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聖女の不倫

作者: 猫町佑(別名義ですが本が出ます!)

本文

冷たい雨が、王都の中央広場に設けられた処刑場を黒く染め上げていた。

かつては見せしめの処刑が行われる場合にのみ臨時で作られた木製のステージと断頭台だが、今は毎日のように斬首刑が行われるために、常設となっている。

そして今日、このステージへと上げられるのは――。

――私だ。

重厚な木製の首枷に固定された私の視界は、極端に狭い。もし頭上を見上げることができるならば、わたしの真上には巨大な刃が鈍い光を放っていることだろう。

広場を埋め尽くす観衆は、誰一人として声を発さず、固唾を呑んで処刑台を見つめていた。

「筆頭聖女様……」

静寂の中、誰かが思わず漏らしたような呟きが耳に届く。

私を憐れむその声を叩き潰すように、高台から甲高い女の声が響いた。

「もう、こいつは筆頭聖女じゃないわ」

声の主は第二聖女マリアベルだ。

今の状態からは下半身しか見えないが、処刑場に似つかわしくない、豪華なドレスと宝石をあしらったハイヒールが見える。おそらく勝ち誇ったような薄情な笑みを浮かべて私を見下していることだろう。

「この女は不貞を働いたのだから。国の空気を穢す、ただの罪人よ」

それに呼応するように、我が夫、国王アルノルトが立ち上がり、聴衆の前へと進み出る。

――アルノルト四世、裏での通称は斬首王。

政敵、裏切りの疑いをかけた者、さらには諫言を行った者まで次々と見せしめの斬首を行ったため、そう呼ばれている。

「この女は我が妻であり、筆頭聖女の身でありながら、不義密通を行うとは万死に値する!」

アルノルトが拳を振り上げ叫ぶ。

(不義密通、か)

「みなも目にしたであろう、魔動写影機によって捉えられた決定的瞬間を。王宮の自室で堂々と男と同衾する破廉恥極まりないあの姿。あれが筆頭聖女の生れの果てだ」

マリアベルが魔動写影機を携えた錬金術師を従えて、私の部屋にずかずかと乗り込んできたのはひと月ほど前の夜だったか……。

私のベッドにはどこから忍び込んだか、侍従の美青年がいる。

宮殿で何度か見かけたことはあったが、会話したことすらない。そんな男性が裸で私のベッドに潜り込んでいる。

そして、その男と私に向かって閃光石が激しく焚かれる。

(しらじらしい)

と心から思ったが、と同時に、私に疑いを晴らす機会は与えられないだろうと確信していた。

なぜなら不貞をしているのは我が夫アルノルト四世と目の前で満面の笑みを浮かべている第二聖女マリアベルなのだから。

マリアベル……。

夫の不義の相手だけでは物足りず、ついに王妃の座を狙ったか。

こんな大それた罠を仕掛けるということは、間違いなくアルノルトと結託している。

ならば、どれだけ白々しい罠でもこれが事実となる。

「写影を目にしたとき、余は怒りに震えていると同時に、悲しみに震えた。聖女が王と結婚するのは何故か? それはひとえにこの国の安寧のため。その聖なる祈りの力で国土を浄化するため」

慣例として王の妃となるのは聖女のなかでももっとも浄化の能力が高い筆頭聖女だと決まっている。王だけに操を立てる誓いを立て、日々節制し、霊力を保ち、国の巫女として国土の浄化の祈りを捧げる。それが筆頭聖女の務め。

そしてなにより重要な務めは――。

王の世継ぎを生むこと。

あの男の子を産むなど今となっては身の毛のよだつ話だが、幼い頃に聖女としての高い適性を見出され、15歳で筆頭聖女となった私にとって、それはもはや運命のようなものだった。

「大聖堂であれほど私への永遠の愛を誓ったというのに……こいつは裏切ったのだ!」

アルノルトの芝居がかった嘆きの声で、私の意識は現在へと引き戻された。

私の髪を掴み、首枷で固定された私の顔を無理やり引き起こす、

私の視界いっぱいに広がるアルノルトの高慢さに満ち満ちた顔。

「おまえは『ファルラーンの真に王たる器を持つ御方に、この身と永遠の愛を捧ぐことを誓います』神にそう宣言したな?」

「……」

「神との誓いを破り、不貞を行った。このような者に国土を清め、不浄を祓うことはできん! みな、この者をどうしたらいい?」

――死を!

そのような罵声が挙がることを期待したのだろうが、王の呼びかけに応える聴衆はいない。みな私を見つめながら怯えた顔をしている。

やはり怖いのだ。筆頭聖女の首をギロチンで切って落とす。

前代未聞の行為に恐怖しているのだ。

「安心しなさい、たとえ聖女でも、死からの蘇生は不可能よ。いかなる霊力の持ち主も死んでしまえばそれで終わり!」

マリアベルの言葉は事実だ。

神官、巫女、魔術師、錬金術師、魔法の技を使える者はいるが、いずれも死者を生き返らせた者は歴史上一人もいない。

死ねば終わり。

これは神が決めた絶対の理。いかなる超常の力も越えられぬ壁だ。

「処刑を執行する! 最期の祈りを捧げよ!」

アルノルトの命を受け、私の傍らに進み出たのは、老神官ゲオルグだった。

長きに渡って中央教会の司祭長を務める神官のトップ。

せめて最後は最高位の神官の言葉で旅立ちたい。

私の願いをアルノルトが寛大にも聞き遂げてくれたのだ。

「では、筆頭聖女、いや、元筆頭聖女に最後の祈りを捧げる」

ゲオルグの声は微かに震え、額からは冷や汗が滝のように流れ落ちていた。

あきらかに緊張している。

断頭台での死出の祈りなど低位の神官のやる汚れ仕事。司祭長たるゲオルグにとってははじめてのことだろう。

「慣れない仕事でしょうが、どうか決してお間違えにならないように」

私がそう呟くと、ゲオルグはひきつった顔で微かに頷き、その手にある分厚い清布をぎゅうっと握りしめた。

「ふふ、ゲオルグ、少々、間違えても構わないわ、適当でいいわよ。どうせその人の行き先は決まっているのだから」

マリアベルの冷たい声が聞こえる。

祈りの言葉を間違えないでほしい。私の言葉をそう取ったらしい。

「……慈悲深き光の神よ。今ここに、道を踏み外した迷える仔羊の魂が、あなたの御許へと旅立とうとしております。願わくば、この愚かなる過ちを赦し、血の咎を――」

「もうそのへんでいい。やれ」

無慈悲にもゲオルグの祈りは途中で遮られ、アルノルトの冷酷な号令が響く。

留め具が外れる鋭い音。

迫り来る刃の風切り音。

重い刃が落下し——、

――私の首は、あっけなく胴体から切り離された。

【2】

――翌日。

最後の祈りをささげた神官長ゲオルグはアルノルト王の腹違いの弟であるクロード殿下の屋敷を訪れていた。

「ルクレツィア様の処刑が……行われました」

「……義兄はどうだった? 少しはためらったか?」

「いえ」

「そうか。そこまで堕ちたか」

元々傲慢な気質のアルノルトだったが、王座について以降、年々その性質は強まり、自分に逆らう者は排除し、女色に溺れ、私腹を肥やし、民を顧みることもなくなった。

そんな王に唯一諫言できる存在が妃であり、筆頭聖女であるルクレツィアだった。

「……それでも己の妻を手にかけるなど、愚かなことを!」

クロードは強く拳を握りしめ、勢いよく執務机に叩きつける。

もはや、あの暴虐の王に対して本気で怒ることができるのは、この王弟だけかもしれない。

粛清に粛清を重ね、歯向かう者の力を削ぎ、権力を自分の手に集約し続けた斬首王。

他の者は王の行いを諦め、そしてその矛先が自分に向かぬようにと怯え切っている。

だからこそ……。

「どうか抑えてください。クロード様」

老神官は心を込めてそう念押しをするのだった。

「本当に怖かったのよ」

豪奢な装飾が施された王室の私室で、マリアベルが、赤ワインで満たされたクリスタルのグラスを口に運ぶ。

「ウソをつけ。これはお前の望みだろう」

アルノルトもまたワイングラスを揺らしながら、「くくく」と笑う

「だって仕方がないでしょ。あなたと結婚するためにはこうするしかなかったんだから」

「まあな、王と筆頭聖女の結婚に離婚はない。いわば儀式だからな。お前のような可愛い女は妾にするしかない」

「私は妾なんてイヤ! 絶対、正妻じゃないと。子供の頃からずっとあの女が一番、私はその次だったのよ。ここでも二番なんて許せない」

「見事にやり遂げたな」

「でも、あんな風に首が落ちて転がるのなんて、これまで見たことがなかったから。やっぱり怖いって思ったのよ」

マリアベルはそう言うと、慰めてくれと言わんばかりに、アルノルトの胸へと飛び込む。

「まあ、私にとっても邪魔な存在だったからな」

アルノルトもまた、己の完全なる勝利に酔いしれ、満足げに頷いた。

常に「神の代行者」として国民からの絶大な支持を集めていた筆頭聖女ルクレツィア。彼女の存在は、権力を欲するアルノルトにとって目障り以外の何物でもなかった。

「それであの侍従と錬金術師はどうなったの?」

「安心しろ。侍従は不敬罪の尋問中に、うっかり階段から落ちて首の骨を折った。錬金術師も、新たな魔動写影機の実験中に起きた不慮の爆発事故で木っ端微塵だ。」

「念のため、睡眠薬を作った薬師にも事故が起こってほしいわね。あの日、ルクレツィアの夕ご飯に仕込んだ、味がまったく変わらない睡眠薬。あれを作った人もいるでしょ」

「ふーむ、そうだった。あの薬はまた欲しいが一応消えてもらうか」

アルノルトは胸の中のマリアベルの髪を撫でながら、残ったワインを喉に流し込む。

自分たちの保身のためなら、他人の命など羽虫ほどにも思わない。

「あまり飲み過ぎるなよ、マリアベル、これからはお前が筆頭聖女として、この国の汚れを浄化せねばならんのだからな」

「お任せくださいませ、陛下」

マリアベルはアルノルトの首に腕を回し、口づけする。

「私とあの女の力は昔から同等、あの女ができたことは私にもたやすくできます」

そう言うと、マリアベルはアルノルトの胸の中から離れ、グラスに残ったワインを一気に飲み干したのだった。

【3】

ルクレツィアが処刑されて一年が過ぎた。

この日も冷たい雨が王都に降り続いている。

王弟クロードの執務室は、重苦しい空気に包まれていた。

「――マリアベル様が、今日も浄化の儀式を途中で中断されたとのことです」

あの日以来、ゲオルグは週に一度はクロードの元を訪れ、自らが収集した情報を報告している。

王弟であるクロードがあれこれ動いて、アルノルト王に目をつけられるのが怖い。クロードの存在は我々の希望、万が一にも排除されることだけは避けたい。

「そうか……儀式を中断……いよいよそこまでか」

クロードは澄んだ青い瞳を憂鬱で曇らせた。

――王立古書庫・史料編纂室、室長。

それが王弟クロードの役職であった。

クロードはアルノルト四世の腹違いの弟であり、年齢はアルノルトより十歳若い25歳である。異母弟であることを差し引いても王弟にふさわしくない、あまりにも軽い役職だ。

「筆頭聖女となってからというもの、あの女はまともに祈りを捧げた日があるのか?」

「お恥ずかしながら、皆無と言ってよいでしょう。連日連夜の豪奢な宴に、浴びるほどの酒。マリアベル様の霊力は大幅に落ちております、やがて聖脈の碑の力を維持できなくなるでしょう」

大聖堂の祭壇の中央に祭られる巨大なモノリス〝聖脈の碑〟その巨大な霊力を秘めた碑は教会の床を突き抜け、地中深くに伸びて龍脈と交わり、国土全体に浄化の波を届ける。これこそは古の聖女によって作られた我が国の結界システムだ。

そして聖脈の碑に祈りを捧げ、碑の霊力を保つことこそが筆頭聖女の役割。

「結界の状況はどうなっている?」

「……極めて危険な水準です。王都の地下からはすでに微かな瘴気が漏れ出し始めており、このままでは不浄の血に惹かれた魔獣がいつ街角に現れてもおかしくありません」

「兄上は……陛下は、なんの対応もしていないのか?」

クロードの問いに、ゲオルグは力なく首を振った。

「陛下はマリアベル様を甘やかすばかりで、我々神官の悲痛な訴えにも一切耳を貸そうとなさいません」

「あの愚か者がっ……!」

クロードの拳が執務机に叩きつけられ、古びた執務机は、ミシッとイヤな音を立てる。

国と民を愛する熱血漢であるクロードにとって、実の兄であるアルノルトの暴政と堕落は、とうてい看過できるものではなかった。

政治に関心がなく、女と酒と遊びにしか興味がない。それでいて地位には誰よりも固執する男。 それでもルクレツィアが妃だったころはまた抑えが効いていた、それが最近はマリアベルにたぶらかされ、本来の怠惰さと傲慢さを隠さなくなった。

「なにもできない自分が歯がゆい」

クロードは王弟であるがゆえに、意図的に権力から遠ざけられている。

史料編纂室長のポジションでは動かせる兵はクロードに個人的に仕える私兵が百名といったところ。

仮に反旗を翻してもあっという間に鎮圧されるだろう。

「もう少しです。間もなく、その時が来ます」

ゲオルグはそう伝えると、クロードは天井を仰ぎ、もう一度、深いため息を漏らすのだった。

【4】

――10日後の夜。

ついにその時が訪れた。

長らく聖女による祈りを放棄された聖脈の碑は浄化の力を失い、王都を覆っていた結界がついに破れたのだ。

その結果、冷たい雨に混じって地下から溢れ出した瘴気が実体化し、醜悪な泥のようなスライムとなって街中そこかしこに発生し始めたのだ。

「もう我慢ならない!」

「なんとかしてくれ! 王は何をしているんだ!」

恐怖と怒りが頂点に達した数万の民衆は、松明や農具を手に、王都の中心――かつてルクレツィアの処刑が行われた中央広場へと殺到した。

もはや暴動寸前の熱気が、冷たい雨を跳ね返すほどに渦巻いている。

「暴徒ども、そこまでだ! これ以上騒ぐなら容赦はせん!」

そこへ、重武装の王国兵たちが立ちはだかり、無防備な民衆に向けて無情にも剣と槍を構えた。武力による強行鎮圧。

血なまぐさい激突が起きようとした刹那。

「待てっ!」

群衆を割って進み出たのは、私兵を従えた王弟クロードだった。

「民を護るのがお前たちの誇りではないのか! 剣を収めろ!」

クロードの必死の叫びが響くが、正規の王国軍の数は圧倒的だった。多勢に無勢。百名ほどの私兵だけでは、怒り狂う民衆ごと蹂躙されるのは時間の問題に思われた。

――だが、これこそが私にとっての、その時だった。

私はクロードの私兵に守られながら、広場の中央に据えられた、木製のステージへと上る。

「みなさん、どうか落ち着いてください」

ここは斬首王が作った特設ステージ。

かつて私の首を落とした公開処刑場。

人目を集めやすいように作られている。

「あ、あれは……!」

「ルクレツィア様!?」

「まさか……」

驚愕の声が波のように広がる。

亡霊か、幻覚か。動揺する群衆と兵士たちを前に、私はそっと両手を胸の前で組んだ。

その瞬間、久しぶりに使用する『浄化の祈り』

私の手から放たれた青白い光は断頭台を濡らす雨を伝い、地面へと吸い込まれる。

――ギィィイ……。

断頭台の周囲を這いずり回っていたスライムが蒸発し、消え去った。

聖脈の碑を使って霊力を増幅しなくても、自分の周囲、十数メートル程度なら浄化できる。

「ルクレツィアさまだ!」

「間違いない、蘇ったんだ……!」

「おお、なんてこと、奇跡だ……」

私が本物であることを示すにはこれで十分だ。

処刑場を取り囲む群衆たちの目の色がはっきりと変わっている。

それは抗議に訪れた民衆だけでなく、それを抑えに来た兵たちも。

「ファルラーンの民よ。そして、誇り高き王の兵たちよ」

私は雨に濡れた顔を上げ、広場を埋め尽くす全員に向けて、静かに、しかし力強く宣言する。

「一年前、私の首はこの場所で地に堕ちました。……けれど、本当に腐り落ちたのはあの玉座です」

私の声はそれほど大きくはない。それでも相手が私の声を欲しているならば、この声は雨音を切り裂き、群衆の胸の奥まで届くはずだ。

「暴虐の王と、力なき泥棒猫の遊戯はここまで。己の欲のために民を見捨て、国を瘴気で満たした罪、もはや万死に値します。――兵たちよ、あなたがたの剣は誰を護るためにあるのか。民よ、泥に塗れて絶望を待つ義理がどこにあるというのか」

私は真っ直ぐに王城を睨みつけ、言葉の刃を突き刺す。

「迷うことはありません。剣の向きを変えなさい。怒りの声を上げなさい。……私に続きなさい。今夜、あの腐臭のする玉座を、我々の手で浄化するのです」

一瞬の静寂の後。

最も早く反応したのはクロードとその私兵たちだった

「オレに続け!」

クロードが門を閉ざした王城へと突撃を開始する。それを阻む兵はいない。国王の兵たちも一斉に向きを反転させ、その切っ先を王城へと向け直したのだ。

「おおおおおおおッ!!」

民衆から地鳴りのような歓声と咆哮が上がる。

もはや、反旗を翻した兵士たちと数万の民衆はひとつの濁流となり、門を破壊し、王城の中へと雪崩を打って突入していく。

【5】

それから一週間後の中央広場の処刑場。

今日、重厚な木製の首枷に固定されているのは、アルノルト王とマリアベルだった。

豪華なドレスに身を包んでいるが、着替えもなく牢に幽閉されていたために汚れが目立つ。

濁流となった民衆と反乱軍は王城を制圧するのにさほど時間を必要としなかった。

怒りの奔流は王城隅々まで浸透し、そしてほどなくしてこの城の主を捉えた。

これまでなんの裁判も経ずに多くの者を斬首してきた王と妃だ。

その報いは決まっている。

断頭台に固定された二人を見下ろすように立つのは、私とクロード、そしてゲオルグ。

広場を埋め尽くす観衆は、かつて私に向けた怯えた視線とは打って変わり、怒りと憎悪の目を二人に突き刺している。

「死者の蘇生など神の理に反する! どうして生きているのだ!」

首枷に固定されたまま、アルノルトが血走った目で私を睨みつけ、喚き散らす。

「そ、そうよ! あんたは不貞を働いた汚れた女じゃない! なのに、どうして浄化の力を失っていないの!」

マリアベルもまた、恐怖と混乱で顔を醜く歪ませて叫んだ。

私は無表情のまま、かつての夫と妹分を見下ろした。

彼らの疑問に応えてやる気すらない。この愚か者たちに種明かしをしてやる義理など、どこにもないのだから。

「……ゲオルグ。最後の祈りを」

「はっ」

私の冷ややかな命令に、アルノルトとマリアベルが絶望に顔を引きつらせる。

ゲオルグが進み出た。

一年前、私の傍らで冷や汗を流していた老神官は、今は少しの迷いもなく、堂々と経典を開いた。

「……慈悲深き光の神よ。今ここに、道を踏み外した迷える仔羊の魂が、あなたの御許へと旅立とうとしております。願わくば、この愚かなる過ちを赦し、血の咎を雪ぎたまえ」

今回は祈りを途中で止める者もいない。つつがなく鎮魂の祈りが捧げられた。

そして――。

「や、やめろ! 余は国王だぞ! ファルラーンの王だ!!」

「いやあああっ! 助けて! 誰か助けてええっ!!」

醜い命乞いが響く中、処刑人によって無情にも留め具が外される。

鋭い金属音。

迫り来る刃の風切り音。

重い刃が落下し——、

偽りの王と薄汚れた聖女の首は、あっけなく胴体から切り離された。

【6】

それから数日後、私が浄化の祈りを捧げることによって聖脈の碑の力は回復し、徐々に王都の瘴気は祓われつつあった。

しばらく雨の続いていた空も晴れ渡り、久しぶりの雲一つない晴天となっている。

これは私の浄化とは関係なく、ただの偶然に過ぎないが。

浄化の祈りを済ませると、私は、次期国王として慌ただしく事後処理に追われるクロードの執務室を訪れていた。

「お忙しそうで」

私が声をかけると、ようやく書類から目を上げる。

「すまない。慣れない仕事で時間がかかってしまっている。もう少し待ってくれ」

「 陛下ならすぐに慣れられることでしょう」

「そもそも、慣れぬ仕事に忙殺されているのも、すべてはキミの計画のせいだぞ」

「あら、でも陛下もお望みだったでしょう」

「むろん、義兄をなんとかして止めないと。そうは思っていた。しかし……、何度考えても、あれは正気の沙汰とは思えないな」

執務机越しに私を見つめるクロードは、深くため息をついた。

「すべては計画通りだったとはいえ、自らが処刑されることを利用してクーデターの引き金を引く。最初にその計画を聞かされた時は、自分の耳を疑ったよ」

「確実にアルノルトを玉座から引きずり下ろし、かつ被害を最小限にするには、あの方法しかありませんでしたから」

私はふふっと微笑む。

「兄もマリアベルもキミの顔を見たときは驚いていたな」

「死者の蘇生などできない。それは事実です。ただ、私は『死んでいなかった』だけなのです」

「刃が落ちる刹那、首の断面に全霊力を集中させて切断状態を固定し、即座にゲオルグの回復魔法で繋ぎ合わせる……。まさに神業だな」

ゲオルグに刑の執行の立ち合いを望んだのは神官長自ら死出の祈りを捧げてほしかったからではない。彼が当代一の回復魔法の使い手であったからだ。

人間は首を斬り落とされれば、瞬時に血圧がゼロになり、脳への血流と酸素が絶たれる。中枢神経は断絶され、細胞は数秒で壊死しはじめる。

私は意識を失う直前、細胞の壊死を浄化の力で止め、さらには切断面に浄化の結界で覆い、無菌化したのだ。

それでも首を切断されて、絶命せずにいられるのはほんの数分。

ゲオルグはすぐに私の身体と首を布で覆い、回復魔法を施した。

ゲオルグが冷や汗を流していたのは、絶対にしくじれないという、プレッシャーのため。

「ゲオルグの回復魔法は見事でした。おかげで首に傷ひとつありません」

「いや、仮に理論上できたとしても、それを自らの身をもって実行するキミのその意思、その断固たる決意こそが、この政変を成功に導いたのだ」

「ふふ……アルノルトは、マリアベルを正妻にするために、私を亡き者にすると決めていましたから、やらねば、本当に私の命はなかった」

「それは……まさしくそうだろうな。偽の浮気現場を作るために盛られた睡眠薬を浄化して無効化しておきながら狸寝入り。わざと不貞の現場を抑えさせる。それもキミの計画通り」

「私の罰は斬首刑ではなければいけませんでしたからね。なまじ情けを見せられて牢獄に幽閉などになったら、終わりですから」

「結果的に自分の命と同時に、この国まで救うとは……見事なものだ」

たしかに今では私は救国の聖女として、国民から讃えられている。

しかし正直なところ、これは私怨ゆえの行動。

私を裏切り他の女を妃としようとしたあげく、私に不貞の濡れ衣を着せ名誉を奪おうとした……。

ならば死をもって報いるしかない。

「本当に見事な計画と行動力だ……しかし、ひとつだけわからないことがある」

クロードは、少しだけ言い淀むように視線を伏せた。

「いかに非道の王であったとはいえ、夫を死に追いやることは、あなたが神に立てた誓いを破ることにはならなかったのか? 神前で、永遠の愛を誓ったのだろう? 神への誓いを破れば浄化の力は失われる」

真面目で誠実な彼らしい疑念だ。

私はゆっくりと歩み寄り、執務机の前に立った。そして、真っ直ぐにクロードの青い瞳を見つめ返す。

「私が神に誓った言葉は、『ファルラーンの真に王たる器を持つ御方に、この身と永遠の愛を捧ぐことを誓います』です」

「……!」

「アルノルトは、その器ではなかった。ただそれだけのことですよ」

クロードの目が、驚きに大きく見開かれる。

「ということは……、ルクレツィア……その、仮に再婚しても、神への誓いを破ったということにはならないのか?」

「ええ」

私が頷くとクロードは意を決したようにまっすぐに私を見つめる。

「もしオレが……ファルラーンの真に王たる器を持つと認めてくれるなら……その……」

クロードの端正な顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

「ええ、陛下がその器であれば、もちろん愛を捧げます」

「ならば、オレが先に誓おう、この国の王にふさわしい、いや、キミにふさわしい人間になると」

クロードは片膝をつき私の手を取ると、手の甲にそっと口づけをした。

年若く、熱意に溢れる新王クロード。

彼が、私の愛を捧げるにふさわしい器であることを心から祈らずにいられないのだった。

――だって、そうじゃないと、また器を割らねばならないのだから。