軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

430 思わぬ障害とすり鉢

「こちらに運び込んでよろしいのでしょうか」

「ええ、お願いね」

王宮から届けられた香辛料の壺がマリアによって次々にアデライーデのキッチンテーブルに並べられていく。

あれからテレサにブランシュに約束した事を報告し、後日準備が整ったらブランシュを午餐に招いてもいいとの許可をきちんととった。テレサは目を丸くして驚いていたが、カールの晩餐の件もあり快く許可してくれたのは感謝しかない。

ブランシュには「ブランシュ様の為に美味しい料理を考えるので待っててくださいね」と告げると、「アリシアさま、だいすゅき」と、ぎゅーとアデライーデに抱きついて喜んでくれたのだ。その姿を思い出すだけでほほが緩んでしまう。

ー楽しみにされているから頑張らないとね。

陽子さんは腕まくりをして、クミンと紙が張られた香辛料の壺を手にとった。

カレーの命はあの香り。クミンはシードで壺の中にいた。

「アデライーデ様、こちらのレシピを元にカリルをお作りになられるのですか?」

ゲオルグから贈られた本場ズューデンのカリルのレシピを見ながらマリアがアデライーデに尋ねる。

「ええ、一応ね。まずは書かれている香辛料をすり鉢でそれぞれ粉にするわ。えーっと、ターメリックは粉だから良いとして、クミンは粒だから粉にしないとね。アルトにコリアンダーとカルダモンの粉があるか聞いてきてくれる?」

「はい」

マリアがアルトの所に行っている間、陽子さんはクミンを粉にしようとすり鉢にクミンシードを入れた。

すーりすり、すーりすり

ーバルクのすり鉢って日本のすり鉢とは違って、櫛目がないから上手くすれないわ…。

実家にいた時は母を手伝ってすり鉢でよく胡麻をすっていたが、結婚してからのほうれん草のごま和えは赤いゴマすり器でちゃちゃっと済ませていた。

この世界にもすり鉢があると聞いて「あら、懐かしい」と思っていたら、マリアに渡されたすり鉢は陽子さんが知っているすり鉢ではなかった。

そう。こちらのすり鉢は石でできた肉厚の小型の壺のような形で内側がつるんとしている。日本のすり鉢の内側にある溝がないのだ。

「アデライーデ様、よろしかったら私がすりましょうか? 力のいる作業ですので…」

マリアに連れられてきたアルトがすり鉢に四苦八苦しているアデライーデに手伝いを申し出てくれた。

アルトは本日王宮からズューデンの珍しい香辛料が送られてくると聞いて、呼ばれるのを今か今かとわくわくして控えていたのだ。アルトは持ってきたコリアンダーとカルダモンの粉をテーブルに置くと、すっとすり鉢に手を添えた。

「そう? じゃ、おまかせするわ」

自分がやっていたら終わるまでに日が暮れてしまいそうだと思った陽子さんは、渡りに船と思ってアルトに 乳棒(ペストル) を手渡した。

アルトは 乳棒(ペストル) を受け取ると、ゆっくりと大きく鼻から息を吸った。アデライーデがちょっとだけすったクミンの香りが鼻腔をくすぐる。

ーあぁ、これが異国の香辛料。なんてエキゾチックな香りなんだ! それを誰よりも早く手にさせてもらえるとは…!

この前のサーモンもそうだったが、初めての食材との出会いはそれだけで心躍る。海を越えて来たという香辛料はそれだけでロマンがあり、アルトはその高ぶる感動を力いっぱいすり鉢にぶつけた。

ごりっごりごり、ごりっごりごり

だんだん、だんだん

クミンをする度にアルトはその香りに包まれ、まるで自分がズューデンにいるような気分になった。

ーあ。そうやって使うのね。

アルトがクミンを粉にする様子を見て、陽子さんはバルクのすり鉢の正しい使い方を知った。

日本のすり鉢は材料をすってペースト状にするのに対して、バルクのすり鉢はヨーロッパのスパイス用のすり鉢のように材料を 乳棒(ペストル) で叩き潰す。または押し潰すようにして細かくして香り成分を引き出す使い方をするのだ。

ー時代劇のお医者さんが、薬をごりごり潰す道具…なんて言ったっけ…、あれがあれば便利そうよね。

そんな事を考えていると、あっという間にクミンとオールスパイスは粉になった。

クミン、カルダモン、コリアンダー、オールスパイス、レッドペッパー(唐辛子)にターメリックの粉がそれぞれ小さなボールに入れられて準備は揃い、アルトが興味深げに自分が粉にしなかったボールに近寄った。

「こちらの黄色い粉は何という香辛料でしょうか。その…香辛料と言うには少し香りが…」

「そうでございますね。少し土っぽいというか香辛料らしくない香りですね」

アルトとマリアはくんくんとボールに鼻を近づけてターメリックの匂いを嗅いだ。二人は「これ、料理に入れるんですか?」という雰囲気だ。

ターメリック…別名うこん。

本当は防腐作用や抗菌作用を持ち、薬や染料にも使えるとても優秀なものなのだが、残念な事に他の香辛料達が持つような華やかな香りをもってない。それ故か、こちらの大陸でもあまり受けが良くなくて香辛料としては受け入れられていない。

ー日本だったら、うこんのサプリとかいっぱいあったから薬効とか割と知られていたけど、この世界だと全然知られてないのね。でも、カレーにターメリックが入らないとカレーじゃないわ!

そこは現代のカレーを知っている者として譲れないラインである。

「それはターメリックと言ってカリルの色付けに使う物らしいわ。少し土っぽい香りだけど、あちらでも食べているから大丈夫と思うわよ。一応レシピ通りの材料は入れようとは思ってるの」

ーそう…種類はね…。

「確かにそうでございますね。レシピを守るのは大事な事でございますね。あ、こちらの綺麗な赤い香辛料は…」

「待って! それは!!」

アルトがアデライーデの言葉に頷き、レッドペッパーのボールに手を伸ばして香りを嗅ごうとするのを止めようとしたが、一瞬遅かった。

「ぐおおおー!ゲホっゲホッ イタタタ」

レッドペッパーの粉を思い切り吸い込んだアルトが鼻を押さえて涙を流しながら床でのたうち回った。

でもさすが王宮の料理人。レッドペッパーの入ったボールはぶちまけなかった。ぶちまけたらマリアを巻き込み大惨事になっていたところである。

アルトは鼻を押さえながら、よろよろと水瓶の方に近づいて行くが陽子さんはアルトを止めた。

「水で洗っちゃだめ! マリア!油とミルクをもらってきて!」

「は、はい!」

陽子さんはアルトに綺麗な布巾を渡すとゆっくりと鼻を噛むように教え、マリアが持ってきた油を布巾につけアルトに鼻の中と周りと拭いてもらってから石鹸で顔を洗ってもらった。

「アルト、大丈夫?」

「アデライーデ様、ありがとうございます。痛みは大分治まりました」

それでも涙目のアルトに陽子さんはミルクを飲むように手渡した。

「そう、良かったわ。気をつけてね。レッドペッパーは刺激物だから目や鼻につくとすごく痛むのよ」

裕人が幼稚園くらいの頃、なんでも匂いを嗅ぐというブームがあって、雅人さんがピザにかけていたタバスコの匂いを嗅ごうとし、なぜかタバスコの瓶を鼻に突っ込んで大騒ぎになったことがある。

その時に唐辛子等が目や鼻についた時は、水で洗っちゃいけない、油でふき取ると知った。

ーあの時の経験が、こんなところで役に立つとは思わなかったわ。なんでも経験ね。

やれやれと思っていら、マリアがずいと近寄ってきた。

「アデライーデ様、このレシピをお作りになるのはお止めくださいませ。こんな危険なもの、アデライーデ様がお口にされるのは反対でございます!」

ーえ?!