軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

314.人災と聖女の祈り

菜園に入った時点で、すでに異常を感じ取ることが出来た。

夏の収穫のピークを終え、すでに冬の豆や根菜類の植え付けが済んでいる畑は緑が増し、メルフィーナやマリーの胸元に届くほどの生長を見せていた。

通常、これほど急激に育てば開花や結実は遅くなるか、もしくは行われないことが殆どだ。だというのに豆にはすでにつぼみが膨らみかけていて、蕪や大根といった根菜類はすぐに土寄せを行う必要があるほど地下茎が膨らみ始めているのが見て取れる。

圃場の家にたどり着くと、入り口の傍でアレクシスが腕を組み、壁にもたれていた。こちらに気づくとすぐに姿勢を正す。

「アレクシス。マリアは中にいるの?」

尋ねると、アレクシスは静かに首肯した。

畑を見るだけで明らかな異常事態だけれど、温室に入るとそれはますます異変として差し迫ったものになった。

菜園の温室は、ガラス温室の効果の確認のために作られたもので、そのついでに寒さに弱い作物や植物を観察するのに利用されている。

置かれている鉢もそう多くはなく、最近はもっぱらメルフィーナとマリア、コーネリアの雑談会場に使われることが多かった。

置かれた鉢からアロエが溢れ返りそうになっている。窓際に並べていた枝豆を植えた鉢はメルフィーナの腰辺りまで育ちきり、こちらはすでに全ての鉢で花が開いていた。

その他にも置かれている植物がわさわさと茂り、もし所狭しと鉢を並べていたら緑で埋まっていたかもしれない。

「これは一体……」

温室のガラスの傍で、マリアがこちらに背を向けて蹲っている。

悪疫の報告があった日から、食事も睡眠もろくに取らず、ずっと祈り続けているのだと、オーギュストからすでに報告は受けていた。

畑や温室については、自分の目で見た方が早いと判断されたのだろう。

「自分はここにいても邪魔だろうからと寝室に籠ろうとしていましたが、せめて目の届くところでと頼んで温室になりました。中で倒れても、淑女の寝室に踏み込むわけにはいきませんから」

コーネリアが戻ってこなかった夜から丸四日、メルフィーナは悪疫の対策と指示に奔走して、それ以外のことに目を向ける余裕はなかった。

マリアも随分領主邸の生活に馴染んでいたし、それに安心していたということもある。

まさかこんなことになっていたとは思いもしなかったし、そんなメルフィーナに、オーギュストもアレクシスも、マリアの状況を報せることはしなかったのだろう。

彼らを責めるわけにはいかない。マリアだって、メルフィーナに仕事の手を止めて構って欲しくてこんなことをしたわけではないことは分かっている。

「マリア」

マリアの傍で膝を落として目線を合わせると、びくりと肩が揺れて、マリアの黒い瞳がこちらに向けられる。

強く思いつめたような瞳は、彼女がエンカー地方に来たばかりの頃によく見せていて、ここしばらくはすっかり払拭されていたものだった。

無茶をしないでほしいと、胸に苦いものが渦巻いてくる。

「マリア、少し寝た方がいいわ。あなた、ひどい顔をしているわよ」

「うん、でも」

言いよどむように言葉を途中で切って、ふっと視線を逸らされてしまう。

「でも、私にできるのは、これだけだから」

「あなたが倒れたら、コーネリアが戻ってきたとき、困っちゃうわよ」

活動的でややこだわりが強いところのあるマリアと、おっとりとしていて些事に興味の薄いコーネリアは、性格はまるで違うけれど却ってそれが相性の良さにつながっているところがあった。

マリアも自分の存在に全く振り回されることのないコーネリアは安心できる相手のようで、オーギュストとはまた違う意味で、親しみを抱いているのも伝わってきていた。

そんな彼女が悪疫のさなかにいることを、心配しないわけがない。マリアの心のケアまで気が回らなかったことにも、苦い気持ちが湧いてくる。

「どうして、私がいるのに病気なんて流行っちゃったのかな。なんで、祈っても何も解決しないんだろう。私、本当に聖女なのかな? 聖女だっていうなら、どうして」

「マリア」

胸元で組まれた手がぶるぶると震えて、喋りながらどんどん青ざめていくマリアの肩を掴む。今にも倒れそうな様子だ。

寝不足と栄養不足、おまけにずっと続いていた強い緊張感で自家中毒を起こしているのだろう。

「こ、コーネリアが、戻ってこなかったら、どうしよう。私に、聖女の力がないから!」

「マリア!」

強く名前を呼んで、視線を合わせると、まるで堰を切ったように、黒い瞳からぽろぽろと涙があふれ出してくる。

「マリア、しっかりして。ゲームの中でだって魔物は暴れていたし、飢饉や水の汚染や病気といったイベントが発生していたでしょう?」

あえて明るい口調で言うと、ぱちぱちと瞬きをして、黒い瞳にふっと正気付いた色が戻ってくる。

「イベントが起きて、攻略対象とのフラグが立ったり、好感度を上げたりしていたじゃない。聖女がいたって事件は起きるのよ」

「で、でも、私、なんにも解決してない」

「それは、誰も攻略しようとしていないからじゃないかしら? ……あのね、マリア。この世界は疫病の流行とか飢饉なんて、聖女がいてもいなくても、当たり前に起きているのよ。あなたがいるから何も起きなくなるわけじゃないし、あなたがいても、何かは起きてしまうの」

アレクシスのルートに入れば、マリアは特に飢饉の被害がひどくほぼ壊滅状態に陥ったエンカー地方に来て、ここから国を救うことになる。

他の攻略対象とも同じだ。魔物を討伐する。流行する病を治す。王家の旧弊的なしきたりを解いていく。火種はいつもそこにあって、事件が起きて、それに対処していくことで「マリア」はルートに入った攻略対象との絆を深めていく。

「今回のことも、不衛生な場所があると知っていたのに念入りに管理しようとしなかった私の責任は大きいわ。マリアが責任を感じることではないの」

「でも、だって」

「マリア。あなたの力については、まだあなただって分からないことの方が多いでしょう? あなたに強い力があることは確かだけれど、具体的に発動する条件だって検証中じゃない。力が強すぎて倒れたこともあるんだから、もっと慎重にならなくちゃ」

マリアに手を貸して、立ち上がらせる。長い間その姿勢でいたのだろう、足がふらつく彼女を支えてソファに座らせると、気が抜けたように、へなへなとソファの背もたれに体を預けていた。

「マリアは、ちょっと思い込みが強すぎるわね」

「……ごめん」

「責めているわけではないわ。コーネリアのことがそれくらい心配だったんでしょう? 私もそうだから、分かるわよ。厨房に砂糖が残っていると思うから、甘い飲み物でも作ってもらう? それとも食事がいいかしら」

「うん……まだ食欲はないかな」

「じゃあ、温かいミルクティでも飲みましょう」

メルフィーナがそう告げると、視界の端でマリーが音もなく温室を出ていくのが映る。

「それにしても、派手にやったわね」

メルフィーナの言葉にマリアがふっと視線を上げて、それからぎょっとしたように目を瞠る。

温室の様子に、そこでようやく気が付いたらしい。きょろきょろと周囲を見て、なんとも言えない表情でこちらを見ているアレクシス、セドリック、オーギュストに、居心地が悪そうに体を縮こまらせていた。

「えーと、これ、私が?」

「ええ、外の畑もすごいことになっていたわよ。追肥もせずにこんなに育ってしまって、大丈夫なのかしら」

畑は一時の収穫が多ければいいというものではない。土地の運用は慎重に行うべきだし、来年以降の収穫に影響が出るのも困る。

マリアの祈りが、爆心地といえる領主邸内に留まっているという保証もない。エンカー地方中に、エンカー地方を中心に周辺の自然環境に、どれほどの影響が出ているかも調査する必要があるだろう。

頬に手を当てて少し首を傾げてほう、と息を吐くと、マリアも目に見えて焦りを滲ませる。

「えっ、あの、ごめん」

「収穫ができたら、「鑑定」して品質のチェックもしなければいけないわね。優良な株なら今後は交配もしていきたいし、やることが沢山出来てしまったわ」

「私も、出来ることは手伝うから」

言質を取ったというようにメルフィーナが微笑むと、マリアはバツが悪そうにちょっと俯いて、それからようやく、口元をほころばせた。

自分が無力だと嘆くばかりでは、辛いに決まっている。

マリアは努力が出来る人だ。集中力もあるし、ちゃんと方向性さえ定まっていれば良い方に進んでいけるのは、メルフィーナも分かっている。

「コーネリアもすぐに戻って来るし、二人とも元気になったら、たくさん手伝ってもらうわよ」

「うん」

「マリア、きっとあなたの祈りは届いたわ」

「……うん」

折角止まっていたのに、ぽろりとこぼれた涙を隠すマリアの背中に手を回し、宥めるように軽く叩く。

マリアが責任を感じることなんて何もないのだ。

今回のことは、天変地異でもなんでもなく、ほとんど人災なのだから。

責任を負うべきなのは領地の支配者であるメルフィーナと、その命令に従わなかった者だけだ。