作品タイトル不明
白と赤
『エアステップ』で空を飛び神殿を脱出した俺は、町を眼下に見下ろしながらホクトへ作戦完了の『コール』を送っていた。
「作戦完了だ。奴を撒いて帰ってこい。何かあれば合図を送れ」
ホクトを追いかけていた炎狼は昼間のように精霊の力を借りた状態ではなかったから、逃げに徹すれば振り切れるだろう。
後は俺達が無事に馬車へ帰るだけだと思いながら空を飛んでいると、先程まで頬を染めて嬉しそうにしていたリースが、小さく溜息を吐いて落ち込み始めていた。
「……どうしたリース?」
「あ、その……今回は色んな人に迷惑掛けちゃったな……って」
「俺は気にしていないが、エミリアとレウスには何かしてやりなさい。リースが攫われて凄く心配していたからな」
「それはもう。落ち着いたらご馳走を作ってあげたいと思います。勿論シリウスさんとフィアさんにもですよ」
「ああ、楽しみにしているよ」
リースが作る料理は今や俺に迫る腕前なので、お世辞抜きで楽しみである。
食べたい物をリクエストしてみるかと考えていると、俺に視線を向けているリースが真剣な表情で考え込んでいるのに気づいた。
何か……大切な事を伝えたいのかもしれない。しばらくしてようやく考えが纏まったリースは、ゆっくりと口を開いた。
「……シリウスさん。捕まっている間もずっと考えていたんですけど……やっぱり私は甘さを捨てられないみたいです」
甘さと言う事は、自分とはほとんど無関係な人をヴェイグルから助けたあの件の事だろう。
確かにあれで予定の変更を余儀なくされたが、人を助けるのは悪い事ではないので強く言うつもりはない。すでにリースは敵に捕まるという罰を受けているからな。
「その人が悪人だってわかれば……諦められたかもしれません。でもそうじゃない人や知り合いの人が私の力を使う事によって命を救えるのなら、救いたいって思っちゃうんです」
「それで皆が危険に晒されたとしてもか?」
「皆が危険だと……ちょっと考えちゃうかも。でも、目の前で助けられる人を見過ごしてしまえば、私はきっと自分を許せないと思います。自分の中にある大切な何かを無くしてしまいそうな……そんな気がするんです」
リースは優しい女性であり、それゆえに……甘い。現実を知り、実際に体験しても守りたいとはっきり口にする甘さだ。
目の前で死んでしまう人を見るのが耐えられないし、人を傷つける事より癒す事や守る方を選ぶ。実際、積極的に覚えてきた魔法はそっち寄りだからな。
「だから私はこれからも心のままに生きたいと思います。過去に姉様が私に言ってくれたように……我儘になるんです」
だが……そんなリースでなければ、広めたわけでもないのに聖女なんて呼ばれるようになるわけがない。
リースの甘さは短所でもあり、長所でもあるのだ。力による脅しを一切行わずに人を惹きつけ、自然と味方を増やしてしまうこれを長所と言わず何と言えばいいのか?
長所を殺すのは俺の主義に反する。
それに、その道をリース自身が選んだものならば、俺は師として応援してやるべきだろう。
「……それがリースの選んだ道か。いずれ二つの命、どちらかを選ばないといけないような辛い選択を求められるかもしれないぞ?」
「全てを救うなんて大それた事は言いたくありませんけど、それでも私は……両方を選びたいと思います」
「はは、本当に我儘だな。だったら、それ相応に強くならないと駄目だな」
「はい、救いたい人を救い、皆も自分も守れるくらいに……私は強くなりたい。シリウスさんみたいに、自分の我儘を押し通せるようになりたいです」
「俺は我儘なのか?」
「あ、えーと……酷い事を言いたいわけじゃないんです。ただシリウスさんみたいに、自分の意思を押し通せるようになりたいって思っただけですから」
実際、リースの言う俺が我儘ってのは間違いではないんだよな。俺が自分を鍛えているのは生きる為と趣味の他に、自分にとって邪魔な障害を排除できるようになっておきたいからだ。
慌てるリースが落ち着くまで待ってから、リースの決意に対する俺の思いを告げた。
「リース……俺になら幾らでも迷惑をかけてもかまわん。だから強くなれ。そして心に描いた自分の理想に近づけるよう、前を向いて歩き続けなさい。それが俺の……師匠としての願いだ」
「はい! シリウスさんの弟子として、こ、恋人として恥ずかしくないくらいに強くなります! だから……見ていてくださいね」
そこでリースはそっと顔を寄せ、俺の頬に口付けをしてから笑みを浮かべてくれた。
「ああ、見せてくれ。俺は命ある限り、お前達を見守っていこう」
精霊魔法が使える彼女ならもっと強く、大きく成長していくだろう。
これから益々楽しみだと思いながら空を飛び続けた。
……そういえば一つ言い忘れていた事があった。
「そうだ、リース。皆気にしてはいないが、色々と迷惑をかけたのは事実だ。というわけで、リースは今日の夕食でおかわり禁止だ」
「えっ!?」
すでに敵に捕まる酬いは受けているものの、体裁として一応……という感じの罰だ。
本当は食事を抜きにしようと思ったが、栄養を摂らないのはよろしくないのでおかわり禁止に留めておいた。
しかし……リースの表情は絶望に染まっていた。
「さっき確認したが、今頃エミリアがシチューを作っているそうだ。おかわり禁止だから一杯だけだぞ」
「パ、パンは……パンは何個までですか!?」
「当然一個だ」
「デザート……」
「保存していたプリンが一個」
「うう……それなら何とか。そうだよ、これは反省の為。我慢……我慢……」
さっきより反省が深い気もするが、おそらくいつもの調子を取り戻してきた証拠だろう。
そう思って……いいんだよな?
そして町から離れた森の前で地上に降り、俺とリースは馬車まで戻ってきた。
「リース!」
「リース姉!」
俺達に気付いた姉弟は急いで走り寄ってきて、リースへ抱きついてきた。
リースは姉弟より体が小さいので、揃って抱きつかれてリースは完全に埋もれてしまっていた。姉弟に抱き潰されて苦しそうな表情をしているリースだが、嬉しそうにしている感情も見えてもいた。
「た、ただいま。心配かけて、私のせいで巻き込んじゃって……ごめんね」
「違うわ。リースだけのせいじゃない。私達の力も足りなかったのよ」
「そうだ、あんな奴等に後れをとった俺達も悪いんだ! 兄貴の弟子として情けねえ!」
「……うん、ありがとう。ねえ二人とも、私ね……強くなるよ。もう二度とあんな人に負けないように……強くなるから」
お互いの無事を確認し合いながら、リースは己の決意を姉弟にも宣言していた。
その変化に姉弟は一瞬戸惑っていたが、すぐに掌を向けてお互いにハイタッチし合っていた。あの三人は本当に仲が良いな。
「リースさん! 無事で……良かったです」
「私のせいで捕まってしまって、申し訳ありません!」
「い、いえ、お互いに無事ですから。それより、やはり貴方はアシェリーの知り合いだったのですね」
「はい! リース様に助けていただいた御蔭でまたアシェリーと再会できました。本当に感謝しております」
「さ、様付けなんて止めてください! アマンダさんの方が年上ですし、私はただの冒険者ですから!」
続いてアシェリーとアマンダがやってきて、何度も頭を下げて感謝を伝えていた。
リースは恥ずかしそうにしているが、アマンダが無事なのはリースが起こした行動の結果だ。遠慮せずに受け取るのが礼儀だと思う。
そして一通り再会を済ませ、ホクトが無事に帰ってきたところで少し遅い夕食となった。
気付けば大所帯になり、馬車に残る食料の備蓄が気になっているアシェリー達だが、エミリアは気にせずにスープの入った皿を渡していった。
「近々フォニアで買い物ができると思いますから、気にせずにどうぞ。そうですよね? シリウス様」
「ああ、エミリアの言う通りだ。明日は忙しくなるからしっかり食べて休んでおくんだぞ」
「忙しく? それに買い物ができるって……シリウスさん達が町に入って大丈夫ですか?」
アシェリー達には俺達がフォニアで起こした一連の行動をすでに説明済みだ。
すでに 女神(ミラ) 教に俺達の顔は割れているだろうから、アシェリーが心配するのも当然だろう。
「俺達だけじゃなく、アシェリーもフォニアに行くんだ。町でドルガーと敵対している信者の話は聞いただろう?」
「はい、無事で良かったと思います。もしかして……」
「そうだ。明日は町の信者達と合流後、準備を整えてから一気に 女神(ミラ) 教の神殿へ乗り込む」
俺は神殿へ潜入した時に回収した不正の証拠品や、市民や貴族から押収していた物を取り出してアシェリーの前に並べた。
「これって……メジーナさんが盗まれたって嘆いていた家宝です!」
「見てアシェリー。こっちはセージ様の奥様の形見だわ。無くなったって聞いていたのに……」
覚えのある物ばかりらしく、アシェリーとアマンダは驚きながら物を確認していた。誰の物か判明しているなら話は早い。
「先生、これは一体?」
「そこにある大切な物をドルガーに押さえられて、仕方なく 女神(ミラ) 教に従っていた人達もいる筈だ。だからこいつを直接見せて味方になってもらうわけだ」
そもそも 女神(ミラ) 教はアシェリー達の問題なので、なるべく自力で解決を目指してほしかった。
俺達が必要以上に関わって問題を解決したとしても、クリスやアシェリー達が成長しないからな。その後似たような問題が起こり、俺達がいなくて何もできませんでした……となっても困る。
なので力を貸すと決めた時は、今のように味方を集める手段を整えたり、ドルガーの弱点を見つけてアシェリー達に流したりと裏で支えるのを中心に動くつもりだった。
「た、確かにこれならいけるかもしれないです。でも先生、話が急過ぎませんか?」
「急なのは悪いと思うが、こっちも色々とあって予定の変更を止むを得なくてな」
本来ならアシェリー達に味方を集めさせて、ドルガーの弱点を攻めて神殿側を弱らせてから乗り込ませる予定だった。
しかし……弟子達が運悪くヴェイグルと出会ってしまい、更に奴はリースを攫ってしまった。
俺達に喧嘩を売られたようなものなので、その時点から俺は完全な裏方を止めて、アシェリー達を補助しながら積極的にドルガー達を潰す事に決めたのである。
「それにドルガーには聖騎士のヴェイグルがいます。彼を怖がってアシェリーの味方をしてくれるかどうか……」
「奴は明日から町を出ていくので問題はない。予定が早まった理由はそれのせいだ」
先程の隙だらけだったヴェイグルを始末しなかったのは、神殿側……ドルガーに余計な警戒をさせない為だ。
短い観察だが、ヴェイグルはプライドの高い男だというのはわかっている。そんな奴が自分が負けた事なんて決して話したがらないだろうし、唯一説明しそうなドルガーでさえ鬱陶しがっている様子から話す可能性は低いだろう。
あの様子なら確実に俺へ復讐しにくるだろうし、勝手な行動が増えているヴェイグルが朝から神殿を出ても違和感は覚えない筈だ。
いつも通りの日常。
何かあれば聖騎士がくるという油断。
その二つの隙を突いてアシェリー達が突入し、一気にドルガーを制圧する……という流れだ。
俺はアシェリー達に、その作戦内容とヴェイグルを呼びつけて朝から町の外で戦うと説明した。
作戦を聞いた弟子達はやる気を出しているが、反対にアシェリー達は大いに慌てていたので、俺は安心しろと言わんばかりな笑みを向けてやった。
「なに、足止めなら得意だ。事が終わるまでは奴は町へ帰すつもりはないから安心しろ」
「そ、そうじゃありません! あの人と戦えばシリウスさんが無事では済みません! リースさんに続いてシリウスさんにまで何かあれば……」
「所詮は炎を振り回しているだけの子供だ。足止めくらい、やり方次第でどうとでもなる」
「でも!」
「落ち着くんだアシェリー」
危険だと騒ぐアシェリーが詰め寄ってくるが、クリスが間に入り込んでアシェリーを宥めてから俺に真剣な視線を向けてきたのである。
「先生……大丈夫なんですよね?」
「問題ない。むしろヴェイグルより炎狼の方が問題だが、俺には……」
「オン!」
顔を横へ向ければ、ホクトが尻尾を振りながら任せろとばかりに吠えていた。
流石に遠距離からの狙撃を避けるような魔物になると面倒だからな。炎狼から自分と似た雰囲気を感じたらしく、ホクトもやる気満々である。
「見ての通り相棒もいる。それより俺の心配なんかしていないで、お前達はドルガーとその後について考えろ。今の 女神(ミラ) 教はドルガーを失脚させれば解決する問題じゃないだろ?」
ドルガーは私利私欲で 女神(ミラ) 教を変えて、その甘い蜜を啜って堕落した信者は多い。
そんな奴等の目を覚まさせたり、処分を下したりして 女神(ミラ) 教をあるべき姿に戻すのは至難の業だ。国全体の問題なので、敵を倒すより倒した後の方が問題だろう。
「お前達が制圧するまで俺は足止めに徹し、その後全員でヴェイグルを囲んで倒せばいいのさ」
「あれ? 兄貴、俺達もヴェイグルと戦うんじゃないのか?」
「ああ、奴等は俺とホクトで十分だ。お前達はアシェリーと一緒に動いて色々と手伝ってやってほしい」
少し説明が足りなかったな。
リースは目の前でヴェイグルとのやり取りを見ていたからわかっていたようだが、弟子達は心配そうに俺に視線を向けてきた。
「ですがシリウス様、相手はリースを追い込んだ精霊魔法を使うんですよ? シリウス様が負けるとは思いませんが怪我をされる可能性もありますし、全員で一気に制圧した方が……」
「俺はあの子供を相手にするだけだが、お前達の方が明日は忙しいんだぞ?」
明日のアシェリー達の予定だが、町に潜入してから信者たちと合流し、俺が持ってきた物を使って味方を集めてから神殿へ突入するのだ。
やる事が多く人手は多い方がいいし、何より……。
「お前達には悪いが、あいつの相手は俺一人でしたいんだよ。リースを……攫ったからな」
生きている事を後悔させてやらなければ気が済まん。
不安気にしているアシェリー達には足止め程度と伝えているが、状況次第では普通に仕留めるつもりだしな。
「ところで俺が勝手に作戦を決めてしまっているが、アシェリー達はそれでいいのか? 断ったり変更してほしい事があるなら今の内に言っておけよ」
ここまで用意しておいて言う台詞ではないと思うが、一応アシェリー達の意見も聞いておかねばなるまい。
実は乗り気じゃなくて、当日になって失敗されても困るしな。
「いいえ、何もありません。そもそも私達はシリウスさんがいなければ捕まってましたし、戦う術を知らない私達が考えるより遥かにましでしょう。そして何より、私達にここまでしてくださる貴方を信じています」
「俺も先生を信じて、アシェリーを守る為に戦うだけです!」
「私も信じましょう」
「もしかしたら貴方は…… 女神(ミラ) 様が使わしてくれた使者なのかも……なんて、少し考えすぎですね」
「……それは間違いではないかもしれません。シリウス様なら神の御使いと呼ばれてもおかしくありませんから」
「エミリアよ、お前はどこまで俺を持ち上げるつもりだ?」
何だか無駄に信頼されているが、反論がないなら別にいいか。
その後、細かい作戦内容を伝え、後は明日を迎えるだけになったので解散となった。
皆が思い思いに過ごす中、明日に備えて準備をしている俺の前にアシェリーがやってきて、深々と頭を下げてきた。
「何もかもお世話になってしまい、本当にありがとうございます。今は何もできませんが、必ずお礼をさせていただきます」
「まだ何も終わっていないさ。それに、お礼とかそういうのは気にする必要はない。すでに俺達も戦う理由があるからな」
奴等は俺達の大切なものに触れてしまったので、その仕返しに行こうとしているだけである。
そのついでに、アシェリー達…… 女神(ミラ) 教を救う為の手伝いをしているだけだ。
「今は俺達の事なんか気にせず、ドルガーを何とかする事だけを考えなさい。君は 女神(ミラ) 教を守り、導く聖女だろう?」
「 女神(ミラ) 教を追い出されるような私が、本当に聖女と名乗ってよろしいのでしょうか?」
「それを決めるのは周りの人達だ。もし違うなんて言われたら、一人の信者として動けばいいんだよ」
「……シリウスさんにかかれば、聖女も形無しですね」
「大切なのは肩書より本人だからな。それに昨日も言ったように、君の周りには聖女なんか関係なく慕う仲間がいる。明日に備えてしっかりと話し合っておけよ」
アシェリーが振り返れば、任せろと力強く頷くクリスと、優し気に微笑むアマンダが立っていた。
最後にもう一度だけ深々と俺に頭を下げ、アシェリーは信頼する二人の下へ駆け寄った。
「お疲れ様です、シリウス様」
そしてエミリアが淹れてくれた紅茶を飲みながら準備を済ませ、見張りを交代しながら休むのだった。
次の日、俺とホクトはヴェイグルへ伝えた決闘場所へきていた。
相手は炎を操る相手なので、俺はいつものロングコートは脱がず、昨日用意した特注のマントを羽織っていた。
ここは高低差の激しい高地で、大小様々な岩が転がり、草木が碌に生えていない不毛な土地でもあった。
フォニアの町から一時間近く離れた場所なので、もし神殿で何かあったとしてもわかりにくいし、何かあったと判明してもすぐに戻れない筈だ。
そんな場所で俺は手頃な大きさの岩に座り、目の前にいるホクトを撫でながらヴェイグルが来るのを待ち続けていた。
「……歩くの遅過ぎだろ」
「オン!」
俺の『サーチ』やホクトの感覚からして相手が近づいてきているのはわかるのだが、とにかく歩みが遅いのだ。
まだまだかかりそうなので、俺は携帯用の櫛を取り出してからホクトのブラッシングを始める事にした。
「クゥーン……」
「やっぱりお前はここがお気に入りか。昔から変わらないな……」
ホクトのブラッシングを続けながら、そろそろ弟子達が町で動きだしたかと思ったその時……突如熱波が発生して俺の頬を撫でた。
「死にやがれええぇぇぇ――っ!」
見上げれば、巨大な火球が俺達目掛けて落ちてきたのである。
その威力は俺が座っていた岩すら溶かし、地上に大きな穴を穿つ程だった。直撃を食らえば俺どころかホクトですら危ういだろう。
「……いきなりご挨拶だな」
「オン!」
おそらく不意打ちを狙った一撃だろうが、『サーチ』が使える俺にはほぼ無意味である。岩に隠れながら接近し、隠れたまま何かやろうとしているのが丸わかりだったからな。
なので俺は火球が落下する前にホクトの背に乗って移動していて、火球の威力をじっくりと観察していたくらいである。
「ちっ、くそったれが!」
『だから無意味だと言っただろう。男の方はわからんが、あそこにいるのは私と近い存在だぞ?』
聞こえた声に振り向けば、高台からヴェイグルと炎狼が姿を現した。
すでに炎の精霊が力を貸しているのか、炎狼の体から噴き出す炎は激しく、初めて見た時はホクトより少し小さかった体も、今ではホクトと同じ大きさになっていた。
ホクトが警戒して唸り始めている横で、俺は苛だたしそうにしているヴェイグルへ呆れたような目を向けた。
「もしかして今のは不意打ちされた仕返しか? だとしたら、お前には合ってないから止めた方がいいぞ。下手過ぎて意味がない」
「うるせえ! 不意打ちで勝った気になっていやがるてめえに思い知らさねえと気が済まねえんだよ!」
「隙だらけなお前が悪い。それとも昨日の時点で殺された方が良かったのか?」
「ふざけんなぁ!」
俺の軽口にヴェイグルは怒り、火球を無数に生み出して飛ばしてきたので、近くにある岩の陰に飛び込んでやり過ごす。
質より量で放たれる火球では岩を壊せないようだが、際限なく放ってくるので中々飛び出す事ができず、『マグナム』の跳弾で狙おうとしたその時……俺の足元に影が広がった。
反射的に顔を上げれば、炎狼が爪を振りかざしながら上空から落下してきたのである。
『ははは! 隙だらけだ!』
「オン!」
飛び出したホクトが爪を振るって炎狼の爪を受け止めてくれたが、その衝撃によってお互いに弾き飛び、ホクトと炎狼は離れた位置に着地していた。
ホクトの爪を受け止めた炎狼の腕は切り裂かれていたが、すぐに炎が噴き出して再生していた。
一方、ホクトに怪我はなさそうだが、爪を振るったであろう右前足の毛が少しだけ焦げて黒くなっていた。炎狼の全身から噴き出す炎の余波で焦げたらしい。
ホクトの毛は炎にもかなり強い筈だが……それだけ炎狼の炎が激しい証拠か。
『ふふふ……やりおる。流石は百狼と言ったところか』
「ガルルル……」
触れるだけでダメージとなり、更に炎の精霊によって力を増幅させているだけではなく、体を再生できる炎狼は本当に厄介だ。
己の肉体のみで戦い、武器が使えないホクトとは相性が良くないだろう。
だが……。
「……行けるんだな?」
「オン!」
「……わかった。ホクト、向こうで炎狼と遊んできなさい」
そんな炎狼と戦ってこいと俺は命令していた。
俺と一緒に戦う手もあるが、リースみたいに水で防御ができない俺達では、奴等から同時に広範囲攻撃を放たれたら面倒だ。それに奴等はお互いの炎で同士討ちする可能性が少ないので、離れて戦うのは定石だろう。
なにより……ホクト自身がやりたいと訴えているのだ。その意思を尊重してやりたい。
『ほう……貴様だけで私を倒すというのか?』
「……オン!」
ホクトは大きく跳躍して高台に着地し、炎狼を見下ろしながら吠えていた。
おそらく挑発しているのだろう。その挑発を受けた炎狼は楽しそうに笑って、体中に纏う炎を活性化させていた。
『いいだろう、そのつまらん挑発に乗ってやろう。おい、私はあいつと戦ってくるぞ!』
「勝手にしろ! 俺の狙いはその男だけだ!」
『ふん、油断するなよ。昨日はやられたんだろう?』
「正面なら俺の炎に勝てる奴なんかいねえよ!」
『相変わらずだな。どうなっても知らんぞ』
炎狼も高台へ向かって跳躍したので、ホクトは俺達から離れるように走りだした。
ホクトと炎狼が走り去る背中を眺めていると、ヴェイグルも小さな火球では意味がないと察して攻撃を止めていた。
「隠れてないで出てこいよ! 俺を背後から襲った時の偉そうな態度はどうしたんだよ?」
「わかったわかった。これでいいか?」
炎によって焦げ臭い岩から体を出し、高台から見降ろしているヴェイグルと視線が合った。
かなり炎を使ったようだが、奴は疲れている様子が見られない。おそらく周辺に火の精霊が多く、色々と補助をしているせいかもしれない。
実際、リースも水の精霊が多そうな湖周辺だと、どんなに魔法を使っても平気そうだったしな。
凄まじい力はあるが、精霊の数や地形によって本人の負担が変わるのも精霊魔法の特徴というわけだ。
「てめえは簡単には殺さねえ。全身を炎で炙って、散々苦しませてから殺してやる」
「炎を垂れ流す事しかできないくせに癇癪を起こすな、餓鬼が」
俺は挑発を繰り返す。
ヴェイグルのような自分に絶対の自信がある奴は、怒らせる事によって隙が生まれるものだ。
他にも本気を出させる為でもある。本気を出した状態で降し、己の自信を粉々に打ち砕いてやらないと後悔しない奴だからな。
そして挑発によって怒り狂うヴェイグルは大きく息を吸って叫んだ。
「お前等ぁ、奴の動きを止めろ!」
その瞬間、周辺の地面から炎が噴き出したが、炎は一定の距離から近づかず俺を中心にして渦巻くだけだった。
「そして……こいつで終りだ!」
続いてヴェイグルは渦巻いている炎より大きな火球を生み出し、今まさに振り下ろさんとしていた。
周囲に走る炎は俺の動きを封じる為で、本命はあの火球か。
「怒っているわりには考えているんだな。 女神(ミラ) 教を乗っ取れる奴に育てられただけはある……か」
「ははは! 泣いて謝れば許してやるよ!」
奴の性格からして、泣いて謝ったところで許しそうにない気がする。
そもそも謝るつもりは一切ないので、俺はマントを翻しながら、来るなら来いとばかりに手で招いた。
「へっ! いい度胸だ。逃げられるものなら逃げてみな!」
そしてヴェイグルが手を振り下ろし、巨大な火球が俺に迫ってきた。
――― ホクト ―――
ホクトは走り続けながら気を引き締めていた。
先程ご主人様を助ける為に炎狼とぶつかった時点で察したが、この炎狼は明らかに昨日より遥かに強くなっている。
現に、昨日は全力で走っていれば振り切れていた炎狼が、ホクトに付いてこられているのが証拠だろう。
『どこまで離れるつもりだ!』
背後から炎狼が放ってきた火球を跳躍して避けたホクトは、十分ご主人様から離れたと思い、地面に着地すると同時に振り返った。
その姿に炎狼も立ち止まり、二匹は距離を取って対峙する構図となった。
『ようやくやる気になったか。よもやこのようなところで、人と共にいる百狼と出会うとは思わなかったぞ』
「オン!」
『ん……ホクトだと? それに貴様……まさか言葉を喋れないのか?』
ホクトは一応の礼儀として自分の名を名乗って相手の名も尋ねたが、炎狼は大きく口を開けて笑いだしていた。
『ははは! これは傑作だ! あの誇り高き種族が低俗な人の名前を授かるだと? おまけに喋れぬ様子からして……貴様はまだ子供か』
「オン、オン!」
ご主人様から授けていただいた名を馬鹿にするな……と、ホクトは憤るが、炎狼は一頻り笑ってから興味深げな視線を向けてきた。
『よく見れば昔会った百狼より小さいし、あの絶望的な力差も感じられん。これは我が全力を試せる相手に相応しそうだな』
「オン!」
『名乗れと煩い奴だ。私は貴様のように人から名を貰う程落ちぶれておらぬ。私は炎狼……それだけに過ぎん』
「オン……オン!」
自分を馬鹿にしているようだが、貴様こそ何故人の下についているのか?
ホクトがそう問うと、炎狼は自らの炎を活性させながら大きく吠えた。
『ふん、私は奴の下についた覚えはない。実に愚かな人だが、精霊だけは非常に魅力的でな』
炎狼は炎を操る狼の魔物だが、火の精霊から力を借りられるわけではない。
現在の力は、ヴェイグルが炎狼へ力を貸してやれと火の精霊に命令しているからこそ発揮出来ているのだ。
『私は自分が強くなる為にあの愚かな人を利用しているにすぎんのだよ。火の精霊が力を貸せば、こんな事も軽いものだ!』
炎狼が纏う炎が一際大きく膨れ上がると、上空に無数の火球が生み出されて一斉にホクトへと降り注いだ。
それは炎の雨と呼んでもいい勢いであったが、ご主人様の銃魔法を見慣れているホクトにとって圧倒的に速度が足りなかった。
自分の大きな体を熟知しているホクトは、迫る火球を細かいステップで避けたり、パンチや尻尾で自分に当たるものだけを叩き落として最小限の動きで避け続けた。
そして弾幕の切れ目と同時に近くの岩に尻尾を叩きつけ、その衝撃で砕かれて飛ぶ岩の礫で反撃していたが、炎狼は口から放った炎で全て叩き落としていた。
しかし一つだけ大きな岩が炎を突き抜け、炎狼に当たって足に穴を開けていたが、やはり炎が噴き出してその穴を塞いでしまった。
『その程度の岩なぞ無駄よ! 精霊が力を貸す限り、我が体は不滅なり!』
「オン!」
無駄かどうかはやってみなければわからないと、ホクトはもう一度尻尾で岩を砕いて岩の礫を飛ばし、同時にホクト自身も突撃していた。
『同じ事をするしか出来ぬのか! やはり子供ー……むっ!?』
岩の礫と同時にホクトも焼き尽くそうと炎狼は炎を放ったが、ホクトは炎が当たる直前で横へ跳び、更に地を蹴って炎狼の側面に回り込んでいた。ほぼ直角に近い動きは、百狼特有の身体能力だからこそ出来る動きだろう。
側面をとったホクトは立ち止まる事なく飛びかかり、爪で炎狼の首を切断した。
「オン!」
炎狼に纏う炎の余波で再び毛が焦げて黒くなったが、ホクトの攻撃は終わらない。
爪で切り裂いて駆け抜けたかと思えば、前足を軸にして大きく回転し、魔力を込めた尻尾の横薙ぎで炎狼を更に切り裂いていた。
そうして体を幾つかに分断してからホクトは一度距離をとったが、やはり体から炎が噴き出し、炎狼は何事もなかったように再生していた。
『子供とはいえ、私の炎を恐れずに攻撃できるのは流石は百狼と言ったところか。だが、無意味な攻撃を繰り返すのは感心せんな』
「……オン!」
『……ほう、気付いておったか』
昨夜、ホクトはご主人様と共に炎狼について情報を共有していた。
炎狼の体は炎で形成されているので、体に穴を空けようが、無数に切り裂いても炎狼自身の魔力で炎を活性させれば再生できる仕組みになっている。
つまり炎狼の魔力が尽きるまで再生させ続ければ、いずれ炎を形成できなくなって倒せるのだが……今の炎狼はヴェイグルの命令によって炎の精霊が力を貸している状態だ。
炎の精霊が体を燃やしてくれるので、炎狼はほぼ魔力を使わずに再生できるのだ。精霊が力尽きることなどありえないので、大雑把に言えばほぼ無限に再生できるのである。
だが……生き物である以上、弱点はある。
『サーチ』という彼独特の探査魔法を使うご主人様と、魔力の感覚に鋭いホクトだからこそ判明していた。
『そうだ。私の核を狙うのは正解だぞ。だが……わかったところでどうする?』
「…………」
『私の核はどこだと思う? 頭? 心臓? いや、核が固定されているかどうかもわからないだろう?』
しかし炎狼の体に核らしき魔力の塊があるのはわかっても、それは体内を自在に動き回っているのもわかっていた。
先程の連続攻撃もその核を狙って放ったのだが、炎狼の感覚は鋭く、核は動きまわって紙一重で避けていた。
もしこれがご主人様であれば、『マグナム』を四方から連続で放って核を追いこんで確実に撃ち抜いたであろう。
『岩の礫を使う点からして、貴様は碌な飛び道具を持っておらんだろう? 優れているのは身体能力だけのようだな』
「ガルルル……」
『どれ……少し難易度を上げようか。貴様の体が保つか、私の核に攻撃を当てられるか……どっちだろうな?』
炎の精霊から更に力を貸してもらった炎狼の体から一際大きな炎が噴き出すと、炎狼の体は目に見えて大きくなっていった。
先程までホクトと同じ大きさだった炎狼だが、今はホクトの倍以上の大きさになっていた。
離れていても感じる熱は、近づく程に体を焼くだろう。
更に炎狼の能力に倍以上の体格差。並の者ならば臆してもおかしくないが……。
「……オン!」
『ほう……恐れぬか。ならばかかってくるがよい!』
ホクトは前世でもっと恐ろしい……ご主人様の師匠と戦い続けていたのだ。
あの師匠と戦った恐怖に比べれば、目の前の炎狼なんて大した相手に思えないのだ。
そして自分より大きな相手とは何度も戦ってきている。
ホクトは恐れず前へ踏み出し、炎狼へと爪を振るった。
無数に飛び交う炎を避け、自身の体を焦がす事も構わず炎狼の足を切り裂くが……再生される。
足元から噴き出す炎の柱を紙一重で避けながら走り、尻尾を薙いで炎狼の胴体を切り裂くが……再生される。
『どうした、動きが少し鈍っておるぞ!』
「オン!」
体のあちこちが焦げ、美しかった白い毛並みに黒い模様が増えていくばかりだが……ホクトは諦めない。
ご主人様は、ホクトなら勝てると信じて送り出してくれたのだ。
何よりも大切なご主人様の信頼を裏切りたくないし、ご主人様と共に歩むのならば、相性が悪い相手だろうと倒せなければホクトの気が済まない。
ホクトは決して強さに胡坐をかかない。自分より強い相手は沢山いると自覚しているからである。
『そら、こいつはどう避ける?』
今度は広範囲に炎の壁を放ってきたので、ホクトは高く跳躍して避けた。
上空に飛び上がったホクトを狙って火球が飛んできたが、ホクトは空中で爪を振るって火球を切り裂き、前足を焦がしながらも地上へと着地した。
『無駄な足掻きだな! そしてやはり、貴様は防御能力を持っておらんようだな』
「ガルルル……」
『図星か。あの男が相手では奴も気になるし、そろそろ決めさせてもらうとしよう』
ホクトが広範囲の攻撃が苦手だと確証を持った炎狼は、炎の精霊に力を貸してもらってその体を更に大きくしていった。
もはや見上げるような大きさとなった炎狼の体はすでに狼の形を成しておらず、巨大な炎の壁にしか見えない。
『この大きさでは貴様の爪も尻尾も意味があるまい! 我が炎に包まれて……焼き尽くされるがいい!』
ホクトを飲み込もうと、まるで炎の津波のようになった炎狼は地上を焼きながら迫ってきた。
そしてホクトは……。
「オン!」
それを待っていたと……吠えた。
その瞬間ホクトは全力で地を蹴って大きく後退し、魔力を高め始めた。
距離を離された炎狼だが、慌てる事なく炎の壁を維持し続けてホクトへと再び迫る。
『逃げようとしても無駄だ! 私の炎はどこまでも貴様を追うぞ!』
ホクトが後退したのは、逃げる為ではない。
距離をとったのは、己の攻撃を相手に隙間なく叩きつける為だ。
「アオオオオオオオオォォォォォォォ――――ンッ!」
ホクトの口から放たれたのは、大地を震わす咆哮と、自身に秘める膨大な魔力だ。
簡単に説明するなら、ただ吠えながら魔力を放っているだけである。
だが……ホクトの口から放たれた膨大な魔力が咆哮によって激しくねじ曲がり、魔力は巨大な渦となって地を抉り、岩を粉々に砕き、全てを薙ぎ払う。
ホクトの目の前全てを覆い尽くす破壊の渦に、炎狼は避ける事も出来ず、防御する他なかった。
もし炎狼が狼の状態であれば、核を中心に炎を集めて防御し、ホクトの攻撃に耐えられたのかもしれない。
だが今の炎狼は自身の体でホクトを飲み込もうと、壁のように体を大きく広げていたのだ。咄嗟に炎を核に集められず、炎狼は完全な防御が出来ないまま破壊の渦に晒された。
『ア……ガアアアアアアアアァァァァァァ――っ!?』
激しい魔力のうねりは全身をズタズタに引き千切るような衝撃を与え続け、炎狼は体の炎を維持できず、削り取られるようにして体が小さくなっていった。
しかし所詮は魔力なので、数百メートル程度で魔力は霧散して魔力の渦は跡形もなく消え去ったが、魔力の渦の被害を受けた地形は完全に変わっていた。
立派に生えていた木も、高く聳えていた岩も、全て跡形もなく消え、ホクトの目の前は瓦礫の山が広がるばかりであった。
あの魔力の渦によって何者も生きられる筈もない破壊の跡に、僅かだが動くものがあった。
『ば……ばか……な……』
人の掌の大きさまで小さくなった炎狼である。
炎狼は辛うじて生きていたが、もはや狼としての形を維持できる力もなく、そこにあるのは小さな火の塊に過ぎなかった。
まさしく風前の灯火である炎狼の下に、ホクトがゆっくりと姿を現した。
広い瓦礫の中で、蝋燭のような火を探すのは至難の業だろうが、ホクトにっては造作もない事である。
『私は……負けたのだな……』
「オン!」
『子供であろうと、百狼だったか……』
飛び道具は無いと、そして広い範囲攻撃を持っていないと思いこんでいた炎狼の完全な油断だった。
そして本来なら火の精霊が力を貸して炎狼は再生できた筈なのだが、ホクトの魔力の渦によって精霊は弾き飛ばされ、この周辺は精霊が一つもいない一種の空白地帯になっていた。
しばらく時間が経てば精霊が戻ってきて復活するだろうが、ホクトが待つ筈もない。
ホクトは大きく前足を振り上げた。
『それ程の力を持ちながら……愚かな人と共にいるとはな』
「オン!」
『貴様が好きでいたとしても……愚かな人は……貴様の力を恐れるようになる。そうさ……貴様に待つのは……信じられる者に裏切られる絶望よ……』
「……オン!」
それだけは決してありえない話だった。
ホクトは自信を持って返事をする。
何故なら、私はご主人様と戦っても決して勝てないからだ……と。
『なっ!? 愚かな人に負ける……だと? そのような事などー……』
「オン!」
そして貴様の言う愚かな人と、私のご主人様を一緒にするな!
ホクトはそう吠えながら前足を振り下ろし……。
「アオオオオォォォォ――ンッ!」
勝ち鬨の遠吠えを響かせていた。