軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2. リリーの日常①

目が覚めると朝だった。

隣を見ても誰もいなかったのでもうみんな起きているらしい。

ベッド脇の素朴なサイドテーブルに、水の入った木のコップが置いてある。あのあと兄が持ってきてくれたのだろう。

両手で持ってコクリと一口飲むと、とても喉が渇いていたようですぐに飲み干してしまった。

昨日に比べるとだいぶ頭がすっきりしている。

百合とリリーの記憶が混ざり合ってぐちゃぐちゃしていたものが、きちんと整頓されて融合したような感じだ。

百合として三十年近く生きた経験があるからか、人格は八割がた百合が反映されているような気がする。

リリーの記憶によると、人々の服装や町並みは中世ヨーロッパのような雰囲気がある。

庶民の子供は労働力扱いなのか、兄も私も学校には行かずに両親の手伝いをして働いている。

百合の暮らしていた環境と比べると生活水準はかなり低そうだが、トイレはちゃんとあるのが救いか。

中世ヨーロッパって、たしかおまるに用を足して家の外に捨ててたんだよね。

現代日本の衛生観念に慣れた私には無理すぎるから本当に良かった。

……ただこのトイレ、形は洋式トイレなんだけど水洗じゃなくて、便器の中を覗くと下の方に半透明のゲル状のなにかがウゴウゴ動いてるんだよね。

もしかして……スライムだったりする?

思い返してみると、地球上には存在しないような髪や瞳の色を持った人がリリーの記憶にちらほらいる。私自身も、髪は母や兄より少し淡い色の茶髪だけど、瞳の色は紫だし。

まさか、まさかこれって、

「……いせかいてんせい?」

マジか……。

百合は小説投稿サイトで異世界転生ものの小説をよく読んだりしていたから、そういったものの知識はある方だと思う。無料で読めるのでとてもありがたかったのだ。

だけどまさか、それが自分の身に起きるなんて!

ただそういう小説だと転生先は高位の貴族だったり、希少な能力を持っていたり、転生チートみたいなもので人生イージーモードなんじゃないの?

リリーの人生を思い出せる限りさかのぼってみても、チートなんてかけらもない、本当にただの平凡な下町の飯屋の娘。平民だ。

……あとちょっと、あとちょっとだったのに。

これからのんびり理想の生活始めるぞってところだったのに……死んで異世界転生って。

人生また一からやり直し?

このよくわからない異世界で平民として?

そんなの、あんまりだよ……。

虚無過ぎて正直何もする気が起きない。

布団に逆戻りしてふて寝してしまいたいが、これからリリーとして生きていかなければならないのでそうもいっていられないのが現状だ。

のろのろとパジャマ代わりの生成りのチュニックからシンプルなブラウスとスカートに着替え、モカシンのような靴を履いて部屋を出ると、母が山盛りの洗濯物を抱えているところにかち合った。

「あら、リリー。起きたのかい? ケガの調子はどうだい?」

「おはよう、おかあさん。まだちょっといたいけど、もうへいき。」

「そう? よかった! じゃあ母さんは洗濯してくるからね。リリーも朝ごはんを食べたら手伝いにきておくれ」

そう言うと、二コリと笑って洗濯かごを抱えてのっしのっしと階段を下りていった。

頭から血を流して気を失っていたというのに、ちゃんとした検査もせず、目覚めればすぐに家事の手伝いをさせるのか。

普通に心配してくれてたみたいだから愛されてはいると思うんだけど、ここではこれが常識なのかな。

前世だったら幼児虐待とかってSNSで叩かれそう……。

あれ、もしかして子どもには結構過酷な環境だったりする?

母の柔らかそうな背中を見送り呆然としていると、くぅ、と小さく腹の虫が鳴いたので私もあわてて階段を下りる。

私の足の長さではスタスタ下りられないので、壁に手を付きながらよいしょ、よいしょと一段ずつ下りていく。

子どもって、大変……。

息を切らせながらようやく階下に着くと、厨房では父オイゲンが今日の仕込みをしているところだった。

この人は本当にただの料理人か? と思うほど体格が良くガッシリしていて、常に眉間にしわが寄っていておまけに無口なのでめちゃくちゃ威圧感がある。

よく見るとその厳しい目つきの瞳は紫色をしていて、私の瞳は父譲りのようだ。

この人はどう考えても接客には不向きなので、父が調理で母が給仕をしているのはそりゃあそうだよねって感じだ。

「む」

じっと観察していると、顔を上げた父と目が合った。知らない人が見ると睨まれていると勘違いしそうな厳めしい表情だが、これがデフォルトだ。

「おはよう、おとうさん」

「おう。……傷はもういいのか?」

「うん。ちょっといたいけど、だいじょうぶ」

「……そうか」

濡れた手を腰に巻いたエプロンで拭うと、ごつごつした大きな手で私の頭をそっと撫で、作業に戻っていった。

リリーの記憶だと、普段父に撫でられるときは勢いが良くてぐわんぐわんするので、一応気遣ってくれているらしい。

……優しさがわかりにくいよ、お父さん。

「あっ、リリー! おはよう!」

食材の入った木箱を持って勝手口から入ってきた兄のカインが私の姿を見つけ駆け寄ってきた。

「傷は大丈夫か? まだ痛むか?」

私の目線に合わせてかがみ、ふにっと私の頬を両手で包み込んで心配そうに見つめてくる。

おぉ、今までで一番ちゃんと心配されている感じがする!

「だいじょうぶ。ちょっとだけいたいけど、ぜんぜんへいき」

「そうか、でもあんまり無理はするなよ? お前はそういうの全然顔に出ないんだから、辛かったらちゃんと言うんだぞ」

そう言いながらカインは私のお子様ほっぺをこねてきた。

前世の百合は無表情が常で、感情が顔に出ることはほとんどなかった。

陰で「能面」とあだ名をつけられたりもしたが、表情筋があまり仕事をしないのは今世でも同じらしい。

百合の記憶を思い出す前からそうだったということは、私の無表情は魂に刻み付けられたものなのだろうか。

「今、朝メシを用意してやるから座って待ってな」

「うん。ありがとう」

厨房の真ん中に置かれている大きな調理台の隅っこに背の高い丸椅子を引きずっていき、よじ登る。この家はなんでも大人サイズなので椅子に座るのも一苦労だ。

「ほら、よく噛んで食べるんだぞ」

コト、と私の前にスープの入った木の器を置くと、カインは仕込みを手伝い始めた。

立ち居振る舞いがスマートだなぁ。

カインは私の二つ上だから、今七才か。その年でこの言動、顔も整っているしあと数年したら女の子にモテモテじゃない?

リリーの記憶でも、仕事で忙しい両親に代わっていつも面倒を見てくれていたのは彼で、家族の中で兄に一番懐いていたみたいだ。

こんなに優しくてしっかりもので面倒見のいいお兄ちゃんなのに、なんで妹に大怪我をさせるようなことになったんだろう? 不思議だ。

朝ごはんは鶏肉と野菜の入ったスープだ。カチカチのパンを薄くスライスしたものが浸してある。

スープは大鍋に作ってあり、店のメニューとして提供されているものだが、まかないとして私たちもよく食べている。

味は可もなく不可もなく。薄味で、よく言えば素材本来の味を生かしている。

百合の時代だったら健康志向のナチュラル系カフェとかになら、なくはないかもしれない。

まだあまり顎の力がないので固いパンを噛み千切ることができず苦戦したが、スープでふやかしながらなんとか食べ終わった。

使った食器を背伸びして流しにおいて、カインに声をかける。

「ごちそうさまでした。おせんたく、いってくる」

「まだ怪我が治ったわけじゃないんだから、無理はしないようにな。よそ見して転んだりするなよ」

「うん。いってきます」

心配する兄の声を背に厨房から店を抜け、玄関から外へ出た。

「うわぁ」

目の前にはヨーロッパ風の街並みが広がっていた。

様式の統一された三角屋根の建物が立ち並び、道は石畳になっていて、遠くの小高い丘の上にはお城のようなものも見える。

うちのように飲食店をやっているのか、看板の出ている建物も何軒かある。

まるでアニメかゲームの世界に迷い込んだみたいだ。

テーマパークのようなキラキラした派手さはないけど、シックな統一感があって、なんかすごくおしゃれ……!

ここは本当に日本じゃないんだと実感する。

そういえば、仕事を辞めたら一度はヨーロッパに旅行に行ってみたいと思っていたんだっけ……。

チクリとした胸の痛みを無視して、リリーの記憶を頼りに、石畳の階段になっている細い路地に入り、母のいる洗濯場に向かう。

階段の幅や高さがバラバラなので、キョロキョロとよそ見をしていたら、兄の言うとおりに転んでしまいそうだ。

洗濯場は公共の場所で、石造りで四角く窪みになっている場所がいくつか並んでいて、そこに水が流れ込み洗濯ができるようになっている。

今はご近所のお母さん方が何人か談笑しながら手を動かしていた。

「リリー! こっちだよ!」

私の姿を見つけた母が呼びかけてきたので、トコトコと駆け寄り隣に腰を下ろす。

「リリーちゃんはいつもお母さんのお手伝いをして偉いねぇ。うちの子なんて手伝いを頼んでも、うるせえババア! なんて言ってちっとも聞きやしないんだから!」

「あっはっは! あんたんとこは男の子じゃないか! 男の子は元気が一番さ。ちょっとくらい生意気な方が張り合いがあるってもんだよ」

「リリーちゃん、怪我をしたんだって? 包帯が痛々しいねぇ。かわいそうに」

「うちのは生意気過ぎるんだよ! アルマんとこのカイン君は家の事もよく手伝っていていい子じゃないか。カイン君の爪の垢を煎じて息子に飲ませてやりたいよ!」

パワフルなおばちゃんたちの圧がすごい。返事をしようとすると別のおばちゃんが矢継ぎ早に話し始めるので口をはさむ暇がない……。

諦めて見よう見まねで洗濯物を洗ってみる。

うぅ、水が冷たい。

絶えず流れてくる水は川から引いているのか、とても冷たかった。もう手がかじかみそうだ。

父のシャツにシミを見つけたので、小さくつまんで擦ってみた。

少し薄くなったような気がするけど、まだ全然目立つなぁ。

「あはは、リリー、そんなちまちまやってたら洗い終わるまでに日が暮れちまうよ! どうせまたすぐに汚れるんだから、大体きれいになればいいのさ。ほら、どんどん洗った洗った!」

母はそう言いながらがっしがっしと私のパジャマらしきものを洗っている。

……そんなに力強く洗ったらヨレヨレにならない?

真似をしてやってみるものの、子どもの力では中々思うようにはいかず、私が数枚洗い終わるうちにあっという間に母が全て終わらせてしまった。

「さぁ、モタモタしてるとすぐにランチの時間だよ! リリー、急いで帰るよ!」

水を吸って重くなった洗濯物をどっせいと抱え上げ、家に向かって歩き出した。

歩幅が違うので、こちらは小走りになってしまう。

何度か足がもつれそうになったが、なんとか転ばないよう必死に母の後を追った。