軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

112 グリド先生の餞別

辺境伯領に来て、半年が過ぎた。

ザックス様はもう、水魔法の繊細な操作もできる。もしかしてわざと失敗したりして引き延ばしをされるかな? と思っていたけど、そんな卑怯なことはされなかった。

ザックス様は見た通りのまっすぐな人だと思う。

「マイ先生、今日もワインの瓶からあふれさせずに水を入れられました」

「この先は練習を繰り返すのみですね。私の役目は、もう終わりです」

「もう帰ってしまうのですね。ずっとここにいてくれたらいいのに」

「お店が心配なんです」

「いつかマイ先生のお店を訪問したいです。先生の料理も食べたいです」

「ぜひいらしてください。大歓迎しますよ!」

辺境伯様には何度か引き留められたけど、私は『隠れ家』が心配だからきっぱり断った。そうしたらそれ以上のお誘いはない。意外に諦めがいいんだなと思ったのだが、ヘンリーさんは「これで諦めるとは思えない」と言う。

一方、ヘンリーさんの方は順調に話し合いが進んだらしい。

「魔導具を使った辺境伯領と王城の連絡手段は、貴族議会が許可すればいいだけのところまで話を詰めました。あの魔導具を連絡手段にすれば、他国に侵攻されたときに王国軍が素早く駆け付けられます。それを知った辺境伯は今、いい匂いだけをたっぷり嗅がされた状態です」

辺境伯の了承は得たそうで、ヘンリーさんの笑みが黒い。

不穏な話を聞かされたのは、その翌日だ。

「今日、辺境伯家の事務官からマイさんに関する話をチラッと聞きました。やはり辺境伯はあなたをザックス様の妻にするつもりのようです」

「ヘンリーさんと夫婦同然に過ごしている私を、息子の妻にしようなんて思うかしら」

「辺境伯軍は敵の侵攻があれば我が国で最初に血を流す人たちです。あのポーションを好きなだけ手に入れられるのなら、俺の存在なんて気にしませんよ」

そこからヘンリーさんが驚くような話をした。

「この話は辺境伯家に限りません。東の隣国オースノウ王国から『マイさんを欲しい。くれなきゃ戦争を起こすぞ』と脅されたら、抵抗できるかどうか。オースノウ王国は軍備増強に力を入れ続けています。俺の予測では、近いうちに軍事力で我が国を上回ります。マイさんは魔法で人を殺したくないでしょう?」

「殺すのは無理です……。敵の武器を粉々にすることならできますけど」

「それはそれで、敵の兵士が我が国の軍隊に殺されます。戦争を仕掛けた相手を見逃せば、国に対する国民の信頼が消し飛びますから」

そうなのか……。

「でも、マイさんが消えれば戦争は防げます。だから最悪の場合は、二人でマイさんがいた世界に飛びませんか?」

「ううう……。ヘンリーさんの言うことは全部もっともですけど。私、あの魔法に全然自信がないんです。しかも二人で飛ぶわけでしょう? 無理ですよ」

「リヨルは無事に飛べましたよ?」

「おばあちゃんは事故で飛んだんだもの。私が狙っても同じ結果になるかどうか保証がないし」

あの魔法をヘンリーさんにもかけるのは、自分だけにかけるより何十倍も怖い。

「実はね、こちらに出発する前にグリド先生に呼び出されました。先生はあなたを取り込もうとする権力者が必ず現れると思ったそうです。だからリヨルが作った魔法陣を、より安全なものに改良していました。マイさんの魔力量なら二人同時でも問題ないそうですよ」

グリド先生が魔法のレッスンを中止してやりたいことって、魔法陣の改良だったのか!

「この手のことに絶対はありませんが、俺の覚悟はできています。マイさんと一緒なら、どんな場所へも飛んでいきます」

「そう……。じゃあ、すっごく恐ろしいけど、私が原因で戦争が起きそうになったら、瞬間移動魔法を使って逃げることにします。帰ったらすぐにその魔法陣を教えてもらいますね」

「それならもう」

ヘンリーさんが立ち上がり、旅行鞄を開けて中身を全部取り出した。ハサミを使って鞄の内張りに切れ目を入れ、中から折りたたまれた紙を取り出した。紙には魔法陣が書いてある。

「グリド先生からの餞別です。『マイが辺境伯領から帰してもらえないようなことになったら、これを使え』と言って渡されました。この魔法陣には目的地を特定する言葉はなく、マイさんが行きたい場所を強く思い浮かべればいいそうです。その代わり、かなり多くの魔力を必要とする仕様だとか」

「安全にヘンリーさんとあちらの世界に飛べるってこと?」

「そうです。グリド先生からの伝言があります。『マイの人生はマイのものだ。誰にも人生を奪われるな』と」

その言葉に込められたグリド先生の思いに気づいて、涙が込み上げた。ヘンリーさんが優しい目で私を見ている前で、泣きながら考えた。私、やっぱり怖い。

おばあちゃんが無事に世界の壁を超えられたからと言って、私も無事とは限らない。あちらの世界にたどり着いたら二人とも人間の形をしていないかも、なんて思ってしまう。

「俺と二人で、段階を踏んで練習しましょう」

「うん……」

そう返事をしたけれど、想像しただけで震えそうになる。

王都に帰る日、辺境伯家の皆さんは笑顔だった。私のことを強引に末っ子の妻にする話は本当かなと思うほど、穏やかな別れだった。

辺境伯家を出発してから王都までの移動中は毎晩、瞬間移動魔法の練習をした。

まずは魔法陣を床に書き写し、その中に品物を置いて、手紙、本などの軽い物から実家の二階に送った。

品物を送った後は伝文魔法でおばあちゃんに結果を確かめた。今のところ、一度も失敗していない。

長旅を終えて王都に到着し、その足で陛下に帰還の挨拶をした。ヘンリーさんが辺境伯から預かった手紙を陛下に差し出すと、陛下がそれを読んでから私を見る。

「マイ、ザックスの魔力制御は、上々の仕上がりだそうだね」

「はい。繊細な魔力操作も問題なくできるようになられました」

「そして……マイはすっかり気に入られたらしいな。感謝を告げる手紙には、厄介な申し出も書かれている。マイをザックスの妻として迎えたいそうだ。マイはハウラー筆頭文官と婚約中だから、円滑に婚約を破棄させて話を進めるために私の了承を得たいらしい」

陛下は無表情だが、声が硬い。

「こういうことを言わせないために婚約者の君を同行させたのだがな、ハウラー筆頭文官。辺境伯がマイを取り込めば、なんだかんだと理由をつけてマイの力を独占したがるのは想像がつく」

「申し訳ございません。私とマイさんは毎晩同じ部屋で眠り、使用人たちの前でもそれを公言し続けたのですが……」

あっ。使用人の前でのあの発言は、そういう目的だったの?

そこで宰相様が発言した。

「息子の意向ではなく、辺境伯の意向でしょうなぁ」

ヘンリーさんは下を向いていたが、顔を上げて氷の無表情で陛下に意見を述べた。

「こういう場合を想定し、王城と辺境伯家の間で瞬間移動魔法を活用する道筋を作って参りました。貴族議会と陛下の許可をいただければ、すぐにでも運用できます。交代で魔法使いを一人常駐させることになりますが、マイさんを渡さない代わりに魔導具の最初の利用は辺境伯領で、という交換条件を出せます」

陛下が指先で唇をなぞりながら考えている。

「ふむ。我々があの魔導具で侵攻の知らせを早く受け取れば、その分王国軍を早く出せるか。辺境伯軍の犠牲が少なくて済むな」

「はい。魔導具の利用を交換条件に断っていただけないでしょうか。マイさんの力は辺境伯家が独占すべきものではありません。陛下、これをご覧ください」

そう言ってヘンリーさんは抱えている書類の束を宰相様に差し出した。宰相様がそれを陛下に渡す。陛下は十枚ほどの書類をじっくり読んでいる。

「私が想定していたよりもずいぶん規模が大きい。我が国が主導権を握り、この新大陸のみならず旧大陸も含めた世界各国を、魔導具で結ぶのか。しかしダイヤはマイが提供する仕組みだ。このマイ頼みの部分が引っかかる」

「あの魔導具は今後改良し、水晶でも稼働できるようになる予定です。現在、キリアス氏が研究中です。水晶ならば運用にかかる費用は大幅に小さくなります。開発の成功までに相当の時間はかかるでしょうが、いずれはマイさんに頼る必要がなくなります」

アリヤ王妃が割って入った。

「陛下、マイの気持ちを無視してマイをくれだのやらないだのと言っていたら、マイに姿を消されてしまうのでは? マイが伝説の魔法使いの再来ならば、姿を消すくらいのことはできるのではありませんか?」

ヘンリーさんと私の話を聞いていたかのような王妃様の発言に、ものすごく驚いた。私はポーカーフェイスでいられただろうか。

宰相様がギョッとした顔で私を見て、慌てて話しかけてきた。

「マイ、新大陸でも旧大陸でも、逃げ続けて生きるなど、生半可なことではない。短気を起こすな」

「短気は起こしませんが、どうしても私がザックス様に嫁がねばならなくなったら、ヘンリーさんを連れて姿を消すつもりでおります」

その時はグリド先生の餞別を使おう。それしかないなら、怖くても。それはヘンリーさんの願いで、私もそうしようと思っている。

「私はヘンリーさん以外の人を夫にするつもりはありません」

そう言ってにっこり笑ってみせた。私の人生は私のもの。誰にも奪わせない。

隣にいるヘンリーさんを見たら、「それでいい」と言うように口角を持ち上げている。

ヘンリーさんは陛下に「話がある」と言われて残り、私は『隠れ家』に帰った。

伝文魔法で店の状況を聞いてはいたが、『隠れ家』は限られたメニューでも繁盛していた。サンドル君たちが「早いお帰りで、よかったっす!」と私の帰宅を大喜びしてくれた。わいわいとおしゃべりしていたら、カリーンさんとソフィアちゃんがクッキーを買いに来てくれた!

「わああ! マイたんだ! おかえり! おかえり! フィーちゃん、ばあばとずっと待ってた! いい子にしてたよ!」

「私も会いたかった。会いたかったよぉ!」

ソフィアちゃんを抱き上げると、柔らかいほっぺをスリスリと私の頬にこすりつけてくる。ソフィアちゃんは半年の間にはっきりと重くなっていた。ほっぺの匂いをたっぷり嗅いだ。はあぁ、相変わらずいい匂いだよぉ。

みんなでお茶を飲みながらおしゃべりをしていたら、ヘンリーさんが遅れてやってきた。今日は仕事を休めと陛下に言われたらしい。

カリーンさんがヘンリーさんを 労(ねぎら) っている。「無事に帰ってこられてなによりでした」と言われて、ヘンリーさんが嬉しそうだ。

「俺はマイさんに惚れ直しました。とある貴族からマイさんを嫁にほしいという話が出たのですが、俺以外を夫にするつもりがないと陛下に言い切ってくれたのです」

「なっ! 陛下に?」

カリーンさんとサンドル君とアルバート君は怯えた顔になったが、キアーラさんは微笑んでいる。

その夜、二人になってからヘンリーさんに教えてもらったことがある。

陛下はサザーランド辺境伯に『魔導具を使った王城との連絡手段を、最初に辺境伯領で確立する』と約束した上で、『私はマイの意思を尊重する。現在の婚約を解消させるつもりはない』と手紙を書いてくださったそうだ。

あとは最悪の事態に備えて、瞬間移動魔法を試すだけだ。

馬車旅で疲れているのに、その夜はなかなか眠れなかった。