作品タイトル不明
299 書類の山と北の離宮
「確かにこのような書式であれば作成の時間も手間も格段に楽になります。まして祐筆課により基本書類が作成されるのであれば、今後は飛躍的に仕事さばけるようになりましょう…。が、しかし…、本当にこのような簡素な文体でよろしいのでしょうか? 陛下に対して不敬にならないのでしょうか?」
「心配には及ばぬ。陛下も書類の簡素化を望まれておられる。実を言うと読む方もあの文体はなかなか骨が折れてな。特に長文ともなると、意図を読み取るのにも時間がかかる。私が代理できるものもあるが、陛下しか御決裁いただけない案件も多い。書類の簡素化は文官だけでなく、陛下のご負担を軽減する良い事なのだよ」
少し不安げな文官の問いに、タクシスはにこりと笑って答える。
普段強面であまり笑わないー宰相としての威厳を保つ為にータクシスの笑顔に安堵の表情を浮かべた文官はこくりと頷いた。
「承知致しました。陛下のご負担軽減に 寄与(きよ) するのであれば、ご希望に沿うように尽力いたします」
「うむ、頼んだぞ」
そう言うと、タクシスは満足げに頷いて会議室をあとにした。
「早かったな。文官達への依頼はすんなり終わったのか?」
「あぁ。彼らも最初は驚きはしたが、すんなりと受け入れてもらったよ。何より炭酸水課と食材課という実績があるからな。実際に食材課で使われている書類を見本に置いてきた。あとは各部署がそれぞれの課に合わせて改変するだろう」
執務室に入ってくるやいなや、アルヘルムからタクシスに声がかかった。アルヘルムのテーブルに置かれた山積みの書類は相変わらずである。
「いつ頃、ここに来る書類は減るんだ?」
「気の早い奴だな。まだ先だ。今から基本的な書類を簡素化させるんだぞ。各部署の 定型文(テンプレート) が全て出来上がるのは年内になるだろうな。まぁ、来月くらいから少しずつ減り始めて、年明けに祐筆文官を雇ってしばらくしたらかなり落ち着くだろう」
「書類の山はもう見たくない。そうだ、本物の山を見に子ども達を北の離宮に連れて行くのもいいな。テレサやアデライーデを連れて…」
「おっと、夢見るのはそこまでだ。まずは目の前の山を崩せ、本物の山はそれからだ」
書類仕事の忙しさから現実逃避しようとするアルヘルムを、タクシスは強引に引き戻した。
「むぅ…」
「上手くいけば、来年の夏の避暑は交代で休みがとれるぞ」
「先は長いな…」
「ああ。だが、これを機会に業務の効率化が 図(はか) れる。我が国のような人材が少ない小国が、急激な発展を遂げるには必要な事だからな。まったく…、アデライーデ様には感謝しかないよ」
「アデライーデが作った離宮の孤児院運営の試算表が、こんな形で役に立つとはな…」
「お前が離宮から持ち帰った試算表を見せてもらった時は驚いたよ。余計な文はすべて削り落として、わかりやすくまとめてあったからな」
タクシスはそう言うと、アルヘルムの前の書類の山を1つ掴んでソファに腰を下ろした。
試算表とは、離宮に孤児院を作りたいと陽子さんが思いつく年間の経費を纏めたものだ。現代では見慣れた書式で陽子さんが勤めていた会社のテンプレートそのままである。
離宮を訪れたアルヘルムは、レナードからの報告とアデライーデからの説明を受け、写しを王宮に持ち帰りタクシスに見せていた。
タクシスは、その試算表を見て唸った。これ程簡潔に要件だけ書かれた書類は、見た事がなかったからだ。王宮の書類よりかなり簡単に書かれている民間の商会の書類も書き方としては王宮のそれに近い。
タクシスは早速アデライーデの試算表を真似て、公爵家の書式を改めさせた。すると、少ない休みの日にかなりの時間をとられていた家政の時間は半減され、領地の管財人との書類の確認のためのやり取りも激減した。
そして、その浮いた時間をメラニアとの時間に当てることができるようになったのだ。
炭酸水課が創設後、すぐに業務の忙しさに悲鳴をあげた時も文官を補充せずに試算書式に書式を改めさせた。それでも膨れ上がる業務に人を補充するべきかと思案していた頃、炭酸水課にひょっこりアデライーデが陣中見舞いに現れた。
村に散歩に出るたびに、炭酸水を積んだ荷馬車が行き交う様子を見ていたアデライーデは、忙しくしているであろう炭酸水課とアリシア商会に陣中見舞いに行きたいとレナードに相談をした。
レナードから「よろしいかと思います」と快く許可を貰えたので、アデライーデは数日後、アルトに作ってもらったカゴいっぱいのクッキーやプチフールを手土産に炭酸水課にやってきたのだ。
ちなみに炭酸水課とアリシア商会は、炭酸水工房の隣の民家に仲良く入っている。
「正妃様より直々のお見舞い、課員一同感激に言葉もございません」
事前にレナードより、アデライーデが訪れる事が通達されていた炭酸水課とアリシア商会は、総出でアデライーデを出迎えた。
アリシア商会会頭代行と炭酸水課課長は、赴任時にアデライーデに挨拶をしているが、課員商会員はアデライーデに正式に会うのは今回が初めてだ。炭酸水課長の出迎えの言葉にあわせ、皆は緊張の面持ちで頭を下げた。