軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《幕間》影の人 vol.2

王宮の天井裏はヒューゴの影であるザックの縄張りだ。

誰にも目撃されずに最短で移動でき、緊急時には避難通路にもなる。そして、何より人々の噂話が拾えるのだ。

皇族の影となって二十数年。ザックだけの縄張りだった。例外は皇族の命を狙う刺客や他国の諜報員のみ。

つまり、天井裏で出会うのは敵以外にあり得なかったのだ。それらを排除することも、影の重要な仕事だ。

ところが最近、妙な侵入者が現れるようになった。

ヒューゴの溺愛する、例の毛玉様である。

最初に天井裏で遭遇した時のことは、記憶に新しい。

無防備に転がる様子に心配になり、ヒューゴの真似をして腹をポンポンと叩いて呼んでみたが、脱兎のごとく逃げられてしまった。

そのことをヒューゴに報告した時のことも、ザックにとっては大きな事件だった。

『ミーヤは俺以外のシャツには入らないんだな……』

ヒューゴは満足そうに、口元をゆるめて言ったのだ。

他人にも自分にも興味を示さず『人間嫌いの不機嫌皇帝』と噂されているヒューゴ。

その噂が、あながち間違いではないことを、ザックは誰よりも知っていた。

そのヒューゴが、独占欲に似た感情を持ち、自分に向けられる親愛を嬉しいと受け止めているのだ。

あの、隣国の美姫からの好意を『浅ましい視線が気持ち悪い』と言って顔を顰めていたヒューゴが……!

(陛下は、人間らしい感情を取り戻しつつある……! 今は小さな毛玉にしか向いていないが、いつかは……!)

そんな希望を感じさせる出来事だった。

だが毛玉の行動には、少し不審な点がある。定期的に洗濯室へと向かい、そこで消息を断つことだ。

天井裏から、洗濯室の隣の荷物置き場になっている小部屋へと下りる。しばらくして覗くと、毛玉の姿はどこにもない。洗濯室に毛玉が現れた様子もないのだ。

隠れているのかと思い、小部屋内を入念に捜索したが見つからない。

ザックは次に、洗濯室の下女たちの身元を洗い出してみた。行方不明になっていた毛玉様を捕獲して連れて来たのは、他でもないその洗濯下女たちなのだ。

報償金目当てで、毛玉様を手懐けていたのかもしれない……。ザックはそう考えたのだ。

そもそも、諜報活動を 生業(なりわい) としているザックではなく、洗濯下女が毛玉様を捕獲したことも怪しい。

ローマン家の娘が洗濯下女として働いていることを突き止めた時は『これは……!』と身構えた。五年前にヒューゴに断罪された家の娘だ。恨んでいても不思議ではない。

だが、いくら洗っても、イレーヌという名前の娘に、不審な点は見つからなかった。幼い弟と共に、慎ましく暮らしている。

代わりに気になったのは『ミーヤ』という名前の少女だ。偶然とはいえ、毛玉様と同じ名前だ。どう見ても十二歳以上には見えないが、それはどうでもいい。

このミーヤという少女、住処も出自も全くわからないのだ。

(怪しい……)

ザックはミーヤという少女の行動を徹底的に監視することにした。

その少女は、退勤すると森へ向かって歩き出した。そして、しばらくすると洗濯室へと戻っていく。

(怪しい……!)

ザックは急いで天井裏へと潜んだ。

少女はキョロキョロとあたりを窺いながら、荷物置き場の小部屋へと入り……。

そして……。

なんと――ボヨヨヨーンという妙な音と共に、もくもくと煙が上がり、少女は毛玉へとその姿を変えたのだ。

ザックは自分の正気を疑った。目をこすり、頬を何度か叩いてみる。何か、幻覚作用のある薬でも使われたのかもしれない。

ヨロヨロと天井裏を這いずり、人気のない裏庭へと降りた。

自分の見たものも信じられないが、自分の正気にも自信がない。

そんなことを三度繰り返して、三度目には『これはもう信じるしかない』という結論に達した。

毛玉様は人間へと変化する。そして、洗濯下女として働いている。

(なぜ、洗濯下女なんだ? 陛下の身辺を探っているのか? 取り憑いて、害を為すつもりなのか?)

ヒューゴの心を弄んでいるとしたら、それは許されることではない。皇帝に害を為す以前に……ようやく心を許せる存在を見つけた、あの孤独な青年を 誑(たぶら) かすなど、許せるはずがない。

ある日ザックは、洗濯下女ミーヤの退勤のあとをつけて、接触を試みた。場合によっては、斬り捨てるつもりで……。

* * *

「少し、よろしいか」

少女はザックに声をかけられて、ギョッとして固まった。

「……あっ! さいぞうさんだ」

しばらくして思い出したように、そう呟く。さいぞう……とは、何のことだろうとは思ったが、ザックは聞き流して用件を伝えた。

「毛玉様。単刀直入にお聞きします。なぜ陛下に、洗濯下女として働いていることを内緒にしているのですか?」

「あっ、そういえば、言ってなかったかも」

「……は?」

「べつに、ないしょじゃない、よ」

ザックは絶句した。

邪悪な意図も、深い謀略も、何もない。ただ、言いそびれていただけだと言うのか……?

「さいぞうさん、さすが、にんじゃだね! えへへ、けだまなの、バレちゃった」

「陛下は……ミーヤ殿が毛玉なのを、ご存知なのか?」

毛玉がミーヤなのか、ミーヤが毛玉のなのか……。ザックは混乱している。

「 毛玉(わたし) が、にんげんになれること? うん、しってるよ」

(そうか……。陛下はご存知なのか……!)

「ほかのひとには、ないしょなの。みんな、きっとびっくりするから」

ザックは『確かに!』と思った。自分は三度確認しても、いまだに信じられないでいる。

「わかりました。ただし、洗濯下女の件は、いざとなれば陛下に報告します。それはご承知頂きたい」

「うん、わかった! さいぞうさん、ありがとう!」

少女はにこにこと笑った。ザックはすっかり毒気を抜かれて、つい、釣られて笑ってしまった。

「さいぞうさん、しつもん、あるの……」

「なんだい?」

ザック……。さいぞう呼びで返事してるし、近所のおじさんみたいな口調になっている。

「さいぞうさん、おむねと、おへそ、毛が生えてるの……、どうして?」

「…………」

ミーヤはおそらく、自分と同じで、『なんとかポイント』で生やしてもらったのではないかと思っているのだ。

「生やして、もらったの?」

「はっ?」

システムの事情を知らないザックには、さっぱり意味がわからない。だが、答えは知っている。

「成人した男性は、胸毛やヘソ毛が生える人もいるんです。ごく普通のことです」

「えっ、そうなの?! しらなかった……」

ミーヤはしばらく考え込んだ。そして恐る恐る聞いた。

「……へーかも、生えるの?」

「生えるかもしれません」

ミーヤの顔がみるみる曇った。

「……そっか」

その表情は、純粋に、心の底からショックを受けているものだった。

若い女性には、胸毛はあまり好まれない。そのことはザックもわかっている。だが、そこまでショックを受けるとは……。

ザックはまた笑ってしまった。

それから、毛玉は天井裏でザックと会うと、嬉しそうに寄ってくるようになった。ザックが天井板に集音器を付けると、後ろで真似をしていたりする。

何とも可愛らしい存在だ。

この毛玉が現れたのは、この国にとっては大きな慶事なのかもしれない。

最近では、そう思っている。