軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

365.教育と知識との距離感

フリーズドライを是非「分離」なしでやってみたいと意見を一致させ、そろそろ晩餐の支度を始めにエドが戻ってくるということもあり、ユリウスとレナはいくつか食材を抱えて厨房を飛び出していった。

ユリウスが目覚める前のレナは今より少し落ち着いていた気がするけれど、今は二人していつも何かに夢中だ。その勢いにはマリアもたじたじとさせられることが多い。

「あの二人にもそろそろ、専門の研究室を造ってあげたほうがいいのでしょうけど、あの二人に密室を造るのはちょっと怖い気もするのよね」

メルフィーナは僅かに苦笑を漏らしている。

「確かに、人の目がないとどこまで暴走するか分かりませんね」

「今は適度に止めてくれる人がいるからいいけれど、専門性が増すと中々ね。あと何人か、研究職に参加したいって人がいるといいのだけれど、あの二人についていくのはかなり大変でしょうね。それこそ学校を造って、子供達には全員学習習慣をつけるところから始めるくらいでないと追いつかないかもしれないわ」

「そういえば学校とかないんだね。メルフィーナなら造りそうなものなのに」

子供が学校に通うことは、マリアの感覚では当たり前のことだ。物心ついた時から周囲の同世代の子供は何かしらの教育機関に所属していたし、マリア自身が通っていた高校は大学の附属校だったので、進学も視野に入っているのがある意味当たり前だった。

「こちらの世界だと子供も立派な労働力だから、子供は勉強して遊んでいればいいというものでもないのよね。平民は十歳前後には職人や商家に奉公に上がるし、貴族は自分の家より家格の高い家に行儀見習いに、騎士階級は他家の騎士団に預けられるのが当たり前だから。読み書きや計算が必要ならその奉公先で学ぶし、そこで学ばないなら一生必要がないことが大半なの」

「あ、そっか……そんなに小さいうちから働くのが当たり前なら、そうだよね」

マリアが暮らしている領主邸自体、平均年齢は非常に低い。使用人のほとんどはマリアより年下だし、レナにいたっては日本なら小学校にすら上がっていない年だ。

「教育が奉公先の役割のひとつでもあるの。どこに奉公に入れるかが能力ではなく、生まれた家の地位に左右されるのは不公平ではあるのだけれど、エンカー村とメルト村の村長の子供を三人も雇っている私が言えた義理でもないのよね」

メルフィーナ自身は有能だからこそ彼らを雇っているのだろうけれど、村長の子供達であるレナやロド、ロイドは読み書きを教わっているのに、エドやメイドたちはそれに参加していない。

三人は将来的に読み書きが必要な立場になり、他の使用人はそうではないということなのだろう。

あんなに幼い頃から、そして本人たちが意識しないうちから、すでに将来のことはほとんど決まっている。身分の上下が緩いと言われている領主邸ですらそうなのだから、この世界の標準的な貴族や裕福な家はますます身分や生まれた家が重要になるのだろう。

そんなに早くに親元から離れて、寂しくないのだろうか。

寂しいだろうとも思うし、それが当たり前の世界ならば自分が進学するのが当然だと思っていたように、普通のこととして受け入れられるのかとも思う。

「貴族もっていうことは、メルフィーナもそうだったの?」

「私は、両親が外に出したがらなかったから、少し特殊ね。教育は家庭教師がついていたわ。それなりに外との関わりも持つようになったのは結婚した後になるわね。「書物」の中でもマリアの教育係として王宮に上がっていたでしょう?」

「あ、そうか。あれはメルフィーナが仕事してたってことに、なる?」

「仕事と言うより国に対する奉仕に近い形として扱われていたと思うわ。報酬もお給料という形ではなく、支度金という名目で出ていたでしょうし」

「それって仕事や給料と何が違うの?」

「貴族の体面かしら。国や王家に奉仕すること自体が、その資格がある名誉なこととされているし。まあ、言葉遊びのようなものね」

ハートの国のマリアで、メルフィーナはこちらの世界に来たばかりのマリアの相談役兼教育係として配置されたキャラクターだった。

気の強い美人で、公爵夫人という高い身分を持っていて、高慢で、使用人たちを扇で叩くこともためらわない貴族の中の貴族として描かれていた典型的な悪役である。

目の前でおっとりと微笑んでいる人とは、顔は同じはずなのに似ても似つかない。

「えーと、マリーやセドリックやオーギュストも?」

「私は三男なので本来七歳ほどで他家の騎士団に出されるのが通例ですが、実家が王宮騎士団を率いる家系でしたので、実家で育ちました」

「俺も五歳くらいから閣下の側近候補としてほぼオルドランド家で育ったので、特殊と言えば特殊でしょうねえ」

「私も、そうですね。五歳からオルドランド家にいますので」

「例外ばかりで参考にならないわね」

四人は苦笑していて、そうした育ち方に特に屈託を抱いている感じはしなかった。

「こっちの人からすれば、私くらいの年ってもう実家から出て何年も過ぎてて、結婚するのも当たり前に見えるってことだよね」

「そうね。保護が必要な子供とは、絶対に見られないと思うわ」

「今思うと王宮の人たちと全然話が噛み合わなかったの、当たり前なのかもなあ」

「マリアはマリアで、とびきりの例外だものね」

「五歳くらいから同じ家にいたってことは、マリーとオーギュストは幼馴染ってこと?」

よほど意外な問いかけだったらしく、二人はお互いをちらりと見て、マリーが先に視線を逸らす。

「騎士団と公爵家の奥向きは所在地が違いますが、俺は閣下の傍に侍ることが多かったので、まあ、そういう向きもありますかね?」

「古くから同じ職場に勤める同僚のようなものです」

どうやら同じ家で育っても、温度差というのはそれなりに生まれてしまうものらしい。

なぜかほっとしている自分に気づいて、冷たくなった紅茶をちびちびと飲む。

「そういえば、サラがはしかだったということは、メルト村にも流行するんじゃない? 大丈夫なのかな」

「この世界ではほとんど全員がはしかに罹るから、はしかはごくありふれた病気なの。小さなうちに罹った方がいいと言われていて、はしかになった子が出たらまだの子は貰っておいでって言われるくらいだから」

「えっ、そんな扱いなの?」

「特に妊娠中に初めてのはしかに罹るのは危ないというのが、経験で分かっているのだと思うわ。絶対に罹る病気なら、子供のうちに済ませておいた方が遅くなるよりはマシなんでしょうね」

この世界では特に平民の栄養状態は慢性的に良くないことが多く、ちょっと水に中るだけでも命を落とし、日本では簡単な手術で治る盲腸さえ、こちらでは治療不能の難病として致命的な病になるのだとメルフィーナは言う。

はっきりとは言わなかったけれど、社会全体で、はしかの流行で命を落とすことがあってもある程度運命として受け入れるしかないという認識があるようだった。

「はしかって、ワクチンがあるんだよね? そういうのを作ったりはしないの?」

「そうね……」

その問いにメルフィーナは困ったような表情を浮かべ、頬に手を当てて軽く首を傾けた。

「Wikipediaってあるじゃない?」

「え? ウィキのこと?」

突然出た単語に目をぱちぱちとさせる。マリーやセドリック、オーギュストにとっては初めて聞く単語だろう。

「そうそう、そのWikipedia。私、あれを読むのが好きだったのよね。ハートの国のマリアをプレイする時もすごくお世話になったし、特に三大文学と言われていた日本住血吸虫症の項目なんかはすごく読み応えがあって、何度も読んだわ」

「うん……?」

「つまりね、私の知識はハートの国のマリアの中のものか、そのために調べたついでに得たもので、エビデンスのしっかりした専門的な教育を受けて身に付けたものではないということ。曖昧なところもたくさんあるし、多分間違っているところも多いんじゃないかしら。エンカー地方も基礎的なことはともかく、産業の発展に関しては職人たちの力と技能が必要だった面が圧倒的に多いわ。今だって計算や設計に関しては、ユリウス様や、ロドやレナに補ってもらっているもの」

その言葉に、共に靴を作ったディーターとロニーを思い出す。彼らはただ言われたものを作るだけでなく、専門家として沢山のアイディアを出してくれた。

彼らがいなければ、靴の開発など到底成し遂げられなかっただろう。

「特に、医療は瀉血みたいな明らかに危険で命に係わるものを止めるのはともかく、素人が覚悟なく手を突っ込んでいいものではないと思っているの。領主の権限は絶対だから、なおのこと、覚えていたことが間違っていたでは済まないもの」

「そっか……確かに、そうなのかも」

「勿論、医療の研究をしたい人がいるなら積極的に支援をしたいとは思っているわ。そうした人に環境と資金を与えるのも、為政者の仕事のひとつだもの」

あくまでも、人道に反しないやり方でねと付け加えたことに、なるほど領主として悩ましいことも多いのだろうというのが伝わってくる。

「私に出来ることはそう多くはないけれど、少しでもこの世界をいいものにしていけたらいいわね」

マリアには、自分が世界の全てを救うなんて壮大なことは考えられないけれど、メルフィーナは自然と世界を良くしていこうと思える人だ。

そして、その手伝いをするくらいなら、自分にも少しは出来そうな気がする。

なりたくて聖女になったわけでもないし、いつまでこの世界にいるのかも分からない。それこそエビデンスなどこれっぽっちもない力ではあるけれど、ひとまず人を癒す能力があることは確定しているのだから。

「やりすぎない程度に、私も力を貸すよ。チートくさい能力に頼り切るのは良くないだろうけど、解決策が出来るまでちょっとの時間稼ぎくらいは出来るだろうし」

「ありがとう、マリア」

メルフィーナが微笑んでいると、なんだか安心する。そこにいてくれるだけでほっとする人だと思う。

それはメルフィーナが優しくて、人に寄り添うだけではなく、出来ることと出来ないことをきちんと分けている人だからということもあるのだろう。

メルフィーナはマリアにどんな能力があっても過剰な期待はしない。悪疫の時も王宮の人たちのようにひれ伏して祈るのではなく、自分の出来ることをする人だ。

――だから余計に、メルフィーナの役に立ちたいって思うのも、皮肉な話なのかもなあ。

仕方ない。だってそんなメルフィーナが、自分は大好きなのだ。

ゲームの中のライバルとしてではなく、今の彼女に出逢えて、本当に良かった。

しみじみと、そんなことを思うのだった。