軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

295.手合わせと変化するもの

新しい靴を履くようになってから、人は意外と下を見て歩いていることに気が付いた。

一歩を踏み出すとき、自分のつま先が見える。右足の次は左足。一歩、もう一歩と歩くのが楽しくて、自然と足取りが弾む。

その日、団欒室はいつもより人が多かった。いつもの靴開発のメンバーの他に、メルフィーナ、マリー、セドリックにアレクシスも参加している。

流石に領主のメルフィーナと公爵であるアレクシスが同席していることにディーターとロニーも緊張を浮かべていた。

「公爵閣下の靴は、オーギュスト様のご希望でくるぶしまで革で覆う形にいたしました。こちらの革ひもを穴に通していただければと」

「長さの調整ではなく、締め付けを調節するためのものということか」

「はっ、その通りです」

「ふむ……」

「閣下、よろしければ俺が結びましょうか」

「いや、折角だ、自分でやってみる」

折角だからとマリーとセドリックの靴はアレクシスと同時にお披露目になった。木型職人もディーターとロニーの二人も、随分頑張ってくれたらしい。

マリーとセドリックの分は、すでに制作に入っていたのでローファーと同じタイプになった。ブーツと違って履きやすく、二人ともすぐに立ち上がって、軽く歩き始める。

「これは、確かに素晴らしいですね」

普段はほとんど感情の変化がないように見えるマリーの声が、驚いているのが誇らしい。

「……メルフィーナ様、少し階段を上り下りしてきてもいいでしょうか」

オーギュストと全く同じことを言い出したセドリックが、おかしい。

メルフィーナの許可を得て団欒室を出て行ったセドリックは、彼の従兄弟がそうだったように、あっという間に戻ってきた。そうして唇を僅かに綻ばせて言う。

「――感動いたしました。しっかりと踏み込めますし、次の一歩が自然と出て来る感じがします。これは、徒歩での移動の概念が変わりそうです」

セドリックが言うと、団欒室を一周したマリーも頷く。

「これまで意識したことはありませんでしたが、なんというか、自然と背中が伸びる感じがしますね」

「少しヒールが入っているからだと思うわ。貴族の高い靴って、歩くためというよりドレスラインを綺麗に見せるためのものだから用途が違うのよね」

「ほんの少し視線が高くなっただけで、見える物が随分違う気がします」

「アレクシスはどう?」

アレクシスは普段からどこか不機嫌そうな表情を浮かべている人だ。纏っている雰囲気も厳しくて、隣にいるだけで何だか怒られているような気分になる。

この時も、一見しただけではアレクシスが履いた靴をどう思っているのか測りがたかった。他の人たちと同じように団欒室を一周している間も表情は変わらなかったし、もしかしたらくだらないとか、つまらない思いをしているのではないかとハラハラしたほどだ。

「……オーギュスト、手合わせを」

「勿論です。鍛錬場まで移動しますか?」

「いや、中庭で構わない――構わないか?」

「ええ、大丈夫よ」

メルフィーナに向かって許可を取って、それからメルフィーナはちらりとセドリックの方を見る。

「私たちはそこの窓から見学してもいいけれど、折角だから一緒に行きましょうか」

「是非、そうさせていただければと思います」

アレクシスと比べれば、セドリックはずっと分かりやすい。そわそわと気ぜわしそうな様子で、メルフィーナにそう言われて喜んでいると一目でわかる。

まるで気難しくて飼い主にしか懐かない、番犬のようだ。

中庭に出て、マリア、メルフィーナ、マリーは渡り廊下の日陰に設えてあるベンチに腰を下ろす。職人二人はメルフィーナとの同席が恐れ多いと反対側の通路に移動していて、アレクシスとオーギュストは十歩ほど離れて向かい合い、そこから少し離れて、セドリックが立ち会っていた。

オーギュストが礼を執り、アレクシスが剣を抜く。

抜き身の剣。いつも腰に下げているそれが刃物なのだと実感して、ちょっと怖い。

「ええと、怪我とかしないよね」

「刃物を振り回すわけだから絶対とは言えないけれど、手合わせは決まった型でするものだからほとんど心配はないはずよ。春にも騎士たちの手合わせを見たけど、皆慣れていて危なげなかったし」

「いっそ、手合わせは木刀とか当たっても大怪我しないものですればいいのに」

「見習いの頃はそうしているようだけど、叙任されたら基本は自分の剣を使うみたいね。普段使い慣れていないと、いざという時に十分に実力を発揮できないから」

「そっか……命を預けてるんだよね」

物語の中では騎士が刃物を振り回すのはそういうものだと思っていたけれど、実際目の前であんな長くて重たそうな刃物を振り回すのを見ると、やはり怖く感じる。

メルフィーナは日本刀ほどスパッと斬れたりはしないと言うけれど、重たくて長い鉄の棒でも、当たればそれだけで十分痛いし、危ないだろう。

二人が向かい合い、剣を合わせる。金属がぶつかり合う激しい音が立ち、二度、三度とそれが続く。

やがてオーギュストが横薙ぎに剣を振るい、アレクシスがそれを受け止める。そのまま柄でオーギュストの剣を払い、両手で握って斜め上から振り下ろすのを、オーギュストは後ろに下がって躱すけれど、それを読んでいたようにアレクシスはさらに大きく踏み込んだ。

最初の数回に比べて、だんだん動きが大きく、速くなっている。迫力と言うか、気迫のようなものが少し離れているベンチまでビリビリと伝わってきた。

「……型通りにやってるんだよね?」

「……そのはずなんだけど」

ガンッ、ギンッと剣と剣がぶつかる音がどんどん激しくなっていく。周囲が明るくなければ火花が散っているのが見えるのではないかと感じるほどだ。

「まあ、でも楽しそうだから、いいと思うわ」

「いいのかなあ」

「オーギュストは器用だし、アレクシスも理性的な人だもの。二人は長い付き合いだっていうし、大丈夫よ、きっと」

「セドリック卿も交じりたくて仕方がない様子ですね」

剣をぶつけ合っている二人にばかり注視していたけれど、マリーの言葉にセドリックに目を向ければ、確かに生真面目そうな表情のまま、目がいつもより大きく開いて、体勢も少し前のめりになっていた。

「どこの世界でも、男の人って棒を振り回すのが好きなんでしょうね」

「神の国でもそうだったのですか?」

「あちらの世界では人に危害を与えるのはよほど自分の身が危険でないと許されていなかったから、大人になったらそういう機会はなくなるけど、男の子はいい感じの棒を見つけてぶんぶん振り回してたわ」

メルフィーナの言葉に、情景がありありと浮かんでくる。近所には大きな川が流れていて、緑地公園が多く、周囲に背の高い木が生えていて「いい感じの棒」がたまに落ちていた。

「ちっちゃい頃、棒を持った男子に追っかけ回されたことあるなあ。そんで、気の強い子に砂をぶっかけられて泣いてた」

「ふふっ」

「私も砂を掛ける方でした」

マリーが冗談のようなことを言い、メルフィーナは目を細めて笑う。

「女の子が強いのも、どこの世界も変わらないのでしょうね」

そんな話をしているうちに手合わせは終わったらしい。そろそろ日陰の空気は少し肌寒いくらいだというのに、アレクシスもオーギュストも汗をたくさんかいている。

「この靴は、本当に素晴らしいな。動いていると、まるで飛んでいるように錯覚するほどだ」

「踏み込みが本当に気持ちいいんですよねえ。今までより一段力が入りますし、まるで足そのものの機能が上がったような気がします」

「すべての騎士にこの靴を、という意味がよく理解できた。――マリア」

「あ、はいっ!」

「すでに先走った部下が話をしたようだが、改めてオルドランド家が正式に依頼する。この靴を、まずは公爵家の騎士団に所属する騎士全ての分を発注したい」

これまで職人や革の手配まで、ほとんどをオーギュストにしてもらっていた。オーギュストはアレクシスの部下で、今は自分が少し借りているだけだ。

ちらりとオーギュストを見ると、軽く胸に手を当てて上体を傾ける。

「勿論、お手伝いさせていただきます」

「あ、あの、ちょっと、ちょっとだけ待っていて!」

そう言って、中庭を突っ切って向かいの通路にいるディーターとロニーの元に走り出す。二人は一直線に駆けてきたマリアにぎょっとした様子だった。

「あ、あの、今アレクシス……公爵様から、騎士団の人の全員分の靴を作って欲しいって依頼があったんだけど」

「騎士団全員……」

「今何人だ?」

「常駐の叙任騎士が四十二人、地方に配置されている騎士が三十人。いずれは兵士まで降りていくと思うが、その場合常駐の兵士が三百人というところだな」

マリアの後ろからついてきたオーギュストが言うと、二人は難しい表情で顔を見合わせる。

「納期によるが、革を扱える人間を増やす必要があるな」

「木型職人も相当数必要ですよ」

難しい表情で言葉を交わしている二人に、自然とぎゅっ、と拳を握る。

「あの、今回のことは私の個人的な依頼だったけど、こんなにいい靴が出来たんだもん、出来るだけたくさんの人に履いてほしいって欲が出たの。それで、それが人の役に立つならすごくいいことだと思うし、それが出来るのはディーターとロニーだと思う!」

メルフィーナにやってみないかと言われて始めたことだ。

素材も、職人も、予算も、頭を悩ませることばかりだった。

でも、こうして完成して、それで終わりにするのは勿体ないと、今は思っている。

「二人が革鎧と馬具の職人だっていうのは、分かってる。その職人になるために沢山頑張ってきたっていうのも、知ってる。でも、できれば、これからも靴を作って欲しくて」

「……まあ、この「新しい靴」はこれまでの靴とは全く違うものだからな。他の職人の領分を侵すことには、ならんだろう」

「仲間も親方も含めて、馬具を作る者は沢山いますが、当面、この靴を一番よく作れるのは私とそこの粗野な男ですしね」

「スカした奴の相棒は大変だが、いい物を求められて作るのは職人の本懐だ。正直、この靴がこれで終わるのは惜しいし、俺達が手を引いた後で別の職人が 第一人者(マイスター) みたいなツラをするのも、見たいもんじゃねえな」

チクチクとお互いを腐しているようで、何だかそこに以前はあった距離感のようなものはもう感じられない気がして。

「あの、じゃあ」

「ま、仕事があるのは職人の誉れだし、そもそも公爵家からの依頼っていうなら断れるわけもねえし……いや」

んんっ、と咳払いをした後、ディーターは背を伸ばしてにやりと笑う。

「俺も、そこのノッポも今回の仕事が楽しかった。まだ「新しい靴」作りに関われるなら、望むところだ」

「そこの男も、少しは素直になることを覚えたようですし、人は変わるものですね。――私も、同じ気持ちです」

「! ありがとう! アレクシスに返事をしてくるね!」

何だか久しぶりに、満面の笑みを浮かべた気がする。

中庭を突っ切って走る、自分のつま先が目に入る。

一歩を踏み出して、また次の一歩を出すのが、こんなに楽しい。

「メルフィーナ、アレクシス! 二人ともやってくれるって!」

弾む足取りで手を振ると、大好きな友人がよかったわ! と笑ってくれた。