軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

109 キアーラさんの胸の中には

ヘンリーさんが店のドアに鍵をかけた。突然の来客を防ぎつつキアーラさんを待つあたりがヘンリーさんらしい。

キアーラさんが変身し、スタスタと歩いて店に顔を出した。

ヘンリーさんがキアーラさんをはっきりと二度見した。

私以外の人の前ではいつもスンとしているヘンリーさんが二度見する様子は、すごく面白かった。ゾウガメを見たことがないのかも。

「これが私の本来の姿です。とは言え、人生のほとんどを一般人の姿で生きてきました」

ヘンリーさんがスッと立ち上がった。

「俺の希望で変身してもらったのですから、俺もあなたに変身してみせるのが礼儀ですね」

「えっ」

私とキアーラさんが同時に驚いた。(いいの? キアーラさんとは初対面だよ?)という私の驚きと心配に、ヘンリーさんは目元だけをほころばせた顔で(大丈夫)とうなずいてくれる。

大きな黒猫に姿を変えたヘンリーさんが、優雅な足の運びで戻ってきた。

はぁぁ、やっぱり美しいよ、猫ヘンリーさん。

「美しい猫型獣人さんですねえ」

「キアーラさんも愛らしいですよ」

互いにほめているヘンリーさんとキアーラさんの二人を、サンドル君とアルバート君が 暖簾(のれん) のすき間から覗き見している。

「覗いてないで、こっちにいらっしゃいよ」

「いえ、俺たちはここでいいっす」

猫ヘンリーさんを明るい場所で見るのは初めてだからか、二人は腰が引けている感じ。猫ヘンリーさんは怖くないし可愛いでしょうに。

「マイさんは一般人なのに獣人さんと婚約したのですね。驚きました」

「私にとって彼が猫に変身できることは嬉しいことであって問題ではありませんので」

そう言って微笑むと、キアーラさんはつぶらな黒い瞳で私を見上げて、「シルヴェスター先生も獣人への偏見がない方でしたが、マイさんもでしたか」と言う。ゾウガメキアーラさんの表情は変わっていないけれど、笑った気がした。

二人に人間の姿に戻ってもらい、ヘンリーさんと私でシルヴェスター先生の魔法の記録を読んだ。習得したい魔法がたくさんあった。

「明日の夜、グリド先生のところへ行きましょう。シルヴェスター先生のことをお伝えしないと」

「連れて行っていただけるのですね。ありがとうございます」

「では、俺は帰りますね。今夜また会いに来ます」

「待っています。お仕事がんばって」

私にチュッとして帰るヘンリーさんを見送って、キアーラさんが不思議そうな顔をしている。

「ん? どうかしましたか?」

「一緒に暮らさない理由が何かあるのですか?」

「貴族と平民が結婚するとき、婚約後に一年を置く決まりがあるので」

「ああ、聞いたことがあります。一般人の一生は私から見るととても短いので、その一年間はとてももったいない気がしますね」

「まあ、私もそう思いますけど。もしかしたらこの一年は、冷静になれ、相手をよく見ろという意味もあるのかなと思っています」

キアーラさんはうなずいて、それ以上は言及しない。

「私は何をお手伝いしましょうか」

「遠くから旅をしてきたのですから、今日は休んでほしいです。食事をして、ゆっくり眠ってください」

「食事は済ませてまいりました。ではお言葉に甘えて地下室で休ませていただきます。暗く静かな場所はとてもくつろげます」

キアーラさんを地下室に案内すると「これは最高の部屋です」と言ってさっさと地下室に入っていった。寝具はいらないと言う。

店に戻ると、サンドル君が「やっぱりマイさんは引き寄せますね」と感心している。今回は確かにそうかも。

春待ち祭りで見た感じだと、この国の獣人は二千人に一人くらいの割合かなと思っていた。それを考えると、私の獣人遭遇率はやたら高い。

夜になってキアーラさんが起きて来たけれど、少々お疲れの様子。ひと眠りして疲れが出たようだ。

「働くのは明日からにしてください。これは夕食の 賄(まかない) です」

今夜の賄は羊の肉の炒め物と野菜スープだ。キアーラさんが「美味しいですねえ」と喜んで食べてくれた。

「お風呂も使ってください」

「いいんですか? 初日から贅沢をさせていただき、ありがとうございます」

「お湯の温度はどのくらいがお好みですか?」

「では人肌で。熱いのは苦手なのです。恐縮です」

キアーラさんは私が魔法でお湯を出すのを眺め、「一気にこんな勢いで」と感心していた。湯上りには「生き返りました」と笑顔を見せてまた地下室へと戻った。

閉店後にヘンリーさんと夕食を食べ、二人でシルヴェスター先生の本を読んだ。

「興味深い魔法がいくつもある。この本を書き写して魔法部の人間にも読ませたいものです。これは後世に残すべき内容です」

「キアーラさんに確認しますけど、いいんじゃないかな」

「効率は大切です。この国の一般人が元気に活動できるのは、せいぜい六十年ですからね。グリド先生は例外的にお元気で長生きですよ」

「そうみたいですね。私の国では九十歳でも働いている人がいましたけど」

「マイさんのいた国がどんな国なのか、全然想像がつかないな」

そうつぶやいてヘンリーさんは帰った。

小さな事件は翌朝起きた。

ソフィアちゃんが来たのとサンドル君がかなり早く出勤してきたのが同時で、サンドル君に仕込みの量を聞かれて答えている時、裏庭に出て行くソフィアちゃんを見逃したのだ。

「キャンッ!」

ワンコソフィアちゃんの声だ。

驚いて裏庭に飛び出したら、ワンコ姿のソフィアちゃんと人の姿のキアーラさんが鉢合わせしていた。ソフィアちゃんのそばには掘りかけの穴。夢中で穴掘りしているところに、地下室から急に人が出てきたから驚いたらしい。

ソフィアちゃんはお尻を地面についてベロを出している。出していると言うより、出ちゃっている。

「ソフィアちゃん、ごめんね。教えるのを忘れてた。この人はキアーラさん。今日からうちで暮らすのよ」

「マイたんちに? あそこから出て来たよ?」

「そうなの。地下室が好きなんだって。キアーラさん、この子はソフィアちゃん。午前中だけ預かっているの」

キアーラさんはワンコソフィアちゃんに驚いている。獣人さんは本来の姿を家族以外に見せないらしいから、犬型獣人を初めて見たのかも。

「驚かせてごめんね、ソフィアちゃん。キアーラと申します。私も獣人なの。亀型獣人よ。よろしくね」

「カメ?」

私がゾウガメを説明する言葉を探しているうちに、キアーラさんが地下室に戻り、ゾウガメになって階段を上がってきた。驚いてピョンッ! とバネ仕掛けのおもちゃみたいに飛び 退(すさ) ったソフィアちゃんの可愛いことと言ったら。

「おっきい! カメさん!」

ワンコソフィアちゃんはフンフンフンと鼻息荒く亀キアーラさんを嗅ぎ回り、短い尻尾をプリプリ振っている。

「乗りたい!」

「いいわよ」

ワンコソフィアちゃんが躊躇なくキアーラさんの甲羅の上に飛び乗った。

「動いて! 動いて!」

「いや、ソフィアちゃん、それはさすがに……」

「あら、私は楽しくやってますので、ご心配なく」

ちょっと……ソフィアちゃんが羨ましいじゃないの。

私は甲羅を触るのさえ失礼かしらと思って我慢してるのに。

ソフィアちゃんを乗せて裏庭を歩き回るキアーラさんを、サンドル君が羨ましそうに見ている。彼も絶対乗せてほしいと思っているに違いない。

頃合いを見てソフィアちゃんには人間に戻ってもらい、店内に戻した。キアーラさんも人間の姿に戻って、調理補助を中心に働いてくれた。先を読んだ動きで実に仕事しやすい。

お客さんが来てからも素早く食器を下げたりテーブルを拭いたりしてくれる。亀型なのと人の状態の動きは関係がなかった。

キアーラさんは「年の功、でしょうか。なにしろ長く生きておりますので」と笑う。

夜、店を閉める頃にヘンリーさんもやって来て、三人で馬車に乗った。お屋敷が見えてくるにつれて、私は伝えるべきことの重さに無言になった。キアーラさんが察したらしく、手を握って慰めてくれた。

「シルヴェスター先生が永眠されたことは、私が伝えます。私の大切な役目です。マイさんはゆったり構えていて下さると助かります」

「そうですね。そうします」

グリド先生とサラさんは、キアーラさんからシルヴェスターさんが亡くなったと聞いて絶句した。

「そうか。シルは何歳だったかね?」

「七十歳でした。少しずつ弱って、寝込んだのは三ヶ月ほどです。苦しまずに旅立ちました」

「そうか」

グリド先生とサラさんは無言だ。サラさんは静かに泣いている。

私たちは早々に帰ることにして玄関に向かった。サラさんが見送りに出てくれた。

「サラさん、今回のようなお知らせの場合、先生のお耳に入れない方がよかったでしょうか」

「いいえ。ぜひ知らせてください。悲しいお知らせを聞くのはつらいことですが、先に旅立った人の平穏を祈り、自分たちに訪れる明日へ感謝する機会でもありますので」

うまく返事できないまま、ぺこりと頭を下げてお屋敷を出た。馬車に揺られながら、私は落ち込んでいる。

ヘンリーさんに先立たれたらどうしよう。

それだけを繰り返し考えてしまう。もう一度家族を失ったら、耐えられそうにない。

そんな私に、キアーラさんが話しかけてくれた。

「マイさん、私のことを哀れに思わないでくださいね。早く老いていくシルヴェスター先生を見ているのは切ないことでしたが、それでも私はあの方と共に生きられて幸せだったのです。輝くような歳月がありました。シルヴェスター先生がいなくなっても、思い出はここにあります」

「そうですね……」

胸を押さえて微笑むキアーラさん。

キアーラさんが地下室に行くまではなんとか泣かずに済んだけど、ヘンリーさんと二人になったら我慢できずに泣いてしまった。

両手で顔を覆って「長生きしてよ、ヘンリーさん。私を一人にしないでよ」と、言っても仕方のないことを言った。

ヘンリーさんは私を腕の中に包み込んで、「俺は丈夫だし体力もあります。あなたより少しだけ長生きしますよ。だから安心しなさい」と耳元でささやいてくれた。