軽量なろうリーダー

10年後に救われるモブですが、10年間も虐げられるなんて嫌なので今すぐ逃げ出しますーーバタフライエフェクトーー 【コミカライズ連載中】

作者: 三香

本文

その日、私は前世を思い出した。

きっかけは母親の死だった。

母親と父親は貴族の王道の政略結婚で、父親には愛人がいた。

母親の死後、父親は日を置かず愛人を正妻として異母妹を娘として屋敷に入れ、その異母妹が成長して悪役令嬢となりーーーーな小説を思い出したのだ。

アニメにもなった小説で、私も大好きだったからイラスト集も持っていたし分厚い設定集も読んだ。

けれども、まさか悪役令嬢の異母姉に転生するなんて。

この異母姉リリージェンは、出番は数行なのだが薄遇な定番コースまっしぐらな令嬢なのだ。

父親に愛されず義母に虐待され、異母妹に母親の形見も婚約者も家での嫡子の立場も全てを奪われる。

小説での異母妹は治癒魔法の所有者として未来の聖女と周囲からチヤホヤされて美しく傲慢に成長するが、ヒロインである魔力の多い新たな聖女候補が現れて、恋やら嫉妬やら色々絡んで話はドキドキワクワクの展開をするのだ。

結果として悪辣な行為を加速させた異母妹は流行りのざまぁをされて、で、ここでリリージェンの登場となる。

義母と異母妹に食い散らかされてボロボロになった伯爵家と、何より最悪なのが「悪かった、リリージェン」の一言で父親と和解して弱った父親の面倒を押しつけられるのである。

嫌すぎる。

10年間も虐待されて、これは救いというよりも罰ゲームだと私は思うのだ。

小説では、義母と異母妹は罰を受けてリリージェンは後継者の地位を取り戻したので、救われたと表現されていたがそれは表面的な問題だけで。リリージェンは虐待してきた相手を謝罪の一言で許さなくてはならなくて、さらに新たな苦労がまだまだ続くのだから。

それに私はいつも不思議に思っていた。

母親と父親は政略結婚なのだ。家の利益や策略や契約ありきの。どうして母親方の親族が、たとえ親権が父親方の家にあるとしても子どもの虐待を許しているのか、と。

貴族として血族にある子どもが虐げられていると言うことは、すなわち父親方が母親方の家を侮っていると言うことになるのだから。下位貴族ならまだしも高位貴族が、面子の問題でプライドにかけて黙っていないだろう、と。

だから今日、義母と異母妹との屋敷での初めての顔合わせで。

「お父様、私は叔父様の養女になろうと思います」

と私は父親の顔を見て言った。

叔父は亡き母親の双子の弟であった。私を幼い頃から可愛がってくれていて、養女の件はすでに手紙で了承をもらっていた。

手紙は高級な紙なのに、叔父の涙の跡らしく所々シワになっていた。叔父の悲しみに胸がつまった。叔父は息子が重い病魔に取りつかれており屋敷から動くことができず、姉である母の最期も看取れず文字は悲嘆な思いで乱れていた。

小説のリリージェンは、叔父の心痛や動けない状況を思いやって叔父に助けを求めることはしなかったけれども。

私は「助けて」と叔父にすがった。

前世の経験から、子どもは困った時には「助けて」と声を上げるべきだと思っている。

なるべく大きな声を。

助けてもらえないこともある。

が、助けてもらえることだってある。

叔父は腹心の部下を手紙とともに送ってくれた。

私の背後で父親たちに睨みを利かしてくれている筋骨隆々とした騎士を。

この騎士の存在のおかげで、父親たちは私の話を一笑に付することなく耳を傾けているのだ。

「再婚とともに嫡子を放り出した、と言われては外聞も悪いので養育費と将来の持参金をつけて円満的に養女に。悪くない話と思うのですが」

貴族は体面を大事にするから家名が傷つかず私を排除できる方法は、父親も義母も諸手を挙げて歓迎だろうと考えたのだ。

父親も義母も伯爵家の後継に異母妹を据えたいのだから。

おそらく大義名分として、母親を亡くした哀れな娘を母親の生家が伯爵家が止めたにも関わらず強引に引き取った、そのために伯爵家は娘が不自由をしないように大層な援助をした、という感じの美談となって社交界に父親が噂を流すことになるのだろう。

叔父は社交界に出ないから噂なんて気にしない、と言ってくれた。大切な姉の忘れ形見を守るのは何よりも大事だ、と。

父親と義母は、7歳の娘のいきなりの提案に驚いた顔をしているが、異母妹を堂々と跡継ぎにできる絶好のチャンスに喉をごくりと鳴らしていた。特に義母の目のギラつきが凄い。

同じ年の異母妹はテーブルに並ぶ色とりどりな菓子に夢中で、私たちの会話など聞いていない。メイドに世話をされてお姫様気分で、ポロポロ溢しながら菓子を食べていた。どうやら貴族教育はまだ受けていないらしい。

両親に溺愛されて甘やかされてワガママ放題に育っていくのか、と少し哀れに思ったが私は私の未来を確保したい。7歳の無力な小娘である現在は自分の身を守ることで精一杯だ。

「後々の相続や継承問題もありますから、この伯爵家から完全に縁を切る除籍でいかがでしょうか?」

伯爵家には莫大な資産がある。

義母と異母妹の豪遊散財で傾くにしても、今は大金持ちだ。

叔父の家も裕福だし私自身お金よりも母親の形見が優先であるが、人間はお金を払うと安心する面がある。しかも父親の伯爵家は、なまじお金があるだけに何事も金銭で解決してきたので、私が交渉のテーブルにお金を出したことに父親は頬を緩めていた。父親は、自分の評価が落ちてしまう子捨てをお金で代償して社会的にも心的にも負担を減らしたいのだ。

父親にとって、免罪符というものはお金で買えるものなのだから。

義母に熱い視線を向けられ父親は頷く。

「おまえがそう望むのなら」

と、よき父親のふりをした言葉にグッと心の中で私は拳を握った。

私はドレスの裾をつまんで父親に礼をした。

ずっと父親は私に関心がなかった。私は母親と領地にいて、父親は王都で暮らしていた。数えるほどしか会ったことはない父親に最後くらい文句を言いたかったが、喉元まで出かかった言葉を呼吸を整え呑み込む。

一時の感情に振り回されて行動をするのは愚か者だ。

貴族の令嬢の作法として優雅に頭を下げて、私は別れを告げた。

母親と私を顧みることもなく常に見下して軽んじてきた父親に、もう未練の欠片もなかった。父親は王都にいて、母親の葬儀にも姿をあらわさなかったのだ。

こうして沈む予定の船から、私は母親の形見と大金を持って馬車を連ねて逃げ出したのだった。

馬車の車輪がギシギシと鳴る。

石畳で舗装された道から雑草が両脇に茂る踏み均されただけの砂利道へ。小石が車輪に食い込むように絡む。整備されていない長い道が延々と続き、まるで怪物の腸のようにうねる道を母親が花嫁として通った方向とは逆に進む。

叔父は辺境伯なので、父親の伯爵領から馬車で15日もかかるのだ。

私は揺れる馬車内で小説の内容を整理した。

地理的に距離が離れているとは言え何故、強力な後見となる叔父がいながらリリージェンが虐待されたままだったのか。

小説では、叔父は一人息子を病気で亡くし気落ちしているところに大規模な魔物の氾濫がおきてしまい、荒れ果てた領地の再建に奔走することになり、ぶっちゃけリリージェンまで手を回す余裕がなかったのである。

だから私は父親から逃げ出すために辺境へ行くと同時に、それは叔父を助けるためでもあるのだ。大丈夫。私には前世を思い出すとともに目覚めた治癒魔法がある。

異母妹が治癒魔法を使えたのも、父親の家系の祖が王国の初代聖女だからなのだ。私もその血を継承している。しかも母親は膨大な魔力を保有することで有名な辺境伯家の出身である。

モブだけれども血統的にヒロイン以上の魔力量があるリリージェンは、本当は聖女にもなれるのだ。いや、ならないけど。慈愛と献身をモットーとする聖女なんて私はなりたくないから。

小説のリリージェンもヒロインが聖女に決定してから治癒魔法に目覚めているし。

触らぬ聖女に祟りなし、王都での聖女争いは異母妹とヒロインに任せるわ。頑張って。私は辺境で頑張るから。

直系は私だけど、初代聖女の血筋は代を経るごとに増えている。治癒魔法が貴重なのは変わらないが、数は力だ。力の強い弱いはあるが、使い手はそれなりにいるのだ。

15日目、そびえ立つ山のような広大な森が私に迫ってきた。

辺境の魔の森だ。

暗闇を内包するみたいに濃い緑の森だった。まるで緑一色の虹のように、色が少しずつ異なるあらゆる緑色が重なりあっていた。

花に啼く鳥も。

空で啼く鳥も。

濃厚な緑に包まれた息吹きのごとき啼き声だった。

「リリージェン」

辺境伯の屋敷で出迎えてくれた叔父は、妻を亡くし一人息子も病気で寝たきりとなり心労でずいぶん痩せてしまっていた。

「叔父様、私、治癒魔法が使えるようになりました」

到着早々挨拶よりも先に告げた私の言葉に、叔父の顔に喜色が走った。

伯爵家に生まれた者が全員、治癒魔法を発現できるわけではない。父親も父親の姉妹も治癒魔法の才はなかった。しかし発現できた者には凄まじい才があった。それこそ聖女と敬われるほどの。

「「テオバルトのもとへ」」

叔父と私は声をそろえた。

薬品の匂いで重く澱む寝室は、窓から射し込む日の光をも吸いとるように薄暗かった。

曇った水晶みたいな濁りのある部屋で、テオバルトは弱々しく眠っていた。叔父の息子、私の4歳年上の従兄。

「テオバルト兄様、リリージェンです。手を」

私はテオバルトの手を両手で握った。テオバルトがうっすらと目を開ける。青い宝石のようだ。

「リリージェン?」

「はい、リリージェンです。私の魔力を兄様に流し入れます。治癒の魔法です。ちょっと体が温かくなりますけれども、私の魔力を受け入れて下さい。お願いします」

私は身体に巡らした魔力を両手に集中させる。

馬車で15日間、練習してきたのだ。

少しずつ、少しずつ、テオバルトの青白かった顔色に赤みがさす。細かった息も規則正しくなり、冷たかった肌に温もりが戻ってくる。

その様子を叔父がハラハラと見守り、テオバルトが回復の兆しをみせると目から涙をあふれさせた。

「テオバルト!!」

私が手を離すと同時に叔父がテオバルトを、ぎゅっと抱きしめた。

「……父上……っ!!」

ふぅ、と成功に安心して大きな溜め息が出た。

部屋には執事や侍従たちもいて、名のある治癒師でも治療のできなかったテオバルトの回復に目をみはって驚愕していた。中には感極まって叔父のように泣いている者もいる。

魔法万歳。小説では死んでしまうテオバルトだが、辺境のモブですらないのだからストーリーには影響がないと思う。まさかバタフライ効果とかで、非常に些細なことが理由で様々な出来事を引き起こし連鎖して大きな出来事につながる、なんてことはないよね?

そもそも私が逃げ出した時点で、凪いだ水面に小石を投げて波紋をつくるみたいにストーリーとはすでに異なっているのだから。

10年後の小説の、異母妹よりも私は我が身が大事だし、ヒロインよりもテオバルトの命はもっと大事だし。

昔の偉人も、「賢明に世渡りせよ」とか「壁が横に倒れるとそれは橋になる」とか言っているし。確実かつ正確な予想ができないカオス理論で扱うカオス運動の予測困難性なんて心配しても、ね?

その日からテオバルトはみるみる快方へ向かい健康を取り戻していった。よきよき。

一方私は、

「はい。お代は1000リリンね」

と、叔父につけられた護衛騎士たちに囲まれながら、領都の中央広場で木箱に座って治癒魔法を人々にかけていた。

「本当に1000リリンでよろしいのでしょうか?」

「もちろんよ。私、7歳なの。子どもが1万とか10万リリンとかもらってもね。1000リリンで十分よ」

怪我や病気のどんな重症者でも治してしまう私は、他の治癒師や薬師のはっきり言って商売の邪魔になるため広場では不定期営業しかしない。1週間に1回いきなりテロリストのように現れて、ササッと人々を治して撤退してしまうので出会えれば幸運と言われていた。

日常は騎士団付きの治癒師をしていて、朝は学業、昼から仕事、夕方からは自由時間となっていた。おかげで毎日が忙しい。

また、前世というのは信じてもらえるか不安だったので予知夢を見たと言って、

「叔父様、魔物の氾濫が起きる夢をみました。こわいです」

とぶるぶる震え、叔父に魔の森の確認をお願いしていた。

魔法のある世界なのだ。前世よりは予知夢の方がよっぽど真実味が高く信憑性があった。ぶるぶる震える嘘っこ演技も我ながら迫真で顔色を変えた叔父は直ぐ様、兵士たちを調査のために魔の森に大量にバラ撒いてくれた。

欠損まで治してしまう私は尊敬されていて、兵士たちも私の予知夢ならばと疑うこともなく信用してくれていた。

「おお、リリージェン。おまえの予知夢はあたっていたよ。魔の森の複数ヵ所で発生していて、あれが1つになれば辺境領は壊滅していたかもしれん。大規模な氾濫になる前に気がつくことができたから、騎士団だけで防ぐことが可能だった。悪いが負傷者たちが明日には戻ってくるから治療を頼めるか?」

「はい。お任せ下さい、叔父様。私は騎士団の専任治癒師ですもの。私も前線に参りましょうか?」

「ありがたいが、おまえは子どもだ。前線は大人の治癒師が働くから大丈夫だよ」

「ありがとう、リリージェン。おまえは我が家の幸運の小鳥だ。おまえが来てから良いことばかりが続いている」

叔父は私を抱き上げて、朗らかに笑いながらくるくると回った。そこへ、すっかり元気になったテオバルトが参戦する。

「父上、ずるいですよ。僕にも可愛いリリージェンを抱っこさせて下さい」

手を差し出すテオバルトに私は渡され、きゅうぅぅっと抱き抱えられる。

「可愛い、可愛い、リリージェン」

最近のテオバルトは、理性がゆるんだのか箍が外れたのか大天使のような美少年なのに暴走モード真っ盛りである。

可愛いリリージェンを毎日100回も1000回も唱えているので、叔父はテオバルトを抑えるために私とテオバルトを婚約させた。

「人生で一番の決断だ。この家でリリージェンを最高に幸福にするのだ」

と叔父は大満足である。双子の姉の不幸な結婚を叔父は後悔していた。父親に逆らってでも反対するべきだった、と。

7歳なのに、と思ったりしたが貴族の婚約は家長が権限を持つ。赤子で婚約者がいる場合もあるのだ。特に令嬢の婚約は早いので、7歳ならば普通だ。

結婚は成人してからなので、その間にゆっくり愛を育めばいい。

叔父は、貴族としては容易な願いではなく実現が難しい相思相愛の婚儀を結ぶことを私に許してくれたのだ。

婚約が決まると、テオバルトの可愛いリリージェンのニュアンスが変化していった。

可愛い従妹のリリージェンから可愛い婚約者のリリージェンへ。

そして、可愛い未来の妻のリリージェンへ。

「可愛いリリージェン、妖精のベッドだよ」

魔の森から、珍しい妖精のベッドと呼ばれる淡く光る花を採ってきてくれたり。

「可愛いリリージェン、淡雪だよ」

春先に降った、泡みたいに柔らかく解けやすい雪を魔法で保存してくれたり。

「可愛いリリージェン、おみやげだよ」

領内に視察に行くと必ず色々なおみやげを買ってきてくれたりして。

テオバルトは心をつくして行動をつくして言葉をつくして、私を優しく愛してくれた。

花の朝に、月の夕方に、私の手を引いて庭を散歩する毎日に。

降る雨を、降る雪を、ふたりで小鳥のように並んで眺める日々に。

次第に私もテオバルトを従兄ではなく男性として愛するようになっていった。その時には辺境に来て、もう9年の月日がたっていて。私は隠し事はしたくない、とテオバルトに前世のことも打ち明けていた。

「はい、あーん」

屋敷の庭のガゼボで、私はテオバルトの膝の上に乗せられていた。ちょん、と銀のスプーンで唇をつつかれ素直に口を開ける。

テオバルトは私に給餌するのが大好きなのだ。

最初は恥ずかしかったが子どもの頃からなので慣れてしまった。

テオバルトに睨まれるので叔父は控えているが、テオバルトが留守の時にはプリンを持って叔父は私のところに走って来たりする。

「姉とはね、食べさせあいっこをしていたんだ」

顔をほころばせる叔父は、昔の母の話をよく聞かせてくれる。叔父にとって記憶の奥底で輝く、煌めく思い出を。

「姉とはね、双子だったけれども似てなくて。姉は手先が器用なのにわたしは不器用で」

と嬉しそうに話す叔父は、いつも懐かしげに目を細めた。

妻を亡くし姉を亡くし、叔父は寂しいだろうに顔には出さない。ひたすらテオバルトと私を慈しんでくれる。

「テオバルト、ねぇ、私が転生者って以前に話したでしょう。私は次はもう転生したくないわ」

私はテオバルトを見つめた。

ガゼボの横には噴水があり、涼やかな水音が私とテオバルトを包み耳に心地よかった。

「どうして?」

「だってテオバルトがいないもの。寂しすぎる」

テオバルトが息を呑む。次の瞬間、私は強く抱きすくめられた。伝わる鼓動が激しい。

テオバルトの双眸が、澄んだ水のように明るい青色から深い水底のように濃い青色に変化している。感情によって変わるテオバルトの双眸。真摯さと興奮にきらきらと輝いていた。

「ああ! 絶対にひとりにはしないよ、見つけるから、僕の可愛いリリージェンを絶対に見つけるから! そのために魔法の研究をしているんだ」

魔法万歳。私は安心した。

天才のテオバルトが絶対と言うならば、心配することは何ひとつない。

9年間テオバルトに愛され叔父に慈しまれて、私は辺境での生活を満喫していた。私の治癒魔法目当てで事件は幾つかあったが、テオバルトと叔父と辺境の人々が守ってくれた。

でも、心配事はもうひとつあった。

「テオバルト、来年になったら小説が始まるわ。巻き込まれないか、心配だわ」

しおしおと睫毛を伏せる私にテオバルトが美しく笑った。

「それならば解決しているよ。父上が伯爵家を潰して、ヒロインとかいう女は愛や恋にうつつを抜かさないように聖女見習いとして神殿に入れて修行させているから」

――つまり。

神殿が私を聖女にしようとうるさかったのに、ピタリと止まったのは治癒魔法の才能が飛び抜けたヒロインを叔父が神殿に渡したから?

確かヒロインは親に売られかけてたところを青年公爵に助けられて、公爵が怪我をした時に治癒魔法に目覚めて、それから。

「彼女、感謝していたよ。親に売られかけていたからね、神殿で真面目に聖女見習いらしく清らかに修行をしているよ。それに公爵は、酒に酔って婚約者に手をつけて結婚が早まったらしく、愛妻家で子煩悩な一児の父親になっているよ」

くくっ、とテオバルトが喉で笑う。

「伯爵家もね。以前の金がうなっている状態ならまだしも、浅慮な女ふたりに食い荒らされた伯爵家では父上の相手にもならないよ」

叔父は。

煮え滾っていたのだろう、噴き出さず静かに固まった灼熱のマグマのように。

叔父によって。

小説は、ストーリーが始まる前に終わってしまっていた。

叔父が。

竜巻を起こす儚い蝶の羽だったのだ。

「元伯爵家が気になる?」

テオバルトの言葉に私は首をゆるゆると振った。

「とっくに縁の切れた人たちだから。今の私の家族は叔父様とテオバルトだけよ。それに権謀術策で貴族が没落することは珍しくないことだし」

叔父のおかげで。

私は没落する伯爵家からも小説のモブ役からも逃げることができたのだ。

噴水の水に誘われたのか、庭園の花に誘われたのか、ひらりひらりと飛ぶ蝶が目に映った。花弁のような蝶の羽ばたき。私の視線に気付きテオバルトも蝶を見る。

「綺麗な蝶ね。ねぇ、明日のお茶会は叔父様もお誘いしましょうよ」

「うん、そろそろ結婚式の相談もしたいしね。3人で打ち合わせをしよう」

私とテオバルトはお互いを見つめ微笑みあう。

私は虐待されなかった。

小説は始まらなかった。

小説の最後は、聖女は愛され敬われ幸福に暮らした、だったけれども。

私は、テオバルトに心から愛され幸福に暮らした、になるのでしょうね。

【ちょこっと1 テオバルトは腹黒】

魔物の氾濫の後始末も終わり、テオバルトも健康を取り戻し、その日はみんなで潮干狩りに行くことになった。

叔父とテオバルト、テオバルトの友人のミハイル、侍従やメイドや護衛たち。かなりの人数で舟に乗って、私はワクワクしていた。

私の知っている潮干狩りは遠浅の浜辺で砂中の貝を拾ったが、辺境では早朝に舟に乗り沖に出て、潮が引くのを待って海の底であった砂地に降りて貝を拾うのである。

「わぁ、貝がたくさん。魚もいる!」

シャキーンと道具を持ち、砂地に隠れている平目や潮だまりの小魚などを収穫する。

ざくざく掘れば蛤やあさりもたんまり採取できた。

7歳児にふさわしい小さな桶はたちまち一杯になって、凄く楽しい。

あちらこちらと歩いていたら砂に足をとられて転けそうになった。瞬間的にミハイルが支えてくれる。

「ありがとうございます。ミハイル様」

ミハイルは隣国の王族で、落馬事故で動かなくなってしまった足の治療に来ていた。もちろん1000リリンで完治させましたとも。エヘン。

足は治しても筋力が落ちてしまっていたから、辺境伯邸でリハビリのために滞在していて、テオバルトと同じ年ということもあって友人になっていた。

テオバルトとは仲良く会話しているのに、年齢差があるためか私には薄い壁があるみたいにちょっと冷たい。

ペコん。音が鳴るような子どもらしいお辞儀をして、私は次の獲物を求めて短い足でチマチマと走り出した。時間は有限。ここに居られるのは潮が引いている間だけなのだ。

その後ろ姿をミハイルが切なげに見つめ、

「どうしてだろう? リリージェンを見ていると背筋がゾワゾワするんだ。胸もドキドキするし」

と呟く。

「もしかしてリリージェンが嫌いなのかな。ほら、嫌いなものを見ると背筋がゾワゾワするだろう? ミハイルは末っ子で周りに子どもがいない環境だから、小さい子どものリリージェンが苦手なのかもね」

解答するようなテオバルトの言葉にミハイルは頷く。

「ああ、そうか。そうかもな」

にこやかな顔をするテオバルトと納得するミハイルを見比べて、周囲の人々は気の毒そうな溜め息をこっそりついた。

一週間後、ミハイルが隣国に帰る時。

ミハイルは自分の目の色の、大きなエメラルドを私にくれた。

やっぱり1000リリンでは王族としての体面があるから、とテオバルトに耳打ちされて私は笑顔で受け取った。王族って大変だなぁと思いながら。

その様子を見て使用人たちが、同情に堪えないという顔をして深い深い溜め息をついていた。

後日、私はテオバルトと婚約をして。

それを聞いたミハイルがようやく自分の初恋を自覚して。

辺境伯邸に突撃してくるまで、あと少し。

【ちょこっと2 テオバルトの独占欲】

「可愛いリリージェンに、以後、可愛いと言うことを禁じる。可愛いリリージェンに可愛いと言ってもいいのは僕だけだ」

ある日、朝の訓練のために集合した騎士たちを見渡して宣ったのは、辺境伯軍トップのテオバルトであった。

「返事は?」

底冷えするテオバルトの声音に、騎士たち背筋がゾワリと粟立つ。

「はい! 軍団長!!」

リリージェンの人気は高い。天元突破である。

自分や家族の、他の治癒師が匙を投げた重症の病気も怪我も後遺症すらなく治してくれるのだ。

しかもリリージェンは容姿も妖精のように可愛い。

「リリージェン様って可愛いよなぁ」

「だって辺境の聖女様だし」

「天使のようにお優しいし」

「可愛さ限界突破だよなぁ」

というような会話をテオバルトが耳にして、リリージェンへの恋情に発展する可能性を危険視したのだ。というのは表向きで誰もがテオバルトの独占欲だと思ったが、恐ろしくて反論の声は上がらなかった。

テオバルトの魔法は、地を割り空を裂くほどの威力があるのだから。

婚約直後のそんな出来事を知らない私は、今日も「可愛いリリージェン」とテオバルトに宝物のように呼ばれ膝の上に乗せられて、あーんと給餌されて蕩けるみたいに甘やかされるのであった。