらある。

魔法陣研究に携わっているなどと知られたら、ただでさえ変わり者と見られているらしい彼は、いよいよ獣人社会の中で肩身の狭い思いをするかもしれない。

ただ、自分にはゼゼルを口説き落とす秘密兵器があった。

うつむいているゼゼルに近づき、耳を貸せと手招きする。

ひ弱な人間など腕の一振りでミンチ肉に変えられそうなゼゼルは、アランより気弱そうに背中を丸めて頭を下げる。

「あなたたちは、クルルさんが魔法使いだと知っているはずですよね?」

獣人の血を引く娘が必ずしも獣人の味方に立つとは限らないが、今のところイーリアの政策を見れば、彼女たちが獣人の味方であるのはわかるだろう。

ドドルが協力してくれるのは、その担保があるからだ。

そのことを思い出してもらえばゼゼルも安心するのでは……と思ったのだが、ゼゼルは口を半開きにして、こちらを見つめていた。

『ソ』

「そ?」

『ソレは……まことなのか?』

冗談を言っているようにも思えなかったが、ふと気づく。

あれだけ綺麗な文字を書き、理路整然とした文章を綴るのに、ゼゼルは零細漁師としてつましい生活をしているという。

その知力を誇示することもなく、家では延々と縄を結んだり解いたりしているらしい。

健吾をはるかにしのぐ体格ゆえ、いまいち想像がつかないのだが、ゼゼルは要するに陰キャなのではないか。

それこそ、酒好きな獣人たちと飲みに行くこともなく、獣人の仲間内ならば誰もが知るようなセンセーショナルな話すら、知らないくらいに。

「戦いになればすぐわかると思います。彼女は一応、変装していますが」

獣人なら匂いで誰かがわかる。

ゼゼルは呆気に取られていたが、頭の中で配線が組み直されているのが見えるようだった。

半開きだった口が、閉じられる。

その背中が盛り上がるくらい、大きく息を吸いこんでいる。

『……ワレも、アレを知りたい』

そして出てきた、小さな言葉。

獣人たちはただでさえ苦しい立場にいて、多くの言葉を飲み込んできた。

ゼゼルのその一言がどれだけ勇気のいるものだったかは、自分にはわからない。

わからないが、ゼゼルの才能の片鱗は十分感じている。

「ぜひ力を貸してください」

手を差し出すと、ゼゼルはまたしても目をぱちぱちとさせた。

そしてこちらの手を見た時に笑ったように見えたのは、こちらの手の小ささのせいだろうか。

『不思議なヒトだ』

ゼゼルはこちらの手をそっと握る。

毛がチクチクしたが、肉球は柔らかかった。

「なにを考えてるかわからない、とはたまに言われます」

ゼゼルははっきり笑い、視線をルアーノたちに向ける。

そしてルアーノとファルオーネは、なんとなく流れを察したのだろう。さっさとこいとばかりに手招きしている。

『ワレが役立てることを願う』

ゼゼルはそう言って、のっしのっしと歩いていく。

ルアーノたちの輪に加わり、たちまち議論に花が咲く。

そんな彼らのわいわいした様子を遠巻きに見ていたら、不意に泣きそうになってしまった。

大学時代に夢見た、活気に満ちたゲーム製作サークルを幻視したせいかもしれない。

ただ、あの時は自分の手からこぼれてしまった夢でも、今の自分にはイーリアやクルルたちがいる。

そして今のジレーヌにはあちこちに、こんなささやかな幸せがあるはずだ。

ジレーヌを守る理由が、またひとつ増える。

それに今の自分は、ロランとの戦いで負けるとはあまり思っていなかった。

岩礁で試した実験の結果が、それほどのものだったから。

だからこの四人に託すのは、もっと先のことだ。

世界を征服するのかと、思いがけず子供みたいに尋ねてきたクルルが見たような、そのくらい遠くの話。

顔を掌でこすり、大魔法陣の写しを取り囲む彼らを見やる。

ジレーヌを栄光に導いた四賢者なんて石像が立つとしたら、こんな構図かもしれない。

自分はそんなことを思って、一人笑ったのだった。