軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

163.公爵夫人と公爵側近の会話

エドが差し入れてくれたキャラメルミルクはよく冷えていて、口にするとほろ苦い甘みと濃厚なミルクの味わいがよく合っていた。

午前中の執務に疲れた体に、染みるようだ。

「これはいいですね。美味しいですし、腹にたまりそうです」

「冷たいのもやっぱり美味しいわね」

エンカー地方は寒冷な土地柄ではあるものの、夏の盛りはやはり気温も上がって来る。とくに今日はよく晴れていて、太陽がさんさんと降り注いでいるので、執務室の窓も開けっぱなしになっていた。

「公爵様が魔法で冷やしてくださったんですよ。魔法ってすごいですね。冷蔵庫なら一時間はかかるのに、手をかざしたら、すぐでした」

「氷魔法、いいわよね。魔力が多いと色々と障りがあるけれど、便利だと思うわ」

メルフィーナは属性があっても魔力量が足りずに、魔法として発動させることが出来ない。

その上、魔力を必要とする「合成」を行おうとして魔力中毒になったことのある身としては、安易に氷魔法が使えればよかったのにとは思えないけれど、すぐに温めたり冷やしたり出来る火魔法や氷魔法を持っていれば便利だっただろうと思う。

「エドもお疲れ様。あの二人の相手は緊張しなかった?」

「お二人ともとてもいい方ですし、全然大丈夫でした! それに、ウィリアム様も元気になられたみたいで、本当に良かったです」

「それならよかったわ。今度お礼に、キャラメルを使ったお菓子を何か作るわね」

「嬉しいです! 是非傍で見せてください!」

屈託なく笑うエドに微笑み返して、冷たいキャラメルミルクを楽しんでいると、とんとん、とノックの音が響く。テオドールがドアを開けると、視察から戻ったオーギュストだった。

「メルフィーナ様、視察のご報告に参りました」

「あ、じゃあ僕は、戻りますね。お仕事お疲れ様です」

仕事の話が始まると察してぺこりと頭を下げて執務室を出て行こうとするエドに、オーギュストが声を掛ける。

「すまないが、厨房は今、公爵家の団欒中だから、戻るなら少し時間をずらしてもらえるか?」

「分かりました。じゃあ、昼食は新しい厨房で作ります」

エド専用にと増築した厨房が先日完成したばかりだけれど、魔石のコンロはともかく冷蔵室や石窯のような大きな設備は元々の厨房にしかないものだ。

そちらもいずれ増設するつもりではあるけれど、まだまだ不便だろう。

「エド、ごめんなさいね」

「みんなが仲良く出来るなら、それが一番なので!」

ぱっと笑って、もう一度礼をするとエドは執務室から出て行った。その背中を見送って、オーギュストはしみじみとため息を吐く。

「彼、本当にいい子ですね。料理の腕もさることながら、明るいし、嫌味なところが全然なくて」

「そうでしょう。うちの自慢の料理長よ」

「正直、メルフィーナ様の料理長でなければ、多少強引な手を使っても公爵家に欲しいところでした」

「あら、あげないわよ」

ちらりと睨むと、オーギュストは苦笑して、ひょいと肩を竦めてみせる。

「メルフィーナ様を敵に回すような恐ろしいことはしませんよ。北部の支配者と呼ばれるオルドランド公爵閣下に料理をさせるなんて方は、この世にメルフィーナ様だけでしょうし」

「技術移転の追加報酬を頂けるというから、私のつまむお菓子を作ってもらった、それだけよ」

「そういうことにしておきましょう」

あっさりとそう言って、オーギュストは本題である視察の話に移った。

「実際にトウモロコシの作付けの畑を見せてもらいましたが、もう随分育っていて、一部はそろそろ収穫が可能なようでした。そろそろ公爵家から収穫物を運び出す人足を組むので、その日程の調整をしていただきたいですね」

現在、公爵家主導で北部全域でトウモロコシの作付けを推奨しているけれど、急なことなので作付け圃場の確保や収穫量については読めないところも多いことと、また食糧難が深刻な東部への輸出もあって、最低去年と同量、要請によってはさらに増量の輸出を依頼されている。

値段は去年の三分の二の約束とはいえ、トウモロコシに支払うには法外な金額である。

巨大な港町や鉱山を所有しているオルドランド家の資金力の底力には、感心するばかりだ。

「それと、エンカー地方の方がやや寒冷なのに、公爵領より成長が早い気がしますね」

「他の地方より小麦の畑の割合が少ないから、早めに作付けが出来ることと、種の選別もある程度効果を出しているのでしょうけれど、やっぱり肥料の存在が大きいと思うわ。特に人糞肥料はトウモロコシ畑に積極的に利用することにしたから」

「人糞ですか。正直そこらじゅうに捨てているアレで作物がよく育つとは、予想外でした」

「可食部に直接触れない分、野菜に使うより抵抗が少ないかと思ってね。きちんと発酵させなければいけないから、牛糞堆肥より手間はかかるし、臭いの問題もあるけれど、優秀な素材よ」

発酵不足の人糞を媒介に赤痢などが広がることがあるので、これは決して外せない工程だ。野菜などに使うよりは、リスクを軽減させることも出来るだろう。

「まずトイレを作ってそこで用を足してもらって、汲み取りをして肥溜めまで持っていくというシステムを確立する必要があるから、根付くのには少し時間が必要かもしれないわ」

「先に設備投資が必要となると、中々難しいでしょうね。牛はともかく、領都でもその他の町や村でも、いまだに豚は放し飼いが当たり前ですから、豚の糞の肥料の導入も時間が掛かりそうです」

「まず小さな町や村をモデルケースにするのがいいと思うわ。そこで上手くいったことや失敗した部分を洗い出して、少しずつ大きな街に導入していけば大きな失敗は起きないはずよ」

エンカー地方はメルフィーナが多くの改革を行ってきたけれど、それも小規模な村と集落しかない時期だからこそ大きな問題も起きずに導入出来たということもある。

人は慣れたやり方を変えたがらないし、新しい習慣はそう簡単に根付かないものだ。

エンカー地方でそれらがスムーズに機能したのは、住人たちがメルフィーナを信頼し、指示に従ってくれたからで、その速度はメルフィーナ当人も予想外なほどだった。

「都市はどこも過密状態ですしね。家畜の集中とトイレの完全な設置が北部全てに行き渡るまで、どれだけ時間がかかるか……」

渋そうにそう言うものの、視察の結果をメモしているらしい書類を睨むオーギュストの表情は、真面目なものだ。

「まあ、あれだけ成功例を見せられては、必ず根付かせる必要がありますけどね。種の選別は「鑑定」持ちの技術者を育てるところから始めなければなりませんが、肥料の技術は出来るだけ早く公爵領にも導入したいです。それから、麦稈の処理に使っていた鍬も、是非公爵家へ技術移転をお願いします」

「ああ、踏み鋤のことよね。あれはユリウス様の考案なの。あまり作った後の物に興味がある方ではないから、ダメとは言わないと思うけれど、確認しておくわね」

踏み鋤は、農業用フォークの後ろに突起を取り付けたもので、足で深くまで土に差し込み、突起を土に着けてテコの原理で掘り起こしを簡易にした道具のことだ。

麦の収穫後、麦稈を残しておくとそれが分解される間に圃場が窒素を消費して、土壌は窒素飢餓を起こす。

そのため速やかに麦稈を掘り起こし、堆肥化し、小麦を収穫した畑には緑肥作物を植えて地力を回復させる必要がある。

「一年前、メルフィーナ様に初めてエンカー地方でお会いしたのも、これくらいの季節でしたね。小麦を収穫した後の畑に作物を植えておられて、仰天したものでした」

たった一年前だというのに、オーギュストはしみじみとした口調で言う。

「エンカー地方に来るたびに新しい技術を導入させていただいて、正直最近は、新技術をひとつ手に入れるだけでも非常に困難であるのを忘れそうです。……メルフィーナ様は、こうした技術を独占しようとは思わないんですか?」

「独占するべき技術は、当然独占しているわよ。公開しているのは、現物を見ればある程度は仕組みが分かるものばかりだし、便利になって全体の生産性が上がるのは良いことだと思うわ。それに、公爵家への技術移転に関しては、対価をきちんと公爵家から支払ってもらっているもの。存分に使ってちょうだい」

「本当に、メルフィーナ様は稀有な……いえ、無二の方ですね」

それらの道具の発明者は前世の色々な国の人々が試行錯誤の末に作り上げたものである。メルフィーナは前世の知識を流用しているにすぎないので、あまり褒められるのも居心地が悪い。

苦笑して、そういえば、と話を変えることにする。

「マリーとウィリアム様は、どうなるのかしら」

「今朝、メルフィーナ様がエンカー地方ではマリー様の好きにされて構わないと伝えた後から、時折考えるような素振りをされていたので、今頃はその話をされているかもしれません」

「そう……上手く行ってほしいわね」

今朝、マリーとオーギュストに視察の引率を依頼する際、マリーにひとつ、伝えたことがあった。

領主邸内では、アレクシスとウィリアムに対して、マリーの望む形で振る舞ってもいいし、あくまで二人か、どちらか片方を遠ざけたいなら、二度とエンカー地方に招かなくても構わないと。

もしもマリーが異母兄のアレクシスや甥のウィリアムに屈託を抱えているのなら、本気でそうするつもりだった。

隣でオーギュストはぎょっとした顔をしていたけれど、マリーは迷った様子の後、少し考えさせてほしいと告げて、視察に出かけて行った。

マリーはメルフィーナにとって大切な相手だ。

抱える悩みは、ひとつでも少なくあって欲しい。

「メルフィーナ様は、マリー様が閣下やウィリアム様を疎ましがっているとは思わないんですね」

「オーギュストだって、マリーが本気であのお二人を嫌っているなんて思ってはいなかったでしょう?」

「俺はそれなりにオルドランド家に長く仕えていますので、まあ薄々はというところですが……」

マリーはアレクシスほどではないにせよ、あまり感情を表に出さないところがあるけれど、傍にいれば彼女の人となりは伝わってくるものだ。

「マリーが優しくて、人を思いやる性格だということは、一緒にいればすぐに分かるわ。ほとんど一緒に暮らしたことのないという弟さんのことも気に掛けていたくらいだもの、赤ん坊の頃から知っている、甥のウィリアム様を、可愛く思っていないとは思えなかったのよ」

けれど、マリーは、彼を遠ざけている様子だった。

ならば考えられるのは、よほどの事情があってどうしようもなくウィリアムを受け入れがたい気持ちを抱えているか、もしくは、その不器用な優しさゆえにそうしているのだろうということだ。

「オーギュストも、公爵様のそういう、分かりにくいけれど不器用な情の深さを知っているから、吟遊詩人の夢を諦めて公爵の側近なんて仕事をしているんじゃないの?」

「――参りましたね。男はそういうのを、表立って口に出さないものなのですよ、メルフィーナ様」

「大切なことを言葉にするのに、男も女もないと思うわ」

「はぁ、本当に、メルフィーナ様には敵いません。この先も俺は絶対に、メルフィーナ様を敵にする真似はしませんよ」

「ふふ、それはありがたいわ。……普段は一番近くにいるのに、大切な部分は見守ることしか出来ないのは、もどかしいわね」

「でも、それも悪くないと思っていらっしゃるでしょう?」

「あら、どうかしら」

はぐらかしてはみたものの、オーギュストは悪戯っぽい目でこちらを見ていて、メルフィーナは苦笑を漏らす。

分かりますよ。俺も同じですから。

そう言われた気がした。