軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第50話 独りよがりの覚悟

(イレーヌ、震えてる……)

ミーヤを懐に入れて、イレーヌは家を出た。乗り合い馬車の停車場で、馬車を待つ間、イレーヌはずっとガクガクと震えていた。

時折り、小さな囁くような声で「ごめんなさい……」と呟く。

ヒューゴとは比べ物にならないくらい、柔らかい腹筋が、冷たく強張っている。

(なんで……、あやまるの?)

以前、エレンとイレーヌに洗濯室で捕獲され、その後ヒューゴのもとに報償金を貰いに行った時――。

イレーヌは緊張はしていたが、堂々としていたし嬉しそうだった。

「姉上?」

後ろから、ヨシュアの声がした。ミーヤがぴょっこりと上着の襟元から顔を出すと、ヨシュアは驚いて「けっ、……!」っと言って、慌てて自分で口を押さえた。

そしてイレーヌにコショコショと内緒話をした。

(姉上、なぜ毛玉様を……! まさか、父上の話に乗ったのですか?!)

イレーヌは何もこたえず、俯いて、ただ懐の毛玉を抱きしめた。

そうこうしているうちに、乗り合い馬車が停車場に到着した。

「おい、乗るなら早くしてくれ! 乗らないなら出すぞ!」

「ヨシュア、あなたは家に戻って。お父様についていてあげて」

「嫌だ! 僕も行く。乗ります! 二人乗ります!」

ヨシュアが強引にイレーヌの背中を押して、二人は馬車に乗り込んだ。

馬車の一番後ろの席に座り、黙って窓の外を眺める。

乗客はほとんどいない。夕暮れ間近のこの時間に、国境を目指す者は多くない。

「姉上、僕は……、父上は騙されて、踊らされていると思います」

「私も……、そう思うわ……」

「だったらなぜ!?」

「それを確認しに行くの。もしかして、本当に毛玉様を渡せば、安全に亡命できるかも知れないでしょう? 毛玉様だって、すぐに解放してくれるかも知れないわ。だから私が行って、確認するの。ちゃんとお父様の安全を確認して……、研究所までついて行って、毛玉様にひどいことをしそうなら、連れて逃げるつもりなの」

「姉上……、そんな都合のいいことを……、本当に信じているんですか……?」

「…………」

イレーヌが黙って、ミーヤをギュッと抱きしめた。人は、信じたいものを信じる生き物だ。

「姉上の話は、全て希望的観測で……現実とはかけ離れています。姉上だって、本当はわかっているんでしょう?」

「だって、あんな身体で監獄に戻ったら、お父様は、し、死んでしまう……! あなたにだって、苦労ばかりさせて……」

「姉上……」

「毛玉様のことは、私が命に換えても守るわ! 絶対に!」

(おじさん、しんじゃうの?! でも、わたし、研究所って……。解剖されちゃう?)

「姉上、落ち着いて聞いて下さい。あなたは今、少しも頭が働いていない」

「まず僕は、貴族の生活に戻りたいなんて、少しも思っていません。そりゃあ、父上が投獄された最初の一年間くらいは大変でしたけど、姉上と小屋を少しずつ整えるのも、エレンさんに教わって畑仕事をするのも、平民の友だちと遊ぶのも楽しいです」

「えっ……、私に気を使っているんじゃなくて?」

「はい。姉上だって、洗濯室の仕事、嫌いじゃないでしょう? みんなすごく良い人じゃないですか。貴族令嬢の姉上の友だち、今でも会いたいと思う人、いますか?」

「いないわ……。洗濯室の、みんなが……とても好きよ……」

「父上の身体のことですが、あれは僕が見た感じでは、逃亡生活の疲れと、貴族時代の不摂生のせいです。むしろ、監獄で規則正しい生活をした方が健康になります」

ミーヤはイレーヌの懐で固まった。あまりのヨシュアの迫力に、目がチカチカする。

(ヨシュア……、すごい喋ってる……! 人生、三回目の人みたい……!)

「父上と久しぶりに会えたのは嬉しかったですが、帝国の甘言を信じて踊らされているのは頂けません。それに…… 姉上、ぼくを 見縊(みくび) ってもらっては困ります」

まだ続くのか……。ヨシュア、恐ろしい子……。

「ヴォルガルド帝国の卑怯者の助けなんかなくても、ぼくは成り上がってみせます。元々、上級学校への推薦は得ているし、特待生試験の準備も進めていたんです。姉上に苦労をかけるのも、あと数年です」

「ヨシュア……」

「父上は、自首してもらいましょう。まあ、今回の件で二度と監獄から出られないかも知れませんが、ぼくが凄腕の弁護士にでもなって、命だけは助けてもらうよう尽力します」

ミーヤは、心の中でパチパチと拍手喝采を贈った。美弥の頃にテレビで見た弁論大会みたいだと思った。

(すごいよ! ヨシュア、優勝だよ!)

だがヨシュアは、その見事な弁舌とは不似合いな、萎れた花のように俯いた。

「だから……。だから姉上……」

膝を振るわせ、必死に涙を 堪(こら) えている。

「うちの家族のために、毛玉様を利用するようなことは……。やめましょうよ……」

ヨシュアはまだ十歳だ。いくら正論を叫んだところで、迷わなかったはずがない。

父親を牢獄へと、平気で追い返せるような少年ではないのだ。

「ヨシュア……!」

イレーヌは、懐のミーヤを抱いたまま、弟を強く抱き寄せた。

自分が守っているつもりだった。

弟の未来を、父の命を……、自分が泥を被って繋ぎ止めるつもりだった。

けれど、それは“独りよがりの覚悟”だった。イレーヌはようやく認めることができた。

「……ごめんなさい。……ごめんなさい、ヨシュア。私、どうかしていたわ」

イレーヌの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

彼女の冷たく強張っていた腹筋が、優しく震えている。

(イレーヌ、良かった。もう無茶なことはしないんだね)

ミーヤもホッとして、イレーヌの胸元にそっと頭を擦り寄せた。

「戻りましょう。お父様には私が……私たち二人でちゃんと説明して……。自首にも付き添いましょう……ごめんね、ヨシュア。怖かったわよね」

イレーヌが涙を拭いて、御者へと声をかける。

「すみません、料金は払います。引き返してもらえますか?」

馬車がゆっくりと止まり、二人が顔を見合わせて笑った――その時。

停車場でもないのに、軍服の男が数人、ガタガタと乱暴に馬車のドアを開けて乗り込んできた。

窓の外を見れば、そこはもう街の灯りすら届かない、深い深い森の入り口だった。