軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

70 可愛い、の認識

休息の日の昼から、ヘンリーさんと二人で二時間ほど下町を歩き回った。時間は子供たちが外で遊んでいる昼間。それを決めてから知ったのだけれど、下町の地図がない。大きな区画の地図はあるけれど、一軒一軒の住所と住民の記載をされた地図が作成されていない。ヘンリーさんも「そこまで詳細な地図は王城にもない」と言う。

私とヘンリーさんの仕事は地図を作るところからになるのか。気が遠くなりそうだったけど、ヘンリーさんがこんな提案をしてくれた。

「徴税官を束ねる税務部の人間に名簿を借りましょう」

「名簿? 地図じゃなくて? 地図があれば順番に回って高魔力保有者がいるかどうか効率的に回れるのに」

「マイさんの世界にはそんな詳細な地図があったのですか?」

「私の国には一軒一軒の番地と苗字が書き込まれた地図がありました」

準備のいいヘンリーさんは大まかな区画だけが描かれた地図を持ってきている。でも書き間違いもあるだろうから、それにいきなり番地や苗字を書きこむのはためらわれる。「んー」と迷っているとヘンリーさんが微笑む。

「メモ用の紙も持ってきていますから、マイさんが変換魔法で同じ地図を作ってから書き込めばいいのでは? ……あれ? 俺、何か気に障ることを言いましたか?」

「いえ。私よりヘンリーさんの方が私の魔法を理解していても、癪に障ったりしていませんから。ご心配なく」

ヘンリーさんが楽しそうに笑う。この人は普通の人間よりずっと頭が切れるんだから仕方ない。そうわかっているのに本気で悔しい。人間が小さいわ私。

人に見られない物陰で、メモ用紙を地図に変換した。よく考えたら私、トランシーバーの電池であり、コピー機とスリーDプリンターでもあるわけだ。

「マイさんの変換魔法は、使い方によっては最強の魔法ですよね」

「材料さえあれば家一軒、変換魔法で建てられる気がします」

「武器や毒薬もね。変換魔法が使い手を選ぶ魔法でよかった。魔法使いが全員変換魔法を使えたら、とんでもなく厄介なことがやたらに起こりそうだ」

道幅の狭い地区を歩きながら感知魔法を放ち続ける。道行く人のおなかのあたりが白く光る。ごくたまに青や緑やオレンジに光る人がいる。緑は何型獣人なのだろう。知りたいけど聞くわけにいかないのが残念だ。

その日は何も収穫がなかった。そう簡単に高魔力保有者は見つからない。いたらお城の魔法部はもっといるはずだもの。三時間ほど歩き回り、預けていたヘンリーさんの愛馬イリスに乗った。

「遅くなりましたが、お昼にしましょう。何か食べたいものはありますか?」

「肉が食べたいです。美味しい串焼きが無性に食べたい」

「行きましょう。美味しい店がありますよ」

連れていってもらったのは、今日歩き回った地区の奥まった場所の店だった。途中からもういい匂いが漂ってきた。

「空腹を刺激される匂いが」

「でしょう? 俺も匂いで引き寄せられた店です。豚のレバーが最高です」

店はお世辞にも女性向きとは言えないけれど、運ばれてきたレバーは確かに最高だった。

無言で食べてしまう美味しさ。とても新鮮なレバーなのだろう。仕事が丁寧で臭みがない。焼き加減も最高。味付けが濃いめでお酒が進む。お任せで頼んだ豚肉の串焼きもどれも美味しい。いろんな部位があって、味や歯ごたえが違うから飽きずに楽しめる。

ヘンリーさんはワインをグラスに一杯飲んだだけで、あとは果実水やお茶を飲んでいる。「飲まないんですか?」と聞いたら「あなたを送り届けるまでは飲みませんよ」と言う。

私は今まで何人かの男性とお付き合いしてきたけれど、こんなに大切にされたことが過去にあったろうか。いいや、ない。反語が出るほどにヘンリーさんは紳士的だ。感情が高ぶった時は噛むけど。

串焼きへの感動が落ち着いたら店員さんが気になってきた。

このお店の給仕係の女性がカルロッタさんに雰囲気が似ていて、つい彼女の姿を目で追ってしまう。髪の色は明るい茶色だし年齢も二十代前半だけど、仕草や立ち姿がカルロッタさんを思い出させる。

もしや、と思ってさりげなく感知魔法を放ったら、彼女のおなかを中心に全身が濃い赤に光った。それを確認してから串焼きに集中しようとしたら、ヘンリーさんが小声で話しかけてきた。

「何色でした?」

「うっ」

「アレを使ったんでしょう?」

相変わらず勘が鋭い。

「赤です」

「やっぱり。母に雰囲気が似ているなと思っていたんです」

ヘンリーさんが俄然興味深そうな目つきになり、手を挙げた。猫型獣人の彼女が「はい」と言って近づいてくる。歩き方が優美。スタイル抜群でバイオリンみたいな曲線ですよ。表情も色っぽい。目尻がキリッと吊り上がったアーモンドアイ。非の打ち所なし。ヘンリーさんが好奇心の滲む表情で女性に尋ねる。

「この店のお薦めは?」

「モツの煮込みと串焼き盛り合わせですね」

「ではモツの煮込みを二人分」

「かしこまりました。お客さん、この店は二度目ですよね?」

「ええ」

「私はルウ。今後ともどうぞご贔屓に」

「ルウさん、よろしく」

「あら、恋人の前だとお名前も教えてもらえないのね」

ルウさんは最後に私とヘンリーさんに等分に笑顔を向けて厨房に入ったけど、九対一くらいの割合でヘンリーさんを見ていた。ヘンリーさんは美形だものねえ。しかもお店の中で唯一、貴族の雰囲気だし。

その後はまた地図に印をつけながら下町をゆっくり移動して『隠れ家』を目指した。私はずっとモヤモヤしている。

悔しいからヘンリーさんには言わないけれど、どこからどう見ても私より女性的魅力で優秀なルウさん。しかも彼女は猫型獣人ですよ。

これ、ヘンリーさんが心を動かされたら、戦う前に勝負ありってやつ。思わず馬上で振り返り、ヘンリーさんの顔を見たらうっすら笑っている。

「なんで笑っているんですか」

「やきもちを焼かれるのは幸せだなあって」

違うと言いたいけど、当たりだわ! 思わず前に向き直ってから口をへの字にしたら、背後からふんわりと抱きしめられた。

「マイさんが俺のことを可愛いって言う気持ちが今わかりました。今のマイさん、すごく可愛い」

「へえ、そうですか」

ムッとしていたら、ヘンリーさんがずっと背後で声を出さずに笑っている。笑っている振動が伝わってくるのが腹立たしい。ヘンリーさんは実に楽しそうだわね! 深呼吸をして空を見上げたら、彗星が光っていた。

「あの星、光が強くなっていますね」

「そうですね。四月二十日に一番近づくのだそうですよ」

ふと気になって質問してみた。

「お日様を中心にこの惑星が回っていることは常識になっているんですよね?」

「ええ、二百年以上も前に学者が解明しました」

「そうでしたか」

あちらの世界とはだいぶ違う。ガリレオは地動説を唱えて大変な目に遭ったのに。

「こちらの世界の学者さんの話を聞いてみたい気もしますが、やめたほうがいいでしょうね。『お前はなぜそう思う。根拠は?』って聞かれても答えられませんから」

「やめておいてください。心配で俺の身が持たない」

「やりません。私はこの世界の人間ではないんだもの。私が余計な口出しをしてもいいことはないと思うし」

しばらくの沈黙のあとで、ヘンリーさんが馬を止めた。

「マイさん。あなたは俺にとって、もうこの世界の人です」

「あっ、そうですね。もう私はヘンリーさんと同じ世界の人ですよね」

そこからの帰り道、ヘンリーさんがずっと左腕を私のおなかにギュッと回していた。腕の力が寂しい気持ちを表しているみたいだ。逆の立場だったら私も不安になるし寂しく思うのに。だから『隠れ家』に着いてから謝った。

「無神経なことを言いましたね。ごめんなさい」

「寂しいとは思いましたが怒ってはいません」

「私、元の世界に帰るつもりはありません。ルウさんにやきもち焼くほどヘンリーさんを大切に思っていますから」

しばし無言になったヘンリーさんが私を少し睨んだ。それから私の首に顔を近づけて耳元でつぶやいた。

「ああ、可愛い。食べたいほど可愛いという意味がわかりました」

ヘンリーさんは背筋を伸ばすと、スン! とした顔で「おやすみ。しっかり鍵をかけてください」と言って帰っていった。私は鍵をかけてから首をひねる。この前手首を噛まれたときは軽く歯を当てられただけだったけど、うなじの時はかなり強かった。

「ヘンリーさんの『食べたいほど可愛い』って、間違った理解をしてないでしょうね?」