作品タイトル不明
395.お土産と密談
マリーが退出して、なんとも奇妙な空気が執務室に満ちていた。
オーギュストは石を呑んだように唇を引き締めており、セドリックはそんな従兄弟と先ほどまでのマリーのやり取りに何か思うところがあるらしく、珍しく何か言いたげに視線を向けている。ユリウスとコーネリアはいつもと変わらない様子だけれど、それがどうにも、オーギュストには居心地が悪そうだった。
「とりあえず、僕たちの報告はこれくらいですね。後は聖女様が本調子に戻ったら、もう一度情報のすり合わせをするということでどうでしょうか。レナとロドにもお土産を渡したいですし」
「一体、いつの間に買ったんですか」
「帰宅の途で公爵家の狩猟小屋に一泊させてもらったでしょう? あの時に少し」
狩猟小屋とは文字通り、貴族が狩猟をするために逗留するための建物のことだ。小屋とは言っても数人の貴族とともに身の回りの世話をするメイドや男性使用人、騎士なども伴って訪れることが殆どなので、初期の領主邸に比べればよほど立派な建物であることが多い。
「よくそんな気になれましたね」
「僕まで右往左往しても仕方がないですからね。こういう時のために複数人いるわけですし」
オーギュストはやや呆れたような様子だし、メルフィーナとしてもお土産を買うためにマリアに複数人付けたわけではないが、それもまた、ユリウスらしいだろう。
「あ、お土産と言えば、これはレディに。この辺りで流通しているのは海の塩ですが、これは岩から取れる塩だそうですよ」
「あら、嬉しいです。岩塩はお肉やお魚の料理によく合うんですよ」
ユリウスに手渡された小箱を開くと、口を革ひもで結ばれた小袋が四つ入っていた。塩と、残り三つはそれぞれ配合の違うハーブを混ぜて粗めに挽いたものだと説明される。
「残りはお部屋で見てみて下さいね」
そう言うと、後はもうレナとロドのほうにすっかり意識が向いてしまっている様子のユリウスに、やや呆れた色を滲ませながらセドリックが尋ねる。
「年越しはメルト村で過ごすのか?」
「うん、そのつもりだよ。今日明日は領主邸でゆっくりして、その後は二人と相談して決めるつもりだけど数日中にはメルト村に移動するかな。サラもまた大きくなったかなあ。あの年頃の子はちょっと見ないとすぐ大きくなっちゃうね」
生まれたばかりの頃から世話をしているせいか、二人の末の妹のサラのことも自分の妹のように可愛がっているユリウスが、相好を崩す。
「では僕も、これで失礼しますね」
「あ、わたしはマリー様に少しお話ししたいことがあるので、わたしも退出させていただきます」
「コーネリアもお疲れ様。今日はエドがごちそうを用意するって張り切っていたわ」
「まあ、嬉しいです!」
ぱっと目を輝かせるコーネリアは相変わらずで、何一つ変わっていない調子にメルフィーナもほっと肩から力が抜ける。
「……オーギュスト、調査は順調に終わったというわけではないけど、みんな怪我がなく戻って来ただけ、よかったと思ったらいいわ。マリアもきっと、元気になるわよ」
「――そうですね。俺に出来ることといえば山雉でも獲って来ることくらいでしょうか」
「冬の森は危ないから、雪が溶けてからにしてちょうだい」
「あとは、本当にプルイーナが出現しなければ、言うことはないのですが」
「そうね……この冬も、誰も損なわれない冬になればいいわ」
そう呟いて、執務室の窓の外に目を向ける。
そこにあるのは北部の冬らしい厚い雲が覆い、まるで見えない先行きを暗示しているような、鈍い灰色の空だった。
* * *
日中も冷え込むけれど、人の出入りの絶えた夜の寒さは、特に染み入るようだった。
毛皮のコートを羽織って魔石のランプを持ち、寝室を出る。室内用の薄い靴では、歩く端から足先が冷えていくほどに寒い。
それも、厨房に入ると少し和らいだ。ここは石窯を使う関係で、夜でも極端に冷え込むことはなく、その暖かさはこの場所を管理している青年のそれを写し取ったようで、ほっとする。
「こんばんはレディ。すぐに来てくれて助かりました」
「私がメモに気が付かなかったら待ちぼうけをするつもりだったんですか?」
「その時はここで寝ていたかもしれません。レディの寝室に押しかけないと約束しましたし、ご存じのとおり、僕はどこででも眠れるので」
朝に仕込みに来たエドの邪魔になる前でよかったと苦笑しながら、ヤカンに水を入れ、火にかける。
そう長くなる話でもないけれど、温かいお茶の一杯くらいはあったほうがいいだろう。
「メモに書かれていたのは、件の遺骨の「鑑定」結果ですね?」
「はい、騎士殿が早く戻るとあまりに急かすので、二度しか確認できませんでしたので、正確に写せているかはわかりませんが、共通の情報以外必要なのは最後の記号だけなので、なんとかなりました」
ユリウスが手渡してくれた塩の入った小箱には、羊皮紙のメモが挟まっていた。出先で書いて、そのまま彼が手ずから持ち歩いていたのだろう。
それくらい、ユリウスが重要であると判断した内容ということだ。
「彼女の名前は何というんですか?」
いつもと同じように、場違いに面白がっているような声に苦笑する。
「……マリア=ジョセフィーヌ・アントワーヌだそうです。聞き覚えはありますか?」
「ふむ。アントワーヌという名前はフランチェスカ王国の貴族らしい響きですが、思いつく家はありませんね。すでに絶えている可能性もありますが」
「有力な貴族家でないことは確かです。淑女教育の一環で暗記しましたので」
ポットを温め茶葉を抽出したあと、ユリウスの分は砂糖を三つ入れて、カップを渡す。
温かい飲み物を口にすると、それだけでほっとする。
「それにしてもマリア、ですか。あの最後の記号も尋常ではありませんでしたが、なんとも意味深ですね」
「私は最後のあれは、年齢を指していると思っていましたが……人間が重ねたとは思えない数ですしね」
ふむ、とユリウスは頷くと、しばし、考えるように間があった。
「正直に言うと、僕は聖女様が自分と同じ人間であると感じられない時があります。それは神の国から来た人なのだから、特別な存在であるには違いないのですが、なんというか、根本的に違う、というか」
ユリウスにしては、とても曖昧な言葉だ。言葉にするかどうかすら迷ったような、そんな口調だった。
「私には、よく分からないわ。マリアは普通の女の子のようにしか見えないし」
出会った時の彼女は周囲の全てをひどく恐れ、そして傷ついていた。そんな姿を初めに見たせいだろう、元気を取り戻した後も、メルフィーナにとってマリアは守ってやらねばならない子供のような気持ちがどこかにあった。
今もまた、マリアはとても傷ついている。それは、大冒険に出かけて転んで、泣きながら帰って来た子供とは違う。追い詰められて、苦しんでいるのだ。
「それに、根本的に違うということはないはずですよ。……聖女は、こちらの世界の人と子供が作れるもの」
「ああ、種としてかけ離れた存在ではないという意味ですね。たとえ我々が無力な犬で、聖女様が森の王である狼であっても」
「犬も群れで狼を狩ることはあるわ。言うほどかけ離れた存在ではありません」
「ふふ、レディはとても優しいのに、時々怖い一面がありますね」
「これでも貴族の娘ですから、権謀術数だってそれなりにこなします。まあ、あまり好きでないことは間違いないですが」
澄ましたふりをして言って、それからほう、とため息が漏れた。
「その岩屋、興味があるけれど、多分私は行けませんね」
「ある程度魔力の耐性が強い冒険者たちも、その手前が精いっぱいでした。レディは冬の城まででも体調を崩しかねません。魔力溜まりは浄化されたようですが、荒野は土地そのものが汚染されていますから」
その言葉に椅子に深くもたれて、ため息をつく。
「本当に、自分の魔力の耐性の低さがもどかしいです。属性はあっても魔法を発動させることは出来ないし、「魔術」を考えても自分で実験も出来ないし」
「レディの発想力は本当に素晴らしいですよ。実験なんて僕と聖女様で行えば十分でしょう」
「まあ、なんでも工夫してやっていくしかないですね。――岩屋のマリアに関しては、もう少し慎重に探っていきましょう」
ひとまず手掛かりは、アントワーヌという家名のみだ。メルフィーナの知らないアントワーヌ姓の家を探すことから始めるのがいいだろう。
冬の討伐がどうなるにせよ、それ以外の季節は人の行き来のない場所だ。それ以外の季節に、再び調査に人を遣ることも出来るだろう。
あとは、ロマーナ産のガラスの器の出所を調べるくらいしか思いつかないけれど、特に印章が入っているものでもないので、こちらはあまり期待できない可能性が高い。
かつて人が多く住んでいた土地。強力な魔物が繰り返し出現する荒野の魔力溜まりと、思わせぶりな岩屋のマリア。
色々と想像しても、今はまだ想像の域を出ないことばかりだ。
それでもいくらか、可能性の高い予想を立てることは出来る。
「僕とレディの考えていることは大体同じだと思いますけど、口にするのはきっと野暮なんでしょうね」
「ユリウス様……」
「僕はレディの味方ですし、聖女様の敵ではありません。どちらも大事な友人だと思っています。だから、これは友人としての忠告ですが、その時が来たら迷わないほうがいいと思いますよ」
「……考えておきます」
「では、おやすみなさい。大分起きていられるようになったとはいえ、流石にこの時間は眠いです」
伝えるべきことは伝えたとばかりに、ユリウスはあっさりと厨房から出て行った。
一人厨房に残り、しばらくぼんやりと、光を絞った魔石のランプを眺める。
本当に、ままならないことばかりだ。
ひとつを知れば、またひとつ問題が出る気がする。
「せめて今年は……北部の冬が穏やかであればいいのだけれど」
テーブルの上で手を組んで、ぽつりと漏らす。
マリアはメルフィーナにとっても大切な友人だ。
だから、良い未来に向かうことが出来るよう、思考を止めることは出来なかった。