作品タイトル不明
第45話 水神様、ジャガタラ芋を揚げる
慶長十八年、旧暦十二月。
江戸城の堀にも薄く氷が張り始めるほど、底冷えのする季節になっていた。
俺は自室で、手を擦り合わせながら『救荒作物候補台帳』の整理をしていた。
長崎、平戸、堺、大坂の商人筋へ手配していた「米以外の腹の満たし方」の探索。その進捗状況をまとめるだけの地味な作業だ。
そこへ、新六郎が小走りで部屋に飛び込んできた。
「若君! 長崎筋の商人より、南蛮渡来の『ジャガタラ芋』らしきものが見つかったとの報告にございます!」
「早い! いや、めちゃくちゃ良い知らせだけど、想像以上に早いな!」
俺が身を乗り出すと、新六郎は報告書を広げた。
「南蛮・紅毛商人と取引のある大店が、観賞用、あるいは珍味・薬種まがいの『珍品』として、すでに少量を栽培・保持していたとのこと。……ただし」
新六郎の顔が、少し曇った。
「食した者もいるようですが、調理法が一定しておらず……芽や、表皮の青い部分を食して、激しく腹を壊した者が複数出ているとの噂にございます」
俺の顔が、瞬時に引き締まった。
(やっぱり、初期のじゃがいも伝来特有の『毒性事故』が出てる……!)
「よし、即刻その商人から実物を取り寄せろ! これは緊急案件だ!」
*
しばらく後。
早馬と船便を継ぎ、ようやく届いた実物を携えて、呼び出された商人が江戸城の奥深い小座敷へと通された。
出席者は、家康、秀忠、竹千代、俺。そして春日局が後ろに控えている。
商人が恭しく差し出した木箱の中には、例の『ジャガタラ芋』が収められていた。
箱の中の芋は、小ぶりで形も不揃いだった。
俺は、土のついた芋を手に取り、素早く仕分けを始めた。
「これは食用に回します。これは春の種芋候補。……そしてこれ。芽が深く出ているものと、皮が緑色っぽく変色しているものは、絶対に食べてはいけません」
俺が赤い墨でバツ印を書くと、商人が目を丸くした。
「若君は、この奇妙な芋の扱いを、すでにご存知なのでございますか?」
「後の世では、非常に重要な『命を繋ぐ作物』になります。……ただし、扱いを誤れば、人を殺す『毒』になります」
俺が真顔で言うと、商人は血の気を失って平伏した。
「ど、毒……!」
「だからこそ、これは絶対に公儀の管理下に置きます。毒の抜き方も知らないまま、勝手に民へ売り広めてはいけません」
俺が釘を刺すと、竹千代が横から冷たい声で追撃した。
「この芋を勝手に売り散らし、民が腹を壊して死ねば、商人の責として首が飛ぶと思え」
「は、ははぁっ!!」
*
商人が下がった後、俺は懐の端末を起動し、この時代の調味料で再現可能な調理法を検索した。
『じゃがいも調理候補:慶長期材料で再現可能なものに限定』
『油使用料理:火災・贅沢品化リスクあり』
『毒性注意:芽・緑化部除去必須』
『主目的:救荒食(飢饉時の非常食)としての評価』
『やっほー。ポテトチップス、いけるわよ』
(いきなり油を使う嗜好品に誘導しないでください。今は『救荒作物』としての真面目な評価試験なんですから!)
『でも、大御所様、絶対に油物好きよ?』
(……それは、分かる)
俺は、江戸城の台所を預かる料理人たちを呼び出し、極めて細かく指示を出した。
「芽の周囲は、深くえぐり取ること。青い皮は、厚めに剥くこと。切った後は水にさらす。……絶対に生で食べず、中までしっかり火を通すこと」
料理人たちは、毒見をするような緊張感で包丁を握った。
「芋を茹でるのに、これほど警戒するのでございますか」
「最初の試食は、文字通りの毒見です。雑にやれば、大御所様や将軍家の腹を壊しますよ」
俺が脅かすと、秀忠が呆れたように言った。
「……食う前から、随分と物騒な芋だな」
「救う芋であり、殺す芋でもあるか」
竹千代が、端的に本質を突いた。
「はい。だからこそ、公儀の試験と『手順書』が必要なのです」
*
第一試食。塩茹で・蒸し芋。
まずは基本中の基本。
塩茹でにした芋を、家康が一口食べた。
「……ほう。栗とも、里芋とも違う食感だな」
「ほくほくとして、腹には確かに溜まりそうだ」と竹千代。
「味は淡いが、味噌や塩によく合いそうだな」と秀忠も将軍の顔を崩す。
「これが基本です。救荒作物としては、派手な味より『腹に溜まること』が一番大事です」
次に、蒸し芋。
「柔らかく、歯の悪い年寄りや、小さな子供にも食べやすそうにございますね」
春日局が、母親目線で評価する。
「はい。ただし、水分が少ないと喉に詰まりやすいので、潰してお湯で伸ばすなどの工夫が必要です」
*
第二試食。味噌汁・味噌煮。
「次は、味噌汁に入れます」
「芋を、汁の具にするのか」
家康が珍しそうに椀を覗き込む。具はジャガタラ芋、葱、少しの大根葉だ。
「これは分かりやすい。民の台所でも、すぐに受け入れられるだろう」と竹千代。
「米を減らしても、汁と芋で腹が膨れるな」
「そうです。米の代わりではなく、米を『節約』する補助として、極めて強いのです」
そして、出汁と味噌、少量の酒で煮込んだ『味噌煮』。
「……いかん。これは、飯に合うな」
家康が、白米を要求しそうな顔になった。
「大御所様、救荒食の試験のはずが、逆に飯が進む罠ですから気をつけてください!」
*
第三試食。芋飯・芋団子。
米に切った芋を混ぜて炊いた『芋飯』。
「米が少ない年、芋を混ぜることでかさ増しができます」
「なるほど、米の減りが遅くなるな」と秀忠。
「はい。ただ、純粋な白米の味に慣れている者ほど不満が出るので、平時ではなく『飢饉時の備え』として広めるのがよいかと」
次に、蒸した芋を潰し、少量の粉を混ぜて丸めて焼いた『芋団子』。
「これは、子供がたいそう喜びそうにございます」と春日局。
「焼けば、兵糧にもなるか?」
家康が軍事目線で問う。
「乾燥させて保存できるかは、今後の試験次第です。芋は湿気るとすぐ腐りますから」
*
そして、第四試食。
薄揚げ芋。
後の世で言うポテトチップス風である。
俺は、薄く切った芋を念入りに水にさらし、水気を完全に拭き取った上で、高価な油でサッと揚げた。
この時代、油は極めて貴重であり、火災のリスクも高い。
俺は、料理を出す前に強く釘を刺した。
「大御所様。これは『救荒食』ではありません。油を大量に使い、火の気も危険なので、民へ広めるものでは決してありません。あくまで『芋の調理適性の確認』です」
「分かった分かった。御託はよいから、早く食わせよ」
家康が、塩を薄く振っただけの『薄揚げ芋』を一枚、パリッと口に入れた。
家康の動きが、ピタリと止まった。
そして、無言でもう一枚。
さらに一枚。
ポリポリ。サクサク。
「……これは、危険じゃ」
家康が、真顔で言った。
俺は血の気を失った。
「ど、毒が残ってましたか!?」
「違う。手が止まらぬ」
「……」
座敷が沈黙した。
竹千代も、一枚手に取って齧った。
「……確かに、これは危険だ」
「酒の 肴(あて) にもなりそうだな」と秀忠。
「食べすぎますと、胃の腑に重そうにございます」
春日局が、健康目線で苦言を呈す。
「ですよね! だからこれは、贅沢な嗜好品です! 飢饉対策の救荒作物の本筋じゃありません!」
「国松。もう一皿」
「大御所様!?」
「御用畑で、この芋を大急ぎで増やせ。これは、まこと面白い」
「増やす理由が、飢饉対策じゃなくなってる!」
『ほらね。絶対好きって言ったでしょ』
(当てなくていいです!)
*
その時、新六郎が追加の報告を持ってきた。
「若君。神仏ノードの『適地表示』に従い、武蔵近郊および山地の寺社領にて、太く保存に向く『地大根』の存在が複数確認されました」
「よし、大根きた!」
俺は、油物から話題を逸らすべく食いついた。
「大根なら、珍しくもあるまい」
家康が、薄揚げ芋を齧りながら言う。
「珍しくないからこそ、重要なんです! すでに皆が知っているものを、飢饉対策の『命綱』として公儀が体系化するのです」
俺は、地大根を使った料理候補を並べた。
大根味噌汁。
ふろふき大根。
大根飯。
大根おろし。
漬物。
切り干し大根。
干し葉。
菜飯。
ふろふき大根を食べた家康が頷く。
「これは分かる。冬には体が温まって良い」
大根飯を食べた秀忠が言う。
「これも、芋と同じく米のかさ増しか。米の逃げ道がまた一つ増えたな」
「本命は、これです」
俺が差し出したのは、『切り干し大根』だった。
「干した大根か」
「はい。干せば水気が抜けて極端に軽くなり、長く持ちます。お湯で戻せばすぐ食べられる。冬の日差しと冷たい風を使う、完璧な保存食です」
「これは、民へ広めやすいな」
竹千代が評価する。
「はい。大根はすでに知られているので、未知の芋のような『毒の抵抗感』がありません。新しい作物を広めるより、既存のものの『保存法』を広める方が、飢餓を救う速度は圧倒的に早いです」
「葉も、捨てずに食べるのですね」
春日局が、大根の葉を炒めたものを食べて微笑む。
「はい。葉も大事な栄養です。……芋より地味ですが、こちらは明日からでもすぐ使えます」
「芋は新しき命綱。大根は古き命綱、ということか」
家康の言葉に、俺は深く頷いた。
「はい。どちらも正しく扱えば、人を生かします」
*
家康が、最終的な判断を下した。
「ジャガタラ芋は面白い。腹に溜まり、料理の幅も広い。だが、毒と保存の問題が厄介じゃ。まずは公儀の御用畑に限定して試せ」
「薄揚げ芋は……うまい。だが、油を使いすぎるし、江戸の火事も怖い。民の救荒食ではなく、特別な贅沢品として扱いを分けよ」
「大根は珍しくない。だが、珍しくないからこそ強い。切り干し、漬物、葉の利用法を、寺社や村方を通じて広く民へ知らしめよ」
「毒性のある芋は、流通前に必ず公儀の手順書を作る。大根は保存法を広める。二つの扱いを明確に分けるのだな」
竹千代の完璧な実務の整理に、俺は「完璧です」と平伏した。
*
その夜。
俺の文机には、試食会の結果生み出された『新しい書類』が山積みになっていた。
『ジャガタラ芋試験栽培台帳』
『ジャガタラ芋毒性注意・手順書』
『ジャガタラ芋調理試験記録』
『薄揚げ芋・油火災注意喚起書』
『地大根保存法手引』
『切り干し大根作成手順』
『米かさ増し料理試験帳』
「……芋と大根を食べただけなのに、台帳が七つも増えた……」
「食べたからこそ、正確な記録が必要にございます」
新六郎が、極めて冷淡に言い放つ。
「君、最近ツッコミの質が兄上に似てきたね」
「恐れ入ります」
端末が、静かにログを更新した。
『ジャガタラ芋:実物確認。食用可能性高』
『毒性管理:必須(手順書作成)』
『御用畑試験栽培:開始』
『薄揚げ芋:嗜好品化リスク高』
『大御所様嗜好適合:極高』
『地大根保存法普及:開始』
「……大御所様嗜好適合って何だよ!」
『大事な情報じゃない。最高権力者が気に入った食べ物は、政治的に保護されて普及が早まるわよ』
「ポテトチップスで天下普請みたいな顔しないでください!」
『薄揚げ芋普請?』
「絶対に嫌です!」
ジャガタラ芋は、米の代わりになる可能性を秘めた、危険で、ひどく頼もしい『新しい命綱』だった。
そして大根は、派手さこそないが、すでにこの国に深く根を下ろした、古くて確かな『命綱』だった。
海の向こうから来た未知の芋と、足元の土にあった大根。
どちらも、正しく扱えば飢えた民の腹を満たす力を持っている。
だが、扱いを間違えれば人を救うどころか、人を殺す。
水神様と呼ばれる俺の仕事は、今日もまた、派手な奇跡を起こすことではなかった。
芋の毒を取り、大根を干し、油の火災を防ぐための、地味な手順書を作ることだった。
……そして、大御所様に、油たっぷりの薄揚げ芋を食べ過ぎさせないための健康管理である。