作品タイトル不明
171 ソフィーとトーマン・クルーゲ
ソフィー・ミュラーは、アメリーの学院時代からの友人である。
彼女は騎士の家に生まれ育ち、下位貴族の一員ではあるが嫁ぐ先で貴族であり続けるか庶民になるか分かれる立場だった。男兄弟の末っ子に生まれた彼女はとても大事に育てられアメリーと同じく絵と小説が好きな引っ込み思案なおとなしい子に育った。
年の離れた末っ子のソフィーは、年頃になると親の決めた男爵の三男と婚約するが先の戦争で、父親と後継ぎの長男を失い家の力を失った婚約者に魅力がなくなったのか、婚約者は男爵家の跡取り娘の入婿の話にあっさりソフィーを捨てて結婚してしまった。
婚約者にさほど執着のなかったソフィーは、悔しがる母親と兄達をなだめ、このまま気楽に子供たちに絵でも教えて生涯を過ごしてもいいかなと思っていたら、父親の年齢より上の老男爵の後妻の話が来てその条件に惹かれて結婚をした。
その条件とは、実家への援助だ。
爵位があるとは言え領地も持たぬ騎士の家に、母親が亡くなるまで暮らせる十分な金額の結納金を払ってくれると言うものだった。
父と跡取りの長兄を亡くし、まだ若く結婚したばかりの次兄の騎士の俸給はそれほど高くない。まして怪我を負い騎士から文官になったばかりの兄もいる。
見合いの席と言う老男爵邸への訪問で、足の不自由な老男爵の穏やかな人柄に父を重ねたソフィーは、結婚を承諾した。
結婚式は老男爵の小さな屋敷に教会から神父を呼び、ささやかな家族だけの晩餐だけで済ませた。
それから5年ほど静かで穏やかな時間を過ごした。最初は老男爵の腕を取り…元気なうちは一緒に博物館や美術館に出かけ、そのうち家の中で車椅子を押し、最後はベッドのそばで美術本を眺めて話をしたり古典や流行りの小説を読み聞かせ過ごした。
老男爵は、自分の我儘で若いソフィーの時間を使ったのだからと小さな屋敷と財産を生前に全てソフィーの名義に書換え自由に生きるのだよと言葉を残し、安らかに天国へ旅立っていった。
財産を寄越せと葬儀の時に湧いて出た見も知らぬ親戚は、老男爵が雇った財産管理人が蹴散らしソフィーは30前にして男爵未亡人としての地位を手にしていた。
同じようにそれなりの財産と身分を手に入れて、社交界で派手に振る舞う夫人もいるが、ソフィーは変わらず恋愛小説と絵を愛し、好きなお芝居や美術館にアメリー達と行くような生活を続けていた。
そんなソフィーに、1通の手紙と言えない折りたためない分厚い封書とスケッチブックが届いた。
表書きは見慣れたアメリーの癖のある丸っこい字だ。
読みすすめると、今度貴族街で「あの」忘れられた皇女様と言われたアデライーデ様のレシピでカフェを開くという話が詳細に書かれていた。そして、ソフィーさえ良ければバルクの文官が困っていたらぜひ「助言」をして欲しいと書かれてあった。
震える手でスケッチブックを手に取ると、昔アメリーと描き散らかして楽しんだ「理想」達が踊っていた。
「まぁ……まぁ……なんてこと!」
あまりの興奮にスケッチブックがヨレるほど、抱きしめてソフィーはうっとりとした。
アメリーからの思いがけない手紙を受け取った日から数日経って、アリシア商会の封蝋をした手紙を持って茶色の髪の使者が手紙を携えてやって来た。
口頭でも手紙の返事を頂けるのであればと言う使者に、手紙を見れば「カフェと食堂を開くのであるが、帝国で流行りの内装や女性好みの食器などの教えを請いたい」という内容が四角四面のかっちりした字で丁寧に書いてあった。
今すぐにでもと言いたい気持ちを抑え、明後日以降であればいつでもと答えると、使者は「では明後日の午後にお迎えにあがります」と言う返事をして帰って行った。
約束の日に迎えに来た馬車に乗ってアリシア商会に行くと、掃除が行き届いて清潔ではあるが、機能さえあればそれで良しと言う感じの応接室に通された。
出てきた商会代行のトーマン・クルーゲもその部屋の主らしくきっちりした印象の栗毛茶の目の男性だった。
丁寧な挨拶をされ、是非ともお力をお貸しいただきたいと言われ話を聞くと、トーマンは店舗選びから困っていた。では、一緒にお探ししましょうとソフィーが言うとホッとしたような顔を一瞬見せよろしくお願いしますと頭を下げられた。
紹介屋が持ってきた店舗は訪れてみると、どれも帯に短したすきに長しの物件で中々良い物件はなかった。最後の物件を内覧し今日は帰ろうと歩き始めた時に、一軒の空き家が目に入った。
それはとある子爵のタウンハウスで、聞けば先代夫婦が長年住んでいたが最近領地に帰るということで売りに出されたばかりらしい。予定外だが内覧を申し出ると紹介屋は鍵を取りにしばらく席を外した。
その間に前庭を見れば、よく手入れの行き届いた庭である。
入ってみると屋敷の中も年代物ではあるが趣味の良い内装で、これであれば壁紙を張替え多少手を加えれば良いのではないかとソフィーは胸を躍らせた。
レストルームの隣も貴族の屋敷らしく小部屋が作られている。
「ここにいたしませんか?ここであればご要望の全てがございます」
「しかし…店舗ではありませんが…」
「貴族の家に招かれるようなカフェになりますわ。きっと素敵なカフェになるはずです」
「そうおっしゃるのであれば…」
トーマンが紹介屋と仮契約の話をつけるために席を外すと、ソフィーは改めて屋敷の中を見て回った。
1階は玄関を入ってすぐのホールと大食堂に居間と小部屋とキッチンとレストルーム。2階は寝室とあまり使われてなかった小部屋がいくつかある。3階は物置と使用人部屋だ。
「素敵だわ…。壁紙を変えて明るいカーテンに変えたら…あぁ何色にしましょう」
仮契約をしてきたトーマンがそばに来たのも気づかないほど夢中になっているソフィーにどう声をかけようかと、トーマンはしばらく悩んでいた。