軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

269 新男爵と老婦人

コーエンの名が呼ばれた時に、アメリーは息を飲んで両手を握りしめながら前を見つめた。

まっすぐ伸びた背中が、杖を使っているせいか揺れることなく前に進んでいく。

「正妃の望みを叶え、そろばんと言う新しい計算機を生み出し、庶民のみならずバルク国の文官達の負担を大きく軽減させた功績により男爵位を授ける。また叙爵によりシリングスの姓を授ける。コーエン・シリングス男爵、これからも正妃の願いを聞いてやってほしい」

アルヘルムが叙爵の言葉をかけるとコーエンは優雅に杖をさばき、ゆっくりとお辞儀をする。

「男爵位とシリングスの名を賜り、恐悦至極にございます。シリングスの名に恥じぬようこれからも精進いたします」

コーエンが叙爵の言葉を受け挨拶をすると「ほぅ…」と、アルヘルムの後ろの貴族達から小声が漏れた。

杖さばきは慣れた者でも優雅に扱うには少し難しい。

それが、まだ年若い庶民がこのように優雅に杖を扱うさまに、列席した貴族達は少し驚いたのだ。

よくよく見れば、装飾は控えめにされているが良い仕立ての衣装である。それに手にしている杖も派手さはないが、大玉の黒曜石と施されている細工が一級品であるのは遠目にも見て取れる。見目も所作も申し分ない…。どこぞの貴族の庶子かもしれぬというメイド達の噂は、もしかしたら当たっているかもしれない…と、見当違いの事をそれぞれが考えながらコーエンを見ていた。

……コーエン様…ご立派でございます。これまでの努力が実を結ばれて、本当に良かった。

アメリーはコーエンを目に捉えた時から、それしか心に浮かばなかった。

コーエンの努力が実を結び、バルク国王に認められた。職人としての最高の誉れである叙爵は、同じく技術を生業とするアメリーにとっても憧れである。感動で胸がいっぱいになりながらコーエンの後ろ姿を見つめていた。

「以上をもって、叙爵の儀とする。新男爵達はこの後の新年の祝いのパーティに出席するように」

アルヘルムが新男爵達に祝いの言葉を贈ったあと退出をすると、続いて貴族達もぞろぞろと退出を始めた。

「ルックナー様」

「……」

「ルックナー夫人」

「……」

「あの…、マデル・ルックナー男爵夫人」

「え?あ…あら。ごめんなさい。まだその呼び名になれてなくて…」

マデルが叙爵してホッと気が抜けていたグレアは、慌てて笑顔で取り繕った。

「ええ、私達もですわ」

同じく夫の叙爵が済んだばかりであろう隣の初老の夫人は、ニッコリと笑っていた。

「旦那様と息子さんの叙爵おめでとうございます」

「ありがとうございます」

グレアが老婦人にそう返すと、夫人は少し気の毒そうな顔をして「息子さんも叙爵されて、これからが大変でしょうけど、頑張られてね」と小声で言われた。

「え?」

「先程貴族の方々にご令嬢が数名いらっしゃったでしょ?息子さんはご結婚かご婚約されてますの?」

「いえ、まだまだ半人前と思っていたのでそんな話は…。もしかしたら好きあっている人がいるかもしれないですが、息子には聞いたことがなくて…」

「だったら、この後のパーティで『もう息子は相手がいて結婚の準備を始めている』とお話されていた方が良いかもですよ。息子さん、若くて顔も良いし…。もし結婚したい人がいるなら、決まってなくても、もうすぐ結婚するって…。」

「え?えぇ?!」

マデルが恙無く叙爵の儀を済ませてホッとしていたグレアに、老婦人は10年ほど前に知り合いの独身の息子さんが叙爵した際、貴族からの結婚の申し出が殺到した話を詳しく教えてくれた。

流石に高位貴族からの申し出は無かったが、子爵以下の貴族から色んなつてを使って申し込まれたらしい。息子さん自身はさほど結婚に興味がなく誰でも…と言うタイプだったので、余計に貴族同士の売り込みの争いは激しかったらしい。なんとか相手も決まり婚約しても、結婚式まで諦めなかった貴族もいたのだと言う。

「…そんな事が。ありがとうございます。ちょっと話してきますわ」

グレアは老婦人に丁寧に礼を言うと足早にマデルとマニーの方へ行ってしまった。

二人の話を聞いていたのはグレアだけではなかった。

グレアの後ろにいたアメリーとマリアも、老婦人の話をじっと聞いていたのだ。グレアがマニー達の元へ行ったと同時に、家族に囲まれているコーエンをちらっと見たアメリーは、マリアを促して叙爵の間から廊下へと出た。

「アメリー様、コーエン様にお祝いのお声がけしなくてよかったのですか?」

「ええ。今はご家族とのお時間を過ごされていると思うので…。後ほどパーティでお祝いを申し上げますわ」

「………。お聞きになったでしょう?もしかしたら、すぐにでもどちらかの貴族から強引な申込みなどがあるかもしれませんわ。その前に…」

「いえ、私…。待っていてほしいと言われたコーエン様を信じておりますわ」

「アメリー様…」

そう言ってアメリーはにこりと微笑むと、前を向いてアデライーデの待つ控室へと歩きだした。