軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十一話 古の聖歌と母の子守歌

柔らかな日の光が教室の窓から差し込んでいる。

ノアとシリルと話しをしてから二日が経っていた。晩餐会についての交渉が進んでいないのか、ノアは昨日も今日も登校していない。

今は午後の神学の授業で、古びた聖典を読み上げているのは神殿騎士であり臨時神学教師のトリスタンだ。

「先日の授業で、ある一族について話したのを覚えているか」

トリスタンがロイヤルクラスの生徒たちの顔を順に見て、私と目が合ったところでピタリと止まった。

「オリヴィア・ベル・アーヴァイン」

「は、はい!」

名前を呼ばれるとは思っていなかった私は、焦って立ち上がった。

一体何の質問だったか。そうだ、忘れられし一族についてだ。

「竜と人の橋渡しをしたという一族の話ですね」

「そうだ。今日は彼らについて少し詳しく話をしよう」

無事答えられてほっとしながら腰を下ろすと、隣からクスクス笑い声がした。

いつもはノアの指定席なのだが、今日もまた大神官シリルがそこにいた。

「オリヴィア、緊張した?」

言い当てられ、恥ずかしくなりながらうなずく。

「はい……。何だか、トリスタン様の前だとひどく緊張してしまいますね」

「わかるよ~。彼、恐~い顔してるもんね。でもあれで意外と優しいんだよ? わかりにくいけどね。ひとりの時間が好きなのに、この旅で私の護衛を買って出てくれるし」

どうやらトリスタンは、常時大神官の護衛騎士というわけではないらしい。

他にも何人か神殿騎士を連れてきていて、その内のひとりだという。

「巡礼の護衛を、トリスタン様が自ら志願したのですか?」

「うん。神殿騎士の中ではトリスタンが一番腕が立つし、ありがたかったなぁ」

「そうなのですか……」

トリスタンに視線を戻し、彼の頭から足先まで観察する。

隙のない身のこなしだけれど、容姿があまりに端麗すぎて、守るより守られる側に見えてしまう。

女性的というわけではないのだが、雄々しさもない。本当に腕が立つのだろうかと疑いたくなるが、先日王宮でヴィンセントと刃を交えていた姿を思い出し納得した。

「彼らは森に住み、自然とともにあった。自然に生き、自然の中で息絶える。大勢が集まり街を作り、自然ではなく利便を求め発展した人間とは真逆だった」

「先生! それは原始的ということですか?」

生徒の質問に、トリスタンは顔を上げ眉を寄せた。

「原始的……」

何やら気分を害したかのように呟き黙りこむ。

まずいことを言っただろうかと、質問した生徒が固まっているのが不憫だ。

トリスタンはしばらくして、眉間のシワをほどき首を振った。

「それは適切とは言えない表現だ。彼らはどちらかと言えば動物、精霊に近い生き方をしていたのは間違いない。だが彼らは原始的と言うには知性が高かった。独自の文化を築いていた。ただ、繁栄する人間との違いは欲があるかどうか。彼らには欲がなかった。静かに、穏やかに、多すぎず、少なすぎず、足るを知る、欲とは無縁の生活を送っていた」

トリスタンの話を聞きながら、私は思わずほぅとため息をついた。

「何だか、童話に出てくるエルフのようですね」

「近いものはあるかもね。エルフほどじゃなくても、彼らは長命で見目も良かったんだって。老化が緩やかだったという説もあるんだよ~」

「聞けば聞くほど不思議な一族ですね……」

私が感心している間に、トリスタンの話は進んでいく。

「いつからその一族が森に住んでいたのか、いつから火竜の守護をしていたのかは正確には記されていない。秘密の多い一族なのだ。竜の棲み家である森を守る彼らは森の番人とも呼ばれ、森を荒らそうとする者には容赦がなかった。非常に戦闘能力に長けており恐れられていたが、一方で歌を得意とする」

生徒たちが「歌?」と意外そうな反応をする。

「どんな歌ですか?」

「私たちも知っている歌でしょうか?」

「恐らく聞いたことのある者はいないだろう。だが、詩は聖歌として残されている。今からそれを読み上げよう」

トリスタンが再び聖典に目を落とす。

一呼吸置き、彼はその聖歌をゆっくりと読み上げ始めた。

草木がさわさわと囁いている

眠れ眠れ気高き者よ

いまは羽を休める時

静かな水に包まれながら

眠れ眠れ賢き者よ

木漏れ日がゆらゆら揺れている

眠れ眠れ強き者よ

いまは爪を休める時

優しい水に揺蕩いながら

眠れ眠れ慈愛の者よ

聖歌を口にしながら窓辺に立つトリスタンは、淡い光に照らされ神々しく見えた。

彼の低く落ち着いた声に、誰もが聞き入っている。

そんな中、私だけが激しく動揺し、トリスタンを凝視していた。

(どうして……これは、お母様の子守歌の歌詞と同じじゃない)

トリスタンの手にある古びた聖典を読み上げていた。つまりこの聖歌の詩は聖典に記されているということになる。

だとしたら、母は森の番人、忘れ去られし一族の歌を知っていたということだ。

なぜ母が知っていたのか。歌詞だけでなく、旋律まで。

母は古都の出身なのだろうか 。身分が低く、高位貴族の養女となってから父と結婚したことは知っている。しかし母の出生のルーツを知らないことに気がついた。

私は本当に母のことを何も知らないのだと、改めて思い知る。

知りたい。確かめなくてはならない。トリスタンにもう一度話を聞きに行かなければ。

そう思った時だ。突然、ドンと縦に大きく揺さぶられるような衝撃に襲われた。教室に生徒の悲鳴が響き渡る。

(また地震⁉)

窓がガタガタと今にも割れそうなほど揺れ、棚に飾られていた花瓶が落ちて割れる。

「皆さん! 机の下に身を隠して!」

私は大神官を机の下に引っ張り込みながら叫んだ。

しばらく身を潜めじっとしていると、揺れは段々と治まっていき、静かになった。

周囲の状況を把握しようと机から頭を出すと、トリスタンただひとりが平然とした顔で窓辺に立ったままでいた。

「先日も世界が震えて驚きましたのに……」

「今日はもっとひどく感じたな」

私の声を聞いて机の下に避難していた生徒たちが、徐々に席に戻りながら不安を口にする。

そんな中でトリスタンが、

「イグバーンを守る火竜がお怒りなのかもしれないな」

と呟いたのが、なぜか私にははっきりと聞こえた。