軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

235.エールと帝国

どうかお願いします、と真剣な目で告げたのは、ロマーナの商人、アントニオだった。

「現在「花押入りエール」は、ロマーナ共和国とスパニッシュ帝国にて特に需要が高くなっていて、仕入れた先から次の予約が入る状態です。どうか、増産を検討していただけないでしょうか」

アントニオは何かと世話になっている商人だ。まだ水運が整っておらず、北端のどん詰まりにあるエンカー地方に利益が少ない頃から行商に来てくれていたし、そんな時でも決してメルフィーナを侮るような態度はとらなかった。

ロマーナからどこにも立ち寄らず植物紙や軟質小麦、パスタといった、フランチェスカ国内ではそう需要の高くないものを長距離輸送してくれた恩もある。

それがオルドランド公爵夫人に対する当然のものだとしても、商人とはシビアに利益を出すことを考えなければならない生業だ。エンカー地方が小規模な領地だったころから支えてくれたのだから、大きく利益が出るようになって手のひらを返すわけにはいかない。

「大麦の収穫が始まったからしばらくはフル稼働で造ることが出来ると思うけれど、今の三倍は到底無理よ。醸造所にそれだけの生産能力がないもの」

アントニオは目に見えてがっかりしたような様子だった。おそらく顧客――それもかなり上の身分の者から、出来る限りの量を確保するようにとでも言われているのだろう。

「出来れば需要に応えたいところだけれど、一度その量を造れば今後もずっと、と言われるのは目に見えているわ。一度出来たのに何故今度は出来ないのか、そうせっついてくるものじゃない」

「はい、いえ……メルフィーナ様の仰る通りだと思います。このような相談をさせていただくこと自体、ご負担になるかとは思ったのですが、尋ねずにのこのこ戻ったとなると、大獅子商会ではない者が派遣される可能性もあり……」

「多分、アントニオがこのまま戻っても、そうなるわよね」

「おそらく……」

困ったものだとため息が漏れたのは、テーブルを挟んだメルフィーナとアントニオ、同時だった。

「その三倍量を要求している方って、絶対に断れない筋なのよね、きっと」

「ここだけの話にしていただければと思うのですが……スパニッシュ帝国帝室筆頭外務卿様からの依頼で……実質、皇帝陛下か皇妃殿下、もしくは帝室の直系どなたかの依頼であると思います」

「それはまた……」

随分大きな話になっているものだ。たかがエールで、とメルフィーナは思わないでもないけれど、新しい流行、物珍しい新商品、革新的な技術をいち早く取り入れてトレンドの先頭に立つのは、やんごとなき立場では重要なことでもある。

「スパニッシュ帝国はロマーナ同様気候が温暖で、フランチェスカ王国やブリタニア王国ほど芋の枯死病の影響は大きくありませんでしたので」

「その分余裕があるということですね」

「予約を入れることも困難なエールを大量に手に入れることが出来る、というのは、権威付けにもってこいということですね」

アントニオも板挟みというところなのだろう。

「エンカー地方は大麦ばかり作っているわけではないし、一時的に増産は可能でもこれからずっとその量を造り続けるのは難しいわ。となると、別の方法で引いてもらうしかないわね」

「と、いいますと?」

「相手が求めているのは大量のエールではなく、それが出来るだけの権威ということでしょう? マリー、今、出荷しているエールって何種類になっているのかしら」

「現在は最も一般的な樽の「アネモネ」、苦みと酒精が最も強い「メヒティヒ」と、先日安定して醸造が可能になった「エーデルワイス」が次の流通に乗る予定です」

「なら、ちょうどいいわ。新作のエーデルワイスを特級、通好みのメヒティヒを一級、一番多く造られているアネモネを一般流通級とし、エーデルワイスは一年を通して今造っている樽数のみ造れる特別なエール、ということにしましょう」

向かいに座るアントニオは、みるみる目を瞠る。メルフィーナの意図を、どうやらすぐに呑み込めたらしい。

「エーデルワイスを扱えるのは、現状、エンカー地方の領主の信頼を得ている大獅子商会のみということにし、三倍量のエールの確保は不可能だと断られたけれど、この新作の取り扱いを一手に任されることになった、と告げれば」

「ただでさえ注目されているエンカー地方のエールの中、他で賞味することの出来ないエールを大獅子商会を通してのみ手に入れることが出来る、ということですか。その伝手を手放すことなど、少しでも頭が回る者ならば、決して出来ません」

「ええ、特級に関しては、私も大獅子商会を通さない取引は一切行わないと宣言します。これで醸造所は過剰労働をせずに済むし、アントニオの顔も立つのではないかしら?」

特権階級はプレミアにとても弱い。

有名なエールを造る神殿の近くにわざわざ別荘を造るのがステイタスとさえされているほどだ。

名が広まり始めた花押入りエールの、さらに特級と名のつく商品を手に入れる窓口を、決して潰すような真似はしないだろう。

「メルフィーナ様……なんと感謝をすればよいのか……もはや依頼という名の命令を遂行できず、闇から闇に葬られるばかりかと」

「いやね、アントニオがそんなことになったら、レイモンドが黙っていないでしょう」

「すぐには無理でも策略を張り巡らせて二十年、三十年とかけて復讐してくれるかもしれませんが、私には国に妻と可愛い娘もおりますので……」

「では、取引をまとめて早く奥さんと娘さんのところに帰ってあげてちょうだい」

笑って言うと、アントニオは膝に手を置き、深々と頭を下げた。

「メルフィーナ様、大獅子商会はもとより、このアントニオ、救われたことを商人として……いえ、一人の男として、決して忘れることはいたしません。何かありましたら、微力ながら、必ずお力になると誓います」

「いつも力になってもらっているし、頼りにしているわ、アントニオ」

「はは、本当に、メルフィーナ様には敵いませんなあ」

やり手の商人の顔が剥がれるように、アントニオがふわっと笑う。

「正直、帝国でこの話をされたときはもうロマーナに戻れないかもしれないとまで思ったのですが……冬が終わってしばらく戻れていませんが、この取引が済んだら、一度ロマーナに戻って娘を思い切り抱きしめようと思います」

「それがいいわ」

それにしても、スパニッシュ帝国は王都、西部を挟んださらに向こうにある国である。

帝国は広大な領土を持っているので、水運によってエルバンから帝国の北側に輸出され、それが巡り巡って帝室の誰かの口に入り、気に入られたのだろうけれど、こんな申し出がくるなどさすがに想像していなかった。

なんとも、数奇な展開もあったものである。

「やっぱり、美味しいものってみんな大好きなのね」

「珍しいものも、特別なものもですね。全てかね揃えた花押入りエールはなおさらでしょう」

オーギュストがそう言って、それから、と付け足す。

「これは俺の勝手なひとり言ですが、古参の愛好家も、大事にしてあげるとなお良いと思います」

「? どういうこと?」

「その新作のエール、一樽でいいので、閣下に送ってあげてほしいなぁ、と」

もはやひとり言の体を成していないオーギュストに、つい声を出して笑ってしまうメルフィーナだった。