軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

301.実験と遊びの余裕

靴を履き替えて菜園にある家に向かうと、テラスのテーブルにアレクシスがいるのが見えた。

供も連れずに、何をするでもなくソファの背もたれに体を預けて、遠目に見るとうたた寝でもしているように見える。

「寒くないのかな」

ぽつりとマリアが呟く。騎士服にマントは付いているとはいえ、毛皮の裏地が付いているものではないので、あまり防寒の役には立たないだろう。

「北部の人間は寒さにはなじみがあるので、これくらいの季節なら大丈夫ですよ」

「火鉢を持ってきて、二人ともアレクシスと一緒に当たっていたほうがいいんじゃないかしら」

「俺もこいつも、そんなにヤワではないので。周囲の警戒はしっかりとしているので、気兼ねなく長話をなさってください」

オーギュストは笑って自分の従兄弟を親指で指す。

「それに、ああして一人でいる時間は閣下にとって貴重なので、そっとしておきましょう」

メルフィーナもそうだが、貴族に生まれると一人で過ごす時間というのは思いのほか少ないものだ。

女性なら常に侍従や侍女、場合によっては護衛騎士が傍に侍っていて、入浴から着替え、髪の手入れといった日常的な補佐を細々としてくれる。

王都で暮らしていた頃は邸内で護衛騎士を付けることはなかったけれど、それでも専任のメイドが二人、常に後ろを歩いていたものだった。

これは貴族の娘や妻は父親や夫の財産であり、それを守るという一面も多分にあるので、男性の場合はもう少し身軽なことが多い。

そしてアレクシスは、あまり「身軽」な人ではなかったのだろう。

「そうね、のんびりしてもらいましょう」

アレクシスがエンカー地方に滞在するのはメルフィーナも了承しているし、好きなだけいてくれて構わない。

これまでは数日でソアラソンヌに戻ることが多かったので、これほど長期に滞在するのは初めてだった。それとなくオーギュストに確認すれば、閣下は理解出来ないことをすることはあっても、意味のないことはしない方ですからと言われてしまった。

アレクシスにとって何か意味があるなら構わないし、特に意味はなくても、ただ気を抜く時間が過ごせているならそれもいいだろう。

ウィリアムも連れて来れば家族として団欒する時間も取れただろうと思う反面、領主邸の地下に眠る秘密を思えば、大事な跡取りを滞在させるのを忌避する気持ちも理解できる。

「メルフィーナ? どうかした?」

「え? 何が?」

「うーん、ちょっと、顔色が悪かったかなと思ったけど、気のせいかも」

首を傾げるマリアに、唇の端をあげて笑う。

「今日は少し冷えるものね。温室で温かいお茶を淹れましょうか」

* * *

「これが炒り豆ですか。素朴で美味しいですねー」

ぽりぽりと炒っただけの大豆をつまみながら、コーネリアはご機嫌な様子だった。

「豆は大抵、青臭いような独特の匂いがあるものですけれど、これは豆臭さというものがほとんどありませんね。香ばしくて、ついついつまんでしまいます」

エドの美食に目を輝かせる彼女だが、基本的に食べることそのものが好きなようで、こうした簡素なおやつも好ましいらしい。

「大豆には色々と使い道も多いけれど、ちょうどいいから、今日はマリアの能力についての、簡単な実験に使おうと思います」

いつもはのんびりとお茶をすることの多い温室のテーブルだが、今日は麻の布を敷き、圃場の土にアントニオが運んできてくれた、大豆を育てている畑の土を混ぜたものを入れた鉢をふたつ用意してある。

「これに大豆を植えて、片方にマリアが成長と豊作を祈り、もう片方には何もしないという実験よ。大豆は暖かい環境なら三日ほどで芽が出るけど、この温室だと一週間というところかしら」

マリアの能力について色々と調べてみたいところではあるけれど、いきなり命に関わる場面に連れ出すのは気が引けるし、彼女の性格だと萎縮してしまう可能性もある。

本人が能力の把握について積極的になってくれたので、まずは植物から始めようということになった。

鉢の中心に指先で穴を開け、目視と「鑑定」でほぼ同質であると認められた大豆を入れて、土をかぶせる。同じものをふたつ作り、片方は温室の日当たりの良い場所に先に運んでおく。

マリアには言わずに、彼女の視界に入らない場所でもうひと鉢、同じものを作って並べ、実験用と対照用と比較用の鉢を作ることにする。

「これに、成長して豊作になれ~って念じればいいのね」

「ええ、思い切り念じてみて」

「……いきなり芽が出てにょきにょき伸びて、枝豆が出来たりしないかな」

「大豆は自家受粉するから、無いとは言えないかもしれないわね」

これがブルーベリーのように混植が必要な作物なら、ひたすら樹勢が伸びるばかりで実がつかないということもあり得るかもしれないが、マリアが言いたいのはそういうことではないだろう。

「大豆はそんなに大きくならないから、まあ、試しにやってみましょう」

「うん。……芽が出ろ~、大きくなって沢山実も付け~」

鉢に手をかざし、眉根を寄せて唸るように唱える様は、聖女というより怪しげな魔術師のようだ。魔術師と名乗るにしてもマリアに陰鬱な求道者じみた雰囲気はまるでないので、妙にコミカルにも見える。

「ふう……、これでいい、のかな?」

マリアがやりきったように息を吐く。三人で鉢を覗き込むけれど、先ほどと変わった様子は見られなかった。

「まあ、いきなりひょいと芽が出てもびっくりするし、ひとまずこれで様子を見ましょう」

「うん。なんか地味だね」

マリアは先ほどまで鉢に向けていた手のひらを見下ろして、小さく息を吐いた。

「何か変わるのかなあ」

「変わらなければ、変わらないということが分かるわ。なんでも分からないよりは、分かった方が怖くないわよ」

「うん、そうだね」

「この大豆という豆は、色々なことに使えると言っていましたが、こうして炒る以外にはどんな利用法があるんですか?」

コーネリアのおっとりとした質問についマリアと視線を交わす。

元日本人と現日本人からすれば、大豆は郷土料理の根幹と言っても過言ではない存在である。

「まず調味料として優秀なんだよ。味噌と醤油っていうすごくよく使われる調味料の元になるの。あと、豆乳っていう飲み物が出来て、そこから豆腐っていう、そのまま食べたりスープに入れたりするものが出来るの」

「暗所で芽出ししたもやしはしゃきしゃきした野菜になるし、豆腐を揚げた厚揚げや、薄く切って揚げた油揚げはスープに入れたり、汁物の具にするのも美味しいわ。さっきの豆は乾燥させたものだけれど、未成熟の緑色の状態で塩ゆでにしたものは、それはエールに合うんですよ。納豆、はちょっと文化的に合わないかもしれないわね」

「まずご飯がないもんね。小豆と大豆があったんだから、お米もどこかにないのかなあ」

「もしかしたら、あるかもしれないわね」

あったとしても、おそらくは様々な品種改良を加えて食味を増した様々なブランド米があふれている現代日本から転移してきたマリアが満足できる品質ではないだろう。

見つかってから「鑑定」で品種改良を繰り返して、何年である程度満足いく米が実るようになるだろうか。

炒り豆をぽりぽりと齧りながら、マリアがふと尋ねる。

「ね、メルフィーナ。今なら大豆はあるし、味噌とか醤油とか作らないの?」

「そうね……」

種麹はすでに手元にあるので、味噌は今からでも仕込むことが可能だ。どちらも半年から一年ほどかかるにせよ、技術的には不可能ということはない。

実際これまでも多くのあちらのレシピをこちらに持ち込んできたけれど、和食と呼ばれるものに関しては、ほとんど手を付けなかった分野だ。

「……味噌とか醤油って、こちらの世界にそぐわないと思うのよね」

「えっ、そういう理由なの?」

「あ、ゲームの世界観を壊したくないという話ではないわよ。餡子は作ったし」

マリアが、では何が問題なのかと不思議そうに首を傾げる。

「前の世界……地球でも、あれだけ物流が発達していても、醤油や味噌が世界中どこでも気軽に買えるってわけではなかったじゃない? 大豆が育てやすいとか、温度管理がしやすいとか、民族の口に合って毎日でも食べたいと思わせるくらいの官能があるとか、やっぱりその土地に根付くのにふさわしい理由というものがあるのよ」

「味噌や醤油はこっちの世界には根付かない、ってメルフィーナは思ったってこと?」

「そうね。そもそも、こちらではいわゆる出汁というのは、ほぼ取れないと思うし」

「えっ」

「日本で言う出汁って、軟水でないと難しいの。私やマリアなら水からカルシウムやマグネシウムを除去して軟水を作ることも可能でしょうけど。それに、この大豆を煮豆にするだけでも、こちらの水ではすごく時間が必要になるわ」

炒り豆を指先でつまみ、ぱくりと口に入れる。

「豆腐も、軟水が殆どの日本では豆を煮てから搾るけれど、硬水の地方では生搾りといわれる方法で豆を搾ったものが使われるわ」

和食を懐かしく思う気持ちはメルフィーナの中にもしっかりと存在する。つやつやのお米に生卵を載せて醤油を掛けた卵かけごはんを、食べられるものなら食べたい気持ちはあった。

けれどこれまでメルフィーナが作ってきた料理は、この先エンカー地方の特産となる物を試験的に作るのでなければ、あるものを使ってごく私的に楽しむ範囲にとどめられてきた。

麦味噌や麦醤油などを自分用に少しだけ作ることも出来たかもしれないけれど、発展を急いでいたメルフィーナにとって、それらは優先順位が低かったということもある。

大豆かそれに似た豆を探して、仕入れをし、仕込みをして、味噌や醤油を作る。やろうと思えば不可能ではないだろう。

けれどそれは、かなりメルフィーナ個人の趣味に偏ることになる。

マリアが来るまでの二年と数か月、メルフィーナは足場を固めることに腐心し続けてきた。

そういう遊びの余裕がなかったのは確かだ。

「でも、そうね。味噌と醤油、作ってみようかしら」

「ほんと!?」

「ええ、今から仕込んでも食べられるのは何か月もかかるけれど」

けれど今は、少しは仕事も手が離れてくれて時間が取れるようになったし、経済的にも随分と安定するようになった。

前世のように広く普及することはないかもしれないけれど、自分とマリアが楽しむ分くらいの生産をするくらいの贅沢も、許されるだろう。

何より、友達がこんなに喜んでいるのだ。やらない理由を探すより、ずっといい。

「一緒に作りましょうか」

「うん、やりたい!」

「私も是非、神の国の食事を食べてみたいですね」

ニコニコとすっかり炒り豆を食べきり、お茶を傾けるコーネリアに、メルフィーナとマリアの笑う声が、ささやかに温室に響き渡った。