作品タイトル不明
612話 黒騎士との戦い③
「今度はなんだ……?」
突然降りだした雨。
それが魔法によるものであることはこの場にいる者達もすぐに理解したが、しかし視界を染めるその色に唖然とし、徐々に感じ始めた身体の違和感に驚愕する。
「マリー! こいつが何か分かるか!?」
と、少し離れた位置にいた前衛の一人。
長剣使いの男――ザッハが慌てたように叫び、マリーは眉を顰めた。
「いや、こんな現象、聞いたこともないが……イグリア、シーレ、心当たりは?」
問われ、特徴的な耳を持つ長命種の二人が足を動かしながらも空を見上げ、代わりに答える。
「酸……いや、毒の雨か。冗談キツいねぇ。【呪術魔法】と【精霊魔法】の複合に見えるけど、それならもっと一時的なモノだ。こうして効果が持続している時点で意味が分からないよ」
「ええ。それにこれでは火炎に包まれても、もう安易に運べなくなりますよ。水精霊は水を拒めませんし、纏わりつく火を消す代わりに今後は肌を焼く毒液へ漬けることになりますから」
その言葉にマリーは苦々しく顔を歪める。
「あの男、水の精霊体を潰しにきたってわけかい……」
また1つ、能力を晒してきた。
それはいいが、いったいあとどれほどの手札を隠し持っているのか。
次々出てくる異質な能力に不気味さを感じながら、それでもまずはこの雨に対して対策を取ろうとするも――
「来るぞ!!」
悠長に考え込むような時間はなかったらしい。
盾を抱えた巨漢の男――ヴァルゴの叫び。
地面を蹴り上げながら、地を這うように動くロキの姿は先ほどよりも明らかに素早く、そして不規則だった。
誰に狙い定め、何を狙っているのか。
目で追うのも難儀するほどの速度に焦心しつつ、マリーは【指揮】も使用し指示を出す。
すると消火され、流動する水の精霊体に運ばれていた槍使い――ユーゼスの身体に幾重もの魔力が重なるように灯り、急速に焼け爛れた身体が回復されていく。
と同時に赤碧玉の宝石があしらわれた杖を持つ男――イグリアは、その指示の内容に一瞬驚きながらも視線を這わし、行動に移した。
「回復するまで、もう少し時間はもらわないとね」
魔力の灯った左手を突き出し、長く細い指を前方に弾く。
それだけで目で追っていたロキの身体は弾かれたように後方へ吹き飛んでいくも、その結果にイグリアは驚嘆し、目を細めた。
既に慣れてきたのか。
魔法関連に対してとりわけ高い素養を持つ 同族(エルフ) であってもまず見かけないほど抵抗力が高く、さらに武器や黒い魔力を形状変化させ、素早く地面に突き刺し力技でも抗ってくる。
そして、こちらの視界を塞ぐ目的も兼ねているのだろう。
イグリアを巻き込むようにいくつもの巨大な竜巻が発生し、咄嗟に躱すも上空にいた氷の精霊体がその竜巻に削られていく。
その光景を見たイグリアが危険を感じてさらに距離を取ると、2本の炎柱を従えたロキが追うように迫ってきたので、やはりこの攻撃を嫌がり真っ先に自分を狙ってきたかと、思わず仮面の下で笑みを浮かべながらその足を止めた。
「さあ、やろうか」
吐き出した言葉とともに、宙を舞う拳程度の黒い球体を自身の周囲にいくつも生成。
身体からにじみ出た魔力は同時に発動した【闘気術】によって燃え盛る炎のように噴き出すも、すぐに一部を残して握る杖へと収束していく。
あの炎柱が大陸中央の洞窟内にいるボスと同一の能力なのだとしたら、中途半端に距離を取る方が危険だ。
イグリアはそう判断して一気に踏み込むと、その動きに反応したロキも刃の一部が潰れた剣を素早く上段に振り被る。
――が。
「【重力魔法】の使い手と戦うのは初めてかな?」
強い違和感。
ロキが目を見開き、自らの握る剣に目を向けた。
するとイグリアの周囲を浮遊していた黒い球体の1つが振り上げた手の側にあり、まるで握る武器を吸い込むようにその手を引っ張り上げる。
当然、無防備に晒される脇腹。
ロキが強引に力を込めて抗おうとした時には既にイグリアが杖の一部を魔力で刃に形成し、接触する直前だけ限界まで加重させた杖を横薙ぎに振り抜く。
「が……ッ!?」
すると呻きに交じり、バキリ、と。
いくつも枝を踏み鳴らしたような音を立てながらロキの身体が吹き飛んでいく。
と同時にイグリアが指を鳴らすと、いつでも放てるよう【発動待機】させていた7つの高等魔法が同時に襲い掛かり、轟音と共に砂塵を巻き上げた。
その様子を眺めながら、イグリアは咥内に溢れた血を吐き出し興味深げに眼を細める。
「かは、っ……あの状況で 攻(・) め(・) を選ぶとは、恐ろしいねぇ……」
あれほどの反応速度なら片足を上げることで脇腹への攻撃は防げただろうに、そうはせずイグリアの頭を吹き飛ばす勢いで顎を蹴り上げてきた。
そのせいで顎は砕け、足元がフラ付き立つこともままならない。
それに――
「反射した……?」
毒々しく色づいたことで可視化された水の膜。
魔法の一部が炎柱に触れて消失しただけでなく、その膜に触れた魔法の一部があらぬ方向へ飛んでいったように見え、顎の治癒を始めながら思わず笑う。
この状況は死の淵――まさに生と死の挟間だ。
極度の緊張感から冷たい汗が流れるも、同時にイグリアは抑えきれない高揚感にも襲われていた。
これほどの相手、敵として相対する機会などそうあるものじゃない。
今、この時が、楽しくて仕方がない。
それに危険だが、この仕事は今いる中で自分にしかできないこと。
なんとしてでもロキをこの場に留める。
「まだ生きているんだろう!? さあ! 僕を殺してみせてくれよ!」
2本の炎柱は砂塵を貫き、上空で不規則に揺らめていていた。
ならばまだ生きている。
血を吐き散らしながらイグリアが叫ぶと、砂塵の中から雷光が出現。
その速度に慌てて躱すとすぐに数多の黒い球体が現れ、移動を続けるイグリアを追尾するように迫ってきたため、止む無く【重力魔法】で頭上に『魔蛾渦』を生成した。
すると迫る黒い球体は次々と生み出された渦の中に呑み込まれていくが、次第に小さくなって消失したと同時にロキが上空から滑空するように迫ってくる。
「くっ……」
咄嗟に纏わせていた魔力を集めて盾とするも、振り下ろされた剣はあまりに重く、腕は鈍い音と共にひしゃげて、膝が軋む。
それでも残る魔力を注ぎ込み、より濃密な【魔力纏術】を展開。
その場で激しい攻防を繰り広げると、ロキが何かを悟ったように口角を上げた。
「あなた、【無詠唱】持ちでしょう?」
「……」
「なのに厄介な【重力魔法】を使ってこない。それはまだ、クールタイムが存在していて 使(・) え(・) な(・) い(・) から?」
「さあ、どうかな……!」
間違ってはいないが、既に使える!
心の中で叫びながら発動し、横薙ぎに振り抜こうとしたロキの腕に狙いを定め、限界まで軽くする。
威力を失ったその腕を掴み、加重させ魔力を纏わせた杖で即座に首を貫く――そのつもりで構えるが、ロキは突然動きを止めて大きく飛び退いた。
「先ほどの魔法を吸い込む渦も、僕の腕を引っ張り上げていた球体も、おおよそ5秒弱で消失していましたね。ということは、この辺りが【重力魔法】の継続効果時間でしょう?」
「ッ……!?」
間違いなく、最初は何も知らなかったはずだ……
それは戦いの中で分かっていた。
にも拘わらず、特異であり、自身の絶対的な強みである【重力魔法】の中身を次々と見透かされていく焦りから、まだ間に合うと。
イグリアは招くように指を動かし、距離を取ったロキの身体を強制的に引き寄せる。
この時既にイグリアが握る杖の先は、針のように鋭く尖らせた棘が魔力によって形成されていた。
だが、迫るロキの眼差しに焦りの色はない。
「来ると分かっている必殺の一撃ほど対処しやすいモノはない」
ロキの言葉と同時に背筋が凍り、イグリアの手足がガタガタと震える。
【威圧】か?
いやしかし、【威圧】に対して強耐性を持つ【鋼の心】は最高レベルに達している。
いくら格上であろうと、大きく隙を晒すほどの影響を受けるとは思えなかった。
それとも、マリーと番外の一人が受けたという、謎の――……
閃光のようにいくつもの考えが脳裏を過るも、獰猛な笑みを浮かべた難敵は眼前に立ち、握る武器は明らかに自分の首を狙っていた。
敢えて数秒動きを止められたことで、【重力魔法】の効果時間は既に切れている。
再使用もまだできない。
このままでは死ぬ。
ここで、終わる……
「っがぁアアアアッッ!!」
それは魂の咆哮とも言うべき裂帛の叫びだった。
震える手で砕かれた片腕を掴み、杖と共に盾とすべく顔の横に添える。
纏わせた魔力の全てをその一点に。
ヴァルゴが刃の一部を潰した今ならまだ耐えきれる――その想いだけでイグリアは歯を食いしばり、振り被られた剣の行方を見つめると、
「――良くやった。もう十分だよ、下がってな」
鈍い音と共に視界をちぎれた腕が舞う中、マリーの声が耳に届いたことでようやく目的を達せられたと知り、砕かれ満足に動かせない頬を無理やり上げる。
十分過ぎるほどにこの戦いで生を実感できた。
それにこの指示が下りたということは、 整(・) っ(・) た(・) ということ。
これでもう、ロキは逃げられない。
転げながら生きた片目で視線を向けると僅かに目を見開き、ロキは自らの影から伸びる数多の手によって引き摺られていく足を見つめていた。
そして動く、巨漢の影。
「あなた……今までわざと速度を抑えていたんですか?」
離れた位置で盾を構え、ユーバを守るようにその場を動かないでいた巨漢のヴァルゴが、いつの間にかロキの目前まで迫っていた。
「一時的に加速する術などいくつもあろう。それにワシだけ【時魔法】を掛けられないでいた。まあ敢えて、だがな」
対してヴァルゴは答えながら拘束されたロキの近くに立ち、揺らめく炎柱の動きに注意を払いながら手にしていた金属棒を勢いよく地面に突き刺す。
一見すれば不可解な行動。
しかし、カキン、と。
激しい金属音を奏でた途端、示し合わせたように上空を浮遊していた水の精霊体が舞い降り、切り離されたその一部がロキの身体に覆い被さった。
当然呼吸ができず、また【紫水】によって汚染された水は一度術者の手を離れたためか、容赦なくロキの肌を焼いたため、嫌がり抜けだそうとするもその足がまったく動かない。
「?」
もう影から伸びる手は消失しているし、その時とはまるで感覚が違う。
不思議に思って目を凝らすと、地面から鈍色に見える泥のような何かが湧き出しており、それはロキの足元を徐々に覆っていた。
瞬間、嫌な汗が噴き出す。
まさかこの水は、俺の【発火】を消すために……
理解した途端、ロキは剣を振り被って自らの足を切断しようとするも、それより早く近づいていたヴァルゴがその手を掴んだ。
「させんよ。この場所に誘導された時点でお前さんの負け、もう逃げられん」
その言葉を証明するかのように、膨れ上がったヴァルゴの身体から液状化した金属が流れ出し、足だけでなく掴まれたロキの両腕まで侵食していく。
そしてロキは、ヴァルゴの持つ能力を確信した。
「金属を操っている……だから手に持つ装備が度々変わっていたわけですか……」
「左様。唯一、お前さんがワシと同じスキル所持者であった場合のみ、この策は失敗に終わるところであったが、その様子を見るに杞憂だったようだな」
誘導――その言葉を聞いてロキがイグリアに目を向けると、半壊した顔面を震わせながら高らかに笑った。
「く、ははっ……まさか何もないこの場所に、巨大な鉄塊が埋められているなんて思わないよねぇ……! ヴァルゴ、この男は何をしでかすか分からないよ。悠長に窒息するのを待たない方がいい」
「無論、そのために時を稼いでもらったのだからな。もう準備はできている」
水の精霊体に身体を覆われ、ヴァルゴが流動した金属をロキの身体に流し続けている限りは満足に転移などできず、そのまま窒息する可能性の方が高い。
が、この策を立て、指揮を執るのはマリーだ。
僅かでも生き永らえる可能性を残すくらいなら、確実に目の前で死体に変える――そのために指示を受けた各人が動き出していた。
『呪界――" 百羸(びゃくるい) "』
離れた位置で巨大な鎌を地面に突き立て、血走った眼でロキを見つめるユーバが独特の手印と共に詠唱を唱えると、ロキとヴァルゴの足元に不気味な文様が広がっていく。
そしてもう一人。
ロキに殺されかけたユーゼスもまた、まだ治りきっていない焼け痕を全身に残したまま雷竜の精霊体に跨り、怒りを露わにしながら紫電を纏わせ上空を漂う。
その時ザッハは気配を消し、誰の視界に収まることなく息を殺して静かにその時を待ち、離れた位置から魔力を供給され続けている水と氷の精霊体は目を見張るほど巨大化し、ロキの周囲を不規則に動く炎柱そのものに取り付きその動きを止めていた。
ロキを殺しきるための場――その準備が整い、マリーの合図と共にヴァルゴは盛大に叫ぶ。
「ワシ諸共やれぇえええええいい!!」
……間違いないはずだ。
何があろうとこのまま拘束し続ける――それが与えられた役割でもあるため、ヴァルゴは目の前の男を見つめ、自問自答する。
手足は当然として、ロキの身体は既に胸部まで金属の塊に覆われていた。
理想は口や目元まで覆い、スキルによる足掻きを可能な限り潰すことだが、しかしその時間を待たずともケリはつくのだ。
あとは晒されている頭部を誰かが潰せば終わる――そのはずなのに、ヴァルゴは嫌な緊張感を拭えず眉を顰める。
それもこれも、目の前の男が想定とは異なる様子を見せているから。
もう間もなく死を迎えるというのに、ロキの表情に怒りや焦りのようなものは感じられず、まるでこの事実を受け止めているかのように静かだった。
それは今までにも対峙し、自分の無力さを心底から理解した力なき者達の末路に似ていて……
既に毒の雨も止んでいるし、この男はその程度だったのか? と。
死の直前まで抵抗される覚悟をしていたヴァルゴはこの静けさを不気味に感じていると、上空からの巨大な雷撃に視界が染まるその瞬間――微笑んだように見えたロキの口が大きく裂けて弧を描き、その後すぐに覆う水が赤く染まっていく。
「は?」
そしてボトボトと、濁った水の中に落ちてくる、何かの欠片。
ヴァルゴが何事かと見やると、雷竜の精霊体と共に上空から攻撃を仕掛けていたユーゼスの身体が大きく裂けてバラバラにされており、姿を隠していたザッハもまた、ロキの横から剣を振り抜く姿勢のまま、身体中にいくつもの亀裂が走り、勢いよく血を噴出させていた。
「ザッハ!?」
ヴァルゴから見て、ザッハはまだ生きているようにも見える。
だから慌てて声を掛けるも――
「ぐふっ……な、ぜ……」
血に染まる水の中から伸びた腕。
それは指を広げて掴むようにザッハの仮面を破り、目や咥内を貫いていく。
あり得ない……
完全に腕を拘束しているのだ。
何が起きているのか理解ができず、ヴァルゴは崩れるザッハから視線を外しロキに視線を向ける。
すると背から黒い腕が生えており、その手にはユーゼスが愛用していた 特(・) 殊(・) な(・) 槍(・) が握られていた。
「ま、まさか……」
そして、弾けるように伸びる槍。
その矛先はヴァルゴの背後へ向けられており、すぐに呻きが漏れたことで、何が起きたか振り向かずとも理解する。
イグリアだ。
誘導と足止めのために死力を尽くしたイグリアが、ユーゼスの武器をそのまま利用され殺された……
そう確信し、ヴァルゴは久方ぶりの恐怖を感じながらも叫ぶ。
「ワ、ワシにその手の攻撃が効くと思うな! このままお前さんの身体を金属で覆い尽くし、呼吸を――ッがぁ……」
込み上げる勢いに耐えきれず、ヴァルゴは激しく吐血しながら霞む視界の中でロキを見つめる。
するとロキを覆っていた水はうねりながら上空へ舞い上がり、赤く染まる球体となって浮遊していた。
制御された精霊体の一部であるはずなのに、なぜこのような動きを取っているのか見当もつかない。
と、解放されたロキが一度大きく息を吸い、背から伸びた不気味な黒い手でヴァルゴの仮面を外す。
そして再び白き炎を纏い、語り掛けた。
「あなたに物理的な攻撃が効かなそうなことくらい分かっていましたよ。身体中を大量の金属で覆っているんでしょうから」
「な、なら、なぜ……」
「だから、腹の中を直接掻き混ぜたんです。あなたほど的が大きいと狙いやすい」
「そ……そんな、こと……どう、やっ……ごがぁあああッ!?」
再び腹の中を強烈な痛みが走り、視界が黒く塞がっていく。
ヴァルゴはロキと繋がっているため、この場を逃げ出すことも叶わない。
そしてすぐに歩き始めたロキの足音と、他は誰も聞こえていないだろう。
「ははっ、一人も逃がさねぇよ……」
小さく漏らした呟きを耳にしながら、己の死を悟ったヴァルゴは倒れることもできず、最後の時を思考に充てる。
マリーの策に嵌めれば逃げようはないと、そう思っていたが……
この男はいつでも周囲の水を取り除き、覆う金属すら溶かして自由を得ることができたのだ。
しかし、敢えてそれらをしなかった。
それは――
「嵌めた、つもりが……嵌められ、たの、か……」
意識が途切れる直前に敗れた理由を理解し、ヴァルゴは静かに息絶えた。