軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

107話

「いててて……ハロルドはボクの足に恨みでもあるわけ?」

「貴様が余計なことを言うからだ」

先ほどまで張り詰めていた緊張感がそんなやり取りで崩れる。

年齢こそ離れている二人ではあったが、シンシアの目にはその関係性が旧友のものであるかのように映った。夫が突如寝たきりになってからは何度もお見舞いに足を運んでくれたコーディーが明るく明け透けな性格であることは知っている。彼ならば大抵の人間とは友好的な関係を築けるだろう。

対してハロルドという青年は紹介された通り不愛想で、また歯に衣着せぬ物言いは多くの敵を作る人物だろうというのは容易に想像ができた。

それなのに何故だろうか。ハロルドのナイフのような鋭さを持った言葉はこれまでのどんな励ましよりもシンシアの心に突き刺さり、揺り動かした。

内心、諦めていたのかもしれない。夫が寝たきりになってからおよそ五年、回復する見込みはなく収入も減って満足に医者に診てもらうこともできなくなった。もう自分の力ではどうしようもないのだと、仕方のないことなのだと、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。

まだ年若いこの青年は、そんなシンシアの諦観を見抜いていたのだろう。

それを承知で選ばせたのだ。辛く厳しい現実に負けて逃げるか、自らの意思で戦うかを。他でもないシンシア自身のために。

妻として、親として、強くあれ、と。

(なんて厳しく、自分勝手で……優しい言葉)

状況を考えれば貴族であるハロルドがシンシアに対して了承や選択をさせる必要などないのだ。夫を治すことがハロルドの利益に繋がるのだとしたら問答無用でそうすればいい。成功しようとしまいと一庶民であるシンシアには文句のつけようがない。

彼は『貴様に出来るのは選ぶことだけだ』と言ったが、立場的にはそれすらないのが当たり前なのだ。本来であれば言われるがままに治療が施されるのを見届けるしかなったはずである。

しかしハロルドは権力者に唯々諾々と従うことをよしとしなかった。自分自身が権力者であるにも関わらず、だ。

シンシアではどうすることも出来ない問題には手を差し伸べる。

しかしその手を掴んで立ち上がり、前に歩き出すのは自分の力でやれ、とハロルドは言葉と行動で示してくれたのだ。

こんなにも胸を打たれることがあるだろうか。貴族である彼が庶民である自分のためにここまで手を尽くし、叱咤激励してくれたのだから。これに意気を感じるなという方がおかしな話だ。

ハロルド・ストークスという青年は本当の意味で貴族なのだと、シンシアは理解した。

「まあいいさ。善は急げだ、さっそく取り掛かろう」

「い、今からですか?」

「急な話だとは思うけどハロルドも忙しい身でね」

「その俺を連れてきたのは貴様だがな」

そんな文句を口にしつつハロルドは立ち上がった。

つられて立ち上がったシンシアの瞳を真っ直ぐに見つめながらハロルドは尋ねる。

「最終確認だ。これから行う治療が上手くいく保証はない。あくまで治る可能性があるというだけで効果がない、または予期しない状態に陥ることも考えられる。それでもやるか?」

「……はい。夫を……ファレルをよろしくお願い致します」

「……そうか」

これ以上の言葉は不要とでも言うかのようにハロルドは歩き出す。すでに位置は把握しているのか、その足を夫が眠る部屋へと進める。

部屋のろうそくに火をつけると今は眠っているのかファレルは目を閉じていた。そんな彼を前にしてハロルドは剣の柄に手をかけた。

「……なんのつもりだ?」

しかし剣を抜く前にコーディーがハロルドの手を掴んで押し留める。

「それはこっちのセリフ。君にそこまでやってもらうつもりはないよ」

二人は無言でお互いの目を射抜くように見合う。シンシアには分からないが、恐らく何かしらの事情があるのだろう。

そのまま数秒が経過し、先に口を開いたのはコーディーだった。

「ハロルドのことだ。大方さっきので自分がやらなきゃいけないとでも思ったんだろう?」

「……」

「でもこれだけは譲れない。こっちからお願いをしたんだから責任くらいは持たせてもらわないと」

「……好きにしろ」

折れたのはハロルドだった。彼は剣が収められた鞘ごとコーディーに渡す。

それを受け取ったコーディーが剣を引き抜いた。

「あ、あの……その剣で何をなさるのですか?」

「説明がちょっと難しいんだけどハロルドの剣には特殊な力がありましてね。それを使えばフィネガンを治せるかもしれないんですよ」

特殊な力?剣で治す?

まさか切りつけるわけでもないだろうし、シンシアにはどうするのかまるで想像もつかない。そんな彼女を置き去りにするようにコーディーは剣を構えた。目をつぶり二度、三度と深呼吸をくり返す。

すると剣に埋め込まれた水晶が輝き始めた。初めはぼんやりとした光がどんどんとその輝きを増していく。

黙ってその様子を見守っていたシンシアだが突如としてコーディーが苦しみ始めた。

「くっ……!」

呼吸は荒くなり、その額には玉のような汗が浮かぶ。強かった光も明滅をくり返しながら徐々に弱くなっていき、やがて消えた。

わずか数分の出来事だったが、光が消えるのと同時に剣を握っていたコーディーも崩れるように膝をついた。

「はあ、はあ……これはまた、しんどいね……」

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、問題はないさ」

「どこがだ。問題大有りだろうが」

「いやいや、そんなことは……」

ない、とでも言いながら立ち上がりたかったのだろう。しかしそれは叶わず、立ち上がろうとしたコーディーの手から剣が抜け落ちる。

鋼が床を叩くガラン、という音が部屋の中に空しく響く。

「諦めろ。貴様には無理だ」

「……ほんとハッキリ言ってくれるねぇ。まさかここまできついとは思ってなかった」

コーディーが自嘲するような笑みを浮かべる。最初のやり取りから察するに自分が果たすべき責任、役目を果たせなかったことに対するものだろうか。

それでもなお剣に手を伸ばすコーディーよりも先にそれを拾い上げたのはハロルドだった。彼は剣を拾うと考え込むようにじっと眺めた。

「なるほどな」

しばらくしてハロルドがそうポツリと呟く。そしてコーディーへと視線を向けると容赦なく言い切った。

「貴様ではこの剣を扱えない」

「使用者は選ばないんじゃなかったっけ?」

「ただの剣として扱う分にはな。だが備わっている機能を発揮するには魔力が足りない」

「ハロルド並みの魔力が必要ってんならそりゃほとんど君専用みたいなもんじゃない……」

告げられた事実に落胆したのかコーディーは疲れ切ったように椅子に腰を降ろした。

コーディーが聖王騎士団でも指折りの実力者だということはシンシアも知っている。そんな彼が剣を使おうとしただけでここまで疲弊するのだから相当な負担なのだろう。そんな代物をこともなげに扱えるのだとしたら、ハロルドは一体どれほどの人物なのだろうか。

「そういうことだ、貴様はそこで大人しく見ていろ」

「分かりましたよ。あぁ、まったく……これほど自分が情けないと思ったのは久々だ」

「意外だな。情けないことばかりの人生だと思っていたが」

「生憎と面の皮だけは厚いもんでね。恥を知らずに生きてきたのさ」

軽口を交わすコーディーではあったが、その表情は確かに悔しさで歪んでいた。

それほどの想いを込めて夫を助けようとしてくれたのなら、例え力及ばずであろうともシンシアとしては嬉しいことだった。まだ夫を見捨てないでくれる人がいるのだから。

けれどここまで意気込んでいた様子を見せつけられると他にも何か理由があるのでは、と思わず勘ぐってしまう。疑うわけではないがコーディーが口にした“責任”という言葉に不穏なものを感じたのだ。

もしかして彼らは何かを賭けてまで夫を助けようとしているのではないか、と。

「ならばその面の皮を活かしていつも通りヘラヘラしていろ。五年振りの目覚めを辛気臭い顔で迎えられるよりはましだろう」

「はいはい、相変わらず自信家ですこと」

「貴様もだシンシア。それが夫の帰りを待つ妻の顔か?俺が信じられずともフィネガンを信じることくらいは出来るだろう」

コーディーが抱く無念も、シンシアを蝕む不安もまとめて振り払うかのような言葉。

ああ、この人はどこまで強く、優しいのか。その言葉は、その背中は、逆境に立ち向かうための勇気を与えてくれる。そう思うと自然と笑みがこぼれた。

「……信じております。夫のことも、ハロルド様のことも」

その言葉に満足したのかハロルドは何も言わずベッドに横たわるフィネガンに向き直る。

そして剣を構えるとコーディーの時と同じように剣が光り始める。しかしその強さはコーディーの時と明らかに異なっていた。これが二人の魔力の差ということなのかもしれない。

部屋の中の空気が逆巻く。魔法など使えないシンシアにも光の中心点へと何かしらのエネルギーが集まっていくのが感じ取れた。

充分な魔力が溜まったのか、ハロルドは両手で握った剣の柄をフィネガンの腹部に突き立てる。するとすぐに変化が現れた。

「……ぁ、……っ!」

寝たきりになってからずっと虚ろだった目を見開き、声にならない声を上げたのだ。

煌々とした淡い緑色の光に包まれるハロルドとファレル。その光景はまるで奇跡をもたらす神様を描いた絵画のようだった。いや、実際シンシアにとっては奇跡に等しかった。この五年間、どんなに手を尽くしても成し得なかった、愛する人を目覚めへと導く祝福。

シンシアは今、それを目の当たりにしていた。

「さっさと戻ってこい」

不意に一言、ハロルドが呟くように言った。その瞬間に光はさらに膨れ上がり、そして弾けるようにして消え去った。

そして訪れる静寂。部屋を照らしていたろうそくも消え、窓から差し込む月明かりだけが薄ぼんやりと暗闇からフィネガンの姿を浮かび上がらせる。

目覚めるか否か、嫌が応でもシンシアの鼓動は高鳴る。静寂に満ちた部屋に響き渡るのではと思うほど心臓は早鐘を打つ。

数秒の沈黙を経て、その時はやってきた。

「ん……ぁ、れ?ここ、は……」

細く掠れた声で、けれどしっかりファレルはそう喋った。

シンシアの視界が涙で滲み、嗚咽が込み上げる。それを必死に抑え込んでシンシアは万感の想いを込めて声をかけた。

「あなた」

「……シンシ、ァか?ど、して泣いて……」

「あなた……!」

もう言葉にならなかった。

意識が戻ってもまだ体が起こせないだろう夫の胸に抱きついて、心臓の鼓動を、体の温もりを感じながらひたすら涙を流す。

きっと目覚めてばかりの夫の方が混乱しているだろうが今のシンシアに状況や経緯を説明する余裕はなかった。ただファレル、とフィネガンの名前を呼び、胸に顔をうずめて泣きじゃくることしか出来ない。寝たきりの間に筋力が衰え腕を上げるのもつらいだろうに、それでも彼は何も言わず痩せ細った右手でシンシアの頭や頬を愛おしそうに撫でる。

いつまでそうしていただろうか。二人きりの時間に浸っているとノックの音が響いた。

あっ、と思い顔を上げたシンシアに向けて扉の外から声がかけられる。

「お二人さーん。感動の再会を邪魔して悪いんだけども、とりあえずフィネガンに状況の説明だけでもさせてもらえない?」

「も、申し訳ありません!」

急いで扉を開ける。気が付けばすでに夜明け間近で窓の外は白み始めていた。

部屋に入ってきたコーディーは真っ先にベッドに歩み寄る。

「やあフィネガン。調子はどうだい?」

「コー……ディー、か……?見ない内に、老けたよ、だが……」

「そりゃまあ君は五年も眠り続けてたからね。多少はダンディーにもなるさ」

「……なん、だって?」

「とりあえずその辺も説明したいんだけど、まずは体だ。どこかに異常はない?」

「ろく、に声も……出せなぃ……し、体は、鉛みたい、だが……何、年も……眠って、いたなら……納得、だ……」

「つらいなら日を改めようか?」

「ぃや、いい……聞かせてくれ。俺に、何が、あったのか……」

「なら順序立てて簡潔に」

そう切り出してコーディーは説明を始める。

五年前にベルティスの森で騎士団と星詠族の戦闘があったこと。

その戦いでスパイ容疑をかけられた新兵の裁判に裁判員の一人としてフィネガンが選ばれたこと。

その裁判について聞こうとしたら急に錯乱し自傷行為を始めたこと。

大事には至らなかったが取り押さえられた後は意識もなく、それから五年もの間眠り続けていたこと。

「――で、ついさっきようやく眠りから覚めたってわけ」

「そぅ、か……シンシア、迷惑を、かけたな……」

「いいんです、あなたが目を覚ましてくれたんですから……」

「コーディー、も……お前が、助けて……くれたのか?」

「そうだったらかっこいーんだけどねぇ。君を助けてくれたのはハロルド・ストークスだよ。覚えているかい?」

「……あぁ、ああ。覚えて、いる……そ、か……殺、そぅとした、相、手に、助け、られた……のか」

「ど、どういうことですか?」

「色々事情がありまして、さっき言ったベルティスの森の戦いでハロルドが罠にはめられたんですよ」

その結果がスパイ容疑であり、何者かの圧力により死刑判決を言い渡された。

しかし実際はスパイどころかサリアン帝国の策略を暴き、命を懸けて騎士団と星詠族が紛争になる事態を防いだ。

にも関わらず死刑判決を下されたのはハロルドをあることに利用するための口実であり、今現在も彼は命の危険に晒されているのだという。

「フィネガン、君は家族を人質に取られてハロルドの死刑判決に同意したんじゃないか?」

「その通り、だ……そう、しなければ、家族が、危険だと……」

「そんな……!それをハロルド様は……」

「知ってるよ。でもフィネガンのことは一切恨んでいない」

「……ハロルドは、いるのか……?いるなら、謝罪と、感謝、を……」

「あー……実は治療が終わってすぐに緊急事態だとかでもう町から出ちゃったんだよねぇ。なので説明とフィネガンの容体を確認するためにボクが残ったのさ」

助けてもらったお礼すら伝えられない、その事実に愕然とする。

これでは与えられてばかりだ。恩を、勇気を、愛する人との幸せを。強くあろうとする心を。

それだけのものを与えてくれたのに、ハロルドは去って行ってしまった。コーディーの話を聞く限りまた生きて会える保証もない。それなのに彼はこれだけのものを残していってくれたのだ。

「でも二人に伝言を預かってるよ。『あとは勝手に生きろ』だってさ。もうちょっと気が利いたことでも言えないもんかねぇ」

「……そんなことはありません。充分過ぎるほどの言葉です」

「そうですか?まあ、ならよかった」

陽が昇り、窓から白い光が差し込む。あまりに眩しく、けれどそれはどこかハロルドが放つ輝きのようにシンシアには思えた。そんな朝日を前にして自然と頭が下がり、泣き枯れたはずの涙が再び頬を伝う。

届きはしないだろうと分かっていながら言わずにはいられなかった。ただ「ありがとうございます」と。

「ママ、泣いてるの?どこかいたいの?」

「ミハイ……」

早くに目が覚めてしまったのか、ミハイが目を擦りながら涙を流すシンシアに抱き着く。

「ママは大丈夫よ。だからミハイ、パパにご挨拶して」

「うん。おはよう、パパ」

「……ミハイ、か?こんなに、大きくなって……」

「あ、パパ!おきたんだね!」

コーディーに支えてもらいながら体を起こしたファレルの腕の中にミハイが飛び込む。

思えば彼が寝たきりになったのはミハイが産まれる直前のことだった。だからこれが父親と息子、お互いに初めての触れ合いだ。

ミハイは無邪気にニコニコしながらお喋りをし、ファレルは泣き笑いながらそれに聞き入る。そこには間違いなく、いつまでも眺めていたい幸せの形があった。

そんな時にふと、何か思案するような表情をしたコーディーが目に入る。

「コーディーさん、どうかしましたか?」

「ああ、別に大したことじゃないんですけどね。お二人って子ども何人いるんでしたっけ?」

シンシアにはその質問の意図が分からなかった。確かに今回は久しぶりの訪問ではあるが、これまで何度もお見舞いに来てくれている彼が今さら家族構成を聞いてくるなんて思いもしなかったからだ。

そのことを不思議に思いつつ、シンシアは当たり前のようにこう返した。

「急にどうしたんですか?私達の子どもはミハイだけですよ」と――。