軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

202 すれ違う思い

「アデライーデ様のご依頼が済めば、帝国にお戻りになるのですか?」

コーエンはカタログに目を落としたまま、小さな声で呟いた。

「え?……はい。そのつもりです」

「そうですか」

コーエンは表情を変えず、カタログに目を落としたままだ。

--何かしら?

コーエンの次の言葉を待ったが、コーエンがカタログから目を離さないのでアメリーはティーカップをそっと置いて微笑んだ。

「でも、せっかくバルクに来たのですから、ご依頼が終わったら少しバルクの観光でもしようかと思っていますわ」

「観光?」

コーエンはカタログから目を上げると、いつもの顔でアメリーを見た。依頼でもない限りバルクに来る事はそうそうない。次に来れるかどうかわからないのだから、思い出を1つでも作っておきたかった。

「えぇ、アデライーデ様達とメーアブルグに1度行っただけですのでもう1度海に行ってみたいですし、王都は父と一緒だったのでホテルしか見てないのです」

「どなたかとご一緒に行かれるのですか?」

「いえ。1人で、です」

自分で言ってて惨めになるが、ここで見栄を張っても仕方がないので精一杯の笑顔で答えた。アメリーはマリアやエマ達と親しくしているが、彼女達には離宮での仕事がある。それに最近独り歩きの気楽さもわかってきたのだ。

「もし…よろしければ、私が王都をご案内しても…?」

「コーエン様が?」

コーエンはカタログをテーブルの脇に置き、目線はまたカタログに落ちた。

「あ、いえ、王都なら私でもご案内できるかと思ったものですから…。それにこんなに素晴らしいカタログを作ってくださったお礼と言っては、なんなのですが…」

「そんな…お礼なんて」

突然の申し出に返事を戸惑っていると、コーエンはいつもと変わらぬ笑顔をアメリーに向けて「あぁ、でも」と言った。

「1人で回る王都の観光も良いものです。王都の公園ではユウゼンギクやネバリノギクといった花が紅くなり、各家の前庭のアスターが赤や紫、青などに色づいて冬前の賑わいを見せてくれます。ぜひ楽しまれてください」

返す言葉のタイミングを完全に失ってしまったアメリーに「お茶が冷めてしまいましたね」と言って、コーエンは奥のキッチンにお湯を沸かしに行ってしまった。

--俺は何を言ってしまったんだ。俺からの誘いなんて迷惑でしかないのに。

のろのろと火種を起こし水を汲んで 薬缶(やかん) に入れると湯が沸くのをコーエンは、じっと見つめていた。

今は仕事で同じテーブルで話しているが、彼女は帝国の男爵令嬢で自分は工房持ちとはいえ庶民のしがない職人に過ぎない。

まして足の不自由な男の誘いなど、迷惑以外のなにものでもないはずだ。何をのぼせあがっているんだ。

少し不自由な右の足をぎゅっと掴むと、湯の沸きかけている薬缶を睨んだ。小さな頃から走り回るのを諦め、国を守る兵士に憧れていると口にも出せず自分にできる事をやってきた。

幸運にも師匠のおかげで正妃様からお声をかけていただき、工房まで持てるようになった。職人として最上の道を歩みだしている。それ以上何を望むのだ。

あの日初めて会ったアメリーは、ストロベリーキャンドルの赤い艶かな髪を緩くまとめ控えめな笑顔で挨拶をしてくれた。

その笑顔が眩しかった。庶民相手にも気取らず見下さない態度で接してくれ、少しずつ打ち解けていくと自身の仕事に対する真摯な姿勢や自分の仕事への敬意が見てとれた。

少ない会話の中からアメリーに婚約者も想い人もいない事を確かめ、毎日の朝食を心待ちにするようになるのに、そう時間はかからなかった。毎朝のアメリーの笑顔を見れば、彼女に見せられない仕事はできないとその日1日の仕事に張りが出た。

アメリーの笑顔は、もしかしたら自分を男性として受け入れてくれているのではないかと淡い期待を抱かせるには十分だった。

しかし、それは思い上がりだった。

案内の話に戸惑っていたのを見ると、彼女は単なる仕事相手に対して最大限の敬意を自分に払っていただけなんだと思い知ったのだ。

--とんだ勘違い野郎だな。コーエン。

自嘲気味にため息をついて、しゅんしゅんと沸き始めた薬缶を手に取る。

「つっ!」

布も当てずに取ろうとした取っ手は、思うより熱くなっていて指先に軽い痛みを覚えた。それは思い上がった自分に対する罰のような気がして指を冷やす事もしなかった。

コーエンがキッチンに消えて、アメリーは自分の心臓が耳の横にあるのでないかというくらい、どきどきとする鼓動が聞こえていた。

--私…誘われた?王都を案内したいって…。聞き間違いではなくて??

これは、自分の願望からきた聞き間違いではないのかとコーエンの言葉を正確に思い出そうとする。確かに案内しようかと言われた。しかし、目線を外されあまりにもさらりと言われた。その後すぐに一人で回る王都も良いものですと言われた事を思い出す。

--そうよ。社交辞令よ。女1人で王都をまわると言ったから、社交辞令で一応誘ってみただけ…。その証拠に目線も合わせなかったわ。人参頭の私に声をかける人なんていないわ。小さい頃から、からかわれてきたじゃない。

ふと、横を見ると壁にかかった小さな鏡に、自分の赤い髪が映った。帝国で貴族女性の最上の髪はアデライーデのような金の髪。赤い髪は奔放な女性の代名詞で、昔から恋愛小説の中ではヒロインの恋人を奪ったり誘惑する悪役令嬢の髪の色だ。

小さな頃は人参とからかわれ、多感な年頃には同級生の男の子からは目があっただけで誘惑しようとしていると揶揄られ、目を合わせないようにすれば「お高く止まってるぜ、赤毛のくせに」と、貶された。

中にはアメリーの事が気になりちょっかいをだす精神的に幼い少年もいたが、そんな事は言われた方にとって溜まったものではない。単なる嫌がらせに過ぎなかった。

そんな経験が続けば、段々と付き合いは同性だけになり、恋愛は小説の中だけでして理想の男性は絵にぶつけた。デビュタントの時も片時も父親から離れず、同年の男の子を避け続けた。

大嫌いな髪だが、大好きな父親と同じ髪の色なのだ。

--嫌なことを思い出しちゃったわ。

「お待たせしました」

声のする方を見ると、コーエンがいつもの笑顔で入れ直したお茶を持ってきた。

コーエンが入れ直したお茶に礼を言うと、もう何を言っていいかわからなくなる。

「あの…」

「そうだ…」

言葉が出会い頭にぶつかって、アメリーは苦笑しながら「どうぞ」と譲った。

「王都に行かれるのなら、中央街の銀杏並木が見事ですよ。金色に輝くような並木は秋の散策で一番人気の…」

--金の?

コーエンはただ銀杏並木の話をしているだけだったが、先程思いだした嫌な思い出と重なった。コーエンが赤い髪を笑っているわけではないとわかっている。わかっているが手に力が入っていく。

必死で顔を作りティーカップに手を伸ばそうとした時に、キッチンの方から、がちゃりと音がして下働きのおばあさんが入って来た。

「おや、お嬢様。お出でになっていたんですか。お茶を出しましょうかね」

「いや、お茶は…」

「コーエンさん、棚にお菓子もあったのに…」

ティーカップだけのテーブルを見て、おばあさんがキッチンにとって返そうとした時に、アメリーは席を立った。

「ありがとうございます。でも、もうお暇するところでしたのよ」

手早く下絵を鞄に押し込むと、アメリーは精一杯の笑顔でコーエンに別れを告げる。

「お付き合いくださって、ありがとうございます」

「……。いえ、お気をつけて」

コーエンも笑顔を作り玄関の扉を開けてアメリーをいつものように送り出した。

アメリーが角を曲がるまで庭先で見送ると、せめてアメリーの帰国の間まで、あの食堂の席で隣り合わせで過ごせる時間が無くならないようにと願った。