軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第35話 水神様、按針の国の船を知る

慶長十八年、旧暦五月下旬。

大久保長安の死と、その後に続く血なまぐさい疑獄の嵐が、いまだ駿府と江戸の空気を重く縛り付けていた。

だが、季節は確実に移り変わり、初夏の風が吹き抜けるようになり、田んぼの緑も鮮やかさを増しつつあった。

俺は江戸城の自室で、またしても新しい帳面の山に埋もれていた。

『水土御用・沿岸災害記録』

『高台避難路台帳』

『津波碑・祠連携案』

『港湾ノード調査項目』

……そして、『海が異様に退いた時の絶対禁則集』。

「……水神様とかいう大層な名前で呼ばれてるのに、最近俺がやってることって、避難経路の確認と注意書きの看板作りばっかりなんだけど」

俺の愚痴に、懐の端末がピリッと光った。

『当たり前でしょ。本物の防災ってそういう地味なことの積み重ねなのよ』

「まあ、そうなんだけどさ」

俺が筆を置いてため息をついていると、書記役の新六郎が、いつになく急いだ様子でふすまを開けた。

「若君。平戸の 湊(みなと) より、急報にございます」

「……平戸? 唐物か? それともまた、変な異物の持ち込み案件か?」

俺が身構えると、新六郎は少しだけ目を丸くして言った。

「いえ、異物ではございませぬ。……『 按針(あんじん) 』殿と同じ国の船が、平戸へ入ったとの報せにございます」

その瞬間、俺の思考が完全に停止した。

「……按針と同じ、国?」

「大船が、平戸の湊へ入ったとのこと。船の名は『くろーぶ』。船の長は『じょん・せーりす』と名乗り、その手には、彼らの国の王の書状が握られているとのこと」

新六郎が読み上げる報告を前に、江戸城の奥深い座敷には、大御所・家康、秀忠父上、竹千代兄上、天海僧正が顔を揃えていた。

「大御所様への書状と、献上品も積んでおる様子。オランダとも、ポルトガルとも、イスパニアとも違う紅毛人にございます。……ゆえに、平戸の者たちは、同じ国から来た按針殿を通訳・仲介に使うべきか、公儀の御意向を伺ってきております」

(……イギリス来たあああああああああ!!!)

俺は、表面上は平伏してピクリとも動かなかったが、内心では大爆発を起こしていた。

(ジョン・セーリス! イギリス東インド会社のクローブ号! 江戸時代初期の、イギリスとの直接外交の開幕じゃん! ってことは……ワンチャン、献上品の中に『望遠鏡』があるかも!?)

俺が必死に興奮を抑え込んでいると、隣に座っていた竹千代が、冷ややかな声で囁いた。

「……顔がうるさいぞ、国松」

「えっ、私、今すごく冷静な顔をしてるつもりですが!?」

「顔の筋肉が引き攣っておる」

「……按針の同国人か」

家康が、顎髭を撫でながら低い声で呟いた。

三浦按針ことウィリアム・アダムス。

かつてリーフデ号で日本に漂着し、今では家康に重用され、造船や航海術の顧問として仕えている男だ。

「平戸までわざわざ来たということは、我らと交易の約定を求めているのでしょうな」

秀忠が、将軍としての慎重な目で口を挟む。

「宗門の影も、深く見極めねばなりますまい」

天海僧正が、数珠を擦り合わせながら警戒の色を見せる。

竹千代も、冷静に状況を整理した。

「ポルトガル、イスパニア、オランダに続き……また別の海の国が、日ノ本へ手を伸ばしてきたということか」

俺は、ここで少しだけ「未来の知識」を挟むことにした。

「……大御所様、父上。あの国は、後の世では、非常に大きな海の力を持つ国になります」

家康の目が、鋭く光った。

「ほう」

懐の端末が、俺の視界に静かなシステムログを展開した。

『対象:イングランド王国/東インド会社』

『歴史影響判定:中』

『開示許可:限定的承認』

『注意:詳細な戦争史・植民地支配・産業革命・海軍情報等の開示は絶対非推奨』

『大枠の外交的重要性についてのみ、開示可』

俺は、端末の警告に従い、慎重に言葉を選んだ。

「あの国は、今はまだ遠い海の向こうから苦労して船を出してくる国にすぎません。……ですが、いずれ世界の海を股に掛け、海そのものを動かすほどの影響を持つ時代が必ず来ます」

「……世界の海を、動かすか」

秀忠が、信じられないというように息を吐いた。

「日ノ本とは、どうなる」

家康が、最も重要な核心を突いてきた。

俺は、一瞬の躊躇のあと、覚悟を決めて言った。

「……一時期、激しく敵対することもあります」

座敷の空気が、ピシッと凍りついた。

だが、俺は即座に言葉を継いだ。

「ですが、その後……あの国と日ノ本は、強固な同盟国になります。海を通じて、互いに極めて大きな意味を持ち合う、長い、長い縁を持つ時代が来るのです」

家康は、目を細めて虚空を見つめた。

「……敵にもなり、味方にもなるか。長い縁じゃな」

「はい。ですから……今ここで、あの国と良き 伝手(つて) を作っておくことは、徳川にとっても、日ノ本の未来にとっても、かなり高い価値があると存じます」

秀忠が、少し不安そうに問いかけた。

「……按針の国の王の書状というが。その王家は、国松の知る後の世にも、残っているのか?」

「はい」

俺は深く頷いた。

「少なくとも、私の知る後の世までは、形を変え、試練を乗り越えながらも、王室は残っています」

「ほう。王の家が、それほど長く残る国か」

家康が、少しだけ面白そうに喉を鳴らした。

「ならば、今の王からの書状も、軽く扱うべきではないな」

竹千代も、政治的な重要性を即座に理解した。

「はい! 王の書状を雑に扱うのだけは、絶対に駄目です! 後世まで禍根を残しますから!」

俺が必死に念を押すと、家康はフッと笑った。

「ならば……その王の使いと、一度会ってみるか」

「ただ会うだけではつまらぬ。向こうが何を求め、何を持っているかを、我が目でしかと見る必要がある」

家康が、外交の主導権を握るべく目を光らせた。

「交易の許可、開く港、通訳の手配、宗門の問題。武器、火薬、銀。……見るべきものは山ほどございますな」

秀忠も同意する。

竹千代が、スッと俺の方を見た。

「国松。お前は、あの国について『何に気をつけるべきだ』と思う」

「……海です」

俺は即答した。

「あの国の力の源泉は、陸の兵ではなく、海と船と交易にあります。ですから、港湾の整備、船の作り、航海術、船に乗せる火器、商館の構え、宗教……これらをバラバラではなく、全て『海に繋がるもの』として一体で見るべきです」

家康が、ひどく満足そうに笑った。

「……按針と、全く同じことを申すな」

「按針様は、本物の海を渡ってきた実務の人ですからね。私はただ、後の世の知識を本で読んだだけです」

そして。

家康が、ふと、恐ろしい思いつきを口にした。

「……ならば。竹千代と国松も、その異国人に会わせてみるか」

「……っ!」

秀忠が、ハッとして顔を上げた。

「父上。異国の使いに、次代の竹千代だけでなく、国松までも同席させるおつもりですか?」

「あの国は、後の世にも王家を残し、日ノ本と長く縁を結ぶ国なのであろう? ならば、徳川の次代の顔と、その補佐となる者の顔を、あちらの記録に残させておくのも悪くない」

家康は、楽しそうに笑っている。

竹千代は、その意図を静かに受け止め、深く頭を下げた。

だが、俺は内心でパニックになっていた。

「えっ、私もですか!?」

「お前が『伝手を作る価値がある』と言ったではないか」

「言いましたけど……私、外国の偉い人と会うなんて初めてですよ!? 外交デビュー戦にしてはハードルが高すぎませんか!」

秀忠が、呆れたようにため息をついた。

「……お前は普段、大御所様の御前で平然と歴史をひっくり返すような未来の話をするくせに、今さら異国人が怖いのか」

「外国人相手にうっかり未来知識の失言をしたら、本物の国際問題になるじゃないですか!」

「その自覚が少しでもあるなら、まだよい」

竹千代が、冷ややかに俺を見下ろした。

「国松が同席するなら、私から条件を出す」

竹千代は、俺の首に何重もの鎖をかけるように言った。

「会見の場では、私の許しなく重大なことを勝手に語るな」

「……はい」

「未来の戦や、同盟の詳しい年号などの話は絶対にするな」

「……はい」

「宗門について、不用意に触れるな」

「……はい」

「……そして。もし献上品の中に『望遠鏡』が出たとしても、興奮して星の話などするなよ」

「望遠鏡!? やっぱり献上品にあるんですか!?」

俺が身を乗り出すと、竹千代は頭を抱えた。

「……顔に出ているぞ。隠す気がないのか」

「望遠鏡とは、何だ」

家康が、怪訝な顔で問いかけてきた。

俺がうっかり喋りそうになった瞬間、端末が猛烈に点滅した。

『【警告】天文学・地動説関連知識:開示非推奨』

『宗教権威との衝突リスク:高』

「……っ! と、遠くの景色を近くに引き寄せて見る『不思議な筒』の可能性があります。詳細は……現物をこの目で見てから判断したいです」

俺が必死に誤魔化すと、家康は「ふむ」と面白そうに喉を鳴らした。

「遠くを見る筒か。……なるほど、楽しみがまた一つ増えたな」

家康は、最終的な外交方針をまとめた。

「会う。按針を呼び寄せ、仲介に立てる。……まずは、駿府で儂が書状と献上品を見よう。その後、江戸へ下らせて秀忠にも会わせるのがよかろう」

(史実通りだ……。セーリス一行が駿府で家康公に会い、そのあと江戸で秀忠公に会うルート……!)

家康は、最後に俺を見て言った。

「国松。お前は異国人の前では、ただの『大人しい童』であれ」

「それなら得意です! 空気になります!」

「「「無理だな」」」

竹千代、秀忠、家康の三人が、見事にハモった。

「……全員、ひどい!!」

家康が、笑いながら言った。

「ならばせめて、竹千代の隣に控えている『賢い童』として振る舞え。お前一人が無闇に目立つな」

「私が完全に制御いたします」

竹千代が、無慈悲に言い切る。

「……制御って言い方、ロボットか何かですか!」

夜。

自室に戻った俺は、端末を開いた。

『平戸来航情報:登録完了』

『対象:イングランド王国/東インド会社』

『外交重要度:高』

『未来関係:敵対期あり/同盟期あり』

『会見時注意:宗教・航海病・天文学・植民地・産業技術情報の開示制限』

『国松発言権限:竹千代許可制に移行』

「……注意事項が、多すぎる。そして発言権限が完全に剥奪されてる……」

俺が肩を落としていると、KAMI様がポップアップを出してきた。

『海外デビューおめでとう。国際的な『水神童』への第一歩ね』

「やめてくれ。国内の田んぼと港だけでも持て余してるのに、海外の記録にまで水神様扱いされたくない!」

『無理じゃない? 次のショウグンと見なされている兄の隣にちょこんと座ってる、神の知識を持つ神童。……異国人が、そんな美味しいネタを本国への航海日誌に記録しないわけがないでしょ』

「……記録に残すなああああ……!!」

その頃。

遠く離れた平戸の湊では、長い長い航海を終えた異国の船乗りたちが、日本という未知の国を見定めようとしていた。

彼らはまだ知らない。

この国には、次の将軍と呼ばれる少年のすぐ隣に、火と水と帳面の 理(ことわり) を語り、未来の知識に怯える、奇妙な弟がいることを。

そして俺も、まだ知らなかった。

異国人の筆によって、自分が「水神の若君」として海を越えて記録される日が、足音もなく近づいていることを。