軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話 怖く……ない?

ハムの人は木の根元にしゃがみ込むと、上着のポケットから小さな包みを取り出して……。

まるで壊れ物を扱うように、そっと色紙の上に置いた。

今日の色紙は春のおひさまの山吹色。その上には、ちょこんと三切れのハムが鎮座している。

じんわり脂の甘さが立つ、上等な肉の匂いがミーヤの理性を揺さぶった。

茂みからフラフラと出てしまいそうになるのを、必死に耐える。

そんなミーヤの隠れている茂みを、ハムの人がチラリと視線を向けた。

すると、不思議なことに、スッと威圧感が消えた。

ハムの人は少し離れた木の下に座り、持っていた本を読みはじめた。

ジリジリとした時間が流れる。ハムの人とハムの距離は、ミーヤとハムの距離のおよそ三倍程度。ミーヤは必死に頭の中で計算をした。

『見つからないように転がって行って、色紙ごとハムを咥えて全速力で跳ねて逃げる』

可能だろうか? ハムの人の速度が未知数だ。歩いているところしか見たことがない。

(でもきっと、狼よりは速くない。だって足が二本しかないし)

それに、あの足は長過ぎるから、バランスが悪いに違いない。

ミーヤはまん丸い毛玉なので、足の扱い方については詳しくない。決してひがみ根性から言っている訳ではない。

ちなみにミーヤは縦横無尽に跳ねる方向を変えることが出来る。

(よし、行こう!)

この時が……ミーヤの『危険なものには近づかない』という、生存戦略が食欲に負けた瞬間だった。

ミーヤはそろそろと茂みを出た。気配を消してコロコロと転がる。

静かに移動したい時は、跳ねるより転がる方が都合が良いのだ。

ミーヤはこの転がった体勢からも、全速力で跳ねる動作へと繋げられる。『逃げる』へと躊躇いなくリソースを全振りしたようなミーヤ。もちろん攻撃力はゼロだ。

コロコロと転がりながら、ハムの人の様子を盗み見る。本を読んでいるのに、なぜか肩が小刻みに震えていた。

(もしかして、具合が悪いのかな?)

ミーヤは少し心配になった。ハムの人は危険な気配の大型動物だけれど、絶品ごはんの供給源なのだ。病気になったりしたら森へは来なくなってしまう。

――違う。そうじゃない。

ハムの人は笑いを必死に 堪(こら) えていただけだ。小さな毛玉が餌に釣られて、こっそりコロコロ転がって来るのが、可笑しくて、可愛らしくて、たまらなくなったのだ。

ミーヤは色紙ごとハムをパクリと口に咥えると、一目散に巣穴へと逃げ帰った。

ハムの人は、ふうっとため息を吐いた。

いつもは姿を隠していたが、今日は自分が見ていても餌を持って行ってくれた。そのことが、彼にはとても嬉しく感じられたのだ。

命がけで逃げていった毛玉……。その背中を嬉しそうに見送る人間……。

どうにも温度差が激しくて、気の毒になるような光景だ。

『いつか、手から食べてくれる日が来るだろうか?』

その人は毛玉の鼻歌を真似て口ずさみながら、森を後にしていった。

* * *

ミーヤは色紙ごとハムを咥えて、巣穴まで一心不乱に跳ねた。それはもう、全身全霊の全速力だ。

いつもの『チョンチョン』などというオノマトペが、裸足で逃げ出すほどの勢いだった。

途中で木の根にぶつかり、石ころに乗り上げ、最後は落ち葉の山に頭から突っ込んだが、それでもハムは離さなかった。

巣穴に文字通り転がり込むと、ミーヤはようやくハムを置いた。もちろん色紙の上だ。

(はぁっ……はぁっ……に、逃げ切った……!)

心臓がトットットットッと忙しなく鳴っている。毛並みがモワッと膨らんでいる。驚いたり興奮したりすると、ミーヤはこうなる。逆立つというより、ふくらむのだ。

(ふふ……ふへへ……)

琥珀色の目が、きらんと光った。

目の前には、山吹色の色紙。

じんわり脂の甘い匂いを漂わせる、上等なハムが三切れ。

(やった! ちゃんと逃げられた! わたしの勝ちだ!)

さっきまでの恐怖はどこへやら、ミーヤはえっへんと胸を張った。まん丸い毛玉のどのへんが胸なのかは、本人にもよくわからないけれど。

そして誰と戦っているのか……。またちょっとハムの人が気の毒になる。

ミーヤはハムに齧りついた。口の中がたちまち幸せになる。

(おいしーい……!)

モキュモキュっと噛みながら、ミーヤはふと、さっきの出来事を思い返した。

ハムの人は、ミーヤがいた茂みをチラッと見たあと、ビリビリした気配をすうっと引っ込めたのだ。

(……あれは、なんでだろう)

ミーヤがいることを、わかっているみたいだった。

(もしかして……『怖くないよ』って言いたかったのかな?)

それとも……『油断させて捕まえてやろう!』……だろうか。

(でも、今日はあんまり怖くなかったから……)

ミーヤは二切れ目のハムを咥えたまま、しばらく考えた。

(あと……具合、悪いのかな)

毛が頭にしか生えていないから、寒かったのだろうか。

それとも、どこか痛かったのだろうか。

ごっくんとハムを呑み込んで、むむむと唸った。ミーヤが自分以外の体調を心配したことなど、覚えている限りで初めてのことだったのだ。

(……明日も行こう)

それからもミーヤは、天気の悪い日以外は、毎日大きな木の根元に行った。

色紙が置いてある日もあったし、何もなかった日もあった。ハムの人が本を読んでいることもあったし、ミーヤの方を見ているみたいな日もあった。

でもいつも、色紙はきれいな色で、置いてある食べ物は素敵なものばかりで、ハムの人はミーヤを捕まえたりはしなかった。

ビリビリした気配を引っ込めて、ミーヤを驚かせないように、そうっと動く。

ミーヤはいつしか、食べ物を咥えて逃げなくなった。ビクビクと様子を伺い見ながらも、その場で食べて色紙だけを持ち帰る。

チラチラと振り返りながら、途中で立ち止まったりもする。

ハムの人は、ゆっくりと立ち上がって、手を振ってくれたりする。

そうすると、ミーヤはなぜか……嬉しい気持ちになった。

一人と一匹の距離は、少しずつ、少しずつ、確かに縮まっていた。

そうしたある朝、事件は起きた。