作品タイトル不明
第5話 目が覚めたら人間だった
ある晩、月が中天に差し掛かったころ。
ミーヤの頭の中で『ピコン』という、電子音が鳴った。森の小さな毛玉には、おおよそ不似合いなその音で、ミーヤが目覚めることはなかった。
程なくして、誰の声ともつかない無機質な音声が流れる。
《システム起動》
《規定の数値達成を確認》
《ゲームを開始しますか? はい/いいえ》
ミーヤは眠りが浅くなったのか『はぁーい』と返事をしたが、続いてモグモグと口を動かしたので、ただ単においしいものを食べる夢を見ていただけかも知れない。
《『はい』を確認。ゲームを開始します》
途端にキラキラとした蝶の鱗粉のようなものが舞い散り、毛玉の姿が見えなくなる。シャラシャラという、水晶が触れ合うような音も聞こえる。
その音は、長く尾を引くように響いたが、だんだんと小さくなって消えた。
* * *
その朝、ミーヤはいつも通りに目覚めた。野生の毛玉は眠くなったら寝て、目が覚めたらそれが朝だ。
普段のミーヤは寝ぼけ眼で、まずはコロコロ転がる。
転がりながら目を覚まして、周囲を慎重に警戒して巣穴から顔を出し、さらに安全を確認してから外に出る。
ところがその朝は、なぜか窮屈だった。
(あれ? なんで? 転がれない……)
ミーヤはキツネかタヌキの放置された巣穴に住んでいる。小さな毛玉には広いくらいだった。
(真っ暗だ……。まだ夜なのかな?)
毛玉は夜目が効いたので、普段なら夜でも巣穴の中の様子くらいは見えた。
(目……、どうかしちゃったのかな……。それとも夜のうちに巣穴が崩れて塞がっちゃった?)
ミーヤは急に不安になり、 手(・) 探(・) り(・) でハンカチと色紙を探して、巣穴の外へ 這(・) い(・) 出(・) し(・) た(・) 。
巣穴の外へ這い出した瞬間、ミーヤはその眩しさに「ひゃっ」と小さく声を上げた。
しばらくその声は、ミーヤの耳にこだました。
(今、わたし、声が出た?)
それだけではない。ミーヤは 手(・) で(・) 探(・) し(・) て(・) で色紙とハンカチを掴み、巣穴から 四(・) つ(・) ん(・) 這(・) い(・) で出てきたのだ。
(手……足……。ある……)
ミーヤは恐る恐る、自分の身体を確認した。見えない部分は手でペタペタと触ってみた。
(手と足が二本ずつ、でも毛が生えてないからおサルじゃない……。に、人間……?)
細い腕。白い指。土で汚れた手のひら。
それから、巣穴の外に投げ出された、細い脚。
「な、な、なにこれ……っ、どうしたら……!」
ミーヤは咄嗟に隠れなければと思った。巣穴には逃げ込めない。狭くて入ったら次は出て来られないかも知れない。
「どこか……」
ミーヤは逃げ出そうとした。宝物の色紙の束とハンカチを咥えて、いつも通りにチョンチョンと跳ねて逃げ出そうとした。
ところが、一歩を踏み出そうとした途端、尻餅をついて転んでしまった。
(痛たたっ!)
「コロコロ出来ない……チョンチョンも出来ない……! わたし、どうしたらいいのぉー!」
ミーヤは大声で叫んだ。毛玉だったら絶対にやらないことだ。見つからないように隠れることは、毛玉の大切な生存戦略のひとつだった。
ミーヤの声に驚いて、近くの木にとまっていた鳥が一斉に飛び立った。
そして次の瞬間、ミーヤの頭の中で、 何(・) か(・) がパチンと音を立てて 繋(・) が(・) っ(・) た(・) 。
『 美弥(みや) 、みーや、ほら、起きて! 学校に遅れるわよ』
『おはようみーや、ハハッ、寝坊助か?』
懐かしい声がした。
赤いランドセル。学校の時間割。食卓の目玉焼き。トーストに溶けるバターの香り。カリッと両面焼いた、ハムの匂い。
(……わたし、美弥……だった。小学校に通ってた……。みーやって呼ばれてたんだ)
朝の風が、すうっと身体を撫でた。
「……さむっ!」
ミーヤは反射的に身を縮めた。寒い時もぶつかった時も、毛玉の時はふわふわの毛皮が全部どうにかしてくれたのに。
裸でいるのは寒いだけでなく、心許なくて不安になる。
だからといって、森に人間の服などあるはずがない。ミーヤはキョロキョロとあたりを見回して、大きめの葉っぱを身体に当ててみたり、ハンカチをどうにかしようと考えてみたりした。
無理だった。
ハンカチも色紙も葉っぱも、少しも温かくないし、固定する手立てもない。何より小さ過ぎる。
(毛皮が良かったなぁ……。それに巣穴にも入れなくなっちゃったし……)
こんな森の中で、裸の人間は生きていけるのだろうか。
ミーヤはよろよろと立ち上がろうとして、またすぐに尻餅をついた。
「いたっ……!」
二本足というのは、どうにも頼りない。細いし、重心が上の方にあるのでぐらぐらする。
そして転んだ時にすごく痛い。柔らかい肌に石ころや木の枝が当たって傷が付いた。毛玉のころなら、ポヨンで済んだのに。
ミーヤは唇をきゅっと結んで、今度は近くの木に掴まって立ち上がった。
「……よし」
一歩、二歩……、三歩目で、ミーヤは隣の木の幹にぺたりと抱きついた。
(む、むずかしい……。でも歩けるようにならないと……)
誰かに何とかしてもらう、という発想は、野生の毛玉にはない。自分の足で立てない野生の生きものは、飢えて死ぬだけだ。
問題は重心の移動だった。前に出した足に、重心を移して、後ろの足を前に出す。
足のある動物たちは、当たり前のように歩いているけれど、毛玉にとっては未知への挑戦だった。
そうして、何度も転びながら練習して、傷だらけになって……ようやく少し歩けるようになった頃。
ミーヤは耳の奥で、かすかに『ポーン』と音がした気がした。
(……えっ?)
次の瞬間、指先の先からむずむずと痺れるような感覚が広がった。
足の裏から地面の感触がふっと消えて、身体がぐらりと傾く。
視界が、すうっと低くなる。
ぽふん。
気が付けばミーヤは、慣れ親しんだまん丸の毛玉へ戻っていた。
ミーヤはしばらく呆然としたあと、チョンと一度だけ跳ねた。
それから、現実を理解して、もう一回跳ねた。
(戻ってるぅーっ!?)
ミーヤはあまりの理不尽さに、チョンチョンと飛び跳ね回りながら、プイプイと怒った。