軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第9話 人間の街へ

森は春爛漫の花盛りを迎えていた。

背の高い木の枝にも、地面を這う蔓草にも、毛玉がいつも身を隠す茂みにも、色とりどりの花が咲いて、黄色いお尻のミツバチが、忙しそうに花から花へと飛び回っている。

普段は緑一色の森が、パステル絵の具の箱をひっくり返したみたいに、柔らかな色合いに溢れている。

動物たちは子育ての季節だ。子うさぎや小狐は可愛いけれど、遊び半分で追いかけて来たりするので油断ならない。

森には食べられるものが増えて、そのぶん危険も増える。なんだか騒がしくて、ソワソワして落ち着かない。

そんな春の森の中で、ミーヤは――あれからも、時々人間になっている。

周期や、何かの条件がある気はするのだけれど、はっきりしたことは分からない。

『元気な時に、寝て起きると人間になる』

『夕方になるか、疲れてくると毛玉に戻る』

――たぶん、そんな感じだ。

ミーヤは人間になると、必ずゴミ捨て場へと向かった。新しい箱が増えていたり、ごっそり物がなくなっていたりする。

ゴミ捨て場の南には小高い丘がある。ミーヤはそこに登って、いつものように遠くを眺めた。

(にんげんのまち……)

森の遥か向こう、木々の切れ間に人間の街が見える。春の霞がかった空の下で、赤やオレンジ色の屋根の端がきらりと光っている。

煙突からは細い煙が立ちのぼり、微かに鐘の音が聞こえる。ミーヤは毛玉の時ほどではないが、目も耳もすこぶる高性能なのだ。

(人間が……たくさんいるんだよね)

ミーヤは胸の奥が不思議な気持ちになった。毛玉のときにはあまり感じない、そわそわしてモゾモゾしたくなる気持ちだ。

(あそこに行ったら……何があるんだろう?)

毛玉のミーヤだったら、とても近寄りたいとは思わない。人間は大きくて無神経な動物だ。小さな毛玉などはプチっと踏み潰されてしまう。

だが、人間だったら……人間のミーヤだったらどうだろう?

強い南風が、髪の毛を巻き上げてかき回す。ミーヤはしっかりと両足を踏み締めた。ミーヤの足はもう、風にふらついたりはしなかった。

それからもミーヤは人間と毛玉を行ったり来たりする生活を続けて、少しずつ手の扱いも上手くなっていった。豆粒よりも小さな木の実を拾って来て、指先で摘む練習も重ねた。

そして……。

はじめて針穴に糸が通った日。ミーヤはある決心をした。

人間の格好をして、人間の街へ行ってみよう。

ゴミ捨て場から見える、あの街へ。

* * *

その日は意外と早くやって来た。

街へ行く準備が整ったのだ。天気は快晴! 雨の気配は感じない。

(忘れものはないかな?)

ミーヤは逸る気持ちを抑えて、『最後にもう一度だけ』と、指差し確認をする。

自分で縫った巾着袋。

中身はハムの人にもらったハンカチと、色紙に包んだ木の実、服が破れた時のための針と糸。

それから……ガラクタの中から見つけた、小さな銅の硬貨が一枚。もし使えるお金だったら、ぜひとも買い物をしてみたい。

ミーヤは街へ向かう前に、泉へと向かった。きれいな水が静かに湧き出しているその泉の水面は、水鏡になるのだ。

必死で背伸びをして、水鏡を覗き込む。

髪の毛は裁縫箱の中にあった小さなハサミで、ちまちまと整えた。思ったよりも前髪が短くなってしまったが、おかっぱ頭だと思えばそう悪くない。

カーテンは肩ベルトをつけて、袖なしのワンピースを作った。筒状に縫って裾を折り返しただけだけれど、共布で幅広のベルトを縫ってウエストでリボン結びにしてある。

袖なしワンピースなので、中には拾った大人用のシャツを着ている。襟や袖口の綻びは 繕(つくろ) ってある。脇が破れているのは、ワンピースで隠れるのでそのままだ。

ところどころ、糸が飛び出ているし、スカート部分の前と後ろの長さが違う。だがこれが、今のミーヤの精一杯だ。

靴は最後まで悩んだ。新聞紙の中敷靴下で行ってしまうか、それとも左右の違う大人用の靴で行くか。

森の中ならば中敷靴下の方が断然便利だ。フィットしていて歩きやすいし、軽くてあたたかい。

(街って……靴下だけの人、いるのかな……?)

たぶんいない。

大人用の靴は割と多く捨てられている。けれど大抵は片方だけで、靴底が剥がれている。そしてとても臭い。毛玉の時には近寄りたくないほどに臭い。

それならばと洗ってみたら、革靴はゴワゴワのカチンカチンになってしまった。

結局は、それほど臭くない革靴を選んで、それを履いて行くことにした。大人用なので、歩くとガポガポと鳴る。

とても歩きにくいので、森の出口までは中敷靴下で行き、その後は革靴に履き替えるつもりだ。

ミーヤは水鏡をじっと見つめた。ギリギリ何とか町娘に見える……のだろうか?

靴に関しては誰かに聞かれたら『おとうさんのくつを、まちがえてはいてきちゃったの』とか何とか言おうと思っている。

遠巻きに見られるだけのような気もするが。

(よし、出発だ!)

ミーヤはドキドキワクワクしながら、両手に大きな靴を片方ずつ持って、森の出口へと向かって歩き出した。

* * *

ミーヤは、中敷き入りの靴下でトコトコと森の中を進んだ。

この森の奥深くは、ミーヤもよくは知らない。さらにその向こうには、雲を突き刺すような険しい山脈が、白く光る雪を頂いて壁のように聳え立っている。そこから吹き下ろす風は、春だというのにピリリと冷たかった。

森の最奥からは、全ての生き物の本能を震わせるような気配が漂ってくることがある。ハムの人が最初に撒き散らしていた気配が雷だとすると、それは噴火を前にした火山のようだった。どちらも怖いことに変わりはないのだが。

時折、遠くの方で「カーン、カーン」と木を打つ音が聞こえる。木こりの人たちだろうか。

ミーヤは毛玉の時の癖で、人の気配がするたびに茂みへと身を潜めた。

(……大丈夫。今の私は、人間だもん)

自分に言い聞かせて、また歩き出す。

進むにつれて、空を覆っていた高い木々が少しずつまばらになり、足元には背の低い柔らかな草が増えてきた。

やがて視界がぱっと開け、眩しい光が目に飛び込んできた。森の出口だ。

そこには、なだらかな起伏の草原が広がっていた。

(あ、あそこから道になってる!)

草原の脇には、踏み固められた細い道が続いていた。

道沿いに進むと、小さな木こり小屋や、手入れされた畑が見えてくる。土の匂いに混じって、どこからか家畜の匂いも漂ってきた。

(人間が住んでる場所が、近いんだ……)

さらに進むと、道幅はぐんと広がり、馬車が通れるほどの 轍(わだち) が刻まれた馬車道へと合流した。

点在する農家の家々。石造りの壁、 藁葺(かやぶき) きの屋根。庭先で鶏が鳴き、洗濯物が風に揺れている。

「……そろそろ、かな?」

ミーヤは立ち止まり、慣れ親しんだ中敷き靴下を脱いで泥を落とし、大切に巾着袋へしまった。

そして、『左右の違う、ちょっと臭い大人用の革靴』に足を入れる。

ガポッ、ガポッ

足を動かすたびに、情けない音が鳴る。転ばないように、慎重に足を進める。

馬車道の向こうから、荷馬車を引いた動物が、パコパコと蹄の音を響かせて歩いて来る。馬にして小さいし、耳がとても大きいからロバかも知れない。全然違う、この世界特有の動物かも知れない。

荷台では、白い髭のお爺さんが手綱を握っている。

ミーヤは緊張して、サッと道の端によけた。

お爺さんはミーヤにチラリと視線を向けたけれど、何も言わずにパイプをふかしながら通り過ぎて行った。

ミーヤはハフッと息を吐いた。

(よかった! びっくりされたり、石を投げられたりしなかった。これなら、街へ入っても大丈夫なんじゃないかな!)

ミーヤは自分が『そんなにも変じゃない』存在であることに、ちょっと安心した。そして、馬車道の両側の畑を眺める余裕が出て来た。

(あれはキャベツに似てるね! オレンジ色だけど。あっちのはトマトの匂いだね。わぁ、キュウリより長い!)

ミーヤよりだいぶ幼い子供が二人、笑いながら裸足で駆けて行った。山盛りの野菜を入れた大きなカゴを背負った人が、足早にミーヤを追い越して行った。

その度にミーヤの肩はピクッと揺れてしまったけれど、特にジロジロと見られたりはしなかった。

遥か遠くに見えていた街が、だんだんと近づいてくると、数えきれないくらいの人の気配を感じた。

ミーヤは一度、ブルリと身体を震わせると、えいっとばかりに街へと足を踏み入れた。