軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

54話

「ちょっと!エルに何してるのよ!?」

ハロルドとエルの間にそんな声が割って入る。

見れば氷竜のサンプルを収集し終えたリーファが、白衣をところどころ真っ赤に染めながらこちらにダッシュしてきた。リーファの目にはハロルドがエルを虐めているように映ったのだろう。

ハロルドはそんなリーファを右手一本で制する。俗に言うアイアンクローでその小ぶりな頭部を鷲掴みにした。

「にゃあ!?」

突然の衝撃と痛みにリーファが奇怪な声を上げる。

血まみれの人間が猛然と迫ってくる光景は中々に忌避感を刺激した。同じく氷竜の血を浴びているハロルドが言えたことではないかもしれないが。

じたばたと抵抗を示すリーファをいつまでも掴んでいても仕方ないので手を放した。アイアンクローから解放されたリーファは距離を取ってハロルドを威嚇する。

まるで猫のようだ。

そんな彼女から視線を外し、ハロルドはスイッチを切り替える。そうすることで戦闘での昂ぶりがすーっと鎮まっていく。

スイッチとはハロルドが便宜上そう呼んでいるだけであり、早い話が原作ハロルドの力を利用するために編み出した意識の切り替えだ。

といっても別に平沢一希としての意識が途切れるようなものではない。感覚的には自分の中に眠っている原作ハロルドの意識を前面に押し出す、精神をコントロールする技術の一種だ……と、本人はそう認識しているが正確な理屈は不明だ。

これはハロルドの推測だが、この世界に来て得たいくつかの経験則から自身の体、もしくは心に原作ハロルドが眠っているのではないかと、そう考えていた。

自分が置かれた状況に勘付いた時。呆然としていた体を動かし、言葉を口にしたのは誰だ?

リッツェルトと戦った時。心の奥底から湧き出してきた殺意は誰のものだ?

そういったピースを繋ぎ合わせてハロルドが出した結論は“自分の中に原作ハロルドが存在している”というものだった。

だからハロルドは自身の仮説を検証しようと様々な方法を幾度となく試してきた。時には意識を消して無心になれるように、時には生死に関わる危険な戦場に身を置いて。

いずれ必ず必要になるだろう、原作での戦闘イベントという修羅場おいてその力を引き出せるように。

結果としてハロルドはスイッチの切り替えという新たな技能を修得するに至った。これが自身の仮説が正しかった証左か、あるいは精神面のコントロールが上昇しただけなのかは分からない。

はっきりとしているのはスイッチを切り替えることで感じるはずの恐怖は戦闘本能として処理され、戦闘能力は格段に向上する、ということだ。命を賭けた戦いであっても怯むことすらなくなった。

原作よりも鍛え上げられた体と技。己に適した戦い方を熟知した知識。本来のハロルドとしての闘争本能。

強さという一点に限って言えばハロルド・ストークスという個体として望める最上、理想形。

今のハロルドはそれに近い存在と言えた。

強いてスイッチを切り替える代償を挙げるなら、ただでさえ暴言や煽り文句を垂れ流す口がさらに悪辣になることだろう。切り替わった状態のハロルドの言葉はほとんど原作準拠のそれである。あまり人前では晒したくない姿だ。

「落ち着いてよリーファ。ボクは別に何もされてないから」

威嚇を止めないリーファを見かねてかエルが落ち着いた声色で話しかける。

「じゃ、じゃあなんで跪いてたのよ!」

「ああ、それはボクが彼――ハロルド様の部下になったからさ」

「へっ……?」

エルの一言にリーファが気の抜けた声を漏らす。ハロルドも同じような心境である。

今、エルは自分がハロルドの部下になったと言った。だから膝を着き、跪いたのだと。

それだけ聞けば正しいように思える。だがハロルドとしては手を貸してくれればこちらもギッフェルトの一族が探している『星の記憶』を探すのに協力しますよという、あくまでギブ&テイクな関係を打診したつもりだったのだが。

確かに先ほどのやり取りを思い返してみれば主従とまではいかなくてもハロルドが上に立つような物言いであったのもまた事実だ。スイッチが入りっぱなしだったせいでいつもよりさらに高圧的な感じになってしまっていたかもしれない。

歓喜のあまりスルーしてしまったが、様付された時点で違和感を覚えるべきだった。

(というかなんでエルはそれを了承したんだ?俺の部下とか断固拒否じゃない普通?)

仲間を得たと思ったら実は部下になっていたというこの状況。

まさか自分がギッフェルトの上に立つなんてことは想定していなかった。そもそもとして、とてもではないがギッフェルトの一族であるエルを扱いきれるとは思えない。

「勘違いするな。貴様を俺の傘下に加えてやる、と言っただけだ」

「まだ信頼を得られていないことは分かっています。それはこれからの行動で勝ち取ってみせましょう」

違う。ハロルドが言いたいのはそういうことではない。

原作では使っているところなど見たこともない敬語に加え、一人称まで変わってしまっている。違和感を通り越して気味が悪い。

「ぶ、部下ってどういうこと?まさか脅されて……!」

「そんな事実はないよ。ボクがそう選択したんだ」

再起動したリーファは真意を問い詰めようとするが、エルはその追及を真っ向から否定する。間違いなくエルが言った通りだ。ハロルドに疚しいことなどなにもない。

そしてついでにリーファがどういう目でハロルドを見ているのかも知ることができた。

真っ先に疑う手段が脅しである。本当にそうだったとしたら中々のクズ野郎だ。

まあそれだけハロルドに関する悪評が正しく伝わったということなのだろう。リーファに嫌われる必要はないだけに悲しくもあるが、いずれ仲間になるエリカに実は真っ当な人間だとでも言われて彼女の誤解を解かれても困るので否定はできない。

「俺からの信頼を得たいのならまずはその薄気味悪い態度を改めることだな」

「そんなに不評かい?忠臣らしい振る舞いのつもりだったけど」

「ああ、怖気が走る」

「それは失敗したなぁ」

ははは、と笑うエル。あっさりと今まで通りの様子に戻っていた。

もしかするとあの態度はハロルドをからかう為のものだったのかもしれない。それか星の記憶に関する情報のために必要以上に遜ったように見せたか。

本気にしろ冗談にしろ部下という認識は訂正してもらいたいところではあるが、今はそれよりもまず下山を優先する。晴天ではあるが気温はかなり低く、体感では一桁前半だろう。

というかリーファはミニスカート、エルに至っては厚手とはいえオーバーオール一枚と、胸部にサラシを巻いているだけという恰好である。これで寒くないのだろうか。

まあ原作でならエリカは袴に漆下駄という登山を舐めているとしか思えない装いで吹雪の山を踏破するし、何より主人公パーティーは全体的に薄着なことを考えればそこは一々突っ込むようなことではないのだろう。それもまたゲームの仕様だ。

「これ以上留まっても時間の無駄だ。さっさと帰るぞ」

「そうしよう。ところでハロルドはこれから王都に戻るの?」

「そうだ」

「王都かー。行くのは二年ぶりくらいだなぁ」

「貴様が王都に何の用だ?」

「用っていうか、ハロルドについて行くからさ」

「何?」

さも当然とばかりに同行しようとするエル。それを即座に拒否しようとして、しかしハロルドは思い留まった。

すでに騎士団から除籍されているハロルドは、王都へ帰還すれば研究所の一室で過ごすことになる。そしてその研究所にはユストゥスがいる。

もしエルをユストゥスと引き合わせることができれば情報を手に入れることも可能なのではないだろうか。

ハロルドには原作知識があり、それによってユストゥスがどんな手段でどのような段階を踏み、何を起こすかはおおよそ分かっている。だが計画の進行状況が不明のままではその起点を潰すことは難しいし、仮にできたとしても原作から大幅に乖離して最大のアドバンテージである原作知識が役に立たなくなる恐れもある。

そこでハロルドが思い描いていたのは常に後の先を取ること。ユストゥスが起こすイベントに対する迅速な 対抗策(カウンターアタック) だ。

実際に動いてもらうことになるのは主人公であるライナー達だが、秘密裏にそれをサポートしていくことが今後の大きな目標になる。その為に地道な人集めもしてきたし、今回は幸運にもエルを引き入れることができた。

エルの力を借りることができればユストゥスの計画がどの段階にあるか探ることもできるかもしれない。

「これから接触する機会も多くなるだろうしハロルドの拠点を確認しておきたくてね」

「ふん、勝手にしろ」

確かに顔を合わせることは多くなるだろうし、言っていることにも一理ある。それにエルならばユストゥスと対面してもおいそれとこちらの情報を漏らすようなへまも心配しなくていいだろう。

気になるのはエルがハロルドについてどこまで知っているかだ。

騎士団への入団に端を発して現在に至るまでの一連の流れは把握しているようだが、それ以前はどうなのか。ギッフェルトの力を考慮するとコレットやLP農法まで調べ上げられていても不思議ではないが、確証があるわけでもない。

口止めを求めたことで不審がられてかえって露見する、ということも考えられる。

等と一人でうんうんと思い悩んでいる時だった。途中から静観していたリーファが、唐突にこう宣言した。

「あたしもついて行くわ!」

あまりに不可解な発言に時間が止まったような気がした。

どうしてリーファがハロルド達について来ようというのか理解が及ばない。

「愉快な思考回路をしているな。不具合だらけでメンテナンスが必要だ」

「何よ、エルは良くてあたしはダメなわけ?」

皮肉をあっさりスルーされたが、端的に言えばまさにその通りである。リーファはライナーの仲間にならなければ物語が進行しない。

シナリオに縛られないこの世界でならばリーファがライナーに出会わないルートも選択可能だが、当然主人公パーティーの戦力は落ちる。特にスメラギ領で発生している瘴気の解決に一役買うのがリーファなのだ。

彼女がこちら側につけばハロルドが想定していた以上の被害がもたらされることになる。それも避けたい。

「そうだ。貴様の力は必要ない」

「あたしだってアンタの部下になるつもりはないわよ。エルが心配だから王都まではついて行くって言ったの。その後は自分の村に帰るわよ」

リーファはそう言っていーっと歯を剥く。

どうやらハロルドが早合点してしまっただけのようで、彼女としても同行を申し出るのは不本意らしかった。

しかしあくまで王都まで、ということなら大した問題ではない。一人で帰還中に不慮の事故に巻き込まれて死ぬとも限らないので、リーファの安全を確保する意味でも利点はある。

「心配だと?コイツがか?」

「ええ、そうよ。ハロルドなんかにエルを任せられるわけないでしょ」

お前はエルの何なんだよ。

信頼度の低さを感じながら、そんなツッコミをすんでのところで堪えるハロルドだった。

エルは自分の斜め前方をずんずんと進んでいくハロルドへ、悟られない程度の視線を向ける。

無表情というよりかは不機嫌そうな顔。かといって渋面を作っているわけではなく、それが彼にとってのデフォルトなのだろう。目つきが悪いのも不機嫌そうに見える一因かもしれない。

ギラン雪山を離れて三日。エルが目にした彼の表情はそんな不機嫌そうなものと、リーファを挑発する際によく浮かべる皮肉気に歪んだ笑みだけだ。

ハロルドは口数こそ多くないがその口はすこぶる悪い。常に全力で周囲に敵を作りに行っているとしか思えないほどだ。

内面に関してはまだ計りかねるが、外面だけで判断すればあまり性格の良い人間とは言えないだろう。人よりも癖の強い人間と接してきた自負のあるエルからしても、悪い意味で飛び抜けた存在である。

星の記憶に関する情報が得られる、という条件がなければ下につこうなどとは絶対に思わなかっただろう。それも虚偽だと判明すればすぐさま姿を消すことに迷いはない。

わずかな時間を共にしただけのエルがそう感じるのだ。

日頃からハロルドの近くにいる人間の心情は推して知るべしだった。

周囲から数多放たれる敵意、嫌悪、侮蔑といった感情。

場は沈黙しているはずなのに罵詈雑言の幻聴が今にも聞こえてきそうである。

これがハロルドの所属している『アストラル研究開発所』における彼の評価だった。

エルの隣ではこれまで終始元気だったリーファが身を竦ませている。数時間前まで人生で初めて乗船した空船にかなり興奮していたのだが。

常人よりも気の強いはずのリーファが自分以外に向けられた感情でここまで怯えているのだ。かくいうエルも一瞬でも早くこの場を離れたいという衝動を抑えつけて早足にならないように、強く意識してゆっくりと歩いていた。

それほどまでにこの研究所の人間がハロルドに向ける悪感情は苛烈なものだった。

そんな感情を一身に浴びてもハロルドに動じている様子はまるでなかった。

突き刺さるような悪感情に恐怖することもなく、かといって対抗しようと怒りを顕わにすることもない。辟易してうんざりした素振りも見せず、意識しないことに努めて表情を消したりということもしていない。

無関心。それがハロルドの状態を最も適切に表している言葉だった。

(どういう経緯を辿ってきたらここまでなれるんだろうね……)

友好的でも敵対的でも自分に関心のある人間を完全に無視するのは難しい。その関心が極めて強烈で、さらには多数であるならばなおさらだ。

人としてあるべき感性に欠陥を持っているのではと疑ってしまう。

もしもそうではなく、何らかの理由で意図してやっているなら良し悪しを抜きにして感心できるほどだ。

不意にハロルドの足が止まる。目に前には廊下のつきあたり、そこにある白い扉。

無機質なノックの音が鳴る。その数秒後、ガチャリと扉が開かれた。

出てきたのは三十代中ほどと思われる男性。彼はノックの主がハロルドだと分かった瞬間顔をしかめた。やはり蛇蝎のごとく嫌われているらしい。

「……何の用だ?」

「分かりきったことを聞くな低能。そこまでして程度の低さを誇示したいのか?」

(口を開けばこれじゃー嫌われるの当然だね)

非常に過酷な環境ではあるが完全に自業自得が招いた結果だ。同情する余地はない。

周囲の人間など気にしてすらいなさそうなハロルドには同情など元から不要な代物かもしれないが。

暴言を吐かれた男は瞬間的に顔を真っ赤に染め、目が険しく吊り上がる。激怒しているのは明白だった。

怒りに打ち震えながら、それでも男性はハロルドの言葉をなんとか受け流そうとする。

「所長は実験の最中だ。報告ならば後に――」

「俺の報告は最優先だと通達されているはずだ。そんなことすら忘れたか?だったら俺が戻ったことをアイツに知らせてこい。貴様のような物覚えが幼児以下の愚図でもそれくらいの使いならできるだろう。まあ無理だというなら強要はしないがな」

聞いていてドン引きするほどの嫌味が次々と飛び出してくる。これを聞いて確信したが、リーファに対する挑発はだいぶ手加減していたようだ。言葉の鋭利さが段違いである。

男はといえば今にも憤死するのではないかと思うほどの険相を浮かべていた。そして二人の険悪な雰囲気が最高潮に達しようとその時。

「ボクが思うに口論には有益なものと無益なものがある。君達がしようとしているのはどちらだと思う?ボクの予想では無益なものになりそうだ」

人が発したのかと疑うほど平坦な声。それが部屋の奥から届いた。

生気の薄い顔をした白髪の男性。長身痩躯ながらその背は些か猫背になっており、どこか弱々しい印象を受ける。そんな彼の容姿の中で無機質な鈍光を宿した双眸がとりわけ目を引く。

ユストゥス・フロイント。王国を代表する科学者の一人がそこにいた。