軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

382 純愛と冷血者

「エリアス。お前に尋ねたいことがある」

ユリアとの婚約を白紙にすると聞いた翌日、一晩中荒れて眠ることもできずひどい顔をしていた僕を、父はまた書斎に呼び出した。

「ユリア嬢を愛しているか?」

「当然です! 僕の最愛はユリアだけです!」

「……ユリア嬢が修道院に入ると言っている」

「な…」

今日、クリンガー伯爵と婚約の白紙撤回の話をしに行った父は、伯爵からその話を聞いてきたという。クリンガー伯爵もダランベール侯爵の派閥の家門だ。当主同士は家門の為に今回のことを受け入れざるを得ず、ダランベール侯爵が用意した筋書き通りにしか動けない。

「お前は、ユリア嬢が修道女になることを望むか? 修道女になればユリア嬢は誰に嫁ぐこともなく、神に守られ生涯お前だけのものになる」

「…………」

修道院に入れば、生涯修道院の外に出ることもなく質素な生活と厳しい戒律を強いられる。貴族令嬢として育った彼女の世界は一変する。だが、貴族令嬢として生きるのなら、それは僕以外の誰かのものになるということだ。そして、彼女はその相手に守られる。

「……僕に『それ』を選べと?」

薄ら笑いがこぼれる。

「ああ、選ぶんだ」

父は表情のない顔で、僕に残酷な決断を迫り言葉を続けた。

「エリアス。貴族に…そして、私達はクレーヴェ家門の長として生まれた。私達はその責務から逃れられない。ただ、逃れられない運命とどう立ち向かうか、決めることはできる」

「……僕は…彼女が修道院に入ることを…望まない。ユリアが誰かに嫁いでも、僕は彼女を見ていたい」

長い時間をかけて絞り出すように僕は答えた。父はその間身動ぎもせず、僕の答えを待っていてくれた。

「そうか。クリンガー伯爵には、そう伝えよう」

そう言って父はソファから立ち上がると僕の横に立ち、左手を僕の左の肩にそっと置いて横に並んだ。

「我が家は建国当初、初代が武勲をたてこの地位を賜った。だが、それ以降目立った功績はなく古いだけの家門と見られている。だがな、ただ古いだけではこの地位をこれほど長くは維持はできないのだよ。時間がない。私が戻ってくるまでの間、ヒンケルに学べ」

僕を見ることなく、そう言い残すと父は書斎を出ていった。

「坊ちゃま。いえ、次期クレーヴェ公爵エリアス様」

控えていた父の侍従長のコンラート・ヒンケルが、僕の前に来て恭しくお辞儀をした。

「私はエリアス様付きの侍従長として、新公爵家に移ります。よろしくお願い致します」

「そうか。よろしく頼む」

ヒンケルは僕の教育係でもあり、父の腹心の友でもある親族だ。僕は幼い頃からヒンケルにマナーや貴族同士の付き合いを叩き込まれてきた。

「どうぞ、ソファに」

ヒンケルはそう言って僕に座る事を勧めると、壁際のワゴンから二つのグラスを持ってきてワインを注ぎテーブルに置いた。

「では、エリアス様。これから想定しうる駆け引きの訓練を致します」

「想定しうる駆け引き?」

「はい」

ヒンケルはそう答えると、おもむろに僕の目の前のソファに座った。

普段、公私の区別をきっちりとつけマナーに煩いヒンケルの行動に驚いていると、ヒンケルは座った目で話し始めた。

「ダランベールはご当主様からエリアス様を引き離し、自身の手駒にできる者かどうかを試してくるはずです。紳士の駆け引きの場に酒は付き物。まずは一口飲まれてください」

勧められるがままにワインを口にする。昨日から何も食べていない胃に、刺すように熱くワインが広がった。

「これから皇女降嫁により公爵となる貴方様には、様々な悪意が向けられるでしょう。爵位に目がくらみ、ユリア様を偽装婚約で利用して捨てた冷血者だとして」

「な…にを…」

カッと頭が熱くなる。

この茶番の内情を知っているはずのヒンケルの口から出る言葉に、ぶるぶると握りしめた拳が震えた。

「親しかったと思っていた者にも、そうでない者にも好奇の目で見られ、着飾った侮蔑の言葉を投げつけられるでしょう。そして、そんなエリアス様を試すようにすり寄って来る者も出てくるはずです」

そう言って、ヒンケルは一口ワインを口にした。

「ただ、エリアス様がその悪意を一身に受けられるのであれば、ユリア様は純愛を利用された悲劇の女性として扱われるやもしれません」

「……やも?」

「瑕疵のない白紙撤回にしろ、それを面白おかしく言う輩は一定数おります」

「ははっ! 醜いな!」

残ったワインをがぶりと口に含む僕を、ヒンケルは静かに見ていた。

「それが人の 性(さが) でございます」

ヒンケルが、口をつけたグラスを静かにテーブルに置く。

「その醜い貴族社会で、祖先から引き継がれた記録を元に時流を読み、己を律する事で長く侯爵の地位と一族を守ってきたのが、クレーヴェ侯爵家でございます。エリアス様。家門とユリア様をお守りするお覚悟はございますか?」

ヒンケルは父と同じような目で僕に問いかける。

「ああ、僕もクレーヴェの人間だ。先祖が家門を守ってきたように家門を守りユリアを守る」

「ユリア様に恨まれ忘れられるかもしれないとしても、そのお覚悟は変わりませんか?」

ヒンケルの冷めた緑の目に、ごくりと喉がなる。

その目と同じ色をしたユリアを思い浮かべながら、僕は掠れた声で「変わらない」と答え、一つの懇願を口にした。

「……最後に、最後に一度だけ、ユリアに会いたい」

「エリアス様。未練を残されるとお覚悟が鈍り…」

「一度だけでいいんだ!」

ヒンケルの言葉に弾かれるようにソファを立った僕を、ヒンケルは黙って見ていた。

「最後に…ユリアに…修道院には行くなと……嫁ぐように…僕から…僕から」

握りしめた手の爪が深く肌に食い込んでいく。

「承知しました。ご当主様にお伝え致します。では訓練を始めます。お座りください」

そうやって始まったヒンケルの訓練が終わり、部屋に戻った僕は自室のレストルームで何度も吐いた。