軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

67話

形だけの遊覧観光を終えたハロルドは、そのままエリカと並んでベルリオーズの邸に戻ることにした。エリカは笑顔を収めてからは特に何を言うでもなくハロルドの数歩後ろを黙って歩く。

その間にハロルドはなんとか平静を取り戻そうとする。

先ほど目を奪われたのは気の迷いの類だ。不意打ちで手を握られたのが効いたのは否定できないが、それは決して恋愛的な感情ではない。

エリカのような美人に手を取られたのだから多少なりとも意識してしまうのは男として仕方のない反応である。だからと言ってそこに特別な意味などかけらも存在しないのだ。

ましてやハロルドとエリカの役割、そしてこの世界を待ち受ける未来を知っている自分が彼女に惹かれるなどあるはずがない。

そうやって否定的な事項を並べ立てていく内にハロルドはだいぶ落ち着いてきた。

だいたい先ほどの行為はエリカのからかい、悪戯である。肉体的な年齢こそ同じだが、精神的にはハロルドの方が十歳は年上だ。いい歳をした大人が二十歳にもなっていない小娘の手玉に取られていては男の沽券に関わる。

もう動じてなるものかと、と密かに意気込むハロルド。乱れていた心拍や顔に帯びた熱は、もうすっかり収まっていた。

そのまま何事もなく邸に到着すると待ち構えていたオーレリアンに「済まなかった」と謝罪され、昼の出来事は水に流すという運びになった。

結構な無礼を働いたのにお咎めなしどころか逆に謝罪されるなど、あの場に残って対応したイツキの交渉術には舌を巻く思いだ。スメラギ家次期当主の肩書は伊達ではないらしい。

そんなイツキへ感謝を示すために依頼された仕事をしっかりとこなそうと決心する。まあそもそもイツキが依頼さえしてこなければオーレリアンに無礼を働くこともなかったのだが、一向にやる気が起きない自分の士気を高めるためにそう捉えておくことにした。手を抜いて失敗でもすればイツキやユストゥスからどんな罰を下されるか分かったものではない。

そしてハロルドとエリカが帰ってきて一時間と経たない内に祝賀会が開始された。どうやら小船に揺られている間に参列者のほとんどが会場入りをしていたらしい。

主役のイツキとシルヴィは壇上であいさつを済ませた後、会場内を一周しながら参列者達に祝辞を述べられては感謝の言葉を述べていた。二人の姿はたちまち人だかりに埋もれて見えなくなる。

だがそうはいっても一度に話しかけられる人数は限られており、その人だかりは中々はけることがない。そうなると残りの人間は手持無沙汰となり参列者同士で雑談を交わすか、振る舞われる料理やお酒に舌鼓を打つ、もしくは楽団の生演奏に合わせてダンスに興じるなど思い思いに動き始める。

その中で最も多く行われていたのが、有り体に言えばナンパだった。

とはいえそれも街中で見かけるような刹那的行為ではなく、将来の伴侶やコネクションを形成するための顔繋ぎを目的としたものだ。さすがは貴族や大きな商家の子息なだけありそういった社交性が皆すこぶる高い。

そしてハロルドも何となく予期していたことだが、名家の生まれで息を呑むほど可憐で、それでいて結婚していないエリカはそういった人間の標的になりやすかった。会場には美しく着飾ったどこかの令嬢らしき女性も多くいたが、エリカが断トツで一番人気である。

それはつまりハロルドの仕事がやたらと忙しいことを意味していた。次々とエリカにアタックを仕掛けてくる男達を言葉の暴力で叩きのめしていくが、その数は減るどころか増していく一方である。

終いにはエリカの周りもイツキ達と似たような人垣が形成されてしまった。

「美しいお嬢さん、貴女のお名前をお聞かせ願いたい」

「僕と一曲踊って頂けませんか?」

「ここを抜け出して俺の部屋にこないか?秘蔵のワインがあるんだ」

男達が口々に誘い文句を囁く。聖徳太子ではないハロルドが同時に聞き取るのは三人が限界であった。そして内容までは聞き取れなかった他の声は雑音として耳が拾う。

煩雑極まりない。そしてエリカの隣にいるハロルドの存在は意図的に無視されているようであった。つまりハロルドも諸共に取り囲まれているのである。

もうちょっとやそっとでは収拾がつきそうにない。然しものエリカも困惑して返答に窮している。

律儀にも全てに返答しようとしているが、答える度に三つも四つも声がかかるのでまるで追いつかない。エリカには口がひとつしかないのだから当然と言えば当然だが。

いい加減に我慢の限界だった。

ハロルドはエリカを片腕で庇うようにして男達との間に割って入る。そこまでされると彼らとしても無視しきれなくなったようで、エリカに向けるのとは打って変わって刺々しさを孕んだ声で凄み始めた。

「何だい君は?邪魔をしないでもらいたいんだが」

「無粋な真似はよしたまえ」

「全くだ。見るからに粗暴そうなお前のような男がエリカの隣に立つなど身の程を知れ」

「何を黙っている?ナイト気取りが臆したか?」

悪意の集中砲火を浴びる。

ハロルドとしてはこの程度などもはやスイッチを切り替えるほどでもない。むしろ素性の知れない相手に向かってよくそんな口を叩けるな、と反面教師として彼らの振る舞いを心配していた。

エリカが主賓であるイツキの妹だと知っている人間もいるだろうに、そのエリカにずっと付き添っているハロルドをスメラギ、もしくはベルリオーズの関係者だと考えはしないのかと疑問に思う。

まあ基本的にこういう催しに参加する際は関係者各位の顔と名前、役職や肩書き等を暗記してくるものなので、そのリストに該当しないハロルドを低く見ているのだろう。もしくはエリカの美しさに盲目となっているのかもしれない。

そんなどうでもいい考えは頭の隅に追いやる。今は彼らをどうやって退散させるかが問題だ。

こんなめでたい場で武器を携帯しているわけがなく、まずもって暴力行為は絶対にご法度だ。騒ぎを起こせば折角の祝い事に水を差すことになる。

かといって口頭による説得は試みる価値すらない。どうせ試したところで彼らを煽り、罵倒して、事を荒立てるのが関の山だ。

ではどうするか。ハロルドにはこれしか思いつかなかった。

少し長めに息を吐き出しながら無用な感情は排除する。必要なのは純度の高い殺意。

目の前の男達を強く、明確に敵だと認識する。それこそユストゥスに匹敵するほどの怨敵だと。そうして心に灯った、揺らいで燃える氷点下の炎。

荒れ狂う敵意を、滾る害意を、純粋たる殺意を、混然一体として練り上げる。ハロルドはそれを言葉に乗せて一切の容赦なく男達に浴びせかけた。

「散れ」

たったの二文字。しかしそこに内包されていたのは、あまりにも濃密な死の幻影。

怯えて逃げ出してくれればいいと、そう考えていた。

だがハロルドの放った殺意――殺気の威力は、もうそんな次元ではなかった。誰一人その場から動けずにいる。無論、効果がなかったわけではない。

効きすぎたのだ。死を覚悟したこともなければ死線を潜り抜けたこともない人間には耐えることなどできようはずもない、物理的な圧力さえ感じそうな殺気が。

ドサリ、と音がした。見れば男が一人気を失って倒れていた。それが合図になったように、他の男達もバタバタと崩れ落ちていく。

同じように失神する者、腰を抜かして恐怖に震える者、己の死を悟って涙ながらに命乞いをする者など反応は様々。

それは異様な光景だった。自然と周囲の注目を集めてしまう。

人だかりの隙間から、イツキが“あちゃー”とばかりに右手を頭に置いているのが見えた。

奇遇なことにハロルドも全く同じ心境だった。

この日を境に、貴族達の間にこんな話が実しやかに広まっていくことになる。

『スメラギ家の息女には死神をも食い殺す番犬がついている』と。

死んだ、と思った。より正確に言うならば殺された、というのが正しい。

だがそのどちらも間違いである。

確かに自分の腹部に剣が突き刺さる感触があった。もしくは首を切断される様を幻視した。

そうさせたのは何者かが放った殺気。

ただしそれは自分に向けられたものではなかったらしい。振り返った男の視線の先では何人もの人間が倒れ伏していて、その中心には着物に身を包んだ美しい女性と、彼女を守るように立つ青年の姿があった。

状況から察するに殺気を放ったのはあの青年であろう。ただの殺気、しかも余波だけであれほど鮮明な死のイメージを与えるとはどう考えても只者ではない。

あの青年は誰なのか、一体どれほど強いのか、なぜこのような場にいるのか。様々な疑問が浮かぶが、そんなものはどうでもよかった。

彼の目は青年の隣にいる美しい女性に釘づけだった。可憐で儚げな、月明かりに照らされた一輪の花。彼女の前ではどれほど鮮やかな花も、きらびやかな蝶も、楽園のような絶景すら霞んで見えるだろう。

それほどまでに鮮烈な美しさ。青年の存在など瞬時に頭から抜け、気が付けば彼女に声をかけていた。

「今日貴女に逢えたことは俺にとって生涯で最高の幸運だ。この素晴らしさを貴方と分かち合いたい。まずは姫君の名前を聞かせてはくれまいか」

「……私はスメラギ家が息女、エリカ・スメラギと申します。どうかお見知りおきを」

「おお、エリカ!その身に違わぬ美しい名だ。俺は「フランシス・J・アークライト」

男――フランシスの言葉が青年に遮られる。未だエリカの隣に立つ青年は、まだ名乗っていないフランシスの名前を言い当てた。

フランシスに不信感が募る。なぜなら彼は急遽この催事に参加することになったのだ。つまりは事前に知らされた参加名簿に彼の名は記載されていない。ということはこの青年は元からフランシスのことを知っていたということになる。

「俺のことを知っているのか。まあ俺は有名だからな」

「女癖の悪さは特にな」

「っ……!本当によく知っているようだ。ただしその情報はもう誤りさ」

フランシスは片膝をついて跪き、エリカの手を取った。

「なぜなら俺の心はもうエリカに捧げたからだ!」

「アークライト様、唐突にそのようなことを申されましても……」

「アークライトなど他人行儀な!俺のことはフランと呼んでくれ」

フランシスの猛烈なアタックにエリカは当惑していた。が、これが彼のスタイルでもある。

女性を口説くならば情熱的に、押してダメならさらに押す。そうしてフランシスはこれまで数多くの女性を虜にしてきた。

しかし今、エリカと出会ってこれまで自分が女性を口説き落としてきたのは彼女を自分のものにするための修練に過ぎなかったのだと確信する。

それだけではない。生来の甘いマスクも、脈々と受け継いできた血筋も、全てはエリカに見劣りせぬために神が与えた運命なのだ。

その運命を阻もうというのなら、たとえ殺気だけで人を殺せるような怪物にだって挑みかかり、必ずや勝利を掴んでみせる。そんな気概を持ってフランシスは青年に目を向けた。

迎え撃った青年の瞳は、そんな気概などどうでもいいとばかりに無関心なものだった。さすがにフランシスも虚を突かれる。

もう少し何らかの反応があると思っていたのだが。

「意外だね。止めに入らないのか?」

「貴様はその辺に転がっている有象無象とは違うようだからな。勝手にやっていろ」

青年はそう言って腕を組んだまま壁に背を預けた。彼の態度からは本当に興味など抱いていない、という感情が見て取れた。

彼はエリカの許嫁や従者ではないのか?

疑問は多く残るが、しかし邪魔が入らないというならば好都合である。そう思いエリカへのアタックを再開しようとしたフランシスの肩に

「まあソイツの許しが出ればの話だが」

そんな青年のセリフと、何者かの手がかけられた。

その手には肩を握り潰しそうなほどの力が込められている。その痛みが引き金になってかとあることを思い出した。

ファーストネームに気を取られて過ぎていたが、彼女は確かスメラギと名乗った。フランシスにはその名を持つ友人が一人いた。

恐る恐る振り返る。そこにいたのは友人と呼べる程度には親交のあるイツキ・スメラギ。

状況と関係性を瞬時に把握したフランシスは迷うことなく言い切った。

「イツキ、今日から義兄さんと呼ばせてもらおう」

「呼ばせてたまるかっ!エリカの手を離せ、この色情魔めぇ!」

ベルリオーズの邸にイツキの怒声が天高く響き渡るのだった。