軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

448 青と藍色

ざざざー

船の縁に腕をかけて、フィリップはぼーっと波間を眺めていた。ペルレ島は濃いオレンジの空を背に、自身は藍色となり光の玉を灯し始めていた。

波の音を聞き流しながらフィリップの頭の中には、島の矢場で父に告げられた言葉が去来する。

「フィリップ。これから少しずつ王の後継者として私と過ごす時間を増やす。それは父と子ではなく現王と次代の王としての時間だ」

グロッグを口にしながら、アルヘルムは穏やかにフィリップに告げた。リネアという婚約者も内定し、フィリップの次期国王という地位はより強固に確定された。

現王から次代の王への教育を始める時が来たのだ。ペルレ島へのフィリップの同行は、その第一歩だった。

「物事には表に出せる事と出せない事がある。王は万事その両方を知らねばならない。そして、それを知ったうえで裁決を下し国を纏めていく」

「……人魚の話が、そういう事ですか?」

「そうだな。ヴェルフは見かけによらず詩人でな。時々そういう詩を聞かせてくれる」

ヴェルフはアルヘルムの言葉に黙って頭を下げた。

「ヴェルフだけではない。宰相も詩人だ」

アルヘルムの言葉にフィリップは息を飲み、王の顔をした父を見た。

「表に出せ公正明大に裁可できるものは、その任にある者であれば誰にでも出来ることなのだ。だが、王が決しなければならぬ事は、表に出せぬ事も鑑みそれをどう裁可し国を護るかという事だ」

そう言ってアルヘルムは、グロッグに口をつける。

「そして、その『王の裁可』に従い手を汚し骨を折り汗や血を流してくれた者から責を受け取る事が『王の責務』なのだ。それが無くば、その者らは存分に国に尽くせない」

「……は…はい」

フィリップはアルヘルムの言葉を消化しきれない。あまりに大きく自分が座学で習った事と、矛盾するからだ。

そんなフィリップを見て、アルヘルムは遠い昔の自分を思い出す。教師から習う治世と城から抜け出して自分の目で見た当時の城下の 貧民街(スラム) の現実を。

若く青く清い理想と、それに立ち塞さがる 柵(しがらみ) と国力(金)のなさという現実を、アルヘルムは度々抜け出して行ったお忍びで知った。

ーフィリップ。お前は先祖や先王たる父、そして私とも違う王の道を歩むだろうな。

グロッグの強い酒精が、じわりとアルヘルムの口のなかに広がる。

ー祖先達は長くこの国をなんとか豊かにしようと模索していた。私の時代は先王や祖先達の努力の礎にアデライーデの智力とテレサやタクシスの助力、ヴェルフ達の護りの力を助けに発展してゆく時代になるだろう。そしてお前の時代は、後の王達へそれを繋げるかの 要(かなめ) の時代となるはずだ。

貧しい時から豊かな時へと向かう時は良いのだ。国も貴族も民草も、豊かさという同じ目標を目指す。

だが、その豊かさを維持し続ける基盤を築くという事は、ある意味国を発展させるより難しい。

国の内外を取り巻く情勢は潮の目のように変わる。豊かな国となれば、それはより強く複雑になるだろう。フィリップはその予測できない潮目を読み、王としてバルクという船の舵取りをしなければならない。

アルヘルムはグロッグのグラスを置き、フィリップの頭を撫でた。王として自分より険しい道を歩むだろうフィリップをどう導けるか、まだ答えは見つからない。

ーいや、答えなど無かったな。父も『良き王になるには』との私の問いに『己で見つけよ』としか言わなかった。

今思えば、父には度重なるお忍びを叱られたことはない。

「お前はこれから学ぶのだ。まずはその目で見る事から始めると良い」

「はい…」

「今日は楽しみなさい。そして、またいつか二人でここに来よう。その時にはこの島がまた違って見えるかもしれないぞ」

アルヘルムがそうフィリップに告げた時、化粧直しに行っていたアデライーデが帰ってきた。

アデライーデは目ざとくアルヘルムの手元にあったグロッグを見つけると、私も飲みたいと目を輝かせ場の雰囲気は一気に和やかになった。

そのままの勢いで大食堂へいき、アデライーデは並べられた数々の料理全てを口にし、島の料理人達と話し込み、食堂の中央にあるステージで催されたフィリップ同伴の『視察向け』のショーを愉しんだ。

ショーは庶民に人気の歌ありダンスありの華やかなものでホールの真ん中の舞台で娼婦達はスカーフをひらひらさせたり手拍子をしたりしてショーを盛り上げる。

本当の夜のショーは、女性達が一列に並び足をあげペチコートをひらひらと見せたりするのから始まり、最後はもっと扇情的なポーズや半裸となったりするのだが。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、三人は帰路へついたのだった。

「フィリップ様」

それまでアルヘルムと話していたアデライーデが、少し離れた場所で一人で海を眺めていたフィリップに声をかけた。

「アデライーデ様…」

「どうかされました?」

ー矢場まですごく楽しそうにしていたのに、トイレから帰ってきてからフィリップ様の雰囲気が少し違っていたのよね。何かあったのかしら。普通にアルヘルム様と喋っていたから親子喧嘩って訳でもなさそうだし。

トイレから帰ってきてから、ちょっとフィリップの雰囲気が違っていたのを陽子さんはしっかりと感じ取っていた。

「いいえ、なにも。ただ、海っていろんな色になるんだなと思って見てました」

「そうなんですね」

行きの青くきらきらと輝いていた波間は、日が落ちかけた空を映し鮮やかなオレンジと濃い藍色となっていた。

ざざざー

ざざざーん。

「アデライーデ様…」

「はい」

「アデライーデ様は、 咎人(とがびと) がいなくなるのって良い事だと思いますか?」

「え? 咎人がいなくなる?」

「あ、いえ…」

そう言って黙り込んでしまったフィリップを見て、陽子さんは考えた。

ーもしかして、ペルレ島に娼館があるって気がついたのかと思ったけど、そうじゃなさそうね。咎人って犯罪者の事よね。ペルレの取り締まりの実情とかを聞いたのかしら。いろんな船の船員さん達がいると揉め事とか多そうだし。

陽子さんの頭の中には、「実録、警察24時間」や「密着 税関職員と密輸グループの攻防」の特番番組名が浮かび、ある府警のガサ入れのシーンが頭をよぎった。

「まぁ…多少は荒事もあるでしょうが、それは仕方のない事ですわね。わかってて悪い事をする人達もいるでしょうし」

「…そう…ですね。仕方のない事ですよね」

ーやっぱり、取り締まりの事でなにか教えてもらったのね。

陽子さんは、世間というものを知っている。庶民だった自分だって会社の中や身内で人様には言えない事を見聞きしたことはある。ドラマや映画の中ででも権力者が表立っては言えない超法規的処置をして治安を維持するエピソードは定番と言えば定番だ。

光のあるところに法はあれど、裏ではそれが通用しない事もあるというのは、前世もこの世界も同じなんだろうと察する。

でもそれには、酸いも甘いも噛み分け現実と理想の擦り合わせと切り捨てができる人生経験が必要だ。まだ少年のフィリップには、それが不条理や理不尽に思えるのかもしれないと陽子さんは思った。

ーうーん。でも、はっきりそういう話を聞いたって言われたわけじゃないし…、全く見当違いのアドバイスをするのも話を拗らせるもとになるのよね…。

ざざざーん。

ーそうだ。

「フィリップ様。前世…いえ、以前帝国の大書庫の大衆本を集めた棚の中で、領主を引退したご隠居様や王様から密命を受けた正義の剣士が旅人を装って、各地で法で裁けない悪い徴税人や 破落戸(ならずもの) を成敗する本がありましたわ。王宮の書庫にもありませんか?」

「王宮には、そういう本はないかもしれません」

バルクの王宮書庫には辞書や詩集、歴史書は充実しているが、寓話の 類(たぐい) の本は少ない。

「だったら、学院の図書館には?」

「今度…、探してみます」

「面白い本があると思いますよ」

本は先人の経験と感情のひだが詰まっている。

陽子さんも薫達といろんな事でぶつかった。経験を踏まえていろいろ言葉を尽くして思いを伝えるが、お互い感情が先にきてすんなりとは伝わらなかった。

そういう時、陽子さんはしばらくしてから昔読んだ本や漫画、ドラマや映画をさりげなく勧めていた。時にそういう物は、陽子さんの生の言葉より子供達に静かに寄り添って、いろんな考え方があると投げかけてくれていたと思う。

アデライーデの言葉にフィリップからの返事はなく、船に砕ける波の音だけが響いていた。