軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

94.不安と冷たい手

「つばめはそうして、なにもかもなくなった王子の像に寄り添いました。みすぼらしくなった王子の像は人々によって台座から下ろされ、取り壊されましたが、王子の心臓だけはどうしても壊すことが出来ず、つばめの死骸と一緒に捨てられてしまいます。やがて、天の神様が御使いに、この世で最も尊いものをふたつ、持ってくるようにと伝えました。御使いはゴミ捨て場から王子の心臓とつばめの死骸を神様の前に持っていき、二人は天の国で、永遠に幸せに暮らしましたとさ」

話し終えてふと顔を上げると、セレーネはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

普段真っ白な顔は頬も額も赤く染まっていて、少し開いた口から漏れる呼吸も、僅かに喘鳴が混じっている。

額に載せたタオルを水に浸し、とっくに温くなっていることに気が付いて、メルフィーナは水盆を持って外に出ようとすると、マリーにさっと奪われてしまう。

「メルフィーナ様、氷が必要でしたら、私が取ってきますので」

「マリー……。そうね、お願いできる? あ、ちゃんと上着は着ていってね。少しの時間でも、冷えるのは悪いわ」

この季節だと、外に水盆を置いておけばあっという間に氷が取れるようになる。お任せくださいと微笑んで、マリーは 鑿(のみ) を持って外に出て行った。

本当に頼れる秘書である。

厨房にはサイモンがいて、何やら煎じているところだった。

「セレーネは寝てしまったわ。それは、何をしているの?」

「感冒に良いとされている薬草茶です。予防にもいいので、メルフィーナ様もいかがですか?」

「いいわね。何が入っているのかしら」

サイモンが言うには、メインはカミツレで、少量のスプルースニードルの葉、バラの実を砕いたものだという。

「ここに生姜を入れることもありますが、今のセルレイネ殿下には刺激が強いかもしれませんな」

――カモミールティーとトウヒとローズヒップのブレンドティーというところかしら。

カモミールには安息効果があるし、トウヒとローズヒップにはビタミン類が豊富である。聞けば、患者の体調に合わせて配合を変えるそうだ。

「そうね、頂こうかしら。セレーネは喉が腫れて辛そうだけれど、お茶なら飲みやすいでしょうし」

飲んでみて、刺激が強いようならミルクと砂糖を入れればマイルドになるだろう。盆の水を捨てて新しい水を張っていると、サイモンはぼそぼそと呟くように言う。

「セルレイネ殿下は、特にこの時期はよく感冒にかかるのです。むしろ今年は、非常に体調良く過ごしていたので、私も失念していました」

「子供は感冒になりやすいものよ。私も子供の頃はしょっちゅうかかっていたわ」

そのたびに、乳母があれこれとメルフィーナの食べられるものを用意してくれたのを懐かしく思い出す。

淑女教育が始まり彼女が宿下がりをしたあとは、自然と周囲には体の不調を隠すようになった。

あの頃、メルフィーナはまだ七つだった。今のセレーネよりずっと子供だったのだから、もっと周りの大人に甘えても、きっとよかったのだろう。

けれど自然と、自分にはもう甘えていい相手はいないのだと考え、それを受け入れていた。

子供の時代はとても短い。その時代を安心して、楽しく過ごしてほしいと願ってしまうのは、自分の得られなかったそんな時代を投影してしまっているのかもしれない。

「私もセレーネに、飴でも作ろうかしら」

「飴?」

「すごく簡単だから、よかったらサイモンも見ていて。喉に優しいの」

作り方は非常にシンプルで、フライパンに少量の水とたっぷりの砂糖を入れ、熱を入れて薄く色づくまでゆっくりと揺さぶる。軽く沸いたら別のフライパンに少しずつ落として、緩く固まったらすぐに取り上げて出来上がりである。

いびつで扁平な形になってしまったけれど、口に入れてみれば味は普通のべっこう飴だった。

型があれば色々と可愛い形に加工することもできるけれど、この世界だと型に使えるものがほとんど無い。ゆっくりと口の中で溶かして楽しんでもらえるよう、出来るだけ角の無い綺麗に成形する程度だ。

――これ、ユリウスが好きそうね。

見つかったら欲しいとねだられるだろう。固まったものを小壺にしまっていると、サイモンが呆れたような声を出した。

「メルフィーナ様。確かに作り方自体は簡単そうですが、そもそもそれだけの量の砂糖を用意するのは、簡単ではありませんぞ」

「いずれ今よりは手に入りやすくなるかもしれないじゃない? なんでも覚えておいて損はないわよ」

「メルフィーナ様が言われると、本当に簡単なことに思えてくるので、不思議ですな」

「本当はここに蜂蜜を入れると喉にも優しいのだけれど、この季節の採蜜はとても難しいのよね。蜂の越冬用の栄養を奪うわけにもいかないし。養蜂とトウモロコシ生産は相性もあまり良くないのよね」

「養蜂ですか? ……神殿では行われていると聞きますが、メルフィーナ様はその方法をご存じなのですか?」

「まあ、方法だけなら?」

「そろそろ私も、メルフィーナ様が何を言っても驚かなくなってきました」

そんな話をしていると、ちょうどいいタイミングでマリーが厨房に入って来る。手に持った盆には氷が盛られていた。

「メルフィーナ様、氷、これくらいでいいでしょうか」

「ありがとうマリー。十分よ」

「夜でも補充できるよう、砕いた氷を裏口のすぐそばに置いておきました」

マリーの白い指先が赤くなっているのに気が付いて、盆を受け取り、その手をぎゅっと握る。メルフィーナもそう体温の高いほうではないけれど、マリーの指先はそれこそ氷のように冷たい。

「ありがとう、マリー」

「いえ……これもお仕事のひとつですから」

そう言いながら、ふわりと表情を綻ばせるマリーにメルフィーナも微笑む。

「ちょうどサイモンがお茶を淹れてくれるところなの。感冒の予防にもいいと言うから、みんなで頂きましょう」

* * *

サイモンの淹れたお茶でささやかなお茶会を済ませ、セレーネの部屋に戻ると、目を覚ましていたらしくぼんやりとした青い瞳がこちらに向けられていた。

目は開いているものの、意識はあまりはっきりしていないらしい。ずり落ちているタオルを取り上げ、赤い額に手を当てると、ひどく熱かった。

「マリー、タオルをもう少し用意してくれる? サイモン、メイドに、セレーネの着替えを用意するよう伝えてちょうだい」

二人はすぐに動き出してくれた。

「ね、さま」

「無理にしゃべらなくていいわ」

「ねえさまの、て、つめたくて、きもちい」

貴婦人であるメルフィーナは、子供といえども男性の着替えの場に立ち会うことは許されていない。メイドに寝汗がひどいので、すぐに着替える必要があることと、熱が高いので着替える前に首裏やわきの下を冷たい水で絞ったタオルで冷やすよう、指示を出して部屋を出た。

着替えを終えたメイドに、よく手を洗ってうがいをしておくように伝え、再び部屋に入る。

体を拭いたことで、ややすっきりした様子ではあったものの、ぐったりと横たわったままだ。

「ねえ、さま」

「セレーネ、傍にいるわ。大丈夫、すぐに良くなるわ」

毛布から出た手を中に戻そうとすると、そのまま手をきゅっと掴まれてしまう。その熱さが可哀想だ。

「こわ、い」

「セレーネ?」

「ぼく、ちゃんと、大人になりたい。ねえさまみたいな」

熱に浮かされたようにそう言うセレーネの手を、メルフィーナは優しく握り返した。

「大丈夫よ、セレーネ。あなたはとても優しくて、素敵な人だもの。ちゃんと大人になれるわ」

返事があったことに安心したのか、セレーネはわずかに口元を緩めると、そのまますう、すうと寝息を立てはじめる。

マリアと出会えば、セレーネは救われる。成長して、魔力に耐える体を手に入れた後は、こんな風に寝付くこともなくなるだろう。

――マリアが、セレーネを選んでくれたらいいのに。

けれど、同じことをユリウスにも思う。

そのうち目覚めることはなくなるだろうなんて、長く生きることに最初から見切りをつけている無邪気で何をするか分からない魔法使いだけれど、ユリウスだって決して悪人というわけではないことは、短い付き合いの中でも分かってきた。

ユリウスは、セレーネとは別の意味で子供なのだ。好きなことを好きなようにして、我慢ができない。分かりやすい癇癪を起こさないから、余計にタチが悪い。

マリアに恋をするなら、セドリックのことだって応援してあげたい。

彼らと親しくなるほど、心を寄せるほど、強く思わずにはいられない。

メルフィーナは最初から破滅するために用意されていたキャラクターだ。今こうしてやっている様々なことも、メルフィーナ自身が幸福に生きるためのものだ。

ゲームの世界では、選ばれなかった攻略対象は、その後、どうなったのだろう。

セドリックは真面目に騎士団長を務めるのだろう。セレーネは、フランチェスカ王国にいる間は健康に暮らすことが出来たはずだ。

ユリウスは――目覚めなくなってしまったのだろうか。

アレクシスは王都で暮らすメルフィーナと冷えた結婚生活を続けたのかもしれない。

――みんな、幸せになれればいいのに。

そんな物思いにふけっていると、セレーネに握られた手に軽く力が籠められる。

主人公ではないメルフィーナが彼らのために出来ることは、そう多いとは思えない。

悪役令嬢と攻略対象という違いはあっても、彼らは、メルフィーナと同じ、マリアのために用意されたキャラクターなのかもしれない。ただ悪役令嬢は救われず、彼らは選ばれた者がマリアに救われる。それだけの違いだ。

今、自分たちはこうして、様々な気持ちを抱えながら生きているというのに。

熱に浮かされたセレーネの手を握っているように、ほんの少しでも、彼らのために出来ることをしてあげたかった。