軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第28話 帰巣本能、または帰宅願望

夏の気配が、徐々に遠ざかっていく。

空が 日毎(ひごと) に高くなり、真っ白でモコモコとした綿のような入道雲は、いつの間にか刷毛で薄く描いたようなうろこ雲へと姿を変えていた。

洗濯板を使った後の、額に流れる汗が窓から入る風で冷えて、身体の熱を持っていってくれる。

ミーヤはふうと息を吐くと、立ち上がって伸びをした。

ゴシゴシと洗濯板で擦れば良いだけの洗濯は、下女たちにとっては気の置けない作業だが、長時間続けると腰や背中が痛くなる。

「そろそろ夏も終わりだねぇ。どれ、今日はもう手間のかかる汚れ物は終わったから『踏み洗い』をやるかい?」

マルタの提案に、みんなの顔が明るくなった。踏み洗いは、気分転換に持ってこいなのだ。

汚れの少ないものや普段使いのシーツ、従業員用の制服などを洗濯液を溶いた水を張った一番大きなタライにポンポンと放り込む。

『踏み洗い』は文字通り、足で踏んで汚れを落とす洗濯のやり方だ。みんなで靴を脱ぎ、一斉に大きなタライに入って足踏みをする。

この踏み洗いの時に、下女たちは時折り唄をうたう。作業唄がいくつかあるし、即興で合唱することもある。

スカートをたくし上げて歌いながら、踊るように足を踏む。一番上手いのはマルタだ。

少しハスキーな声が、ソウルフルで迫力がある。即興唄はちょっと愚痴っぽい。

農家の末娘であるエレンは非常に足腰が強いので、踏み洗いの時は大活躍する。

踵(かかと) を使ってタンタンとタライの底を叩くようにリズムを刻む。

興が乗ってくるとみんなで手拍子を交えて盛り上がったりもする。ミーヤはまだ、大きな声で歌う勇気はない。こっそりと小さな声で口ずさんで、目立たないように端っこで足踏みをする。

そんなミーヤの手を、イレーヌが笑いながらタライの真ん中へと引っ張った。両手を取り合い、トントンと足踏みをする。

ミーヤは運動会で踊った『マイムマイム』を思い出して、トントンと飛び跳ねながらステップを踏んだ。

「ミーヤ、上手いじゃないか! なにそれ楽しそう。あたしにも教えて!」

エレンが混ざって三人で手を取って踊る。そのうちにどんどん輪は大きくなり、最後には全員で踊った。

洗濯下女は、城の仕事でありながら人気がない。汚れ物を扱う、洗濯場は冷える、手が荒れる、腰が痛くなるとなれば、それも無理はない。華やかさとは無縁だし、最底辺職だとバカにされたりもする。

けれどミーヤは、この仕事がとても気に入っている。

その晩、心地よい疲れはミーヤを毛玉に戻し、深く優しい眠りへと連れていった。

* * *

夢を見た。

――森だ。

日の光さえ遮る、あの深い森。

木々のざわめき、湿った土の匂い、夜露の冷たさ、小鳥の囀り。

すぐ近くから聞こえる鈴を転がすような虫の声、泉から聞こえるコポコポという泡の弾ける音。

どれも懐かしくて、胸の奥がツキンと痛む。

夢の中のミーヤは、毛玉の姿だった。何も生えていなかった頃の毛玉だ。

チョンチョンと跳ねるたびに、ふわりと草が揺れる。

木の根元に転がり、苔の柔らかさに身を預ける。

森の奥で、何かがミーヤを呼んでいた。

声ではない。

もっと、ずっと原始的な、胸の奥を掻き乱す感覚。

(帰っておいで、森の毛玉)

そう言っている気がした。

目が覚めるとミーヤは、森に帰りたいと思った。

何故だろう? お城にいれば空腹になることも、肉食獣に捕食される危険もない。

きれいな房飾りの着いたふかふかのクッションの上でのんびり昼寝していれば、夢のようにご馳走が目の前に差し出される。

人間の美弥だった頃を併せて考えても、快適で贅沢な生活だ。なのに……。

夕方になり、窓の外からザワザワと木々を揺らす風の音が聞こえるたびに、ミーヤは身の置き所が見つからない所在なさで居た堪れない気持ちになった。

こんなにも心地よい場所にいるのに、なぜ暗く冷たいひとりぼっちの森へと帰りたいと思うのだろう?

ミーヤは不思議で仕方なかったが、恐らくそれは帰巣本能によるものだ。弱い生き物は、日が暮れて暗くなることで生存率が格段に落ちる。

そのため、自分のテリトリーであり最も安全な巣へと戻ろうとするのだろう。

弱い生き物は、生存率を上げるために帰巣本能は強い。最弱の毛玉生物であるミーヤは、弱いがゆえにその本能に翻弄されてしまい、もう帰りたくて帰りたくて堪らなくなってしまったのだ。

獣医師の診療所で刈られてしまった毛が生え揃う頃、ミーヤは森に帰ることを決めた。

森の遺跡には、手回しオルゴールとか、赤い靴とか、裁縫箱とか、大切なものがたくさん置いてある。

城での暮らしがイヤなわけではない。

けれど、ミーヤはやはり、森の毛玉なのだ。

帰ると決めてしまえば、案外スッキリとした気持ちになった。あとは別れの挨拶とお世話になったお礼をしなくてはいけない。

美弥はなかなかに律儀で礼儀正しい小学生だったのだ。

(森に帰っちゃうと、今よりへーかに会えなくなっちゃうなぁ。でも……きっとまた会いに来てくれるよね!)

ヒューゴはほぼ毎日のように森に通って来ていた。

家族も友達も恋人もいないし、趣味もない。ヒューゴはミーヤに出逢う以前から、ほんの少しの余暇でさえ持て余していたのだ。

今は 毛玉(ミーヤ) と遊ぶことだけが、人生の張り合いだ。

そ……そんな 皇帝陛下(ヒューゴ) を……ミーヤは置いて森に帰るのだろうか。ちょっと考え直してみてはどうだろう?

「さあ、へーかに手紙を書こうっと!」

置いて帰るらしい……。タイトルを『冷酷毛玉が、純情皇帝陛下を翻弄しています』とかに変えた方が良いだろうか……?

* * *

ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリアさまへ

よばれているので、かえります。

みーやより

ミーヤは短い置き手紙を尻尾で書くと、窓からパタパタと飛び出して行った。

……あれ? 律儀と礼儀正しい、どこ行った?