軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19 すれ違い

リリアーナは無人の部屋に逃げ込んですぐ扉を閉じた。心臓が早鐘のように打ち、冷や汗が背中を伝っていく。

(見られた……?)

レイヴィスに見られずに逃げ切れただろうか。タイミング的に、おそらく、無理だった――が、とりあえず顔を合わせることだけは避けられた。

安心したのも束の間、扉の外から足音が近づいてくる。

リリアーナは息をひそめ、身を固くした。

きっと、レイヴィスはそのまま過ぎ去るはずだ。リリアーナに気づいていても。だって、彼はリリアーナのことを明らかに避けている。もしくは関心を失っている。

リリアーナの行動を不審に思ったとしても、関わってくることはしないだろう。

心の中で、無事に通り過ぎることを静かに祈る。

だが、心のどこかで。

レイヴィスがこちらに来てくれることを期待している自分がいる。

浅ましい期待。裏切られるのが決まっている、無駄な期待。

傷つくだけとわかっているのに期待してしまっている自分を、愚かに思う。

自分でも認めたくないその思いを、急いで振り払おうとしたその瞬間――

「リリアーナ、入るぞ」

無遠慮に扉が開かれ、レイヴィスが容赦なく部屋に入ってきた。

(ふぎゃああああぁぁああぁ!)

心の中で悲鳴を上げるも、何とか表に出すことは阻止した。

リリアーナはおずおずと振り返る。

そこにいたレイヴィスの姿には、どこか焦りが見えた。

そして目が合った瞬間、お互いに顔を逸らす。

「…………」

レイヴィスは無言で部屋の扉を閉めた。

そう広くもない部屋に、二人きりとなる。

あまりの気まずさに、リリアーナは下を向いた。

いったいどうして部屋に入ってきたのだろうか。確実に、逃げたリリアーナを追いかけてきて、ここにいる。

(……に、逃げたから?)

逃げたから追われた。

もしかしたらそれだけのシンプルな話かもしれない。

沈黙が続く。

お互い視線を合わせないまま、距離を取ったまま、沈黙が続く。

何を言われるのだろうか。リリアーナにとって恐ろしいことを言われるような気がしてならない。いいことなら、こんなに時間を取らないはずだから。

怯えるリリアーナに、レイヴィスが慎重に声をかけてきた。

「……エリナは、君付きのメイドだな」

「はい……」

何を言われるのか恐れながらも、レイヴィスがエリナが名乗っていないのに名前と所属を把握していることに驚いた。

レイヴィスは使用人のことは全員把握済みなのだろう。そして、あえて名前を名乗らせることで、これから処分が下ることを暗に予告していたのだろうか。

――それとも以前からエリナのことを気にしていたのだろうか。

「歳が近いから選ばれたか。配置を変えるようにしよう」

「…………?!」

リリアーナは息を呑んだ。

「ど、どうしてですか?」

「どうしても何も、君も見ていただろう。彼女の振る舞いは目に余る」

きっぱりと言い切る。

リリアーナは焦った。

それだと物語が変わってしまう。

エリナは、ラスト直前までリリアーナ付きのメイドなのだ。

「――も、もう一度だけチャンスを上げてはいけませんか? この度の失礼は、私の教育不足のせいです」

「……あれは、生来の性質だと思うが……」

レイヴィスは小さく呻く。

リリアーナはまた違和感を覚えた。

そもそも、エリナとレイヴィスは運命のように仲を深めていくはずなのに、どうしてあんなに冷たくあしらっていたのだろう。

(……いえ、目に見えるものだけがすべてじゃないわ……)

レイヴィスのエリナへの態度は冷たいものに見えたけれども、心の奥では違うかもしれない。

「……もしかして、レイヴィス様付きにするのでしょうか……?」

「はあっ?!」

レイヴィスは驚きの声を上げた。

リリアーナは、エリナを自分付きのメイドにするつもりかと思ったのに――

「そんなつもりは一切ない」

はっきりと断言される。

「彼女の振る舞いは、いまの配置は相応しくないと思っただけだ。もっと表に出ない場所に移動させるつもりだった」

つまり、洗濯や台所の手伝い、掃除や倉庫の整理、などの、屋敷には必要で重要な仕事だが、貴族の目には触れない裏方仕事。

――それだと、本当に、物語が変わってしまいかねない。

「レイヴィス様……」

リリアーナはもう一度考え直してもらおうとして、しかし何も言えなくなった。

形式だけの女主人に意見する権利はないと思った。

「……わかった。君がそこまで言うのなら、一度だけチャンスを与える。次に相応しくない振る舞いを誰かが見かけたら配置を変える。それに納得しなければ解雇する。構わないな?」

「は、はい……ありがとうございます」

リリアーナは驚きと共に、ほのかな喜びと、レイヴィスへの感謝の気持ちを抱いた。意思を汲んでくれるなんて思わなかった。

ひとまず、これ以上物語が変わるのは一旦食い止められた。

安堵しながら、はたと気づく。

(……あら……? 私、レイヴィス様とちゃんと話せている?)

気づけば、レイヴィスの雰囲気が以前のように戻っている。

いや、正確には少し違うが。

以前より物理的な距離があって、目線も合わないけれども。

それでも、ここ最近の態度のことを思えば全然違う。

リリアーナの胸にあった無力感や寂しさが和らいでいく。

そしてリリアーナは、レイヴィスが話が終わってもまだ部屋を出ていっていないことに気づいた。

まだ何か言いたいことがあるのだろうか――その瞬間、レイヴィスが口を開く。

「それから、約束の件だが――」

リリアーナから目を逸らしたまま、腕組みをしたまま、どこか躊躇いがちに言う。

約束、という言葉にリリアーナの胸が一瞬、大きく跳ねた。

きっと、魔力のレッスンの件だ。

ずっと二人の時間が取れなくてできていなかった約束。

ついに具体的な進展が――

「――すまない。あの話はなかったことにしてくれ」

「……え……?」

それは、すぐにはできないということだろうか。

リリアーナは別にいつでもいい。新しく約束できるならそれで――……

「――理由としては」

レイヴィスは固く目を閉じ、まるで教師のように話し始める。

「まず、二次性徴を迎えてから――ある程度大人になってから魔力を刺激することは、それまで自然と安定していたものを崩すことになる。そうなると、予想外の影響が出る。君の場合も、魔力の乱れが出ていた。観察しているうちに落ち着いていって、いまはようやく元通りに近くなっている」

「……は、はい」

理路整然とやや早口で話され、リリアーナは訳もわからず頷いた。

「この状態からさらに刺激するのは危険だと判断した」

「はい……」

「――それと、やっぱり、妻を研究対象にするのはどうかと思った……」

「…………」

「ともかく、君への負担や影響が大きすぎる。わかってほしい」

「わ――わかり、ました……」

レイヴィスの話は、正直なところリリアーナにはほとんど頭に入ってきていなかった。わかってほしいと言われたから、わかったと反射的に言ったまでだ。

――確かなのは、レイヴィスはリリアーナで研究をするつもりがないということで。

これからずっとレイヴィスから魔力の訓練は受けられないということで。

リリアーナがその事実を受け止められないうちに、レイヴィスは踵を返して部屋を出ていった。

バタン、とやや荒々しく閉じられた扉が、まるでこれ以上近づくなと言われたかのようで。

リリアーナはしばらく呆然とその扉を見つめた。

静けさの中、一人で部屋に立ち尽くし、しばらくしてようやく理解する。

(……やっぱり、私なんかじゃ、お役に立てないんだわ……)

妻としての務めも果たさず。

女主人としての仕事もできず。

研究への協力すらできない。

――本当に、ここにいる意味がない。

なのにどこにも行けない。

「…………」

リリアーナはふらふらとその部屋から出て、無意識のうちに自室に戻った。

寝室に入り、枕元に置いてある魔力結晶を眺める。

――レイヴィスからもらった魔力結晶は、完璧すぎるほどに完璧で。

何と比べることもできないほど美しい。

リリアーナには決して届かないものの象徴のようだった。

(いいえ、これでいいのよ……)

小説では、レイヴィスとリリアーナが協力して何かをしている姿なんて描写されていなかった。魔力の訓練を受けている描写も一切ない。

『正しい物語』を歪めてはならない。レイヴィスの幸福のためにも、世界のためにも。

だから、これでいい。

そうやって、リリアーナは自分を納得させた。