軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

15話

強い決意を宿した眼差しにエリカは気圧される。ゼンが何を思ってその言葉を口にしたのか真意は図れない。

しかしエリカは根拠もなくただ直感的に今彼の誘いに乗らなければいずれ大きな後悔をすることになるのではないかという強迫観念にも似た焦燥に駆られた。

「分かりました。どちらに赴けばよろしいのですか?」

「こちらへ」

その場所へ案内するためにゼンが踵を返し確かな足取りでとある一室の前に立つ。

ゼンが真相を語るに相応しいと選んだ場所。それは――

「ここです!」

ハロルドの自室だった。

「……へ?」

予想外の展開に思わず出したことの無い気の抜けた声が漏れる。それを恥じる余裕も吹き飛ぶほどエリカは混乱していた。

先程までの話の流れからして使用人の殺害に関してハロルドが伏せている何かしらの事情、つまり彼の秘密を明かしてくれるのだろうと考えていた。

それをわざわざ秘密にしている本人の部屋で行うとは何事だろうか。もしや自分はゼンとの会話で致命的な思い違いをしていたのかもしれない。

でもそれは一体どこで、どんな?とエリカの思考は混迷を極める。

「ささ、どうぞ」

「え?あっ、ちょっと……」

混乱が収まらないエリカの虚を突き、ゼンは彼女の小さな背を押して部屋へと踏み込む。ハロルドの不在は既に確認済みなので躊躇うこともない。

ゼンは室内をキョロキョロと見回して目についたクローゼットを開くと、もう状況に着いてこれていないエリカを押し込んだ。

「ごめんなさい!ちょっとここで待っててください!」

クローゼットを閉じたゼンは駆け足で部屋を出ていこうとする。

「えぇ……?」

再び自分のものとは思えない声がエリカの口から漏れた。

主の客人、それも婚約者という立場の人間をこんな場所に閉じ込めるなどもう不敬の域を越えている。人が人なら殺されても文句は言えないだろう。

幸いにしてエリカはそこまで苛烈な怒りの表現方法を取らないが、それでも常識的に考えてこの仕打ちにはさすがに物申さなければいけない。が、今はそれどころではなかった。

何よりも優先するべきはいち早くこの部屋から脱することである。

エリカにしてみれば全くの不本意ながら闖入者の身だ。これがバレればハロルドが何を言い出すか分かったものではない。

ゼンを追おうとクローゼットの扉に手をかけた瞬間、無情にもガチャという音がエリカの耳に届いた。

「おわぁっ!」

次いで届いたのは驚いたゼンの悲鳴である。今まさに扉を開けようとしたタイミングで部屋の主が帰ってきたのだから驚くのは無理もない。

そんな彼の悲鳴を聞いてハロルドは顔をしかめる。

「耳障りな声を出すな。というか貴様は俺の部屋で何をやっている?」

「い、いやぁ~……実はハロルド様にお伝えしたい事があったんですけどノックしても応答がなかったから中を覗いてみたんですよ」

「応答がないなら大人しく引き下がれ。どこまで馬鹿なんだ」

クローゼットに備え付けられたブラインドの隙間から部屋の様子を窺うエリカ。完全に脱出する機会を失ってしまった。

ここで姿を表し釈明すればまだ言い分も立つだろう。しかしゼンはどうなる?

相手はただ気に入らないだけで人を殺すような人間だ。自業自得だとしても彼が死ぬのは避けたい。

だがハロルドがエリカの助命の訴えを受け入れてくれるかどうか。彼の言動を鑑みるにその可能性は低いように思えた。

(どうすればいいのでしょう……?)

エリカが判断を下せないでいる内に状況はどんどん悪化していく。

「それでお伝えしたい事なんですけど!」

ゼンが強引に話題を戻す。それに対してハロルドは呆れたようなため息を吐くとソファーに腰掛ける。

そしてエリカにとっては意外にもハロルドは話の続きを促した。

「何だ?手短に済ませろ」

「えー、非常に申し上げにくいんですが例の噂がかなり広まってまして……」

例の噂、とゼンは言葉を濁すがそれが何を指すかはこの場にいる人間にとって明白である。

「さっきも街で買い出しをしてきましたけど立ち寄った店で店主やお客からことごとく根掘り葉掘り聞かれるんですよ」

「……」

ハロルドは腕を組み、目を閉じたままゼンの話に耳を傾ける。

クローゼットの中のエリカも彼が何を言いたいのか分からず傾聴していた。

「口外はしてないですけど、していないからこそこのままじゃハロルド様の評価が地に落ちちゃいますし何か対策を取らないとまずい気がして……」

「何を言い出すのかと思えば下らない。そんなものはとうに失墜して泥にまみれているだろうが」

「でも……」

「でも、なんだ?貴様は“クララとコレットはブローシュ村に落ち延びてまだ生きています”とでも吹聴する気か?」

「まさかそんな!おれは死んでもその事実を口にはしません」

(――え?)

2人のやり取りを聞いてエリカの頭は真っ白に染まる。

ハロルドはなんと言った?使用人とその娘、クララとコレットが生きている?

ゼンはなんと言った?それが事実?

受けた衝撃は昨夜の殺害告白を上回る。エリカは思考も体もフリーズしたまま2人の話を微動だにせず聞いていることしかできない。

「なら無意味なことは考えるな。万が一アイツらが生きていると両親に知られれば俺が疑われる。その可能性は徹底的に排除するのは決定事項だ」

「それは分かってますけどせめてエリカ様には真実をお教えしたらどうですか?例の噂を信じたせいですっごい落ち込んじゃってますよ」

「絶対に駄目だ」

明確な拒絶。

声に温度があるとすればそれは間違いなく氷点下だろう。ゼンの、そしてエリカの背筋が一瞬で凍りつく。

「……どうして、ですか?」

ゼンが抑えきれない疑問を口にする。

ハロルドはなぜそこまでエリカを拒絶するのか。それはハロルドがエリカをこの『Brave Hearts』の世界においてある意味最も警戒すべき人物だと考えているからだ。

エリカというキャラクターの特色は優しさだ。ただしその前に“行きすぎた”が付属される。

原作のハロルドは自分は特別な存在でありそれ以外の人間には何をしても許されるという選民意識の塊だった。だから平気で使用人を殺し、力無き民草を差別し虐げ、自身が生き残るために町を丸々ひとつ火の海に変えてモンスターへの生け贄にすらした。

それだけの悪逆非道を重ねて尚、エリカはハロルドを嫌悪しながらも見限れず婚約者であることに苦悩していた。

その理由はストークス家からの経済支援に恩義を感じていたため、である。普通に考えればストークスとの繋がりなど家名を貶め足を引かれる危険が付いて回ると思うのだが、そこはやはりエリカのイベントを盛り上げるゲームシナリオの都合だろう。

そしてこの愚かしいほど突き抜けて設定された優しさがこれから先ハロルドに牙を剥く恐れがあるのだ。

まず大前提としてだがハロルドの目標は死なずに生き延びることである。そのために必要だと考えているのが死亡フラグの回避と原作シナリオのクリアだ。

前者は説明するまでもない。では後者はどういった理由かというと、仮にラスボスが倒せなかった場合ハロルドを含めて大陸の人間がほぼ全員死ぬからである。

確定ではないがゲーム内の情報から推測してその可能性は極めて高い。何せラスボスの暴走を止められなければ世界唯一の大陸が沈むだろう、という話だった。

つまり自分が死亡フラグを回避しきっても原作から解離しすぎてボスが倒せませんでした、では意味がない。

主人公達には是が非でもシナリオをクリアしてもらう必要があり、エリカは主人公パーティーの中で貴重な回復役なのだ。彼女がいるいないでは攻略の難易度が変わる。

生存率に大きく関わってくるのでハロルドのためにもエリカは絶対に主人公の仲間になってもらわなければ困るのだ。

さらに言うと原作通りにシナリオをクリアすれば元の世界に戻れるのではないか、という淡い希望もある。というか元の世界への帰還に関してはそれくらいの手段しか思い付かない。

ここで話を戻すが、原作ハロルドさえギリギリまで見捨てることができなかったエリカが一般的な常識と良心を身に付け、あまつさえスメラギ家の窮地に手を差し伸べるハロルドを見たらどうなるか。

想像したくない仮定だが婚約を積極的に受け入れるかもしれない。まあそれはまだ良い。

だがもしそれが原因で主人公の仲間にならなかったらどうするのか。それがハロルドが恐れている事態なのだ。

だから死亡フラグを回避するため悪道を歩めないハロルドはそれ以外の部分で徹頭徹尾エリカに嫌われておいた方がリスクは低いと睨んだ。彼女からの好感度などクソ食らえだと断言してもいい。

そう説明できれば幾らか楽なのだが頭の状態を疑われるのがオチだろう。適当な理由をでっち上げて追求を阻むことにした。

長い沈黙を破ってハロルドが語り出す。

「……アイツは泣いていた」

「え?」

「俺が人を殺した事実にか、それとも俺に殺された親子を想ってかは知らん。だがどちらにせよアイツは他人のために心を痛めて涙を流した。馬鹿としか思えない」

蘇る昨夜の記憶。月明かりに照らされるエリカの頬には一筋の涙がしっかりと刻まれていた。

どうしようもないほど厄介ではあるが、それは確かにエリカの美徳なのだろう。

「そして同時に優しすぎるんだよアイツは。それも相手を憐れむことしかできない弱者の優しさだ。そんな奴が俺と共に歩もうとすれば数えきれない傷を負うことになる」

「だからわざと遠ざけているんですか?エリカ様のためを想って……」

「ふざけたことを抜かすな。どうして俺がアイツのためを思わなければならない。事あるごとに泣くような面倒な女との結婚など願い下げというだけだ」

ハロルドの言葉がエリカの胸に深々と突き刺さる。とても鋭利で、しかし昨夜とはまるで異なる痛み。

良心の呵責、自己嫌悪、後悔。

負の感情が次々と沸き出してエリカを飲み込もうとする。感情の波もハロルドの言葉も止まらない。

「そんな……って、ハロルド様はエリカ様と結婚する気ないんですか?」

「あるわけないだろう」

「じゃあなんで婚約なんて話が……」

「貴様の頭でも理解できるように噛み砕いて言えばこれは金で買った婚約だ」

血筋を欲したストークス家が、森で瘴気が異常発生したことにより経済の主軸だった林業での収益が著しく落ち込んだスメラギ家に付け入ったのだ。

瘴気の異常発生という大陸全土でも前例の無い災害なだけにスメラギが立ち直れるのか、果たして借りた金を返済できるのか。そういった諸々の事情で国や他領の当主が大規模な資金援助にたたらを踏む中、ストークス家が後先考えず恩を売りに行った結果である。

両家の思惑と事情を知ったゼンがあることに気が付いた。

「だったらスメラギ家にとって婚約破棄は致命傷になるんじゃ?」

確かにゼンの言う通りハロルドが一方的に婚約を破棄して経済支援が無くなればスメラギ領は近い将来立ち行かなくなる。まあハロルドが駄々をこねても血統に執着している両親が婚約破棄を認めはしないだろうが。

しかしハロルドはそれに翻弄されるつもりなど毛頭ない。

「もう手は打ってある。そのための抗体薬とLP農法だ」

瘴気による汚染が薄い地域であればあの薬を服用することで今まで通り森林の伐採を行うことができる。瘴気溜まりは主人公一味が解決するまで徐々に範囲を広げていくだろうが、言い換えればゲーム以上には広がらないはずだ。

タスクへの手紙にもゲームのマップを記憶から掘り起こし予想される最大の汚染範囲を報せている。事前に被害の最大値を想定できればスメラギも防衛線が引けるだろう。

加えてLP農法のノウハウを提供するつもりでいる。とはいってもまだその目処は立っていないので手紙には「産業技術の提供も検討している」という胡散臭い表現で留めておいたが。

ゲーム知識云々は抜かした説明を受けて、ゼンは呆気に取られたようにポツリと漏らした。

「そんなことまで考えてたんですか……」

抗体薬と手紙については初耳であり、LP農法にもそんな思惑が隠されていたことにゼンは驚嘆するしかない。この少年はいったいどれだけ先の未来を見据えているのだろうか。

そして驚いているのはゼンだけではない。息を潜めているエリカもまたハロルドの先見と思慮深さに衝撃を受けていた。

ハロルドは事前にスメラギの危機を察知していたのだ。それこそ婚約などという話が出る前、瘴気が発生した直後から。

そう考えれば婚約が決まった数日後にも関わらずあの薬に必要な材料の情報を揃えることが可能だったのにも納得できる。

それはつまりハロルドが全く無関係だったはずのスメラギを救うために手を尽くしてくれていたことを意味する。彼は恩を売るためにしたことだと言い張るだろうが、薬を開発するまでにかかる金銭と手間暇を天秤にかければスメラギ家を救うメリットは少ない。話ぶりからして純血主義ではないだろうハロルドにとっては尚更だ。

その献身に、彼の想いにエリカの視界が滲む。

正直なところこの辺りはハロルドとしてもかなり悩んだ末の決断だった。

これだけの支援をしていることが知られればエリカが原作以上の恩義を感じてしまうのは明白。ではなぜ原作には無かった行動を起こしたのかといえばパトロンが欲しかったからである。

ストークス夫妻の目が届く場所では自由に動けず行動を起こすための人員を集めることもままならない。

そこで婚約者という隠れ蓑を利用してスメラギ家に接触しようとハロルドは考えた。ゲームで熟知しているタスクの人柄ならば信用できると目論んだのだ。情も理解も人脈もある彼の協力が得られれば主人公達を影からサポートするのも楽になる。

抗体薬を提供して産業の冷え込みを遅延させ、LP農法で経済を潤わせ、主人公が障気溜まりのイベントを片付ければ林業も回復する。そうなればストークス家の支援がなくとも領地経営は問題がなくなりエリカの婚約を破棄しても痛手はない。

しかも破棄についてはハロルドから申し出てもいいとあの手紙に記しておいた。

(数え役満ばりのまさに“恩”パレードだ。押し売り感は半端ないけど無茶なお願いさえしなけりゃタスクなら大抵のことには協力してくれるだろ)

それは自信ではなく確信。

ただひとつだけ懸念があった。“無茶なお願い”に分類されるだろうその懸念は目の前にいるゼンにも関係することであり、ついつい警告してしまう。

「ああ、それから貴様も身の振り方を考えておけ」

「どういう意味ですか?」

ハロルドは部屋の外に聞こえないよう調整していた声量をさらに抑える。その声はクローゼットに潜んでいるエリカがかろうじて聞き取れる程度のものだった。

「前にも言ったが近い将来ストークス家は凋落する危険がある。無職になるのが嫌なら万が一には備えておいた方が賢明だ」

「でもそれを防ぐためにLP農法を普及させるんじゃ?」

「今の重税と散財をどうにかしない限り先伸ばし程度にしかならないんだよ。俺も手は回すが功を奏すとは限らないからな。貴様らを斡旋してやるつもりはないから自分で何とかしろ」

いつも能天気そうなゼンもこれには狼狽える。

あたかも当然のように話すハロルドがおかしいのだ。

「もしそうなったらストークス領の人達はどうなるんですか?」

「さあな。だがタスク・スメラギなら悪いようにはしないだろう」

ぞんざいな口調。しかしエリカとしては聞き逃せない名前が上がった。

(なぜここでお父様が……?)

「えっと……どういうことですか?」

「手紙にストークス家が凋落した場合領民が不当に扱われないようにスメラギ側へ嘆願してある。全く、そうでもしてやらなければ生きられない脆弱さには笑うしかないな」

嘆願といってもスメラギに養ってほしいとかそういう意味ではない。王族とも親交があるスメラギならば多少の口利きや支援を期待してのことだ。

この“お願い”を受諾してくれるか分からないので過剰に恩を売り付けたとも言える。

(恐らく他貴族の領地になるんだろうし今よりまともな人間がくることを祈ろう)

その時にはもう自分はこの地にいないだろうが。後任に丸投げする気満々だった。

「とにかくそういうわけだ。他言無用の禁を破ればたたじゃおかないぞ」

「わ、分かってますって。おれは誰にも言ってませんよ……?」

ハロルドの鋭い眼光に射抜かれてゼンの声が震える。その震えている理由が他にもあるのだということに、そして「おれは言っていない」というゼンの言い回しにハロルドはこの時気付かなかった。

まあたとえここでクローゼットに潜む 天敵(エリカ) の存在に気付いたところで手遅れだったのだが。