軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1話 黒い空間

「あっちぃ~」

まだ少し早いと感じる猛暑に愚痴りながら、スーツの上着を手にかけ訪問先へと商談に向かう男。

その営業マンは、クールビズも当たり前の世の中で上着着用を義務付ける会社に、なんてうちのお偉いさんはお堅いんだ、とボヤいていた。

もう片方の手には、自身の営業鞄であるジュラルミンケース。

その持ち手が汗でずり落ちそうになっている。

(自腹でガソリン代払ってでも車で来るべきだったかなぁ)

訪問先が駅から近いと、電車などの公共交通機関を推奨される。

それを断って車を使うということは、すなわち駄目ではないが移動や駐車に関係する費用は経費で落ちないということである。

そんな少しの後悔を抱きながら歩く男に、後方から声を掛ける者が一人。

「みーつけた」

その声に、不思議に感じながらも振り返る男。

しかし誰もおらず……

「えっ、幽霊……?」

背筋にゾワッとしたものを感じながらそう呟く途中で、男は黒い空間へと引きずり込まれ、その姿は忽然と掻き消えた。

▽ ▼ ▽ ▼ ▽

(なんだよこりゃ……)

目の前が黒い。

俺は立っているのか? 浮いているのか?

それすらも分からない謎の空間だ。

「やぁ初めまして。いきなりで悪かったね」

その声の先へ振り向くと、先ほどまで黒かった世界が瞬く間に白へと変わり、その中で茶色いどんぐりのような髪型をした少年が立っていた。

年の頃は12歳くらいか?

幼いと分かるのに、両手を後ろに組み、やけに落ち着いた雰囲気を醸し出している。

最初からそこにいたのに視界が黒く塗り潰されて見えなかったのか、それとも今いきなり現れたのか。

ふと頭に過るが、それよりも。

(凄い髪型だな……)

俺が内心そう思っていると、「失礼だね」とぼやきながら目の前の少年は言葉を続ける。

「今から君には別の世界へ行ってもらおうと思う」

「……」

「……」

「…………へっ?」

髪型以上に意味が分からない。

しかし、この光景、この発言。

思い当たるものはあるな。

(これが異世界転移か……?)

仕事は多忙を極めた、というより自ら多忙な状況にしていた節もあるが、そんな仕事一辺倒な生活の中でも、移動中の暇潰しとしてファンタジー小説を読むことはあった。

だからこそ、この非現実的な光景の中にも既視感というか、なんとなく連想できる部分もあったりはしたが……

そうか、目の前にいるのは神様の類か。

しかし、なぜ女神様ではないのか。

「ちなみに僕は死んだのですか? そうは思えない記憶しかありませんが」

「いや、君は死んでいないよ? だから想像通りではあるけど、転生ではなく転移ということになるね」

「なるほど。なぜ死んでもいないのに僕なんですか?」

言っていることは理解したけど、現実を理解できていないから情報が欲しい。

しかし目の前の少年は質問には答えず、愛嬌のある笑みを浮かべながら、大仰に両手を広げて口を開く。

「君に行ってもらいたいのは今までの世界より文明が遅れた、武器と魔法とスキルで活躍するファンタジーな世界さ!」

「は、はぁ……」

「人気の世界だし、行きたくても行けない者達が大勢いるわけだからラッキーだよね!」

なぜこの少年は、確定事項のように話を進めているのだろう。

そこが分からないが、それでも。

最重要項目については一応確認しておこう。

「……チートは?」

「ん?」

「行くとどんなチート能力を頂けるんですか?」

結局はここだ。

得られる能力次第で運命が決まると言っても過言ではない、超重要ポイントなのだから聞かないわけにはいかない。行く行かないは別にしてだけど!

しっかりと確認し、交渉をしなければならない。

しかし、その少年から出る言葉は予想の遥か斜め下だった。

「何を言っているの? 授ける能力は無く そ(・) の(・) ま(・) ま(・) だよ?」

この少年――いや、このどんぐり頭はふざけているのか?

ゴミ能力でも文句を言う人間が続出だろうに、何も無い?

そんな条件で、誰が好き好んで今までの現実を捨て、剣と魔法とスキルで即死してしまいそうな世界へ行くのだろうか?

どんぐりは馬鹿なんだな。そういうことだろう。

「そうですか。では現実世界に戻してください。今すぐに。お客さんが待っていますので」

夢でも見たと思って忘れよう。職場の人間に言ったら爆笑か病院に連れていかれるかのどちらかだろうし、とてもじゃないが恥ずかしくて言えたもんじゃない。

そう結論を出したのに、今までの軽い雰囲気から一転、真面目な表情をした少年が呟く。

「本当に良いのかな? 今の生活に満足していないからこそ、僕は君の目の前に現れることができたんだけどね?」

「……」

そこは突っ込まないでほしい。

黙ることが正解だと思われても、黙りこくるしかないじゃないか。

仕事をして帰って寝るだけの生活。

お金は人並み程度に稼げているが、使う時間と余裕がまったく無い。

学生の頃に、時間を忘れて没頭したゲームなんて今はやる時間もまったく取れず、それどころか日に1時間程度も趣味に費やすことが難しい日々。

それは分かっている。

分かってはいるが―――

それでも、この生活でそう簡単に死ぬことはない。

仮に た(・) だ(・) 生(・) き(・) て(・) い(・) る(・) だ(・) け(・) だとしても、手ぶらで行って死ぬよりはマシだろう。

ダメはダメなりに、必死こいて今の生活を守ってきたんだ。

だから最後に、もう一度だけ聞いておく。

心が読めているんだろう?

俺じゃなくてもいいとは思うが、「見つけた」ということは少なくとも、俺が神様の求めている条件に何かしら該当したはずなのだから。

だから強気にいかせてもらおう。

「本当に手ぶらなのか? 武器も魔法もスキルも無縁の世界で過ごしている一般人の俺に、本当に手ぶらで行かせるつもりなのか?」

「え?」

「武術の経験なんて欠片も無い、年相応に弛んできたこの身一つで? いくらなんでも冗談だろう?」

「……」

「子供をトラの檻に放り込むようなもんだ。そんなの誰でも、確実に死ぬ。そんな条件なら絶対に行くことはできない」

これで引き出せるのか、引き出せないのか。

それ次第だと思っていたが……

「トラ? あーなるほど、そういうことか。随分慎重だけど……まいったね。このままじゃ本当に行ってくれなそうだ」

やっと折れてくれたか?

となると、ここからが重要だ。

それなら、と目の前の少年は返してくる。

「身体年齢くらいは若返らせてあげるよ。さすがに32歳からのスタートじゃ厳しいだろうしね」

「なるほど……それなら0歳からで頼む。0歳から魔法の鍛錬しちゃうから!」

「いやいや、依り代のある転生じゃないんだからそれは止めておいた方がいいよ。転移後に誰にも拾われなかったらどうするつもり? せめて身体が成長しきった後の方が良いと思うけどね」

「うっ……た、確かにそれもそうか。それなら14歳、いや13歳くらいでもなんとかなるはずだ。それで? スキルは? 特別な加護とか装備とか無いのか?」

「口調も内容もどんどん図々しくなってるよまったく! 何を贅沢言ってるの!」

「当たり前だろう! 若返っただけじゃ全然強くなってないんだぞ!」

「それはそうだけど……うーん、じゃあしょうがないから1個だけ、君の世界で言うステータス画面をいつでも見られるようにしてあげるよ。僕のお手製だから凄いよ? もちろんステータス画面は君が見てしっかり理解できるよう十分配慮しよう」

「お、おぉ……で、他には!?」

「馬鹿っ! もうないよ!」

「は? 無限ボックスとか転移ワープとか勇者スキルとか、もっとチートっぽいものがいくらでもあるだろう! というか、ステータス画面が見られるって……凄く普通だし、まったく強くなってないんだけど!」

「もう煩いな! いいから早く行っておいで!」

「ちょ……待て待て!! 結局1ミリも強くなってないじゃないか!! ふざけんなぁああああぁぁぁぁぁ―――…………」

偶然とはいえ、過去最高とも言える恵まれた素材。

『壊す』か『覚める』か、それとも早々に『潰れる』か――。

「期待しておくよ」

そう呟き、最後まで名乗りもしなかったその少年は、再度黒く塗りつぶされていく世界へと消えていった。