軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

もっと恐ろしく自由な人

「どうぞ」

師匠の話が一段落して少し喉が渇いた頃……執事エルダーが淹れた紅茶がテーブルに用意された。

聖樹の周辺にだけに咲く花を使った紅茶らしく、その芳しい香りに俺たちは自然と笑みが浮かんでいた。

「良い香り……心が落ち着くね」

「味もとても美味しいです。よろしければ茶葉を分けていただけないでしょうか?」

「聖樹様の許可があれば構いません」

ほのかな甘味に、何より口当たりがとても良い美味しい紅茶だ。

茶葉も良質だが一番は淹れ方が上手い御蔭だろう。師匠は紅茶に死ぬ程煩いので、お付きと思われるこの執事エルダーは相当鍛えられたに違いあるまい。

俺たちからすれば十分美味しい紅茶なのだが、師匠は眉をひそめながら紅茶を眺めていた。

『ふむ……若干だが香りに乱れがあるね。途中で何か気になったのかい?』

「申し訳ありません。ご自分の使命を軽く見ている御方がいらしたので、少々呆れてしまって」

『そんな事で心を乱すんじゃないよ。全く、修行が足りないねぇ』

「あんたが原因だろうが」

自分が微塵も悪いと思っていない師匠に突っ込みながら思ったが、師匠はどうやって紅茶を飲むのだろうか?

見たところ師匠の前にコップは用意されているのだが、目の前に見える師匠は魔力で作られた仮初の体なので、飲んで味がわかるとは思えない。

弟子たちも同じ気持ちなのか、俺たちは興味を持って眺めていると、執事エルダーは師匠の前に置いたコップを回収し……。

『ふむ……香りは惜しかったが、味はまあまあだね』

「恐縮です」

聖樹に近づいて紅茶を根元に垂らしていた。

……確かに飲んでいると言えなくもないが、何て面倒なのだろう。

一度師匠の前に置いたのは、テーブルを模った根で雰囲気と香りを楽しむわけか。それで味は聖樹の根元で味わうと。

テーブルも根なのでこれに垂らしても同じ気もするが、そこは師匠の拘りがあるのだろう。

「……兄貴」

「気持ちはわからなくもないが放っておけ。関わると面倒だ」

あれで満足しているんだから、それでいいだろ。

そんな何とも言えない雰囲気を切り替えて紅茶を楽しんでいると、師匠は縛っているエルダーたちを眺めてから俺に鋭い視線を向けてきた。

『そういえば……あんたに処罰を下すのを忘れていたね』

「待て、何の処罰だ?」

『何を言ってんのさ。あそこにいるエルダーたちの事さね』

ああ……そうだったな。

仕方がないとはいえ、俺はエルダーエルフの命を二つも奪ってしまったのだ。

他のエルダーの目もあるだろうし、何かしらの責任をとらなければなるまい。

「ああ、俺もフィアがやられた怒りで色々と甘かったのを理解している。処罰があるなら素直に受け入れるよ」

『それならいいさ。さて、どうしてやろうかね……』

「お待ち下さい聖樹様!」

すでに覚悟は決めているので師匠の判決を待っていると、座っていたフィアが立ち上がって師匠の前にやってきて跪いていた。

「この度の件、元は私が勝手に里を出てエルダーエルフ様の怒りを買ったのが始まりなのです。ですから処罰はシリウスではなく私が受けるべきです」

「フィア……」

「主が罪を負うならば従者も共に……シリウス様を処罰するなら私もお願いします」

「俺も殺すつもりで剣を振っていたから、兄貴と同じです!」

「私たちは皆で一つですから……」

「オン!」

気付けば俺を除いた全員が師匠の前で跪いて頭を下げていた。

やったのは俺だけなんだから、お前たちまで罪を背負おうとしなくてもいいだろうに……困ったものだ。

ただ嬉しい気持ちも確かにあるので、どう声を掛けるべきか少し迷っていると、師匠は大口を開けて笑いだした。

『はっはっは! まさかここまで好かれているとは、あんたもやるもんだねぇ』

「まあ……な。俺の自慢の弟子たちで、仲間で、恋人さ。だから師匠、処罰があるんだったら俺だけにー……」

『そんなもん、あるわけないさね』

「「「「……は?」」」」

「オン?」

きっぱりと言い切った師匠の言葉に、弟子たちとホクトは揃って首を傾げていた。

やれやれ……予想はしていたが、やっぱりそっちかよ。

『処罰なんてありゃしないさ。むしろ怒るとしたら、何でこいつ等を逃したんだと言いたいさね』

「えーと? つまり……シリウス様が全滅させなかった事に怒っているんですか?」

『喧嘩を売られたら完全に無視するか、しっかりとやり返す。そして理不尽に相手が殺しに来たなら確実に仕留めろ……って、私は教えた筈さ。だというのに三人も逃がして酷いもんさね』

「それはそうだが、一応エルダーは師匠が生みだした存在だろ? そんな気軽に仕留めろっていうのはどうかと思うが……」

『自分が生んだ子だろうと、ルールを守れないアホに容赦は必要ないさね。それはあんたが一番わかっているだろう?』

「まあ……な」

ここの森の門番でもあるエルフを殺そうとしたり、師匠が目に付けたフィアを殺そうとしたのだ。

門番が重要なものだと十分に知っている師匠は、あのアホたちがやらかした事を決して許さないだろう。

『とにかくあんたにお咎めはなしさ。むしろこんなアホを生みだした私の落ち度もあるからね。ほら、あんたたちも椅子に戻りな』

「……わかりました」

「お、おう!」

『さて、話がついたところで終わらせるとするかね。あんたたち、何か言い残す事はないかい?』

そして師匠が木の根によって縛られているエルダーたちに問いかければ、呻き声を上げていたリーダー格のエルダーが師匠へと懇願していた。

「聖樹様。我々の力がこのような場所で収まるのは間違っているのです」

『私の加護の下で負けた奴がどの口で言うさね? それに許可なくエルフを殺そうとするなんて呆れてものも言えないねぇ』

「聖樹……様……」

『それに、どう思おうとあんたたちは私の守り人なのさ。秩序を乱す者に情けは不要さね』

師匠は心底呆れた様子で指を振れば、木の根がエルダーたちの顔を覆い始めた。

そして完全に取りこまれて根と一体化し、淡い光を放つ根のオブジェとなったエルダーたちを、師匠は少しだけ穏やかな目で見つめ続けるのだった。

『だから……次こそは使命を忘れずに生まれ変わっておくれ……』

こうして聖樹に還ったエルダーたちの処罰を終え、師匠は気持ちを切り替えるように執事エルダーに声を掛けていた。

『さて、後はエルフたちへの説明だね。一号、ちょっと里へ行って説明してきな。そこのエルフは聖樹の加護を受け、エルダーを始末した男は聖樹に許されたので、二人はすでに罪人ではないともね』

「畏まりました」

「都合の良い感じにしてくれて助かるよ」

『これくらいの情報操作なら構わないさね。私の用はこれで終わりだけど、あんたたちはこれからどうするんだい?』

「そうだなぁ……」

大分日が傾いているので、今から執事エルダーの後を付いてフィアの家に戻っても夜遅くになるだろう。

師匠ならここで一泊しても何も言わないと思うが……やっぱり戻った方が良さそうだな。

なので帰ると口にしようとすると、姉弟とリースが俺を遮るように割りこんできた。

「なあ兄貴。せっかく師匠に再会出来たんだから、今日はこの辺りで泊まらないか?」

「そうだよね。積もる話もあるだろうし、私もその方がいいと思う」

「野営道具を持ってきていますし、如何でしょうかシリウス様?」

フィアは何も言わないが、全員の様子から泊まっていきたいようだ。

師匠が言い聞かせているのか、エルダーたちは敵意どころかこちらに興味すらないようだし、この周辺になると危険な魔物はいないので襲われる事はなさそうだが……。

「泊まりたいのか?」

「おう! 一回だけ兄貴の師匠と戦ってみたい!」

レウスは素直に答えているが、女性陣に関しては少し視線を逸らす傾向が見られた。大方、師匠から俺の過去でも聞こうとしているのだろう。

確かに師匠と再会できて嬉しくはあるが、反面本気で関わりたくない部分もある。師匠は下手するとどこまでも暴走するので、弟子たちの安否が心配なのである。

だけどまあ……これも経験か。

「わかった。師匠、この辺りで一泊しても大丈夫か?」

『好きにするさね。ただ、この周辺の家屋はどこもエルダーが住んでいるから空家はないよ?』

「聖樹自体が屋根みたいなものだし、自前のテントがあるから大丈夫だ」

それから執事エルダーがエルフの里へ向かった後、俺たちはホクトが背負っていた荷物を降ろして野営の準備を始めた。

本来なら木の近くで火は厳禁だろうが、先程執事エルダーが紅茶を淹れる際に思いっきり使われていた。それに、聖樹が調理に必要な火力程度で燃えるわけがないと断言したので、遠慮なく火を熾して料理を作っている。

この周辺で採れる山菜と干し肉でスープを作っていると、少し開けた場所で剣を握ったレウスと腕を組んで立つ師匠が向かい合っていた。

先程、師匠と戦ってみたいとレウスは口にしていたが、師匠はそれを了承してくれたので早速行っているようだ。

「よろしくお願いします!」

『うむ、どこからでも掛かってくるさね』

師匠と戦うのは止めておけと伝えたのだが、レウスは師匠の強さを身を以って味わってみたいと頑なだった。

なので戦うなら全力で戦い、かつ攻撃より防御を優先しろとアドバイスしておいた。そして師匠にもやり過ぎるな、殺すなと何度も言っておいたが……正直不安だ。

骨折程度で済めばいいのだが……。

「どらっしゃああぁぁ――っ!」

『中々の剣だけど、まだ甘いさね!』

レウスが全力で振り下ろした剣を、師匠は虫を払うような平手で受け流し、そのままレウスの手を掴んで地に叩きつけていた。

自分の剣があっさりと流されたレウスは驚愕の表情を浮かべ、師匠は獰猛な笑みを浮かべてレウスを見下ろす。

まあ……あれだな。

レウスに伝え忘れたが、とにかく理不尽ってやつを存分に味わってくるといいさ。

そして師匠とレウスの戦いによる激しい音が響く中、俺の隣ではエミリアが真剣な様子で紅茶を淹れていた。

「……うん、こんなものですね。後はコップも温めて……と」

「あまり根を詰めるなよ? 師匠と付き合っているとキリがないからな」

「いいえ、シリウス様の従者として師匠様を満足させるのは当然ですから」

執事エルダーがエルフの里へ向かった後、師匠はエミリアをじっくりと眺めるなり、突然紅茶を淹れろと言い出したのである。

従者としての血がそうさせるのか、エミリアはそれを引き受けてから紅茶を淹れるのに神経を注いでいた。

本当は師匠と紅茶を絡めたくはないのだが、エミリアを止める理由もない。

内心でエミリアを応援しながらスープを掻き混ぜていると、俺と一緒に料理を手伝っていたリースが余所を向いたまま固まっていた。

「いたたたたたっ!? 何でこんな簡単に……腕がぁ!」

『はっはっは! ロープは無いさね!』

「ロ、ロープって何だ!? ぎゃあああぁぁっ!」

リースの視線の先では、レウスが師匠に倒されて腕挫十字固と呼ばれる関節技を決められていた。

先程までレウスが剣を振るって師匠が避けるばかりだったが、すでにレウスの動きは見切られてしまったようだ。

「あの、シリウスさん。レウスが……」

「あれならまだ大丈夫。痛いだけだから」

前世の俺が何度もやられた技の一つだ。つまりあれで攻撃している時点で師匠は遊んでいるだけである。

完全に技を決められている時点で相当痛い筈だが、それでも剣を放さないレウスの根性は素直に称賛する。

その頃、紅茶を淹れ終わったエミリアはテーブルの前に座っている師匠へと差し出していた。

ちなみにレウスと遊んでいるのが二人目の師匠で、こっちの方が最初の師匠だ。仮初の体なので、二人、三人と同時に出すのも可能らしい。

師匠が同時に何人も存在する……何も知らなかった前世の俺が見たら発狂しそうだ。

『茶葉は何を使ったんだい?』

「道中で手に入れたオウカと呼ばれる花です。シリウス様のお気に入りです」

『ふむ……香りはまあまあだね。それじゃあ、根元に掛けておくれ』

師匠に言われ、エミリアは聖樹の前に近づいて紅茶を掛けていた。あれは何度見てもシュールな光景である。

そして目を閉じて紅茶を味わって(?)いた師匠は、ゆっくりと目を開いてからエミリアに視線を向けた。

『……三十点だね』

「っ!?」

予想以上に低い評価に、エミリアは驚愕の表情を浮かべながら一歩後退していた。こう漫画や物語の演出で見られる、背後に雷が落ちて衝撃を受けている感じである。

「な、何故でしょうか!? しっかり茶器も温めていますし、最後の一滴までしっかりと……」

『温度が悪い! 湯は九十五度で、そして注ぐ時はこの角度さね! 味が染み過ぎて駄目になる時もあるし、水に含まれる酸素も大事だよ!』

「さ、さんそ!? よくわかりませんが、こんなにもまだ注意点が……」

『紅茶を飲む覚悟の違いさね! 私はね、あまりにも不味い紅茶を出したら、町一つ滅ぼすくらいの覚悟を持って紅茶を飲んでいるんだよ!』

はた迷惑な覚悟である。

実際滅ぼしたかどうかは定かではないが、今のは前世でも聞いた言葉だ。改めて聞いてもやはりおかしいと思う。

『いいかい? 沸騰する直前に出る気泡がー……』

「はい! これが合図なのですね」

紅茶に関しては恐ろしい拘りを見せる師匠だが、エミリアも何とか食らいついているようだ。師匠が教える知識を貪欲に吸収しようとしている。

『次はこいつさね! ほらほら、どうしたんだい?』

「あああぁぁぁっ!? だから何でー……痛い痛い!」

その頃……レウスは流石に限界を越えたのか剣を手放し、今度は師匠に足四の字固めを決められていた。

「す、凄いわね。レウスがあんなにも簡単にあしらわれているわ」

「レウスがまるで子供みたい。シリウスさんはあんな人と毎日訓練していたんだね……」

「そうだな。何度心が折られた事か……」

俺を見ながら苦笑しているリースとフィアだが、その視線はどこか憐れみが含まれている気がした。

本当によくあんな人と戦い続けてきたものだと、自分でも不思議なくらいだ。

そしてホクトだが……。

「クゥーン……」

師匠が増えた事に恐怖し、俺の傍から決して離れようとしないのだった。

そして夜になり周囲が暗くなったが、聖樹の周囲は発光する植物によって明かりが必要ない程に明るかった。

その頃には執事エルダーも帰ってきて、俺たちが作った夕食も完成していたが、短時間に大量の知識を叩き込まれて目が虚ろなエミリアと、近くで倒れたまま動かないレウスによって夕食が始められなかった。

「お湯は九十五度で……淹れる角度は……」

「大丈夫エミリア? ご飯出来ているよ……ねえ?」

「え、ああ……大丈夫ですよ。このスープ……気泡が出ていないから紅茶の温度に適していないですね」

「だからそれは食事だから! しっかりしてエミリア!」

ぶつぶつと呟きながら、紅茶と現実の区別が付いていないエミリアの肩をリースが揺すっている。

「ほらレウス、早く起きないと夕食を食べちゃうわよ?」

「あ……うう……俺の腕は……そっちに曲がら……止めろぉ……」

「……駄目ね。見たところ傷一つないのに、どういう事かしら?」

「体内からじわじわと攻める攻撃ばかりだったからな。現実逃避しているんだろ」

違う言い方をすれば、心が折られたとも言える。前世の俺も、師匠にこうして何度も心を折られたものだ。

とにかく夕食の時間なので目覚めてもらわなければなるまい。フィアの声では反応が見られないので、俺はレウスの上半身を持ち上げて横にいるホクトへ向けた。

「よっと……レウスも重くなったもんだ。ホクト」

「オン!」

「へぶっ!? ……あれ? 何でもうこんなに暗くなっているんだ!?」

そしてホクトの前足がレウスの頬を叩けば、肉球による適度な衝撃によって正気を取り戻していた。

続いて、まだ虚ろなエミリアの頭をゆっくりと撫でてやれば……。

「このスープに合う紅茶はー……うふふ……」

「……シリウスさんが撫でるのはわかるんだね」

いつものように尻尾を振ってだらしなく喜び始めたので、しばらく撫でていれば元に戻るだろう。

そんな光景を眺めていた師匠は、最後にエミリアが淹れた紅茶の香りを楽しみながら呟いていた。

『あれだけ仲間だ弟子だと言いながら、扱いがペットみたいさね』

「決して、やりたくてこうなったわけではないと理解してほしい」

『まあ私にはどうでもいいさね。ペットだろうと、性奴隷だろうとあんたの好きにするがいいさ』

「師匠、どうでもいいわりには言動に悪質さを感じるぞ」

「うふふ……私はシリウス様のペットでも性奴隷でも構いませんよぉ……」

「あ……戻ってきた」

最後にエミリアが正気に戻ったところで、俺たちはようやく夕食となった。

紅茶を飲む時点でおかしい話だが、師匠は木なので食事の必要がない。なのに俺たちが食事をするのをじっと眺めているので、冗談交じりに勧めてみると……。

『スープならいけるかもしれないね。一号!』

「はぁ……わかりました」

『……うーん、悪くないねぇ。でも私はもうちょっと濃い目が好きだね』

「もう少し聖樹らしくしていろよ……」

『だから私らしくしているさね!』

執事エルダーも溜息を吐いているし、もはやただの我儘な人にしか見えない。仮初とはいえ容姿が優れているだけに、その残念さも際立っている。

フィアの話によると、聖樹とは普通のエルフからすれば神聖視されている存在らしいが……こんな姿はとても見せられまい。

呆れつつも食事を進めていると、フィアが笑みを浮かべながら挙手していた。

「聖樹様。よろしければ、異世界にいた頃のシリウスについて教えてくれませんか?」

『ん? つまりこいつが子供だった頃の話かい?』

「わ、私も気になります。シリウスさんはどんな子供だったのでしょうか?」

「シリウス様は子供の頃から努力を怠らない、素晴らしい御方だった筈です」

「兄貴はあの師匠とずっと戦って……尊敬するぜ!」

姉弟から向けられる異様な信頼がくすぐったい。しかし俺だって子供だったのだから、過度な期待は止めてほしいものである。レウスの場合はその身をもって味わったのでわからなくもないが。

そして師匠は俺との生活について語り始めたが、俺はそれを止めようとは思わなかった。

「……オン」

止めないの? と言わんばかりにホクトが覗き込んでくるが、別に構わないと思っている。

正直に言えば恥ずかしいが、この穏やかな空気を壊すのもなんだしな。俺はホクトの頭を撫でながら、師匠と弟子たちの会話を聞いていた。

ただし……。

『そういえば、私が寝ている時に何度か襲って来た事もあったねぇ。私に勝つ事しか興味がなかった子供も、あの時は男だと思い知ったものさ』

「あ、あわわ……」

「うふふ、まあ男の子だから仕方ないわよね。私は夜這いならいつでも歓迎よ」

「シリウス様。申していただければいつでもお相手しますので」

「いや……それは六歳ぐらいの頃だし、純粋に師匠を倒そうとしていただけだからな?」

間違いだけは訂正させてもらう。

あの時はまだ若くて性欲もなく、それどころか師匠の寝姿があまりにもだらしくなく引いていたくらいだからな。

ちなみに寝込みを奇襲した結果だが……簀巻きにされて朝まで木に吊るされた。

その後も師匠の話は続き、弟子たちは聞く度に一喜一憂する。

もはや虐待と言っていい程の訓練内容を語れば引き、戦場にポンと放り込んだ事を語れば憐れみの目を向けられたりした。

一番面倒だったのが、俺に親がいなかったと知るなり、エミリアとフィアが母性に溢れた目を向けながら膝枕を勧めてきた事だな。

前世で師匠と一緒に過ごしていたのは十年と少しだが……本当に訓練ばかりだったな。灰色の青春と言うのはこういう事だろうか?

「ほ、他にはないんですか!」

『確か……そこの狼が犬だった頃、森を散歩していたら迷子になった事があるさね。それであいつが犬を探しに森へ入ったかと思えば、揃って迷子になったから私が見つけた事もあったねぇ』

「オン!?」

「ホクトにもそんな事があったんだ」

「オンオン!」

「落ち着けホクト。お互いに子供だったから仕方ないだろ? というか、ここに負けず劣らずの山奥に住んでいた師匠も悪いんだ」

それからも俺たちの話は弾み、騒がしい夜は更けていくのだった。

「迷子のシリウス様……私が救ってさし上げたかったです」

「森ならどこにいたって探してあげられたの……」

「過去の話だからな?」

「オン!」

次の朝……出発の準備を終えた俺たちを師匠が見送ってくれていた。

「お世話になりました。とても貴重な体験が出来て楽しかったです」

「私もです。それに様々な知識を教えていただき、本当にありがとうございました」

『そうかい? 満足出来たならそれでいいさ。こっちもそれなりに楽しかったさね』

「今度はもう少し戦えるようになっています!」

『うむ、もっと精進するんだよ。せめて私に技くらいは使わせるくらいにはね』

「は、はい!」

師匠は姉弟とリースに話しかけた後、ゆっくりとフィアに手を差し出してきたので、フィアは戸惑いながらもその手をとって握手を交わしていた。

『私の種を貰ったんだ、存分に世界を見て回っておいで』

「はい! 聖樹様、いずれまた会いましょう」

『はっはっは! そんなに畏まらなくても遠慮なく会いにくるといいさね。それと……』

師匠が徐に手を振れば、長さが俺の両腕を伸ばした程の枝が頭上から落ちてきたので、フィアは反射的にそれを掴んでいた。

その枝は大きく湾曲しているので、弦が無い弓のようである。

『エルフってのは狙われやすいから、もっとわかりやすい武装をしておくんだね。例え使わなくても、立派な武器は持ってるだけでも抑止力にもなるもんさ』

「このようなものを……ありがとうございます」

『迷惑を掛けた詫びさね。ただ、弦は自分で探しておくれ』

聖樹の枝から出来た弓か。何か不思議な力があるのだろうか?

そして最後に俺を見た師匠は笑みを浮かべていた。

この笑み……また何か面倒な事を言い出しそうな気がする。

『実はね、あんたに頼んでおきたい事があるのさ』

「面倒事か? 無茶な事は言うなよ?」

『その昔、私が世界を旅していた頃の話さね。あの頃の私は、調子に乗って色んな魔道具を作りながら旅をしていた時期があってね、案が浮かべば作って放置していたから、それがまだ世界中に残ってる可能性があるのさ』

「……そういえばあったな」

フォニアの町にあった祭壇には師匠の刻印が彫ってあったが……あれは本当に師匠が作った物だったわけだ。

『もし旅の途中で私の作品を見つけて、それがくだらない事に使われていたら破壊しといておくれ。後味が悪いからね』

「わかった。俺の判断で決めていいんだな?」

『あんたの判断に任せるさ。それにこれは強制じゃなくて、あくまでついでの話さね』

つまり義務や責任という感じではなく、破壊の判断は俺に任せるというわけだ。頭の片隅で覚えておけばそれでいいのだろう。

すると突然何か飛んできたので反射的に掴んでみれば、それは師匠が俺と戦った時に使っていた木製のナイフだった。というか、今のを掴まなかったら普通に顔面へ突き刺さっていたのだが、それを突っ込むのは今更か。

「何だ? くれるのか師匠?」

『ああ、再会祝いってやつさね。私の体の一部だから、頑丈さだけは自信があるよ』

「それはよくわかっているよ。ミスリルと打ち合えるんだからな」

一見するとナイフの形をした木だが、何か得体の知れない魔力が込められているようだ。

あの師匠の一部と考えると少し不気味だが……ナイフなら幾ら持っていても損はあるまい。

それに考えてみれば、師匠から物を貰ったのは初めてなので地味に嬉しい。遠慮なくいただいておこう。

後でナイフホルダーを作ろうと考えていると、師匠は笑みを浮かべながら拳を突き出してきたので、俺も拳を突き出してぶつけた。

『せっかく生まれ変わったんだ。存分に世界を楽しんでくるといいさね』

「安心してくれ。もう十分に楽しんでいるし、これからも仲間たちと一緒に楽しんでいくつもりだ」

『そいつは良かったさね。そうさ、やっぱり旅ってのは……』

そして世界中で誰よりも自由な師匠は……。

『自由なのが一番さね』

子供のように無邪気な笑みを浮かべながら、俺たちを見送ってくれた。