軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

311.蝋燭の火と魔石の光

水の樽が空になり、一通り洗濯を終えて一息ついた時には、夜も随分更けていた。

コーネリアは厨房で水を沸かして冷ましたものをちびちびと飲みながら少しぼんやりして、明日のことを考える。

おそらく太陽が上がる頃には、封鎖は完了しているだろう。仕事に出ようとする者たちは、そこで悪疫の発生を知ることになる。

不安と動揺は、容易く怒りに転換するものだ。悪疫の発生場所に閉じ込められるのが何を意味するのか、悪い想像は際限なく増幅して、体力がある者は逃げ出したいと強く願うだろう。

封鎖を突破しようとして、兵士たちと戦いになるかもしれない。

不安を抱いているのは兵士たちも同じだ。悪疫を広めないよう、自分自身に悪い風が入らないよう、必要以上に攻撃的になる可能性もある。

肘を突き、手を組んで、手の甲に額を押し付けると自然と深いため息が出た。

悪い想像ばかりしてしまっているのは、今の自分も同じだ。

疲れているのだろう。普段ならとっくに眠っている時間だし、今日は随分と忙しかったから。

朝までそう長くは掛からない。今のうちに眠っておかなければと思うけれど、頭の芯が熱を持ったように熱くて、気持ちが鎮まらなかった。

きっと横になっても、眠りに落ちることはなく、何度も寝返りを打つことになるだろう。

――少しだけ、外の空気を吸いましょうか。

夜の冷たい空気で体の中を満たせば、多少なりとも気持ちも落ち着くかもしれない。そんなことを思って外に出て、門の辺りでランタンの光がゆらゆらと揺れているのに気づく。

飯場の閉鎖のために夜を徹して動いている兵士かと思ったけれど、それにしては光はひとつだけだ。

首を傾げていると、あちらもこちらに気づいたらしく、光が高く掲げ挙げられて、くるくると回された。呼ばれたような気がしてそちらに向かうと、それが数時間前にメルフィーナに伝言を頼んだ兵士であることに気づく。

「ああ、よかった。もう寝ているでしょうから、この時間に正面から訪問していいのかと迷っていたところでした」

兵士は素朴な笑みを浮かべて、心底ほっとしている様子だ。

通常、日が落ちてから人が訪ねてくることなどありえないので、住人に異変を悟られるのを忌避したのだろう。

「少し外の空気を吸いに出てきたんです。ちょうどよかったですね」

「はい。メルフィーナ様に報告をしたところ、こちらを貴女にお渡しするようにと命じられました」

兵士に手渡されたのは、植物紙を折りたたんだ手紙だった。封蝋には間違いなく、メルフィーナがエール樽に捺しているものと同じ花押と呼ばれる文様が捺されている。

兵士の掲げてくれたランプの光を頼りにそれを読む。記されているメルフィーナの文字にほっとして、それからその内容に少し頭を抱えたくなった。

そこには、罹患した患者を「鑑定」して、その結果を書き記して兵士に持たせてほしいとある。

「手紙を読んだら、こちらをお渡しするようにと。私はここで返事が書かれるのを待ち、メルフィーナ様に持ち帰ります」

そう言われ、植物紙の束と、ペンとインクの入った専用の木箱を渡される。

書き損じることも視野に入れているのだろう、束にはそれなりに厚みがあった。

「でも、ここ、すごく寒いですよ」

「鍛えているので大丈夫です。どうかお気になさらず」

夜露をしのぐためとはいえ、悪疫の発生している飯場の中に案内するのは却って迷惑だろう。できるだけ早く済ませようと思っていると、それを見透かすようにゆっくりで大丈夫ですよと言われてしまった。

「それと、こちらもお持ちください。中は暗いでしょうし、蝋燭の明かりでは心許ないと思いますので」

そう言って、手にしていた魔石のランプまで差し出してくれる。

「ですが……」

「僕にはこれもあるので。蝋燭の替えも持ってきたので、本当にお気遣いなく」

これ、と腰に提げた蝋燭用のランタンを指して、兵士は笑う。

揺らめく獣脂の蝋燭と比べて、魔石のランプは光が均一で、明るさも二段ほど強く光る。書き物をするときにあれば、随分心強いものだ。

「とても助かります、ありがとうございます」

「お互い、もうひと踏ん張り、がんばりましょう」

兵士にお礼を言って、少し早足でリラの元に戻る。先ほどより寝息が穏やかになっているのにほっとして、彼女の腕に触れ、「鑑定」を行った。

頭に浮かぶ「鑑定」を紙に書き写すのは、幼い頃の記憶で肖像画を描くのに近い、とても難しい作業だ。「鑑定」しては頭に浮かぶ形を覚えて紙に書き写し、再び「鑑定」して形が違っていないか確認を行うことを何度も繰り返す。

神聖言語と呼ばれる文字はとても細かく複雑な形をしていて、おまけに形が似ていても細部が違うと別の意味になると言われている。

メルフィーナが望むのは、この悪疫が「何」かということだろう。

様々な症状があれど、病気とは悪い風が体に入ることとされていたし、コーネリアもそれを常識としてきた。

神の国の記憶を持つというメルフィーナと、神の国から来たマリアとの会話で、病気にも様々な種類があり、それぞれに原因となるものがあるのだと知った。

原因によって対処や治療法も、それぞれ違ってくるのだという。

だからこの「鑑定」は、メルフィーナが求めている情報を違えて伝えることが無いよう、慎重に行う必要がある。

――「祝福」を行う神官なら、こんなに手間取ることはなかったかもしれませんね。

神殿に所属していた頃は、居心地の悪い神殿に籠るより外で活動することを望んでいた。

治療院の仕事や、まして魔物の討伐への後方支援の参加は、危険で汚い環境にあることも多く、貴族出身者の多い神官には不人気な仕事だ。

神殿内では仕事を選ぶことが許されていないとはいえ、適性のない者を派遣して使い物にならないよりは志願者を向かわせたほうが役に立つという理由から、コーネリアは神殿で過ごす時間はかなり短い方だった。

位階を上げることにも興味はなく、神聖言語を学ぶことにもあまり積極的ではなくて、信仰に厚い神官には、不真面目だと説教を食らったこともある。

彼女の言うように、もっとちゃんと勉強しておけば良かった。そんなことを思いながら何度か修正を入れて、ようやく清書した一枚が出来上がるのに、思ったより時間が経ってしまっていた。

「鑑定」にはほとんど魔力を消費しないし、繰り返し使うこと自体は問題ないはずだけれど、細かい作業と間違いは犯せないという緊張感が続いたためだろう、鈍く痛む頭を押さえて急いで門まで向かうと、兵士は腰に蝋燭を入れたランプを提げて、ちゃんと待っていてくれた。

「お待たせして申し訳ありません。こちらを、メルフィーナ様にお願いします」

「確かに預かりました。必ず届けます」

「それと、こちらもお返しします。とても助かりました」

夜道を領主邸に戻るなら、魔石のランプがあったほうがいい。そう思って光量を落としたランプを差し出すと、いえ、と手で制されてしまう。

「このランプ、その、僕の私物なんです。兵士の給料を貯めて買ったロマーナ産で、収穫祭に親に贈ろうと思っていたんですが、貴女にお貸ししますので、使って下さい」

この先も何か用を言いつかるかもしれませんし。そう続ける声は、とても朗らかなものだ。

「でも、そんな大事なものをお借りしていいんですか?」

魔石のランプは明るく光を放つ分、決して安価なものではない。

魔石も長く持つとはいえ消耗品であり、基本的には貴族か、裕福な商人の主くらいしか持つことはない。

兵士の給料がどれくらいかは知らないけれど、手に入れるにはかなり奮発したはずである。

「はい、大事な物なので、全部が終わったら、戻していただければと思います」

「それは……」

もしこの悪疫が、メルフィーナにもどうにもならなくて、最後の手段として飯場に火が放たれたとしたら、このランプもコーネリアの傍で運命を共にするだろう。

贈り物として買い求めた高価なものを、そんな危険な場所にいる者に、預ける必要など彼にはないはずだ。

メルフィーナは安易にそんなことはしないと、コーネリアは確信している。きっと本当にどうしようもなくなるギリギリまで、人の心と命を守ろうとしてくれる人だ。

きっと目の前の兵士も、気持ちは同じなのだ。

「――分かりました、では、ありがたくお借りいたしますね。お返しする時のために、お名前を伺ってよろしいですか?」

「あ、申し遅れました。私は、スヴェンと申します。エンカー村のスヴェンです」

「わたしはコーネリアです。領主邸でお世話になっていますが、貴族というわけではありませんので、どうぞコーネリアとお呼びください」

「あなたの無事を祈ります。……コーネリアさん」

「ありがとうございます。スヴェンさん。私も悪疫があなたを避けて、健やかでいられることを祈ります」

スヴェンは頭を下げると、急ぎ足で去っていった。

その背中を見送って、ふっ、と笑みが浮かぶ。

こんな時だというのに……いや、きっとこんな時だからこそ、未来に約束があることが、力を与えてくれた。

きっとこのランプは、彼なりの激励なのだろう。

みんなが無事に明日を迎え、未来に進んでいけたらいい。

そんなことを思いながら、スヴェンの持つ蝋燭の入ったランタンの光が見えなくなるまで、そこで見送っていた。