作品タイトル不明
379 カロリーと仔ヤギ
サクッ
ピザ生地より薄いサクサクの生地にナイフを入れ、口にいれると薄く塗った白いクリームのわずかな酸味と玉ねぎの甘み、塩の強いベーコンが口の中で「美味しい」という曲を奏でる。
トマトソースのピザもおいしいが、こちらの方がさっぱりしていて大人のピザという感じがする。
そして、ほんのり冷えた白ワインにまたよく合うのだ。
「お好みでティロルチーズを削りましょうか」
「ええ、お願いします」
勧められたものは断らない主義の陽子さんは、ガリオンのお勧めににっこりと頷いた。
ガリオンは、手のひらサイズの丸いテーブル用のチーズの頭をナイフで器用に削ってくれ、アデライーデの皿に削ったチーズを花のように散らした。削ったチーズがかかった場所は、そこだけ濃厚な味になった。
「この白いソースは何ていうソースなの?」
「こちらは、クワルクやクアークと呼ばれるフレッシュチーズでして、簡単に作れるのでバルクの庶民は食事に使ったり、蜂蜜や果物にかけてデザートにしたりしてよく食べますね。茹でたじゃがいもにかけ、潰して混ぜ合わせたものは朝食の定番です」
「美味しそうね」
ー思い出したわ。新婚旅行のドイツのホテルの朝食で出てたわ。あれってサワークリームかと思っていたけど、フレッシュチーズだったのね。
雅人さんとの新婚旅行で泊まったホテルの中で、お手頃価格の居酒屋の上の簡易ホテルで出た朝食はバイキング式で、数種類のパンとチーズ、ハムとスクランブルエッグ、それにホットキーパーに乗った茹でたじゃがいものそばに白いソースが置かれていた。
他の宿泊者がじゃがいもにそのソースをかけていたから真似して食べたのだが、きっとあれもクワルクだったのだろう。
「お召し上がりになりますか? すぐにご用意できますが」
農婦のおばさまが、おずおずとアデライーデに進言した。
「ええ。ぜひ、食べてみたいわ」
「はい! 少しお待ちください」
おばさまは、ぱっと笑顔になるとすぐに小ぶりなじゃがいもが3つとクアルクがたっぷりかかったお皿を持ってきた。
アデライーデはフォークの背でじゃがいもを慎重に潰す。散らしてあるチャイブと亜麻仁油が混じる様は食欲をそそった。
少し酸味があるからだろうか。先ほどフラムクーヘンを1枚食べたが、小ぶりとはいえじゃがいも3個がお腹に収まってしまった。
ーこれは…ぺろっといっちゃうけど、気をつけないとハイカロリーよね。
美味しいもののカロリーは高い。
カロリーが高いから美味しいのかもしれないが、陽子さんは「午前中たくさん動いたから良いわよね」と、目を瞑った。
食後に念入りに仔ヤギ達と遊び、午後のお茶の時間に間に合うように帰ってきたのだ。
「ヘレーナ様にお礼のお手紙を書くわ」
礼状にアルトの報告のことも書き、牛達のおかげで食べられた食事の事も書いていたら、筆が乗りついつい分厚くなってしまった手紙をレナードに預け、たくさん遊んだ疲れもあったのか、その日はいつもより早く床についた。
この礼状がきっかけで、アデライーデとヘレーナは今後長く文を交わす 文通相手(ペンフレンド) となるのだ。
「ヨアヒム! どうしましょう! こんなに嬉しいお手紙を貰ったことは今までないわ」
夫婦の居間に入ると、頬を染めたヘレーナがヨアヒムに足早に近寄ってきた。原因は分かっている。午後に来たアデライーデ様からの礼状のせいだ。
「あぁ、ごめんなさい。淑女らしからぬ事をしてしまったわ」
言葉ではそう言っていても、隠しきれない喜びがヘレーナの顔からあふれている。
「良いんだよ。僕の可愛い人。良い手紙だったんだね」
そう言ってヨアヒムはヘレーナを抱きしめ頬にキスを落としたが、内心はちょっと複雑だった。
同性からの手紙とは言え『今まで貰ったことがないくらい嬉しい手紙』とは…、自分からの手紙は例外だよね?と、聞きたい気持ちをヨアヒムはぐっと抑えた。
バルクからの使者が携えてきた手紙の一通はライエン家への型通りの礼状で、一通はヘレーナ宛の分厚い礼状だった。家への礼状は、すでに祖父であるライヘン伯爵と確認済みである。
「贈り物をとても喜んでくださって、着いた翌日にわざわざ御料牧場まで見に行ってくださったそうなの! そしてね………」
ヘレーナはさりげなく座らされたソファで、興奮気味に礼状の内容をヨアヒムに話して聞かせた。
まるで恋する相手からの手紙を友人に話すかのような新妻にかなり複雑な気持ちになってきたが、自国の元皇女であり隣国の正妃様からのこれほど分厚いもてなしに対する礼状をもらえたとなれば、次期伯爵夫人として申し分ない活躍である。
夫として、愛する妻の活躍を世に知らしめたい。
ヨアヒムは思いついた考えを祖父に相談し、正式にバルクに許可をとってから妻に告げた。
競馬場のみならずライエン伯領で、ティロルチーズを使ったケーゼシュペッツレは名物となる。
そしてケーゼシュペッツレと並んで、それまで牧場や自宅でパンを焼いている農家以外では知られることのない家庭の味であったフラムクーヘンがフォルトゥナガルテンを訪れる貴族の従者や荷運び人達に爆発的な人気となった。
薄い生地のフラムクーヘンは手早く焼けて、片手で食べられ一切れから買える。
具材もその時の旬のものを刻んで使えばいいフラムクーヘンは、あっという間に路地や屋台で売られ、整備された街道沿いに広がっていった。
そして、その広がりと共にそれぞれの店が具材の取り合わせに工夫を凝らしてバリエーションも数々生み出される事となる。
バルクの正妃とライエン伯爵夫人の交流話と共に。