軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 水神様、部下を動かして現場に沈む

慶長十八年、旧暦二月初め。

田植えにはまだ早いが、春の種籾の準備や、 苗代(なわしろ) 作り、水路の点検、そして田起こし前の現地下見など、百姓たちにとっての「新しい一年の仕込み」が始まる重要な時期だった。

そして俺、竹千代附・水土異物御用見習の国松は、江戸城の一室で意気揚々と立ち上がっていた。

「よし! 今日からついに、部下に仕事をガンガン投げるぞ!」

俺の目の前には、竹千代兄上から押し付けられた、江戸近郊の大名・寺社・商人からの膨大な『問い合わせ書状』の山がある。

これまでは俺一人で頭を抱えていたが、今の俺には竹千代が集めてくれた直属のチームがあるのだ。

(自分で全部やらず、優秀な担当者に割り振る。これこそが、中間管理職の神髄!)

俺は、大きな鳥の子紙を広げ、墨で力強く線を引いて分類の表を作り始めた。

「いいか、新六郎。まずは全ての書状に『受付番号』を振れ。そして依頼元を明記。内容は三行以内で短く要約しろ。その横に、危険度、担当者、返答期限、次の処理手順、そして一番最後に竹千代兄上の確認欄だ。……これがないと、後で言った言わないになって絶対に燃えるぞ!」

俺が前世の社畜経験……もとい、現代のタスク管理メソッドを全開にして指示を飛ばすと、書記役の青山新六郎が目を丸くした。

「……若君。なんという整然たる仕分け。まこと、見事な帳面にございます」

「だろ? これを作っておかないと、誰がどの案件を握り潰したか分からなくなるからな。よし、次は分類だ!」

俺は書状をパラパラとめくりながら、次々と判断を下していく。

「『塩水選や草祓い車の作り方を教えてほしい』……これは【写本送付】で済む案件だ。写本僧に回せ。

『村の井戸や水路を見てほしい』……これは【要調査】だ。又兵衛、お前の出番だ。

『奇石を一つ譲ってほしい』……これは【却下・保留】。そもそも禁制扱いだ。

『国松様に我が家の田で直接御神託を賜りたく』……これも【却下・保留】。私は神託マシーンではない!」

俺の勢いに、後ろで控えていた小栗半兵衛がシャシャッと筆を走らせる。

「『水神様、安易なる神託を厳に慎み給う』……と」

すかさず、新六郎が静かな声で横槍を入れた。

「恐れながら半兵衛様。ここは事務的に『御神託希望は対応不可にて却下』でよろしいかと存じます」

「新六郎! それでいい! 君は完全に事務方の希望だ!」

俺が新六郎を大絶賛していると、少し離れた上座から竹千代兄上が静かに感嘆の声を漏らした。

「……なるほど。混沌とした書状の山を、捌く順と危険度に従って並べ直すわけか。国松、やはりお前は、こういう紙の山を処理させると妙に手際が良いな」

「兄上、理解が早い! 前世の……いや、これまでの嫌な経験が活きているのです!」

その時、俺の視界の端にKAMI様からのポップアップが飛んできた。

『KAMI:さすが情報過多な現代人。案件を番号で管理して、担当を振って、返答期限を切るのはお手の物ね』

「……嫌な褒め方ですね」

『KAMI:SNS、メール、チャット、タスク管理、炎上対応。現代人って無駄に情報処理能力だけは鍛えられてるからねぇ』

「前世の胃痛が役に立ってるのが、自分でも腹立ちますよ」

俺のブツブツとした独り言を聞きつけ、竹千代が怪訝な顔をした。

「胃痛で政ができるのか?」

「現代では、理不尽な胃痛に耐えられる者だけが、中間管理職という役職に就けるのです」

「ならば、お前は向いているな」

「向いてません!!」

俺は、集まった部下たちに次々と仕事を割り振った。

「又兵衛。お前は、江戸近郊から『試験導入候補地』を三つ選んでくれ。条件は、水争いが激しすぎないこと、代官がきちんと帳面を残せること、村側に話を聞ける真っ当な庄屋がいること、そして去年の収量記録が明確にあることだ」

伊奈配下の土木担当、榊原又兵衛が鋭い目を細めた。

「……田の土と水の良し悪しだけでなく、代官という『人』と『帳面』を見るのですな」

「そう。田んぼだけ見ても、後で必ず揉めるからな」

「新六郎は、さっきの分類台帳の作成と管理。半兵衛は俺の発言記録だが、神話調は禁止だ。必ず新六郎のチェックを通すこと」

「私の文章が……新入りの新六郎殿に検閲されるとは……」

半兵衛がショックを受けているが、俺は無視した。

「写本僧たちは、『試験田法覚』の写本第一号の作成。ただし、『年貢増徴禁止条件』と『失敗例の記録』は、一字一句絶対に削らないこと!

平八郎は、私が出向く巡回候補地の逃走経路の確認だ。水路、畦、橋、藪、そして野犬のいる場所と、怪しい直訴者の接近経路も事前に見ておいてくれ」

柳生門下の庄田平八郎が、真顔で首を傾げた。

「……野犬も、でございますか?」

「犬は怖いからね。狂犬病とかシャレにならないし」

竹千代が、少しだけ口角を上げて言った。

「そこだけは、子供らしいな」

よし。これで仕事の割り振りは完璧だ。あとは部下からの報告を待つだけ。

俺は大きく伸びをし、「中間管理職って最高だな!」と高笑いした。

だが、その日の夕方。

俺の『部下に投げて楽をする計画』は、脆くも崩れ去った。

「仕事を投げたら終わり」ではなかったのだ。

部下たちが、それぞれの持ち場から凄まじい密度の「報告」を持って帰ってきたからだ。

「若君。分類台帳の試案にございます。ご確認を」

新六郎が持ってきた台帳は、確かに見事で整理されていた。だが、項目があまりにも多すぎて、全てに目を通して承認の判を押すだけで途方もない時間がかかる。

「若君! 写本第一号の草案の一部にございます!」

写本僧から上がってきた書類を確認した俺は、血の気を失った。

「待って! 『塩水選の塩の濃さ』の数字が、一箇所写し間違えられてる! これ、そのまま村に渡したら、塩が濃すぎて種籾が全滅して死ぬやつだぞ!」

手書きコピーの恐ろしさを痛感し、俺が頭を抱えていると、新六郎が即座に解決策を提案した。

「若君。写本照合の手順を改めましょう。一人が読み上げ、一人が書き写し、さらにもう一人が元の文書と照合する、三名体制にすべきかと存じます」

「新六郎! 君、本当に有能だな! すぐそれでいこう!」

そして、最も重い報告を持ってきたのは、又兵衛だった。

「若君。江戸近郊の候補地を三つ絞り、その中で最も条件が良いと思われる場所を見つけてまいりました」

「おっ、さすが仕事が早いな。どこだ?」

「江戸北郊の御料地にございます。水路も整っており、近くに古い祠あり。去年の収量記録も明確で、村側の協力も得られそうにございます。……ただし」

又兵衛は、少しだけ顔を曇らせた。

「問題もございます。上流の村と下流の村で、水の取り分に強い不満がくすぶっております。さらに、現地の代官は若君の法での『増収』に乗り気すぎるきらいがあり……百姓たちは逆に、年貢が上がるのではないかと強く警戒しているご様子」

俺は、持っていた筆をポトリと落とした。

「……行く前から、めちゃくちゃ不穏じゃないか!」

隣で聞いていた竹千代が、冷たく言い放った。

「だから、現場を直接見る必要があるのだ」

数日後。

俺は又兵衛、平八郎、半兵衛、新六郎らを伴い、その江戸北郊の試験田候補地へと向かった。

今回は竹千代兄上は同行しない。

だが、出発前に強い釘を刺されていた。

『国松。村人の言葉を鵜呑みにするな。代官の言葉も、絶対に鵜呑みにするな。田と水と帳面、その三つを己の目で見よ』

「了解です。現場、証言、記録の三点確認ですね」

『……その言い方は便利だな。使わせてもらおう』

「自由に使ってください!」

現場に到着すると、まだ春浅い田は乾ききっており、茶色い 畦(あぜ) が幾重にも連なっているのが見えた。

細い水路には、冬の乏しい水がチョロチョロと流れている。

村人たちは、ひどく緊張した面持ちで俺たちを迎えた。

彼らの目は、俺を「徳川の若君」としてではなく、「噂の水神様」として半分本気で恐れ敬っているようだった。

「水神様に、このような辺鄙な村までお越しいただき……」

庄屋が地面に額をこすりつけて震えている。

「違う。私は水神ではない。竹千代兄上附きの、ただの御用見習だ」

俺が否定すると、半兵衛がシャシャッと筆を動かす。

「『水神様、御自らをただの見習と謙遜し給う』……と」

「半兵衛様。ここは『国松様、見習である旨を説明』でよろしいかと存じます」

新六郎が、静かに、しかし有無を言わせぬ圧で修正を入れる。

「……新六郎、君がいてくれて本当に助かる!」

俺は、又兵衛の案内で田んぼと水路を見て回った。

懐の端末のAR機能が、静かに視界の奥で稼働する。

『水路流量:季節変動大』

『上流取水過多リスク:中』

『下流乾燥リスク:中』

『畦崩れ箇所:二箇所』

『試験田適性:条件付き可』

「……なるほどな。この田だけをいくら良くしても、絶対に駄目だ」

俺は、乾いた水路を指差して言った。

「上流が少しでも水を多めに取りすぎれば、下流の田は枯れる。下流の百姓が怒れば、夜中に 水口(みなくち) をこっそり壊される。……ここでの問題は、土の質じゃない。水の配分だ」

又兵衛が、深く頷いた。

「まさに、その通りにございます。……若君は、田の 面(おもて) だけでなく、水路を通じた『村同士の繋がり』まで見ておられるのですね」

生粋の土木実務家である又兵衛の目に、俺を少しだけ見直したような光が宿った。

俺は庄屋や村人たちから話を聞いた。

「若君様……。もし、本当に米が二割も増えれば、公儀は年貢を増やすのでございましょうか?」

「新しい道具作りや塩を買う金は、誰が出すのでございますか?」

「もし、上流の村だけが水神様の法で得をして、下流の我らが失敗した時は、誰が責を取るのでございますか?」

「失敗すれば、それは神の祟りなのでは……」

百姓たちの口から溢れ出たのは、新技術への期待ではなく、生々しい「不安と恐怖」だった。

(……分かったぞ)

俺は、深く息を吐き出した。

(田んぼの『技術』だけをポンと渡しても、絶対に駄目なんだ。村と代官の関係、上流と下流の水の取り合い、そして年貢の仕組み……。そこまで全部丸ごとひっくるめて面倒を見ないと、この試験は確実に失敗する!)

そこに、現地の代官が意気揚々とやってきた。

「若君様! 二割も増収が見込めるという素晴らしい御法、ぜひともこの村の田、全面で一斉に試させていただきたく存じます!」

代官の目は、出世と増税の欲でギラギラと輝いていた。

「駄目だ」

俺は、代官の言葉をピシャリと撥ね退けた。

「まずは、 一反(いったん) にも満たない『小さな区画』だけで試す」

「それでは、増収の益が少のうございますが……」

代官が不満そうに口を尖らせると、俺は冷たい声で返した。

「今年は、米を増やす年ではない。『試す』年だ」

横から又兵衛が、代官を威圧するように口を開いた。

「代官殿。若君の法は、その土地の土と水に合うかを慎重に見極めてから広めるもの。無闇に急いで村全体を巻き込み、もし大失敗すれば……その責めは全て、現場を預かる代官殿が負うことになりますぞ」

「うっ……」

代官が怯んだところへ、俺はトドメの一撃を放った。

「この試験の結果は、竹千代兄上への直接の報告対象となっている。勝手な真似は許さんぞ」

次期将軍の名前を出された瞬間、代官は「ははぁっ!」と地面に平伏し、即座に大人しくなった。

(兄上の名前、マジで強すぎる……)

俺は、村人たちと代官を前に、試験導入の「条件」を明確に読み上げた。

「試験は小区画のみで行う。必要な塩は、領主側が負担する。もし失敗しても、百姓を罰することはない。……そして、もし増収したとしても、最低二年は年貢の引き上げには反映しない」

その言葉に、庄屋たちがハッとして顔を上げた。

「ま、誠に……増えても、すぐには取られないのでございますか?」

「そうでなければ、お前たちも本気で新しいやり方を試そうとはしないだろう? これは、竹千代兄上と大御所様の御墨付きだ」

村人たちの顔から、強張った不安の色が少しだけ抜け落ちた。

「その代わり、上流と下流の水の配分は厳密に記録する。水番を明確に決める。収量は乾燥後に正確に量る。そして……失敗した場合は、どうして失敗したのか、その『失敗の理由』を必ず隠さずに報告すること。これが条件だ」

村人たちが、今度は恐怖ではなく、確かな意志を持って深く平伏した。

俺は、現場の空気が「不安」から「協力」へと少しだけ変わったのを感じていた。

田んぼの視察を終えた後、すぐ近くにある古い水神祠の前に立った。

端末が、微弱な反応を返す。

『小規模水路ノード:休眠中』

『信仰低下/水路泥詰まり/水番不在』

『推奨:清掃・水番札設置・祠修繕』

「ここも結局、祠と水路の物理的な管理が繋がっているんだな……」

俺は村人たちに指示を出した。

「この祠をただ拝むだけじゃなく、周りの泥を取って、水路の詰まりを直しておいてくれ。水が淀めば、神様も窮屈だろうからな」

「おお……やはり水神様は、何よりもまずお掃除をお命じになられる……!」

「またそのパターンか!」

帰り道。

又兵衛が、俺の横を歩きながらぽつりと言った。

「若君。……正直に申せば、私は今日、この現場にお供するまで、若君の田法を『童の不思議な思いつき』程度に疑っておりました」

「正常な感覚だ。気にするな」

「ですが、今日見てよく分かりました。若君は、田の土や水だけではなく……水の取り分、人の不満、そして帳面の穴という『人の心』を深く見ておられる」

「そこを見ないと、すぐに燃えるからな」

「燃える、と申されますと?」

「揉める、という意味だ」

「なるほど。ならば、実によく燃えますな。この世の田というものは」

「又兵衛、怖いこと言わないでくれ……」

江戸城へ戻り、竹千代兄上に事の顛末を報告した。

「試験田法は、ただの田の技術マニュアルじゃ駄目です。村と代官の力関係、そして水の取り決めまで含めた『制度』としてセットにしないと、絶対に失敗します」

竹千代は、書き物をしながら少しだけ口角を上げた。

「ようやく、そこに気づいたか」

「……兄上。知ってて、わざとあんな不穏な候補地に行かせましたね?」

「だから、自分の目で現場の田と水と帳面を見ろと言ったのだ」

「教育がスパルタすぎる!」

竹千代は、満足そうに頷いた。

「よい。次からは、候補地ごとの帳面に『技術適性』だけでなく、村と代官の『人間関係適性』の項目も報告に入れろ」

「また項目が増えた!」

俺が悲鳴を上げると、横で新六郎が素早く筆を走らせた。

『試験導入適性:土水条件/記録能力/代官姿勢/百姓不安/水争い有無……追加完了いたしました』

「新六郎、仕事増やすの早すぎるよ!」

夜。

自室で端末を開くと、今日の成果と新しいタスクがずらりと並んでいた。

『案件管理様式:仮稼働』

『部下への業務分担:成功』

『報告書確認負荷:増加』

『試験田候補地:一件条件付き承認』

『導入条件:制度面補強必須』

『新規管理項目:人間関係適性』

「田んぼの話だったはずなのに、なんで『人間関係適性』なんて項目を管理しなきゃならないんだよ……」

俺がげっそりしていると、KAMI様のポップアップが飛んできた。

『KAMI:農業は人間関係よ。水を分けるってことは、村の命と利益を分けるってことなんだから』

「……技術チートだけで、サクッと解決できる世界がよかった」

『KAMI:そんな世界、ただの作業ゲーでつまらないでしょ?』

「俺は、つまらなくていいから平和に生きたいんだ!」

部下に仕事を丸投げすれば、楽になる。

そう思っていた俺は、今日一日で思い知らされた。

部下が増えると、俺の代わりに現場を見てくれる目が増える。

見えるものが増えると、俺が判断し、決断しなければならないことも雪だるま式に増える。

そして田んぼは、土と水だけでできているわけではない。

人の欲と、不安と、年貢と、水の取り分という、ドロドロの人間関係でできているのだ。

「……これ、去年一人で田んぼいじってた時より、確実に難易度上がってないか?」

端末は、冷酷な青い文字で、ただ一言だけ返してきた。

『肯定』