作品タイトル不明
298.工房見学と買い物の誘い
セドリックにエスコートを受けて馬車を降りると、まばゆい秋の太陽の光に思わず目を細める。
「あ、自分で降りれるから、大丈夫」
オーギュストの差し出した手をさらりと断ると、マリアはとんとん、と危なげなく馬車の足場をステップでも踏むように降りていた。
この世界では珍しいパンツスタイルであるし、マリアは元々運動が得意なようなので、他人に片手を預ける方が不安定に感じるのだろう。
初めて会った日もアレクシスのエスコートを断っていたのも、今思えばそのためだろう。
「マリア、こっちよ」
エンカー村の西から東にかけての地区は市場のある区画からは少し離れていて、かつエンカー地方に職人が入ってきた頃に真っ先に整えた場所でもある。
今も炭焼きの窯がずらりと並び、各工房から賑やかな声や音が響いている。
リカルドの紹介で初めてエンカー地方に来てくれた職人が、陶器職人のルイスと鍛冶職人のロイとカールだった。徒弟の頃から顔見知りだったというロイとカールは今でも同じ工房で働いてくれている。
今日訪ねることは先触れで伝えておいたので、セドリックが工房に声を掛けるとすぐにロイとカールが揃って出迎えてくれた。炉に火を入れているようで、開いたドアの向こうからは涼しい秋の空気とは裏腹の熱気が伝わってくる。
「ロイ、カール、久しぶりね。最近顔を見られていなかったから嬉しいわ」
「メルフィーナ様、お久しぶりです」
「お元気そうで何よりです」
二人とも明るい表情で、健康そうな様子だった。カールは特に、エンカー地方に来たばかりの頃は色々なものを抱えて追い詰められたような様子を見せることが多かったけれど、体が一回りほど大きくなったようで、顔色も良い。
「今日は、妹を紹介するわね。マリアよ」
「はじめまして、マリアです。あのっ、この間は急なお願いだったのに、石膏を分けてくれてありがとうございました。その、仕事で使う分が足りなくて困ったりしなかったですか?」
「石膏は多めに仕入れているから、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「ええ、重い物なので、徒弟が慣れないうちは入れ物ごとひっくり返してしまうこともあるので」
マリアはほっとした様子で、ロイとカールも貴族らしからぬ服装と態度のマリアを、そう気にしている様子もなかった。
「今日は、マリアに工房の見学もしてもらいたいと思っているの。大丈夫かしら」
「はい、むさくるしい工房ですが、どうぞごゆっくりご覧ください」
促されて中に入ると、石造りの工房は窓の鎧戸が開け放されていてもかなりの熱気だった。二つある炉には両方とも火が入っていて、赤く焼けた色を放っている。
「炉の近くは熱いのと、煤で汚れが付きやすいので、気を付けてください」
「今は何を作っているの?」
「建具がほとんどです。小さなものだとドアの蝶番ですとか、錠前などですね。夏の頃は農具が多く、包丁や鍋、ヤカンなどの需要も高いですね」
「あとは、 箍(たが) ですね。エンカー地方では特に需要が高いです」
「あら、それは私のせいね」
頬に手を当てると、二人は明るく笑ってくれる。
「私達より、 樽(たる) 職人のほうが大忙しなのでしょうが」
「出来るだけ出荷した樽は戻してもらえるように交渉しているのだけれど、中々戻ってこないのよね」
エールやワイン、ウイスキーを造るにも樽が必要になり、樽を固定している箍も同じ数だけ必要になる。ロイとカールは鍛冶職人として、それらも手掛けてくれていた。
樽を作るための木材はモルトルの森から切り出され、木工職人によってある程度の大きさに加工され、さらに樽職人がそれを削り、水ひとつ漏らさないよう綺麗に合わせて、箍で留める。そうして樽ひとつ作るにも、多くの職人の手を経由してメルフィーナの醸造所に届けられている。
「本当に、いつも支えられているわ」
「恐縮です」
「これからも努力します」
二人と言葉を交わしている間も、後ろにオーギュストを連れたマリアが道具のひとつひとつを興味深そうに眺めたり、首を傾げたりしている。退屈はしていなさそうだ。
「親方! お茶を淹れてきました!」
「ペーター、おい、走るな!」
ロイの言葉は一瞬遅く、手に木盆を持った少年は足をもつれさせて、前のめりに転んだ。工房の足元は土間で、擦れるような痛そうな音が響く。
「いてて」
「走るなと、何度言ったら分かるんだ! 今日は領主様が視察に来ると伝えてあっただろう!」
メルフィーナが大丈夫かと声を掛ける暇もなく、ロイの怒号が響き、ほとんど同時にゴツン、と拳骨の音が響く。
「こぼしたお茶がメルフィーナ様や妹様に掛かったら、どうするつもりだ!」
「す、すみませんっ!」
「今日はもういい、外に出ていろ!」
ロイがドアを指さすと、ペーターと呼ばれた少年はぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらひっくり返った木製の器を拾い上げ、深々と頭を下げると顔を上げないまま工房から出て行った。
「――メルフィーナ様、見苦しいところをお見せし、申し訳ありません」
「構わないわ。工房に貴族が見学なんて滅多にあることではないから、緊張してしまったのでしょう」
「そう言って頂けると、助かります」
マリアが何か言うかと思ったけれど、唇をぎゅっと引き締めて我慢している様子だった。その後ろでは、オーギュストが少し澄ました表情をしている。
「徒弟を取ってくれているのね」
「はい、今年になってエンカー村から一人と、メルト村から一人入りました」
「自分が徒弟を取るようになるとは、二年前には想像もしていませんでしたが――育てる側になると、何かと難しいものですね。今になって、親方の気持ちも少し分かるようになってきました」
その立場になってみなければ分からないことというのは、あるのだろう。
「困ったことがあったら相談してね。二人は私の大事な職人だもの」
ロイとカールは一度互いに顔を見合わせると、すっかり頼もしくなった表情で笑った。
「はい、エンカー地方の発展のため、尽力します」
「我々は、メルフィーナ様の職人ですから」
その真っすぐでてらいのない表情に、メルフィーナも誇らしく微笑む。
この二人なら、きっと次代のエンカー地方の職人を立派に育ててくれるはずだ。
* * *
工房の説明を終えて外に出ると、空気が一際冷たく感じられた。
「どうだった? 鍛冶工房」
「面白かった。何かを作る工房なんて日本にいる時も見に行ったことなかったから、新鮮だったし」
「授業の一環で、工場見学とかなかった?」
「あったけど、なんか違うじゃん? 機械を使わず、全部人の手で作ってるのって」
「私はすっかりそっちに慣れたけれど、確かにそうね」
「メルフィーナ様。神の国では、人の手を使わない物作りが可能なのですか?」
「こちらでも粉挽に水車を使ったりするでしょう? 水車の石臼のようなものがあらゆる分野で細分化して人の代わりになってくれているの。勿論、人間の手がどうしても必要な部分もあるけれど」
「パンなんか、形を作るのと検品以外はほとんど全部機械がやってくれたりするもんね」
どうやらマリアの行った工場見学は、製パン工場だったらしい。
「見学のお土産に全員にパンをくれて、帰りのバスで食べたんだ。スーパーに売ってるのと同じパンなのに、不思議といつもよりずっと美味しく感じたなあ」
懐かしむように言って、それからふっと、表情を曇らせる。
「子供をぶつなんて駄目だって思ったけど、職人は、一人前になるまできっとすごく厳しいよね。ディーターとロニーも、子供の頃はあんな感じだったのかな」
「マリアの靴職人ね。――そうね、きっとそうだったんだわ」
「二人が最初、あんなに厳しかった理由が分かる気がするよ。私、ほんとに何も知らないんだなって思うから……今日はお礼も出来たし、来られてよかった。連れてきてくれてありがとう、メルフィーナ」
そう言うマリアも、エンカー地方に来たばかりの頃とは、随分変わった気がする。
前はもっとびくびくと周りを窺って、人が近づいてきただけで怯える素振りを見せていたのに、今は堂々としていて、背筋も伸びている。
「折角村に来たし、市場の方にも行ってみる? もうすぐお昼時だから、美味しい屋台もあると思うわよ」
「行ってみたい! あ、でも屋台は、コーネリアと行く約束しているから、今日は見て回るだけでいいかな」
「ええ、勿論」
「お金の使い方も覚えたいな。帳簿は沢山付けたけど、それ以外の物の相場とか全然分からないままだし」
「それなら実際にお金を使ってみるのがいいと思います。何か買い物をしますか?」
「うん、したい!」
オーギュストに誘われて、マリアは嬉しそうに頷いた。
職人の住む区画から市場が開かれている広場までの間、マリアは目に映るもの全てが珍しく思えるようで、その黒い瞳をきらきらと輝かせていた。