軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

126.提案と温かいチーズケーキ

ユリウスが持ってきてくれたのは、一センチほどの濃い赤色に熟した、甘酸っぱい木の実だった。

鑑定するとフォルベリーという名前が出る。木になるタイプの果実で、見た目はブルーベリーによく似ている。

セレーネのメイドに面会を依頼すると、少しふっくらしたメイドはすぐに取り次いでくれた。ほとんど待たされることはなく、セレーネは明るい表情で部屋から出て来てくれる。

「どうしたんですか、姉様」

「セレーネ、よかったらこれから、久しぶりに料理をしない? 最近執務室に籠り切りだったから、思い切りやりたくなったの」

唐突な申し出だけれど、セレーネはぱっと表情を明るくしてくれた。

「はい、是非!」

並んで厨房に入り、下ろしている髪は後ろでくくり、久しぶりにエプロンを着ける。

冬の間は色々な料理をして、領主邸の住人たちと食事を楽しむ機会も多かったけれど、春になり様々な経営案と新規事業を立ち上げていく忙しさに、すっかりその余裕がなくなってしまった。

メルフィーナはもとより、その護衛と補佐をしているマリーとセドリックや、エド、クリフ、ラッドもそれぞれ新しい環境に変わっていく中働いてくれている。

特にエドは執政官や文官などが出入りすることが多くなり、彼らへの振る舞いの食事の用意を任せるなど、負担をかけてしまっていた。

セレーネの医師のサイモンも、セレーネの健康状態が落ち着いている間は、朝の診察以外は時間が出来てしまったので、メルフィーナの菜園の中で薬草を育てている区画に出入りしていることが多い。

領主邸の中で、セレーネだけが多忙の中にひとりだけ取り残されている形になってしまっている。

――もっと、気を付けてあげるべきだったんだわ。

セレーネは非常に我慢強い……忍耐強いと言える性格だ。エンカー地方に来た最初の日から、ずっとそうだった。

冬の間は団欒室で共に長く過ごす時間があって、随分子供らしい表情を見せるようになってくれたけれど、最近のセレーネはまた少し、感情を抑制する仕草をするようになった。

第一王子であり、王太子の立場であるセレーネには必要な素養なのかもしれない。

けれど、エンカー地方にいる間だけはプライベートでメルフィーナを「姉様」と呼ぶように、思い切り笑ったり楽しんだりする子供時代を過ごしてほしいとも思う。

「村からもらった果実があるの。これでお菓子を作ろうと思うわ」

「魔女の家に出てくる、甘い食べ物ですね」

この世界ではまだ砂糖が食品として当たり前に流通しているものではないので、お菓子というのはおおむね砂糖を使わない、クッキーやビスケットといった焼き菓子や、贅沢な部類だと仕上げに蜂蜜を掛けて甘みをつけるパンとケーキの中間のようなものが存在する程度だ。

「そう。いずれお菓子の家に出てくるようなものも作りたいわね」

フォルベリーと半量の重さの砂糖を鍋に入れ、魔石のコンロで熱を入れる。

「セレーネはビスケットを潰してくれる? 粗く潰れたらバターを入れて、よく練ってほしいの。マリーはオーブンに熱を入れてもらっていいかしら」

「はい、姉様」

「お任せください」

軽食用のビスケットを器に入れてすりこぎで潰す表情はとても真剣なものだ。それを横目で見ながら鍋の中身を焦がさないように丁寧に混ぜて、乾燥させたレモンの果皮を投じてゆっくりと煮る。

「そんなに沢山砂糖を使うなんて、かなり贅沢な食べ方ですよね。砂糖漬けですか?」

「いえ、これはジャムというのよ」

熱が果実に入っていくと、やがてフォルベリーの甘酸っぱい匂いと砂糖が混じり合った甘い香りが漂い、厨房を満たしていく。思わず口の中に唾液が溢れるような、甘い甘い匂いだ。

「この匂いだけでごちそうですね」

セレーネがどこかうっとりしたように言う。確かに、これほど甘い香りというのはこちらではほとんど嗅ぐ機会はない。香りだけでも相当強烈に感じるだろう。

クリームチーズをよく練って、砂糖、卵を加えよく混ぜて、少量の熱を通した小麦粉を混ぜていく。あまり練らないようにして生クリームを数回に分けて混ぜ合わせれば、生地の出来上がりだ。

セレーネの下準備したビスケットを型に詰めて土台にし、丁寧に均した上に生地を注ぐ。型を持ち上げて軽く叩いていると、不思議そうな様子で見上げられた。

「こうして軽く振動を与えることで、中に入っている空気を抜くの。そのままにしておくと焼いている間に中の空気が膨らんで、穴が開いたりするから」

予熱の済んだ魔石のオーブンに型を入れ、蓋を閉める。鍋の火も落として、味がなじむまでしばらく窓辺に置いておいた。

「焼けるまでに少し時間がかかるから、お茶でも飲みましょうか」

厨房と続きの食堂に移動し、メルフィーナが手ずからお茶を淹れる。温かいお茶を飲んでほっと一息ついたところで、先に言葉を発したのはセレーネだった。

「姉様、ごめんなさい」

「セレーネ?」

「騎士たちから聞いて、僕と話をしようとしてくれたんですよね」

「……そうね、その話もしたいと思っていたわ」

セレーネは先ほどまでの楽しそうな様子とは打って変わり、しゅんと肩を落とす。

「武闘会を見て、僕も強くなりたいと思ったんです。最近は体調もいいし、背も少し伸びたので、簡単な訓練くらいならできるんじゃないかって思ったら、いてもたってもいられなくて」

セレーネは今年で十三歳になる。騎士団に見習いとして入るには、適齢期だ。

北になるほど魔物は強くなり、男性も強さを求められるようになるというのは、ユリウスやセレーネと話をしているうちになんとなく、メルフィーナにも理解できるようになった。エンカー地方よりも北に位置するルクセン王国では、身分が高くなるほど勇猛であるのが美徳とされる。

セレーネの虚弱体質は大きすぎる魔力によるものだし、彼が抱えている激しい咳はルクセン王国の風土病だ。どちらもセレーネに責任のあることではないのに、実際の年齢より成長が遅く容姿も幼いセレーネに対する風当たりは、相当強いものだったのだろう。

体調がよくなり、背が伸びてきたことで、抑圧されていたそれらの感情のタガが緩んでしまっても、仕方の無いことだ。

「ユリウス様にもご相談したのだけれど、大きな魔力を持っている場合、背が伸び切る前はあまり体力を使い過ぎないようにした方がいいそうなの。いずれ身長が伸び切れば、魔力による不調はほとんど解決するから、それからでも遅くないだろうって」

「……はい」

「それでね、もしよかったら、セレーネに手伝って欲しいことがあるの。本当は冬の間にしておきたかったことのひとつなのだけど、間に合わなかったことがあって」

うつむきがちになっていたセレーネが、ぱっと顔をあげる。

「エンカー地方に植物紙が入ってくるようになったでしょう? それで、簡単な本を作りたいの」

「本ですか?」

流通している主な「紙」が羊皮紙の時代、本はとても貴重なものだ。

最も本を所蔵しているのは聖典を作っている教会で、次が象牙の塔だろう。

貴族も多少の蔵書を所有している家はあるだろうが、そのほとんどは代々の当主の手記や覚書であるとか、領地経営のノウハウを伝えるもので、娯楽や教科書としての「本」はまだまだ時代が進むのを待つことになる。

「エンカー地方は元々開拓民の土地だから、他の村落に比べて土地を個人で所有している割合が高いの。これまではそれでもあまり問題は起きなかったけれど、今、大きく発展する準備をしているでしょう? そうしたら、大都市から商人たちがやってくるのも時間の問題だと思うの」

「……これまで 長閑(のどか) にやってきた村人たちでは、所有する土地をとても不平等な条件で巻き上げられるようなことも、起きてしまうと姉様は心配されているのですね」

やはりセレーネは、聡明だ。その言葉にしっかりと頷く。

「今、執政官と文官たちが土地の譲渡に対する領地法の制定と、公証人制度の導入の準備を進めているわ。重要な契約を交わす際は公証人を挟んで互いに条件に納得した上でサインを入れ、契約書を二部作成するというやり方なのだけれど、エンカー地方には自分の名前を書ける人というのが、そもそもほとんどいないの」

エンカー地方に限らず、文字というのはそもそも高等教育である。大きな町や都市には、手紙の代筆をする仕事があるくらい、平民が読み書きが出来ないのは当たり前のことだ。

「名前まで代筆に頼るような状況では、いざ問題が起きたときにどちらの言い分が正しいか判断がつかなくなるわ。本当は契約者がサインしてない書類を勝手に作られても、第三者には分からないもの」

貴族が話し合いの後に握手をすれば、それは契約が成り立った証とされる。その履行は貴族の面子と矜持にかけて守られるけれど、平民はそうはいかない。

不当にだまし取られたという訴えがあったとして、客観的にそれが妥当かどうかの判断には、どうしても証拠が必要になってくる。

「だから、平民でも最低限自分の名前を書ける程度の修練をするための教本を作りたいと思っているの。羊皮紙ではお金がかかりすぎるから難しかったけれど、今は植物紙があるから、ようやく着手できると思ったのだけれど」

「今の姉様の多忙さで、そこまで抱えるのは無理ですよ」

「ええ、だからセレーネがお手伝いをしてくれたら、すごく助かるわ。いくつか見本を作って修正を入れていって、完成したら写本や製本は人を雇おうと思っているの。最初は少人数になるから、その指導もお手伝いしてもらえたらありがたいのだけれど。もちろん、体調に問題がない範囲で」

「僕、やります! 姉様のお仕事のお手伝いがしたいです!」

セレーネが表情を明るくする。こんな風に眩しく笑う彼を、なんだか久しぶりに見た気がする。

「すごく助かるわ。ありがとう、セレーネ」

笑い合っていると、濃厚な甘い匂いが漂ってくる。オーブンを開け、表面が濃いきつね色に焼けたチーズケーキを取り出す。

「冷めてからも美味しいけれど、今日は温かいままいただきましょうか」

包丁を入れると、まだ熱を放つケーキはとろりと柔らかく、形が崩れてしまう。そのまま皿に載せて、白い断面にフォルベリーの鮮やかな濃紫のジャムを垂らすと、目にも楽しいチーズケーキの完成だ。

「熱いから、火傷をしないように気を付けて。マリーとセドリックもどうぞ」

セレーネとの会話を静かに見守ってくれていた二人に声を掛けると、マリーはいそいそと新しいお茶を用意し、セドリックは真顔を保っていたけれど、茶色の目はキラキラと光を弾いて輝いていた。

マリーが着席して、まずメルフィーナが匙を使ってチーズケーキとジャムの混じった部分を掬い、口に入れる。

癖のないクリームチーズと砂糖の混じり合った、濃厚な甘さと重たい食感が口の中でふわりと広がる。フォルベリーの酸味がアクセントになり、華やかな香りが鼻に抜けていった。

「――美味しく出来ているわ。みんなもどうぞ」

三人はさっと匙を取ると、メルフィーナと同じようにジャムの掛かった部分を掬う。

ぱちぱちと瞬きをするセレーネ、目を細めてじっくりと味わっているセドリック、口元を押さえてメルフィーナを見つめて来るマリーと、反応は三者三様だったけれど、全員気に入ってくれたのは伝わってきた。

「これは……なんというか、すごく、甘くて、美味しくて……」

「このような味は初めてですが、濃厚ですね。柔らかくて、いくらでも食べることができそうです」

「お茶で口をすっきりさせてから食べると、また新鮮な感じがしますよ。それにこの、焼けている部分も食感が違って面白いです」

「チーズケーキっていうの。ケーキにも色々とあって、これは一番シンプルなレシピね。ロマーナ産の小麦粉が入ってくるようになったら、ふわふわだったり、サクサクだったり、色々なケーキが作れるようになるわ」

フランチェスカ王国の大半の畑で作られている麦は硬質小麦、パンを作るのに向いたいわゆる強力粉の小麦であり、ふんわりと軽いスポンジケーキやパイ生地を作るのにあまり向いていない。

南部の一部でも軟質小麦は作られていたけれど、大生産地はさらに南のロマーナ共和国である。植物紙とともにこの先、それらも届くようになるだろう。

「このチーズケーキ? もこんなに美味しいのに、他にも美味しいものが作れてしまうのですか」

「ええ、料理もお菓子も好きだし、これから先も、たまにはこうしてみんなで作ってお茶が出来たら素敵よね」

この世界は前世と違い、手に入らないものは沢山あるけれど、工夫次第で何とか出来ることもある。

それらをひとつひとつ、見つけていくのも、きっと楽しいだろう。

「はい、楽しみです、姉様」

明るく言ったセレーネは、幸せそうにもうひと匙、口に運ぶ。

気が付けばセドリックの皿は綺麗に空っぽになっていた。

マリーは端から丁寧に少しずつ掬っては口に入れ、お茶を飲んで、また少し食べている。

同じ甘党でも性格が出ると思いながら、メルフィーナも温かいチーズケーキを楽しんだ。