作品タイトル不明
422 ちゃんちゃん焼きと打ち明け話
「さって、と…」
アデライーデは自分のキッチンでエプロンをつけると、丁寧に手を洗い気合を込めた。
締めてもらい下処理が済んだばかりのサーモンの三枚おろしが一匹分まな板の上にあり、後ろにはノアーデンからの料理人とアルト、マリアがアデライーデの手元をじっと見つめていた。
アデライーデはサーモンに軽く塩コショウをふり、キャベツたまねぎにんじんを食べやすい大きさに切り、まずは野菜に軽く塩をふり火を通す。
そしてサーモンの半身に火が通りやすいように隠し包丁を入れると、特大フライパンで身の方から焼いてひっくり返した。ちょっと端の方が崩れたのはご愛嬌だ。
そして、サーモンの周りに野菜をまあるく置いて蓋をして蒸し焼きをはじめた。
「弱火でサーモンに火が通るまでちょっと待ちましょうか」
そう、陽子さんが作っていたのは北海道名物のちゃんちゃん焼きである。本式はタレに味噌を使うが、この世界に味噌はない。なので基本のタレには魚醤を使うつもりだ。魚醤がダメなら各自の好みに合わせたタレを作ればいい。
「正妃様、こちらのお料理はなんと言うものでしょうか」
ノアーデンの料理人がおずおずとアデライーデに質問をした。基本的にこの世界では肉でも魚でも味付け香り付けは別にして、それ単体を焼く事が多い。
数種類の野菜と一緒に煮込む事はあっても、このように数種類の野菜と一緒に「蒸し焼き」にするのは珍しい調理法なのだ。
「うーん、名前は…」
ちゃんちゃん焼きの名前の由来は「お父ちゃん(ちゃん)」が作るからとか、素早く「ちゃっちゃと」作れるからとか、焼くときにフライパンにヘラが「チャ、チャ」と音を立てるからとか諸説あるらしいが、ここでそれは言えない。
「ちゃちゃとつくるから、ちゃちゃと焼き? それともちゃんちゃん焼きも言いやすくていいわね」
陽子さんはできるだけ前世のものと同じような名付けになるように話をもっていく。
「ちゃちゃと焼き…。確かに言いやすいと思います」
ノアーデンの料理人が困惑しながらも頷いた時に、フライパンの蓋から良い匂いが漂ってきた。
「さぁ、できたみたいよ!」
アデライーデがフライパンの蓋をとると、サーモンの鮮やかな赤が蒸された周りの野菜の緑を引き立てていた。アデライーデはアルトに頼んでちゃんちゃん焼きを大皿に盛り付けてもらった。
その間にアデライーデは魚醤に溶かしバターを混ぜたソースや魚醤にマヨネーズを混ぜたもの、刻んだディルにサワークリームを混ぜたソース数種類を手早く作りあげた。
各自の皿には、それぞれにソースがつく。ノアーデンの料理人がサーモンの身をほぐしながら野菜と一緒に口にすると蒸された野菜の甘みがサーモンの力強い旨味を引き立てていた。
「これは…」
「美味しいですね」
「それぞれのソースをかけると、また違う料理のようです」
三人は全てのソースを試しながら、ちゃんちゃん焼きを平らげていった。
そしてやはり料理人だからか、魚醤に強い興味を示しアルトに魚醤の事を詳しく聞き込みをはじめたのをアデライーデは横目で見ながらちゃんちゃん焼きを頬張った。
ーやっぱり豪快な料理よね。簡単なのに味付けのバリエーションがたくさん作れそうで最高! でも前世で一度は北海道に行って本場のちゃんちゃん焼きを食べたかったわ。
柳原家で北海道に行ってないのは陽子さんだけだった。雅人さんは出張で、薫は友達との旅行で裕人も高校の修学旅行で北海道に行っている。
何度か行く機会はあったが、いつも都合で旅行の機会を逃していたのだ。でも江戸の仇を長崎で…ではなく前世の仇をこの世界で討ててちょっと満足である。
前世で生のサーモンを丸々料理する機会なんてなかったからだ。
ちゃんちゃん焼きの食べ終わった頃、マリアがそっとアデライーデに耳打ちをした。
「そうだったわね。二人に夏祭り用にちゃんちゃん焼きとロヒケイットを作ってもらってもいいかしら? メイドさん達に任せている夏祭りの支度を見に行かないといけないようなの」
「お任せください」
「私もお手伝いをさせていただきます」
二人の料理人に後を任せてアデライーデは、夏祭りの会場に向かった。
フィリップについてきた女官達は、去年も用意した夏祭りの支度を完璧に整えて待っていた。さすが王宮勤めの女官達である。ちょうどアデライーデが準備の確認を終わった頃、賑やかな子供達の声が聞こえそのまま夏祭りが始まった。
小さい子達は初めての夏祭りである。子供達はすぐに用意された輪投げや野菜釣りに群がってはじゃぎはじめた。
「アデライーデ様!」
「フィリ…。フィル、引率ご苦労さまね」
すぐにアデライーデを見つけたフィルが駆け寄ってくる。
「あ、はい…あの。ちょっとお話をいいですか?」
「? いいわよ。どうされました」
アデライーデの問いかけに答えず、もじもじしているフィルをアデライーデは広場の隅のベンチに連れて行った。
「え? 飲みに誘われた??」
「はい」
ー確か、庶民で早い子は12、3才くらいから働きに出るのよね。
この世界の成人は男女共に16才だが、庶民は成人前に働きに出る。当然働きに出れば酒のつきあいはついてきて、いずれこういう誘いがあるのだが前世の記憶を持つ陽子さんは早いなぁとフィリップを見た。
振り返ってみれば、自身のお酒との出会いは幼稚園の頃のお屠蘇である。半世紀程まえ、陽子さんの子供時代は現代ほどお酒に対して厳しくなく、親戚の集まりやお正月のお屠蘇やひな祭りの白酒で初めてを経験した子供が多かった。
もちろん非合法である。
当時も確かにお酒は成人してからと言われていた。
ーうちの子も、ちょっとずつ場には慣らしたのよね。いきなり居酒屋とか連れて行かれて場の雰囲気に飲まれて、勢いで飲まされないように。
もちろんアルコールは飲ませなかったが、子供達が大きくなって家族で居酒屋にご飯を食べに連れて行っていた。そういう場に慣らすのは本人の為にも大事な事だと知っている。
ーでも…、フィリップ様は庶民じゃないし、いつも誰かお付きの人がいて、そういう場に行く必要もないんでしょうけど…。
チラとフィリップを見ると、子犬の 瞳(め) でアデライーデを見ている。これは行きたい顔である。
「カイは…、誘ってくれた村の子は秋から王都で仕事を始めるそうなんです」
ーあー、もうその子は一足早く「大人」になるのね。
「やっぱり…。ダメですよね」
返事のないアデライーデに、フィリップはしょんぼりとして呟いた。なぜかフィリップの頭にぺしゃんとした子犬の耳が張り付いているように見えた。
ー仕方ないわね。行きたくてこっそり離宮を抜け出したりしたら大騒ぎになるわ。
以前の真夜中のウニの件で、陽子さんは離宮の警備の厳重さを身を以て知っている。フィリップにつま先を見つめながらのお説教は体験させたくはない。
「行けるように頑張ってみるわ」
「!」
「約束はできないけど、それでもいいかしら」
「はい! ありがとうございます」
「夏祭りを楽しんでらっしゃい」
「はい!」
フィリップは、ぱぁっと顔を綻ばせるとカイを探してみんなのところへ駆けていった。