軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

243.橋の見学と称号と特権

「セレーネ様、元気ないね、大丈夫?」

朝食の半ば、レナに声を掛けられたセレーネがはっとしたように顔を上げ、それから少し取り繕ったように微笑む。

「少し考え事をしていたんだ。元気だよ、レナ」

領主邸の子供たちの中では年長にあたるセレーネは、他の子供たちに対して穏やかに面倒見よく振る舞う。この時もそうで、思わし気な表情をしているレナの頭を優しく撫でた。

「心配をかけてごめんね?」

レナはくすぐったそうに笑った後、少しテーブルから身を乗り出して笑う。

「あのね、今日、お兄ちゃんとレナはお仕事がお休みなの。セレーネ様、新しく造っている橋を見に行きませんか? お兄ちゃんが設計のお手伝いをして、レナも石の種類とか組み方を一緒に考えた橋なの」

セレーネがちらりとこちらを見るのに、メルフィーナも微笑んで頷く。

「私も最近執務室に籠り切りだから、進捗を見に行こうかしら。お誘いしてもらっていい? レナ」

「メル様とも一緒に行きたいです!」

レナの元気のいい言葉に食堂の空気がふわりと温かく緩む。

外交官の来訪を告げた日から、セレーネは時々こうして黙り込むことが増えた。

その目的がなんであれ、ここにいるのはもう、そう長いことではないのだと察しているのだろう。

セレーネは元々、隣国の王太子であり、いつか必ず帰国する日が来るのは分かっていたことだった。それでも、だから寂しく感じないというわけにはいかない。

ウィリアムとはまた会う機会はあるだろうけれど、セレーネは、帰国してしまったら、隣国の端にある領地の平民の子供とは、二度と会えない可能性のほうが、きっと高いだろう。

「建築現場の辺りには屋台も沢山出ているみたいだし、今日はそこでお昼を買って食べましょうか」

「そこ、最近は料理も色んな種類が出てるんですよ。どれも結構美味いし、量も多いから現場で仕事してる人たちにも評判いいんです」

ロドもしょっちゅう現場に手伝いに行くので昼食はよくそこで買って食べているらしく、肉と野菜を入れた包み焼きのパイが特にお気に入りなのだという。

「エンカーパイって名前なんですけど、なんでも橋の警備をしている兵士が屋台の店主に頼んで作ってもらったものが、人気が出たって聞きました」

思わずメルフィーナはマリーと顔を見合わせて、つい笑ってしまった。

セレーネとともにエンカー地方に来た騎士や兵士たちへの振る舞いとして、何度かコーニッシュパイと呼ばれていた包み焼のパイを焼いたことがある。その時、コーニッシュ地方で焼かれたパイのみがその名を名乗るのを許されていたので、なんとなくエンカーパイだと言った。

どうやらあれが見様見真似で伝わり、今はれっきとしたエンカーパイという名前で売られているらしい。

「それは、是非食べてみないといけないわね」

兵士たちに振る舞ったパイはメルフィーナなりにアレンジがしてあったけれど、元々コーニッシュパイは、ごろごろとジャガイモが入っているものだ。

つつがなくジャガイモが収穫できるようになれば、オリジナルに近づくかもしれない。

お出かけの気配に、朝食を食べ終えたフェリーチェがそわそわしたようにメルフィーナの足元でくるくると回っている。

「フェリーチェも一緒に行く?」

「わん!」

笑ったような表情で高く鳴いたフェリーチェに、セレーネもやっと肩から力が抜けたように笑う。

「あ、そうだフェリーチェ、また少し肥ってきたみたいだから、ゴドーさんがいつでも連れておいでって言ってたよ。今度は山で、獲物を追う訓練もするって」

レナの無邪気な言葉にフェリーチェはぴんと耳を立てた後、へたりと寝かせ、完全に床に伏せると、くぅーんと情けない声を上げる。

愛玩犬として飼っているとはいえ、フェリーチェは運動要求量が多く、肥りやすい犬種であるのは間違いない。食事はエドが高たんぱく低カロリーで塩分の少ない餌を用意しているけれど、飼い犬の体重コントロールは飼い主であるメルフィーナの責任である。

「……工事の資材を置いてある広場はかなり広いはずだから、今日は沢山走りましょうか。勿論、作業している人たちの邪魔にならないようにね」

メルフィーナが苦笑しながら告げると、フェリーチェはわん……と非常に消極的に返事をするのだった。

* * *

オルレー川まで馬車で移動するうちに、どんどん人の気配が濃く、にぎやかになっていく。村の中心部の賑わいとはまた質が違い、大声で指示をするもの、それに答える声といった、やや荒っぽい雰囲気が目立つ。

資材を保管するための倉庫の他に、泊りがけで働く者や、他所から人足として出稼ぎをしている労働者が滞在するための木賃宿が立ち並び、それなりの人数が住んでいるようだった。

「この辺りのトイレ管理はどうなっているのかしら」

「リカルドさんが大急ぎで作っていて、収集の仕事をしている方が毎日汲み取りにきているそうです。もう少し数を増やす方針だそうです」

きびきびと答えるマリーに頷く。

人が集まる場所は何かと不衛生になりやすい。宿も開業許可の勅許状がなければ開業出来ないようになっているはずだけれど、資材を組み合わせて建てた掘っ立て小屋のような小さな建物も目立つ。そうした小屋の前にはエール醸造用の大甕が置かれていて、おそらくそこで醸造したエールを労働者に安価に販売しているのだろう。

時々、地べたに座り込んで働くでもなくぼうっとしている人々も目に入った。

管理を甘くすればここからスラム化の原因にもなりかねず、橋が完成した後の憂いにもつながる可能性がある。なるべく早く、この辺りには手を入れた方がいいだろう。

視線を川の方に転じると、まだ朝の気配が濃い太陽の光が差し込んで、オルレー川の水面がきらきらと輝いているのが見える。

エンカー地方は豊かな水源に恵まれている。その中でも代表的な川はふたつあり、一つはミレー川、そしてもう一つがオルレー川である。

ミレー川は領主邸の近くを流れている川であり、城館の堀の水もこちらから引いていて、下流はオルレー川と合流している。

オルレー川はミレー川と比べるとかなり大きな河川であり、下流で公爵領を流れるラクレー運河と合流し、港都エルバンへの水運に利用されている川だ。

エンカー地方での川幅は約250m、川の向こう側は未開拓の土地であり、将来的にはそこに水運の集積場と水運事業に関わる人々の新しい街を造る予定になっていた。

とはいえ、重機の無い時代である、石の切り出しから運び込み、積み上げまで全て人力で行わなければならず、橋の建築はそれこそ領主が数世代かけて行う大事業だ。

ようやく計画が動き出した今は、橋の支柱を造るために川に杭を打ち込むところが始まったばかりである。メルフィーナの知識があっても、完成まで二十年から三十年ほどを視野に入れた計画だった。

良い誤算だったのは、エンカー地方にはロドとレナという兄妹がいたことだ。

ロドは「演算」と「分析」の「才能」を持ち、この才能を持った者には一流の建築家や芸術家が多く輩出されている。ロドもその例に漏れなかったようで、すっかり現場では頼りにされているようだった。

「こうした大規模な公共事業はある意味試行錯誤の繰り返しなのですが、ロドとレナが組むと、ほとんど最短距離で作業が進むようですね。どの資材が足りなくて作業が止まるとか、建築済みの一部に不足が出てやり直すということがほとんどなくなるようで」

「……すごいわね」

白いパンを焼くこと一つ取っても個々の職人の財産であることから分かるように、建築技術もまた、非常に重要な技術のひとつである。

メルフィーナには知識はあっても現場の指示や進行に対する経験がない。そうした足りない部分をロドとレナの兄妹は十分以上に補ってくれていた。

「二人には、いずれ称号を与えることを考えたほうがいいかもしれませんね」

オーギュストに言われて、メルフィーナはぱちぱちと瞬きする。

「称号というのは、褒章や叙任とはまた違うのよね。苗字を与える、という考えでいいのかしら」

「領主から騎士爵相当の身分の保証と、世襲できる名前――まあ苗字とほぼ同義ですね――その二つを与えることになります。功績によっては小さな所領か、何かしらの特権がつくこともありますね」

「ああ、スパニッシュ帝国やブリタニア王国の着座の特権や帽子の特権みたいなものかしら」

着座の特権は君主と同じ高さの椅子に座ることを許されたもので、帽子の特権は君主の前でも脱帽しなくてもよいという特権で、どちらも国に高く貢献した高位貴族に与えられるもので、その他の貴族とは身分は同じでも立場が違うと明確に表す方法の一つでもある。

「それの小規模版ですね。ギルドや商人でしたら通行権や河川の運用などの特許状になることが多いですが、メルフィーナ様とあの兄妹でしたら、会食の特権を改めて制定するのが良いと思います」

「もう何十回も一緒に食事をしたのに?」

「この先ますますエンカー地方が大きくなれば、身分や立ち振る舞いにうるさい人間も出て来るでしょうし、あの二人も、いずれは子供だからと大目に見られる時期が終わります。それならば改めて、誰もが否定できない実績を以てメルフィーナ様の側近として取り立て、特権として周知したほうがいいと思います」

オーギュストの言葉は正しいのだろう。侍女と護衛騎士が眉を顰めるような小さな領主邸と寒村しかなかった頃とはもう違う。形式を整え、それに則った行動が必要になる日が来る。

そしてそれは、そう遠くない未来なのだろう。

「エンカー地方の素朴で優しいところは、残していきたいけれど」

「残していけますよ。メルフィーナ様がそれを望むなら」

マリーは優しく言い、頷く。

「領民もきっと、それを願うと思います」