軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

481 それぞれの未来

「公爵位を返上すると?」

「はい」

カトリーヌがこの世を去ってから4つ目の季節を迎えようとした頃、エリアスはダランベール家を訪れ派閥の長であるヘルマンにそう告げると、出されたお茶を手に取った。

エリアスが通された部屋は、昔先代のダランベール侯にワインと煙草を勧められたあの部屋だ。

同じ部屋同じ 室礼(しつらい) なのに 主(あるじ) が違うだけで、こうも雰囲気が違うのか。今日この部屋に通されて、エリアスは初めてこの部屋に招かれた日の事を、昨日の事のように思い出していた。

「元々公爵という爵位は、皇女が降嫁するに相応しい爵位をとの理由で賜りました。そのお方も今は亡く、公爵位を継ぐべき子もおりません。このまま私だけが公爵を名乗り続ける理由がございませんので」

「ふむ。返上し、どうされるのか」

「家が侯爵に戻りましたら弟に当主の座を譲り、私は後見として弟の補佐をしようかと思っています。父の代わりに」

「身を退かれる? そのお若さで?」

「はい。幸いにも弟は一昨年妻を迎えて男子もおりますので、 寡夫(やもめ) の私より安心出来ると思っています」

そう言ってエリアスは貴族の笑みを浮かべる。

離縁したのならともかく、エリアスは流行り病に倒れたカトリーヌに高価な薬を手配し、皇后に願い出て高名な医師を呼んで手厚い看護をした末にカトリーヌを亡くした。

当主は妻を亡くしても喪に服するのは長くて3ヶ月程度。これは領主としての公務や統治の責任を果たす為、未亡人と比べ短くあるのだがエリアスはもう一年近くカトリーヌの喪に服している。

半年を過ぎた辺りから国から届く公式行事の誘いにもエリアスは「喪中の為」と辞退し続け、貴族達はエリアスのカトリーヌに対する敬意を称賛し、国もそれを好意的に受け入れていた。

そんなエリアスが公爵位を返上したとて侯爵家当主となれば、まだ若く独り身となったエリアスに皇族と繋がりを持ちたい貴族達から 後添(のちぞ) いの話が来ないはずはない。

だが、そうなれば必然的に望まぬ政争にクレーヴェ家が飲み込まれてしまう懸念があった。故にエリアスは公爵位を返上し、侯爵家当主の座を妻も子もいる弟に譲り元公爵という名誉だけの貴族になる必要がある。

「だが、陛下が何とお考えになるか…」

「グランドール宰相を通じてお話を通し、内々ではありますが諾と言われております。諸般の調整がありますので、公表は時期を見てとなりますが」

随分手回しがいい。

「それに伴い、侯爵にご相談があります」

「なんですかな」

これからの話が今日の訪問の本題なのであろう。ヘルマンは深くソファに座り直し、エリアスの言葉を待った。

「ケヒェルト工房の後ろ盾となって頂きたいのです」

ケヒェルト工房はカトリーヌが後ろ盾となり『夜の宝飾品』発表から帝国の五指に入る工房となった。元皇女が後ろ盾となっている事もあり皇室の覚えもめでたい。

クレーヴェ家にとって皇女降嫁の恩恵の象徴とも言われるものの一つと言われ、その工房からもたらされる利益も莫大なものとなっている。それをあっさりとダランベール家に譲るというのだ。

「して、その対価は?」

「……今後、クレーヴェは一族での自助を念頭に進めていきたいと思っております。もちろん、ダランベール家とも派閥の家々とも今と変わらぬお付き合いをしたいと、考えております」

ヘルマンは、薄っすらと貴族の笑みを浮かべるエリアスの顔に父の影を見た。

父は生前『剛腕の交渉者』と呼ばれたが、最晩年『剛腕』は時代の移り変わりについて行けず、派閥内で小さな軋轢を多数生んでいた。

子の自分から見ても強引さが目立ち、今も自分は派閥内に残るその禍根を潰している。その最たるものがバルクへの皇女降嫁に関わる画策であった。

皇帝が用意した日の出の前のバルクとの縁を読み切れず自ら手放したと囁かれ、心の内では焦っていたと思う。

だがクレーヴェが望外だった公爵位を賜り、カトリーヌの宝飾品関連での功績を手に入れた事で、父は畏れ多い夢を追いかけ始めた。

『剛腕』に人生を変えられた者は多い。その最たる者は、目の前にいるこの男だ。

最初は、立身出世に取り憑かれて『剛腕』にすり寄っているのかと思っていた。短い間ではあったが『剛腕』は孫婿を気に入り、時に自分が軽い嫉妬を覚えるくらいに派閥の長としての心得を 説(と) き、駆け引きの取り回しを惜しみなく教えた。

父が没して十年。この男はカトリーヌの功績の陰で、戦火で荒れた一族の領地を盛り返し、一族はそれぞれ補い合うように別の産業を興し少しずつダランベールとの繋がりを薄くしていった。

気がついた時にはクレーヴェの一族は、ダランベールの影響下から離れ対等となっていた。姪も『剛腕』も無き不安定な派閥となったダランベールにクレーヴェを引き留める手立てはもう無い。

ー『柔よく剛を制す』とはよく言ったものよ。剛が柔を育てたのが皮肉だな。父が剛腕なら、この男は 巧腕(こうわん) であろう。私が否と言えぬ事をよく知っている。

父が生きていれば、間違いなく派閥の長の後継に自分とこの男を差し替えるだろうと思うと、自然と自虐的な笑いがこぼれる。

「よろしい。今後ともクレーヴェとは変わらぬお付き合いを致しましょう」

「ありがとうございます。今後とも変わらぬお付き合いを」

父やこの男に比べて無才の長としての自覚はある。

それでも剛腕亡き後、緩み始めた派閥を何とか率いている。ヘルマンは、派閥を率いる長として誇りをもってエリアスに手を差し出した。

この日よりクレーヴェはダランベール派閥を離れ、無派閥の一門として独立する事となる。

「 義母上(ははうえ) 、ご機嫌麗しく」

「まぁ、エリアス殿」

義母は縫い物の手を止め、美しい笑顔をエリアスに向けた。ここはダランベール邸の庭園の奥にある小さな別邸だ。

「カトリーヌは?」

「はい。今日は職人に大事な指示があるからと家に残っております」

「相変わらず、宝飾品つくりに夢中なのね。でも来月は産み月なんだから、いい加減に落ち着きなさいと貴方からも言ってあげて」

「はい」

ギルビットは突然のカトリーヌの死を受け入れられず、葬儀の日は人前に出られぬほど取り乱しその日から離宮に一人籠るようになった。

暗い部屋で食事も着替えもせず、ぶつぶつと呟いていたギルビットは典医に気鬱と診断され、ヘルマンの申し出により妃の任を解かれダランベール邸に引き取られた。

髪も結わず痩せ衰えダランベール家では暴れていたギルビットも、見舞いに来たエリアスの顔は覚えていたらしく、その日からギルビットは暴れる事なく縫い物を始めた。

「産着がもうすぐ出来上がるのよ。カトリーヌを産んだ時もこうやって縫ってあげたわ。縫い目は布の織りと同じにしてあげると肌に障らないのよ」

ギルビットが別邸で縫い上げた産着は、もう何十枚となる。

産着を縫い上げるたび「今日から産着を縫われるとのご指示でした」と侍女が新しい布と取り替えるのだ。

「そうそう、名前はもう決めたの?」

「その事ですが、ぜひ生まれてくる子には義母上に相応しい名を付けて頂きたいのです」

もう何回も繰り返す話題をエリアスは口にした。

ギルビットは嬉しそうな顔でいくつもの名前を口にする。

ギルビットはこれから先、時々訪れるエリアスを出迎え、この別邸の中で幸せな時間を繰り返し繰り返し過ごす事となる。

ーーーーーーーーーーーーーーー

数年前、個人資産となっていたこの領地の小さな屋敷にユリアは居を移していた。

長い冬が終わり、草花が萌え出ずる新緑の朝。

ユリアは庭園の 東屋(あずまや) へと一人向っていた。

庭園には冬の終わりと春の始まりを告げる春告花のスノードロップの花が咲き乱れている。ユリアは足を止めその白い花を見つめていた。

幼い頃、よくエリアスがぶちぶちと千切り握りしめてユリアに贈ってくれた花だと思い出を懐かしんでいた。

「ユリア」

懐かしい声がした。

いつもの幻聴かと思って、ユリアは振り返らなかった。もう何年も聞いてない思い出の中だけの声。

「君は変わらず、その花が好きなんだね」

「え…」

ユリアが振り返ると、そこには懐かしい笑顔の愛しい人がいた。夜会で遠目で見る公爵の顔をした人ではなく、昔と変わらないいたずらな瞳をしたエリアスがそこにいた。

「ユリア」

「エリアス…エリアス!エリアス!」

あの日から呼ばれる事が叶わなかった自分の名を、愛しい人が口にする。ただそれだけの事がなんと幸せなことか。

他の言葉は要らなかった。

別れを告げたあの時からの長い年月の想いの分だけ、二人は互いの名を口にし抱きしめ合った。

真実の愛を胸に秘め貫き通した二人を、春告花のスノードロップの花だけが祝福するように揺れていた。

以降、二人が公式な場に出たとは帝国の記録にない。

ただクレーヴェの当主が持つ日記の中にのみ、一族の独立を決めそれを果たした中興の祖としてエリアスの名が、それを支え続けた妻としてユリアの名が記録されている。