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ツンデレのデレが漏れてこない婚約者に絶望した令嬢は、精神的処女として生きる

作者: こじまき

本文

「コンラート様」

私が声をかけると、婚約者のコンラート様はいかにもめんどくさそうにわざとらしくため息をつき、級友との会話を止めた。私のほうをちらりと見て、すぐに目を逸らす。

「下品だ。娼婦のつもりか」

今日は貴族学園主催のオペラ鑑賞会。華やかな服装が許される日だから、侍女に頼んで特別きれいにしてもらったのに、返ってきた言葉はそれ。

本当ならホールの前で待ち合わせするのではなく、男性が女性の部屋まで迎えに来てくれるのが一般的なのに、それすらない。

もうすっかり慣れてしまった扱いとはいえ、傷つかないわけではない。

「…申し訳ございません」

「陰気な顔をするな。オペラを見る気が失せる」

「…はい」

ボックス席で何の会話もなくオペラを見て、それが終わるとコンラート様はすっと席を立つ。そしてまた級友たちと楽しそうに会話しながら、私のことを振り返りもせず帰っていった。

いつから。

どうして。

《僕、アーデルハイドが婚約者になってくれて幸せ!》

《転んだの?大丈夫、クラウスじゃなくて僕がおぶってあげる。だから泣かないで》

《アーデルハイドが欲しがってた本、いっぱい探してやっと見つけたんだ!嬉しい?ね、嬉しい?》

優しくて愛情表現も豊かだったはずの彼は、いつしかとげとげしい言葉ばかり私にぶつけるようになっていた。

話しかければ「気が散る」。

一緒に食堂へ行こうと彼の教室の前で待っていれば、「待ち伏せするな、息が詰まる」。

「私の努力が…足りなかったのかしら」

ーーー

違う。

彼女の努力は、確実にコンラートに届いていた。

「アーデルハイドめ…またきれいになって…!しかもあんなに胸が開いて…っ!あんなの直視できるわけなかろうが…!!」

しかし彼はそれを表に出せない。「女にでれでれしてかっこ悪い」と冗談交じりに言われたのがきっかけで、表に出せなくなってしまった。

アーデルハイドが自分の態度に傷ついていることも、顔を見てわかっている。ずっとずっと、彼女のことだけを飽きずに見てきたのだから。

だがプライドが邪魔をして、素直になれなかった。

「大丈夫、絆がある。彼女ならきっとわかってくれる。それに私たちの婚約は揺るぎないものだ。アーデルハイドはどうやっても私から離れられないのだから…」

学内サロンは、色とりどりのドレスと社交辞令で満ちていた。

その中心にいるのは、コンラート様。今日は国王の甥でもある彼の十八歳の誕生日だから、有志が集まって誕生日パーティーを開いているのだ。

「おお!これは珍しい毛皮だ」

「我が領地にしか生息しない、珍しいウサギの毛をふんだんに使ったのです」

「これは自慢できる。ありがとう、クラウス」

「センスのいいカフスボタンだな、ユリエッタ」

「コンラート様の瞳のお色ですわ」

「早速つけてみよう」

級友たちが続々と彼にプレゼントを捧げ、最後に私に視線が向く。

私は、彼が小さい頃に図鑑を見ながら「これって幻の石なんだって!持っていたら何でも願いが叶うらしいよ」と嬉しそうに話していた珍しい宝石をようやく探し出し、ネクタイピンに加工してもらっていた。

「コンラート様、お誕生日おめでとうございます。こちらが私からのプレゼントです」

コンラート様はまったく私を見ず、礼すら言わずに箱を受け取る。級友たちに向けていた愛想は、どこへいってしまったのだろう。

ぱかりと箱を開け、彼は無表情になった。

「ああ、また失敗したんだわ」と悟る。

果たして彼は「あんな話を信じて、こんな子どもっぽいものに金をかけるとは」と吐き捨てて、箱を閉めた。

そしてちょいちょいと侍従を呼ぶ。

「“処理”しておけ」

「処理」の意味するものが、「私からのプレゼントを保管する専用金庫に入れておけ」という意味であることなど、私も周囲も知るはずがない。

だから周囲は「アーデルハイド様ったら、お可哀そう」「でも婚約者が好むものすらわからないようでは、ねえ?」と失笑を漏らし、私は俯く。

――好みどころか、私には、彼のことがもう何もわからない。

「暗い顔をしてパーティーの雰囲気を白けさせるな」

そのとき、胸の奥で「プツン」と何かが切れる音がして、私は唐突に悟った。

この人に、私の気持ちを差し出すことには、何の意味もない。自分が疲弊するだけだ。

だったら、もうやめよう。

愛情も、思いやりも。そして私が感じる怒りや悲しみすら、彼には分け与えないでおこう。

「精神的処女」という言葉が思い浮かんで、私はその言葉を手に取ったのだった。

「…承知いたしました」

それから私は、毎朝欠かさなかったコンラート様への挨拶をやめ、お茶の時間に手作りの焼き菓子を持って彼の部屋を訪ねることもしなくなった。

返事の返ってこない挨拶も、好きでもないお菓子作りも、会話のないお茶の時間もない。時間があり余り、好きな読書や写生に時間を割けている。

池のほとりで美術部に交ぜてもらって写生をしていると、コンラート様がやって来た。

「アーデルハイド」

私は彼がそうしていたように、手も止めず、彼のほうも見ず、返事をする。

「なんでしょうか」

「最近…毎朝の挨拶にも茶の時間にも来ないようだが」

「陰気な顔を見ていただくのも悪いと思いまして。お伺いしたところで会話もありませんので、時間の無駄かと」

コンラート様が息をのむ気配がして、沈黙が続く。

彼はきっと、私が歩み寄るのを待っている。いつだって私がそうしてきたから。

けれど、もうそれも終わりにすると決めたのだ。

しかし美術部の面々がやりづらそうにちらりと見るので、私は「皆様の写生の邪魔をしないでいただけますか。気が散りますので」とだけ告げる。

「何を怒っているんだ、アーデルハイド」

「怒ってなどおりません。ただ本当に、コンラート様が邪魔なだけです」

「いや、怒っているだろう!誕生日プレゼントでのことを怒っているのか?そうだな?」

「コンラート様、ですから私は怒ってなど…」

コンラート様は私の腕をとって引っ張る。

「おやめくださいませ」

「いや、見てくれ…!そうしたらわかってもらえるはずだ…!」

連れて来られた、広い広いコンラート様の寮の部屋。

「金庫を開けろ!」

侍従が慌てて大きな金庫を開けると、そこにはあのネクタイピンをはじめ、私が今までコンラート様に贈ったプレゼントや手紙がきちんと整理されて詰まっていた。

「これを見れば、わかるだろう?」

黙っていると、彼は「私が彼の行動に感激している」とでも思ったのだろう、笑顔を浮かべて、とうとうと説明を始める。

彼がいかに私を愛しているか。

今まで私に投げつけたとげとげしい言葉の数々も、愛情の裏返しと照れだったのだと。

「このネクタイピン…子どもの頃のちょっとした会話を覚えていてくれて本当に本当に嬉しかった。けれど人前で大喜びするのは恥ずかしくて…」

愛情の裏返し?照れ?

「女にでれでれしてかっこ悪い」と言われたから、恥ずかしくて?

――くそくらえ。

今さらそんなことを言われて、ほだされて泣きながら彼の胸に顔を押し付けるとでも思っているのだろうか。

彼が「照れ隠し」などという言葉で自分だけ楽しんでいた時間は、私の心を殺すのに十分だった。

「わかってくれたな」

彼が腕を広げて、私を抱きしめようとするのを、私は後ろに下がって拒否した。

「私の愛を確認できたんだ、照れるな。私もこれからは照れずに愛情を伝えようと思う」

「…もう遅い」

コンラート様は目を見開いた。

「なんだって?」

「もう遅い、と申し上げたのです」

私の愛は、もう死んだ。

今さら水をあげても、生き返らない。

「今さら愛情を伝えられても、私はもう元には戻りません」

「何を言う、アーデルハイド。君はあんなに、私に気に入られようと必死になっていたじゃないか」

「馬鹿でした。感情を無駄遣いして。けれどもう、あなたには私の感情をひとかけらも差し上げません」

こんな状況で涙ひとつ出てこないのが、答えなのだ。

期待はしていなかったが、婚約解消は案の定できなかった。

コンラート様は国王の甥。しかも「私を愛している」と今さら大声で恥ずかしげもなく主張しているのだから、解消できるはずもない。

貴族学園を卒業してすぐ、予定されていた通り結婚式が挙行され、私はコンラート様の妻となった。初夜も滞りなく行われ、「白い結婚」を理由に離婚もできない。

けれど私は、「精神的処女」を貫いている。

身体は婚姻関係に縛られ、彼のそばに立って妻としての義務は果たしているけれど、心は夫に捧げない。

そうすることで、私はここで生きていける。

躊躇いがちなノックの音がして、コンラート様が私の機嫌を窺うように顔を出した。

「…君に似合いそうだと思って、ネックレスを買ったんだ」

私はちらりとそのネックレスに目をやる。大きなダイヤモンドがいくつも並んでいる。

「無駄なことにお金をお使いになったのですね」

コンラート様の目に、もう何度見たかわからない絶望が浮かぶ。

諦めれば楽になるというのに、いまだに彼は「自分を愛しているアーデルハイド」が戻ってくるのを諦めきれないのだ。

「“処理”しておきなさい、アンナ」

「奥様、こんな見事なダイヤモンドを“売り払う”のですか?」

「だっていらないもの」

コンラート様が「アーデルハイド、こんなに愛しているんだ。どうか意地悪をしないでくれ」と私に縋る。

彼が私の手に涙を落としても、「あとできれいに洗わないと」と思うだけだ。

「意地悪ではありません」

これはあなたがしていたような、「愛情の裏返しとしての無視」などではないのだ。罰を与えたくて、意地を張っているわけでもない。

「ああ…アーデルハイド、愚かだった私を許してくれ。一度でいい、昔のような目で私を見てくれ。怒りでも悲しみでも、哀れみでも蔑みでも何でもいい。私に何か向けてくれ…!」

「そうは言われましても、コンラート様に対して思うことが何もありません。無理なものは無理ですので」

私の愛は、枯れ果てて死んだ。

死んだ人間が生き返らないように、死んだ愛も蘇らないのだ。

だからこれは、真の拒絶。

あなたには、もう何もあげない。

「私を蔑ろにして軽んじて…!アーデルハイドは…私が…私が愛人を作ってもいいのか!」

「ええ、気にいたしません」

「離婚すると言ってもか!」

「ええ」

私が「離婚」という言葉に、つい嬉しそうな顔をしてしまったのだろう。

彼は血相を変えて「離婚など絶対にしないからな!」と訂正する。

どちらでも構わない。

あなたが愛人を作っても。

私だけを妻として愛し、囲い続けたとしても。

あるいは耐えかねて、私を手放したとしても……

あなたが私の心を得る日は二度と来ない。

いずれにせよあなたは敗北し、私は勝つのだから。

――たとえ私が、その勝利になんの価値も喜びも、見出せなかったとしても。